(51)サラさんの誓い。
⋯⋯コンコン⋯⋯
その日の夜、アルフレッドが与えられた客室でのんびりしていたところ、ドアがノックされた。
声を出して返事をしようかと思ったが、もう遅い時間だと思い直してそっとドアを開けると、そこにはフローラお付きのメイドのサラさんが立っていた。
「こんばんは。どうしたの、こんな時間に。フローラから何か伝言でもあったかな?」
アルフレッドの問いかけに、サラさんは首を横に振ると、まっすぐこちらに目を向けてきた。
「こんな遅い時間に申し訳ありません。少し、アルフレッド様に確認しておきたいことがございまして、お伺いいたしました。お時間をいただいてもよろしいでしょうか。」
そう言って、深く頭を下げてきた。
そのままドアの前で立ち話をするわけにもいかないので、ひとまずサラさんを部屋の中に招き入れた。
アルフレッドが椅子に座るのを見届けると、ゆっくりとサラさんが口を開いた。
「先に申し上げておきますが、これは私が勝手にやっていることでございます。フローラお嬢様は何もご存じありません。」
アルフレッドが静かに頷くと、彼女は意を決したように深く息を吸い、言葉を続けた。
「⋯⋯先ほど、旦那様とフローラお嬢様が、アルフレッド様との結婚式についてのお話をされていました。」
「えっ!?結婚式っ!?」
アルフレッドは勢いよく身を乗り出した。まさか今、そんな話が出てくるとは思わなかったのだ。
「はい。アルフレッド様と、フローラお嬢様の結婚式の日程についてでございます。フローラお嬢様はすぐにでも結婚式を行いたいご様子でしたが、今は隣国ザルツェリア王国とのことがございます。それに、これから冬を迎えると招待客の皆様も足を運ぶことが難しくなる恐れもございます。」
サラさんは、淡々としながらも話を進めた。
「そのため旦那様は、早くても来春、雪解けの頃にザルツェリア王国との間で情勢が落ち着いているのであれば、との条件で結婚式を行うことをお認めになられました。」
「そ、そうなんだ。⋯⋯なんか、自分のことじゃないみたいで、不思議な感覚だな。実感がわかないや⋯⋯」
アルフレッドは、素直な感想を伝えた。
「そこで、私はその前にアルフレッド様に確認しておきたいことがあるのです。」
サラさんは姿勢をただして、アルフレッドを見つめてきた。
「フローラお嬢様が、アルフレッド様とご結婚した後に嫌な思いをされないか。心から幸せを感じられるかどうか⋯⋯それを今からここで、私に確かめさせてくださいませ。」
「⋯⋯⋯え⋯⋯」
あまりの想定外の言葉に、その意味を頭が理解するのを拒んでいるかのように真っ白になり、何も考えられなくなってしまった。
部屋の空気が一気に重くなる。
ドクンドクンと、自分の心臓の音だけが耳の奥でうるさいほどに鳴り響いていた。サラさんの綺麗に整った顔が、今は恐ろしいほどに真剣に見える。
「⋯⋯サラ、さん⋯⋯? それ、は⋯⋯」
乾いた喉から、ようやくそれだけの声を絞り出すことができた。
だが、サラさんはそれには答えず、すっと静かに目の前まで歩み寄ってくると、その細い指先をアルフレッドの胸元へと伸ばした。
「アルフレッド様に、フローラお嬢様を受け止めるだけの器があるかーー今ここで、私がお試しいたします。」
「サ、サラさん⋯⋯っ」
逃げ出さなければいけない。そう頭では分かっているのに、彼女の放つ圧倒的なプレッシャーと、至近距離から見つめてくる美しい瞳に射すくめられ、身体がピクリとも動かなかった。
「私は、フローラお嬢様がお生まれになった時から今日まで、片時も離れることなく一緒に過ごしてまいりました。私は、フローラお嬢様がいつかご結婚なされる時は、必ずこの身をもって、お嬢様が幸せになれるかどうかを確かめるのだと、ずっと心に誓って生きてきました。」
ゴクリとつばを飲み込む音が聞こえた。
「⋯⋯サラさん気持ちは、分かった。だけど⋯⋯」
「さあ、始めましょう。」
サラさんの目に妖艶な炎が灯って見えた。
サラさんの手が、アルフレッドの肩へとスッと回された。柔らかな感触と、メイド服から微かに香る甘い匂いが、至近距離でアルフレッドの五感を狂わせる。
「サ、サラさんっ、本当に⋯⋯っ」
「声が大きゅうございます、アルフレッド様。フローラお嬢様に聞こえてしまいますよ?」
「では、始めます。…………まずは、腕立て伏せ百回!」
「はあっ!?」
「グズグズしないっ!」
「は、はいっ!」
「はぁ、はぁ、はぁ……つ、次は、腹筋百回です!」
「あの……なんでサラさんまで一緒にやってるんですか?」
そう、サラさんも、何度も潰れながら腕立て伏せ百回をアルフレッドと一緒にこなしていたのだ。
「わ、私ができることを、アルフレッド様ができないようでしたら、認めるわけにはいきませんからね……そ、それに、人に命令して、自分だけのうのうとしているなんて、私にはできませんから……くっ……ふんっ……!」
無理はしなくても⋯⋯
喉元まで出かかった言葉を、そのまま飲み込んだ。
ここまで来て、サラさんの覚悟を無駄にはできない。
「次! いきますよ!」
「イエス、マム!!」
こうして夜は更けていった。
翌朝、サラの様子がいつもとは違うことに気が付いたフローラだったが、それが何故なのかは、結局この時には最後まで分からずじまいだった。




