(53)風雲急を告げる。
王都からの帰り道、ロンメル辺境伯の表情はずっと険しいままだった。
一刻でも早くラングレー領に帰り着きたい気持ちを、ぐっと抑えているのが良くわかる。
焦りから運転を誤ることを危惧し、何とか逸るロンメル辺境伯を押し留め、アルフレッドとガルドさんの2人で交代しながら運転して帰った。
それでも、2人とも鬼気迫るロンメル辺境伯の気持ちを思い、可能な限り飛ばしに飛ばした。
結果として、行きと変わらない時間で戻って来られたのだから、上出来と言って良いと思う。
ラングレー領に到着した時、目に飛び込んできたのは平和な領内の光景だった。思わず涙ぐむロンメル辺境伯の姿を前にして、アルフレッドにはその心情が痛いほど伝わってくる。
屋敷に戻ったロンメル辺境伯は、すぐに鋭い眼光を取り戻し、その足で次々と部下に指示を飛ばした。領内に招集命令をかけ、領民への避難勧告を迅速に下していく。
これ以上はここにいても迷惑になると思い、アルフレッド達もリンドロット領へ戻ることにした。出発の挨拶をするためロンメル辺境伯の元を訪れると、思わぬ形で呼び止められた。
「アルフレッド卿、少し良いだろうか。」
「はい。何でしょうか?」
屋敷中がバタバタと慌ただしさに包まれる中、人気のない、静かな執務室に通された。
「⋯⋯アルフレッド卿。すまぬが頼みがある。⋯⋯どうか、家の者達をリンドロット領へ避難させてはくれまいか?」
「〜〜ッ!そ、それはッッ⋯⋯」
これから戦が始まるという時に、その軍の総大将が自分の家族を真っ先に安全な場所へ逃がすなどあってはならない事とされている。
配下が見れば士気にかかわり、逃げるということは初めから勝つ気がないのかと揶揄されてしまう。だから、避難するとしても総大将の家族は最後の方になるのが普通なのだ。
それを分かったうえで、恥を忍んでアルフレッドに頼み込んでいるということは⋯⋯
それを意味するのはひとつしかない。今回の戦は、それだけ絶望的な厳しい戦いになると言うことを肌で感じているのだろう。
視線を落としたロンメル辺境伯の拳は白くなるほど固く握りしめられ、その手が微かに震えているのを、アルフレッドは見逃さなかった。
「わかりました。皆さんをリンドロット領でお受けいたします。すぐに準備をお願いいたします」
アルフレッドに迷っている隙はなかった。
「すまない。恩に着る。」
震えた声でそれだけ言うと、ロンメル辺境伯は執務室を後にした。
その後、すぐさまアルフレッドたちはリンドロット領へ発った。
避難する人達を乗せた馬車は後から追って来るとのことだが、一刻も早く受け入れ態勢を整えておいた方が良い。
領地へ戻ってからすぐに、アルフレッドは息つく暇もなく動き回った。
まずはすぐにリンドロット騎士団を招集し、出撃準備の命令を出した。ガルドさんには弾薬の補充を頼んだ。ルシエラ婆さんのとろこへ行き、ポーションの在庫を確認する。
いざという時はロンメル辺境伯への救援に駆けつけられるよう、兵糧や軍備の調達を急がせるよう指示を出す。
『蒼い薔薇』には、留守の間のリンドロット領を任せたい。フローラと詳細を詰める相談をするため屋敷へ戻る。
⋯⋯カンカンカン⋯カンカンカン⋯カンカンカン⋯カンカンカン⋯⋯
突如としてけたたましく打ち鳴らされる村の警鐘が、リンドロット領の平穏を切り裂いた。
「敵襲ッ、敵襲ーーッ! 東の砦より緊急報告ッ! フルール村方面より敵の軍勢が接近中ーーッ!!」
喉をからした見張りの絶叫が、屋敷の廊下にまで響き渡る。
「その数およそ、3千ッッ!」
「さ、3千⋯⋯ッッ」
そのあまりにも想定外な数の多さに、アルフレッドの背筋に冷たい戦慄が走った。
「ーーッ!エレノア、エレノアはいるかっ!」
「はっ、こちらにッ!」
「リンドロット騎士団を連れて東の砦へ。新型銃の威力を見せてやれッ!」
「はっ! 直ちにッ!」
エレノアはマントを翻し、周囲の部下たちへ次々と指示を飛ばしながら、嵐のように駆け出していった。
「――アルっ!」
エレノアと入れ違いになるように、フローラが息を切らせて駆け込んできた。
「フローラ!聞いての通り、フルール村方面から敵襲だ。『蒼い薔薇隊』の招集を頼む!」
「分かったわ!」
――その時、さらなる怒号が響き渡った。
「伝令ッ、伝令ーッッ、北の街道から早馬が物凄い速さでこちらに向かって来ておりますッ、伝令ッ、北から早馬が向かって来ておりますッ」
駆け出そうとしていた、フローラの足が止まった。
「――ッッ!?」
――まさか、ラングレー領に何かあったか!?
