(34)メイドのリナ、大ピンチ。
「――さあそこの女、こちらに来い。今夜はワシがたっぷりと遊び倒してやろうではないか。グフフフッッ」
「――、ッッ!? ヒィィィ〜〜〜ッッ!?」
リナの顔を見ると真っ青で、ガタガタと震えていて今にも卒倒しそうになっている。
「グフフフッッ、ほら、どうした。早くこっちに来ないか。ん〜〜、恥ずかしがることなんか、なぁ〜んにもないぞぉ。大人しくワシの言う通りにしてれば良い。今夜ひと晩、たぁ~〜っぷり遊ぼうなぁッッ。グフッッ、グフフフッッ……」
「ヒッ!? ヒィッ、ヒィィッ〜ッッ!?」
ブルーノ子爵が立ち上がってリナの方へと近寄り、その手がリナの腕を捕まえようと伸びてくる。
「いっ、いやっ……」
リナは腰が抜けたようになっていて、逃げるという選択肢が思い浮かばないようでガクガクと震えながらそこから動けずにいた。
――くッ、歓待の理由はこれだったのかッ。
ブルーノ子爵の馬鹿馬鹿しい話を断るのは簡単だ。怒りを露わにして、今すぐリナを連れて帰ることも出来る。
……だが、ここまで手厚い歓待を受けて、こんな滅茶苦茶な理由でも一応筋が通った提案を正当な理由もなく断るのは、ここまでのもてなしを台無しにする行為であり、どんなに非難をされても文句が言えない行為になる。
それに、こんな夜遅くにこの屋敷を出て行くのは、緊急の事態でもない限り主人の厚意を踏みにじる背信行為としてみなされる。それこそ貴族社会においては、救い難いほどの無作法として晒されるのだ。
今ここでそんな真似をすればブルーノ子爵の格好の餌食だ。好機とばかりにアルフレッドの悪評を流すことに躍起になるだろう。
だから、わざわざ歓待してこの時間になるのを待って仕掛けてきたのだ。
リナもそれがわかっているから動けないでいる。自分のせいでアルフレッド・リンドロットの名に傷がついてしまうことを恐れているのだ。
リナは、自分の身を掻き抱いてガタガタと震えている。
手の込んだ酷く悪辣な嫌がらせをしてくるものだ。どこまでもたちが悪い……
…………だが、それも全て、『正当な理由』がなければの話だ。
「申し訳ございませんが、お断りいたします。」
「…………何?」
アルフレッドの発言に、ブルーノ子爵の動きがピタリと止まる。
「申し訳ありません。今夜のご提案はお断りさせていただきます」
「……ほう。貴様、自分が何を言っているのか分かっているのか? 貴様がいま口にした言葉は、ワシがここまで示してきた厚意に対しての、礼儀知らずの無礼な返答になっているということを理解しているのであろうな? この事が事実として貴族達の間に広まれば、貴様の社会的地位や名誉がどうなるかくらいは分かりそうなものだが?」
ブルーノ子爵の顔が、ニチャァッとイヤらしく歪んだ。
「せっかくご歓待していただいたのにまことに申し訳ありません。実はこちらのリナは、私にとって特別な女性なのです。リナは物心付いたときからずっと私の側におり、今もこれから先も、ずっと一緒にいると約束した仲なのです」
安心させるようにリナを方を向いてにっこりと微笑んでみせると、ブルーノ子爵に向き直る。
「リナは平民なので正妻には出来ません。ですが、その誓いが今後も変わることはありません。
ですので、私が心から大切にしているリナを手放すような行為は、今までもこれからも絶対にありえないのです」
アルフレッドはリナを自分の婚約者だと紹介し、だから誘いには乗れないのだと『正当な理由』を説明した。
「リナ、おいで」
震えているリナの手を掴み、グイッと引き寄せる。
「あっ!? あ、アルフレッド様ッッ!?」
リナは、アルフレッドの顔を見て驚きと安堵の表情を見せた。
「リナ、怖い思いをさせてごめんな。もう大丈夫だよ」
そう言って頭を撫でた後、ブルーノ子爵に向き直った。
「彼女は私の大切な女性です。ですので今夜のご提案は申し訳ありませんが、ご容赦下さいますよう」
アルフレッドはもう一度念を押すように言うと、頭を下げた。
いくら貴族でも『正当な理由』を出されては大人しく引き下がるしかない。
これはあくまでも遊びの一環なのだから、それ以上は踏み込むことはしないというのが暗黙のルールだ。
ブルーノ子爵も、悔しそうにしながらもここは引くしかなかった。
