(56)アルフレッドの焦燥。
……ガヤガヤ……ガヤガヤ……
領都グランリゲルへ入城した日の夜。アルフレッドは食事を終え、与えられた旧ブルーノ邸の客室の窓から、街を眺めていた。
窓を開ければ、ガヤガヤ、ワイワイと、夜になっても賑やかな街の喧騒が響いてくる。
外には、休息を与えられたリンドロット騎士団の面々が、楽しそうに通りを練り歩いている姿が見えた。
「……フローラ……無事でいるだろうか⋯⋯」
リンドロットの東側砦が急襲され、急遽招集をかけられた騎士団員たち。砦での激しい防衛戦に始まり、そこからの追撃戦。フルール村奪還から、ここ、グランリゲルまでの強行軍と、戦いは連日続いてきた。リンドロットの軍勢の疲労はすでに限界に達しつつある。 だからこそ、今夜の休息は絶対に必要だった。
明日からまた、ラングレー領まで馬車で約五日の距離を進まなければならず、到着と同時に戦闘になるのが目に見えているだけに、今日は余計にしっかりと休むべきだ。
ここまで同行してきた魔物たちの動きにも疲れが見え始めている。ここで休まなければ、いざ戦いが始まった時に本来の力が出せない。
頭では分かっている。……分かってはいるのだが……。
「フローラ……」
アルフレッドの頭の中は、ラングレー領で『蒼い薔薇隊』と共に戦っているフローラのことでいっぱいだった。
戦況はどうなっている?苦戦はしていないか?無事でいるのか……
ともすれば、最悪なことばかりが頭に浮かんでしまう。
その度に激しく首を振り、その考えを頭の外に追いやるのだが、今すぐにでもフローラの元に駆け付けたいという衝動は抑えられない。
魔天馬のフィルに乗れば、今からでもすぐにたどり着けるだろう。
だが、東側の八千と西側からの一万五千の大軍相手に、アルフレッドひとりが駆け付けたところで、何の助けにもならないことくらいは分かっている。
フルール村を奪還したところでリンドロット領へ引き返し、フローラたちの後を追ってラングレー領へ援軍に行けば良かったか……
だが、それだとザルツェリア王国の軍勢は立て直しを図り、守りの手薄になったリンドロット領へ再度侵攻してきた可能性がある。
ここ、グランリゲルからラングレー領までは馬車で約五日。今からフルール村まで戻って、リンドロット領からラングレー領へ行ったとして、やはり五日……いや、一日半くらいは日程を縮められるか……。
少しでも早くフローラたちと合流したい。
それでも、今ここには大砲がある。
このまま、ザルツェリアの軍勢を背後から襲撃する方が、劇的に戦果を大きく変え、今の絶望的な戦況を根底からひっくり返せる最善の手なのは分かりきっている。
分かりきっているのだ……それなのに、胸の中の焦燥感は収まらなかった。
「失礼します」
その時、ノックの音とともにセシルが部屋に入ってきた。
「 アルフレッド様、雷針黄金魔蜂達からの報告をまとめました。ブルーノ子爵は、家族やザルツェリアの残党と共に、アイゼン伯爵のブランドン領へと逃げ延びたようです」
「……そうか」
アルフレッドは、どこか他人事のようにその報告を聞いた。
ブルーノをここで取り逃がしたのは、本来であれば痛恨の極みと言うべき事態だった。いつかこの手で決着をつけなければならない――。
だが、やはり今のアルフレッドにとっては、ブルーノの行方よりもフローラの無事を確認することの方が、何よりも先決だった。
「それと、ブルーノ子爵が逃げた先のブランドン領へは、もう間もなく我が王国の騎士団による総攻撃が開始される模様です。ですから……ブルーノ子爵の命運も、もはやここまでかと」
「……そうか。ブルーノもついに終わりか」
アルフレッドは深くひとつ、溜息ともつかない息を吐き出し、窓の外の夜空を見上げた。
あれほど憎み、いつか決着をつけねばならないと思っていた男の破滅が、すぐそこまで迫っている。本来ならば胸のすくような報せのはずだった。だが、アルフレッドの胸を満たしているのは、やはりフローラの安否だけだった。