「フローラッッ!早馬を迎えに行くぞ!」
アルフレッドの声にハッと我に返ったフローラとともに、二人は急いで北の防御壁へと走る。
アルフレッド達が防御壁の門に着いた時、ちょうど早馬が駆け込んでくるところだった。
なだれ込むように飛び込んできた騎士を受け止めた。崩れ落ちる身体をしっかりと支え、まずは水を飲ませて息を整えさせた。
「ぜぇ、はー、ぜぇ、ゲホッ、ゲホッゲホッ⋯⋯ぜぇ、ぜぇ⋯⋯あ、ありがとうございますっ。ーーッ、し、失礼いたしましたっ、伝令ですッ。ラングレー領西側より、隣国ザルツェリア王国が侵攻を始めました。その数およそ1万5千ッッ⋯⋯」
「「――なっ!?」」
ロンメル辺境伯のラングレー領と隣国ザルツェリア王国との間は草原が広がっている。いくらそこに砦を築いていても、1万5千を相手にするのは決して容易なことではない。
⋯⋯いや、正直かなり厳しいだろう。
「――それからッ、東側、ブランドン伯爵領より敵が急襲ッッ、その数およそ8千ッ。アイゼン伯爵とブルーノ子爵の軍勢と思われますッッ」
「――ッッ!」
「――なっ、何だって!?」
あまりの報告に、フローラは手で口を押さえて悲鳴をこらえ、アルフレッドもその数に唖然となった。
「ぜぇ、ぜぇ、ッ、これにつきましては、傭兵を雇うと見せかけてザルツェリア王国の兵を多数招き入れていた様子!行軍がしっかりと統一されており、完全に鍛え上げられた軍隊のものですッ」
「⋯⋯ブルーノッッ⋯⋯」
ギリッ、アルフレッドは口の端が切れるほど奥歯を噛み締めた。
「⋯⋯フローラ、『蒼い薔薇隊』を連れてロンメル辺境伯のところへ援軍に行ってくれ」
「――ッ!?⋯⋯で、でもッ」
「こっちは何とかする。東の砦で敵を蹴散らしたら、そのままフルール村から領都グランリゲルを抜けて、アイゼン・ブルーノ軍の後ろから襲撃してやる。フローラはそれまで持ちこたえてくれ!」
「ッッ⋯⋯、はいっ!」
フローラは目に涙を溜めて、踵を返した。
「フローラ!キースティンとメルヴィンを連れて行って。防衛戦なら土魔法使いと防御魔法使いの存在はかなり大きい!」
その背中にアルフレッドが声を掛けた。
「は、はい!……アルっ……ありがとう」
振り返ったフローラは、深々と頭を下げた。
「アルフレッド様、私も戦う。」
部屋にメアリーが現れた。
その手にはしっかりと杖が握られているが、杖先はわずかに震えているのが分かる。
「メアリー、ありがとう。⋯⋯でも、メアリーは今回、村で留守番を頼む。」
「――ッッ!?⋯⋯な、何で?私、要らない?」
メアリーの目からブワッと涙が溢れ出した。
「⋯⋯正直に言う。メアリーにはあんまり人殺しをして欲しくないんだ。前にワルターの私兵をやっつけてもらっているから今さらかもしれないけど。でも、それでも、メアリーが魔法で多くの人達を消し飛ばして⋯⋯その後、ずっとその十字架を背負って生きて行くのは耐えられないんだ。⋯⋯メアリーは、きっとひとりで全部抱え込んでしまうから⋯⋯」
「ア、アルフレッド様ッッ」
メアリーはアルフレッドの胸に飛び込み、自分のことを考えてくれているのが嬉しくて、また、自分の心からの居場所があることにホッとして泣き出した。
「⋯⋯こんな事をいいながら、それでも本当にピンチになった時には、恥も外聞もなくメアリーの魔法に頼るんだけどね。」
アルフレッドは、メアリーの頭をなでながら困った顔になる。
「――ッ!う、うん。その時は頑張る!」
「はははっ。頼りにしてるよ。」
「うんっ!」
メアリーはぐしゃぐしゃの顔で笑った。
「だから、メアリーはここにいて村の皆を守って欲しい。もし、リンドロット騎士団と『蒼い薔薇隊』がいない間にリンドロット領に敵が攻め込んできたら、その時は遠慮なく魔法をぶっ放して欲しい。」
「⋯⋯分かった。私に任せる。」
メアリーは、いつもの調子に戻ってフンスっとない胸を張ってみせた。
「⋯⋯あれで本当に良かったの?」
メアリーが部屋を出ていった後、フローラからそんなことを聞かれた。
「⋯⋯ああ。メアリーに言ったことは本心だよ。⋯⋯それに、ここでメアリーが魔法を使えば、この国だけじゃなく隣国ザルツェリア王国にまでその名が広く知れ渡ってしまう。そうしたらメアリーは、今後戦争の道具として一生使い潰されることになる。
⋯⋯それだけじゃない。他国からしたら、あの魔法は間違いなく脅威に映るはずだ。そうなれば、卑劣な手で連れ去られて研究の実験台にされるか、あるいは、手っ取り早く消されるか⋯⋯。
そんな未来は簡単に想像がつく。⋯⋯そんなことは、絶対にさせない。」
アルフレッドは、ぐっと両手の拳を握り締めた。
「そうね。アルの言うとおりだわ」
フローラもアルフレッドの顔を見て頷いた。
「さあ、いこう。」
アルフレッドとフローラが連れ立って屋敷を出ると、そこにはたくさんの人達が集まって来ていた。
「「「「「アルフレッド様ッッ」」」」」
「「「「「フローラ様ッッ」」」」」
「皆、落ち着いて!戦える人は戦闘の準備を!それ以外の人は避難する準備を⋯⋯と言っても、今のところ逃げ出す場所なんてないんだけどね」
はははは⋯⋯。
アルフレッドは自虐的に乾いた笑いを浮かべることしかできなかった。
「アルフレッド様〜〜っ」
人だかりからアルフレッドを呼ぶ声がして振り返った。
「アルフレッド様⋯⋯どうかお気をつけて」
ナタリーが人だかりから抜け出し、アルフレッドに抱きついた。
「「「アルフレッド様、お帰りをお待ちしております。」」」
カミラとリナ、マリベルがそれに続く。
「無事に帰って来て下さい。」
セシルがそっとアルフレッドを抱きしめる。
「凱旋帰還を待ってるニャ」
ニーナもしっぽを絡ませながら、情熱的に抱きついてくる。
「村のことは、私に任せる。」
背伸びをしてメアリーが頭を撫でてくれた。
「リンドロット騎士団、配備完了しました。⋯⋯私は、どこまでも貴方様と運命をともにします。」
エレノアがアルフレッドの頭を抱きしめた。
「ご武運を……どうかご無事で」
フィオナが、おまじないを掛けるかのように、頬にキスをする。
「⋯⋯絶対に、無事に帰って来ないと許しませんよ」
サラがアルフレッドの瞳をのぞき込み、不意にその胸に掻き抱いた。
「〜〜〜ッッ!?サ、サラっっ!あなたまで何してるのっ!って言うか、いつの間にっ!?」
それを見たフローラが仰天の声を上げた。
「ふふふっ、申し訳ありませんフローラお嬢様。どうやらアルフレッドにとっても、私は必要なようですので。」