「アルフレッド様、大丈夫ですか?」
「ーーッッ!?」
向けられた声の近さに、アルフレッドは弾かれたように視線を戻した。気がつけば、セシルの顔がすぐ目の前に迫っている。ぼんやりと夜空を見上げていたアルフレッドの異変を察したのだろう。彼女は形の良い眉を少し潜め、心配そうにその顔を覗き込んできていたのだった。
「あ、……いや、大丈夫……なんでもない」
慌てて取り繕うように声を返したが、その声がわずかに掠れて上ずっていたことに、自分でも気づく。
「……そうですか。アルフレッド様が大丈夫だと言うなら良いですけど……でも、あまり無理はしないで下さいね。アルフレッド様に何かあったら、私たちは終わりなんですから」
「……えっ?」
「アルフレッド様は、それだけ皆に慕われているんです。……もちろん私もそうですよ。だから、あまり無理をしないでください。ひとりで抱え込まないでください。私たちにできることがあれば、何でも言ってくださいね」
セシルの言葉が、冷え切っていた胸の奥にじんわりと広がった。皆で戦っていながら、アルフレッドはいつの間にか、すべての重圧をひとりで背負い込んでいる気になっていたらしい。
「……セシル、ありがとう」
飾らない、心からの感謝が自然と口をついていた。
「ふふふっ、どういたしまして。それでは明日も早いですし、今夜は早くおやすみくださいね」
悪戯っぽく微笑むと、セシルはくるりと背を向け、部屋の扉へと歩き出す。
「……あ……」
セシルの後ろ姿を見た瞬間、唐突にまたひとりに戻ってしまうのだという孤独感と恐怖に襲われた。
「――ッ、セシルっ!」
気がついた時には、アルフレッドは衝動のままに駆け寄り、彼女の身体を後ろから激しく抱きしめていた。
「――ッッ!? あ、アルフレッド様……っ!? どうしたのですかっ!?」
背後からの突然の抱擁に、セシルの身体がびくりと硬直するのが腕を通じて伝わってくる。驚き慌てる彼女の首元に、アルフレッドは縋るように顔を埋め、その華奢な身体をさらに強く、壊れそうなほどに抱き寄せた。
「セシルっ……もう少しだけ、こうして一緒にいてくれないか」
その掠れた声に、セシルはすべてを察したのだろう。身体からそっと力を抜くと、小さく微笑んだ。
「――はい。良いですよ、アルフレッド様」
あの、いつも皆を引っ張り続けているアルフレッドが、今はこうして自分に甘えてくれている。そのことに胸が熱くなったセシルは、後ろから回された彼の腕にそっと自分の手を重ね、アルフレッドの頭へと優しく手を回し、その髪をなだめるように、ゆっくりと撫でた。
翌朝、アルフレッドは昨日までの焦燥が嘘だったかのように、朝から精力的に動き回った。兵糧の集積を指揮し、負傷兵たちの様子を自ら確認して回る。さらに同行する魔物たちにも顔を見せて声を掛け、その絆を確かめ合った。
そうして全軍の準備を整えると、アルフレッドは兵たちの前に立ち、これからの作戦内容を力強く指示して訓示を行った。
「――以上。この後十五分後に出発する。各自それまでに配置につけ。解散!」
アルフレッドのその一言で、場は一気に張り詰めた。急激に高まった士気に応えるように、全軍の動きがキビキビと軽やかさを増していく。兵たちのどの顔も心地よい緊張感に包まれ、これからの激戦を見据えるように、引き締まった面構えを見せていた。
「では、出発する。目標、決戦の地ラングレー領。一刻も早くフローラ達、『蒼い薔薇隊』と合流し、敵、ザルツェリア王国軍をせん滅する。行軍は強行になるが、遅れるなよ!いくぞッッ!!」
「「「「「「オオオオオォォォ!!!!」」」」」」
地鳴りのような大歓声で、領都グランリゲルの朝空が震える。
待っていろ、フローラ。
アルフレッドの強行軍が、今、開始された。