サラは蕩けるような潤んだ瞳をフローラへ向け、妖しく微笑んだ。
「〜〜ッッ!?」
フローラは顔が触れ合うほどの勢いでアルフレッドに詰め寄った。
「アルッッ! どういうことか、帰ってきたらきっちり説明してもらうわよッ!?」
「⋯⋯あ、ああ。そのためにも、まずは奴らを叩きのめさないとな。⋯⋯フローラ、頼む。無事に帰ってきてくれ。」
そう言うと、アルフレッドはフローラを壊れんばかりにきつく抱きしめた。
「では、皆も気を付けてくれ。フローラ、ロンメル辺境伯によろしく!」
アルフレッドはそう言い残すと、背を向けて東の砦へと駆け出した。
「『蒼い薔薇隊』出撃準備!私達は、現在挟撃を受けて苦戦中のラングレー領へ至急援軍に向かいます! 三十分後に出撃するわよッッ!」
「「「「「はいっ!」」」」」
フローラは毅然とした表情で自らの部隊に檄を飛ばし、自らも準備のために走り出した。
息を切らせて東の砦へと駆け込んだ瞬間、耳をつんざくような怒号と地響きが轟いた。
砦に向かって進軍してくる敵の軍勢ーーその数、およそ三千。黒い鎧に身を包んだ兵士たちが、津波のようにこちらへ迫ってきているのが嫌になるほど良く見える。
「アルフレッド様! 敵の先陣、まもなく接敵します!」
守備兵が悲痛な声を上げた。
「怯むなッ!こちらには新型の銃がある!これなら重騎士の盾も鎧もぶち抜ける。慌てず訓練通りにいくぞッ、構えッッ」
団長のエレノアが力強い声を張り上げ、場の空気を一変させる。
⋯⋯ザッ⋯⋯ザザザッッ⋯⋯
リンドロット騎士団が一斉に銃を構えた。
「撃てッッ!!!」
「お父様ッッ!」
フローラは『蒼い薔薇隊』と共に信じられない速さで街道を駆け抜け、父であるロンメル辺境伯と再会した。
「フローラ、お前⋯⋯⋯」
「今はそんな事を言っている場合ではありません!戦況を教えて下さいッッ!」
唖然とするロンメル辺境伯に、フローラは鬼気迫る勢いで問い詰めた。
「⋯⋯あ、ああ。西のザルツェリア王国側は何とか食い止めている。このままいけば王都から援軍がくるまで持たせられる可能性がある。⋯⋯だが、東のアイゼン・ブルーノの軍勢までは防ぎきれん。今はフランツに指揮を任せているが援軍がくるまでとなると、持たせることは⋯⋯」
ロンメル辺境伯の顔が悲痛に歪む。
「お兄様がっ!?⋯⋯それでは私達はそちらへ援軍に向かいます。」
「――ッッ!?だ、だが⋯⋯」
「大丈夫です。こちらには、アルが開発してくれた新兵器があります!私達の『蒼い薔薇隊』は、正規のリンドロット騎士団に引けを取らない強さだと自負しております!」
フローラの眼に宿る、かつてないほどの強い決意。辺境伯は一瞬圧倒されたように目を見張ったが、すぐにフッと覚悟を決めたように笑った。
「⋯⋯分かった。フローラに託す。フランツを助けてやってくれ!」
「はい! お父様もご無事で!」
フローラは力強く頷くと、部屋を飛び出した。
「『蒼い薔薇隊』出撃ッ! 目指すはラングレー領東側!目標、アイゼン・ブルーノの軍勢八千の撃破ッッ!!」
「「「「「おおおッ!!!」」」」」
地鳴りのような咆哮を上げ、『蒼い薔薇隊』がラングレー領東側の防衛線へ向けて、電光石火の進軍を開始した。