「……ぐぅっ、そうか。男爵がそこまで入れ込んでいる相手なら仕方ない。では今夜はこれでお開きとしようか。……そうそう、男爵よ。相手が平民でも側室や愛妾にはする事が出来る。どちらの地位に座るのかは知らんが、その時はお祝いをさせてもらおう。楽しみにしているぞ。では、ゆっくりと休みたまえ」
……今ここで言った事がその場しのぎの嘘でないのか、それが本当かどうかこれからもしっかりと監視をさせてもらう。もしも嘘だと判明したその時は、その報いを身をもって知る事になる。良く覚えておけ⋯⋯言外にそう言ってブルーノ子爵は悔しそうに部屋を出ていった。
「……あ、アルフレッド様ッッ……わ、私のせいで……申し訳ございません……あ、あの様な事を言ってしまって、本当によろしかったのでしょうか……」
リナにも意味が分かったようで、今にも泣きそうになりながら、必死に謝ってきた。
「大丈夫。気にしなくて平気だよ。さあ、夜も遅いしそろそろ部屋に戻って休もうか」
リナを引き連れて、与えられたそれぞれの部屋の前まで来ると、そこには以前会ったことのあるメイドが立っていた。
「お帰りなさいませ。アルフレッド様」
そのメイドは、 軽く片足を後ろに引き、膝をすっと落とすと軽いカーテシーで迎えてくれた。
「こんばんは。……え〜っと、君は確かマリベルさんだっけ? 以前来た時にいたメイドさんだよね」
「はい。その時のメイドでございます。名もマリベルで合っております。覚えていただいて光栄に存じます」
「はははっ、そんなに畏まらなくて良いよ。それよりこんな夜遅くにどうしたの? 何かあったのかな?」
「…………ええ。ぶっちゃけますと、アルフレッド様の監視を申し付けられました」
マリベルは、ほんの少しだけ躊躇したが、開き直ったように正直に答えた。
「……は? 監視!?」
「はい。ブルーノ様の誘いを断わってまで貫いたメイドとの関係に嘘はないか、ブルーノ様を騙してはいないか見てこいとの仰せでございました。あれだけ大見得を切っておいて、まさか別々の部屋に入る理由もないだろうから、空いた隣の部屋に籠もって監視をする様にと……」
そこまで言うとめんどくさそうに、はぁ~っとため息をついた。
「――はぁ。正直そんなのどうでも良い事だと思うんですけどね。それでも、プライドを傷つけられたことがどうしても許せなかったのでしょう。これも一応命令ですし、私もここをクビになると他に仕事のアテもありませんので、申し訳ありませんが仕事をさせていただきます」
マリベルさんは、ぺこりと頭を下げると隣の部屋へ向かって行った。
……本当に、今さらながらに思うがブルーノ子爵はろくでもない。
「――あ!? マリベルさん、ひとつ教えてくれないかな?」
アルフレッドの問い掛けに、マリベルは足を止めて振り返った。
「……何か、この前来た時と比べて、この屋敷の中の人の気配が減った気がするんだけど、何かあったのかな? この前会った執事の人も居ないみたいだし……」
「ああ」
マリベルは、そんな事ですかと言わんばかりに頷く。
「皆さん辞めていきましたよ。家令のブルックスさんや、メイド長のカミラさんがいなくなって仕事が回らなくなったんです。ろくに引き継ぎもさせずに屋敷を追い出したくせに、それを私達使用人達のせいにして、何かあるたびに手を上げられたり給金を下げられたりすることが頻繁になりましたからね。皆さん耐えられなくなったようです」
「……そんなッ!? なんて酷いことを……ッ!」
「……私も何度も辞めようかと思ったのですが、先ほども申し上げましたように平民出身の私には他にアテがありませんし、何をされても我慢するしかないので続けています。……が……まあ、ひどいものです」
マリベルさんを良く見ると、腕や頰にアザが出来ていた。
「――ッ!? マリベルさんッ、その傷って……!?」
慌てたアルフレッドに、無表情で何事もなかったかのようにぺこりとお辞儀をすると、隣の部屋へ戻って行った。
「――ッッ!? あのっ、マリベルさん、リンドロット領なら、いつでも人を募集していますからっ!!」
マリベルさんは、一度立ち止まってアルフレッドに向き直り頭を下げると、今度こそ部屋の中に入っていった。
「……あ、あのっ、本当に私なんかで良いんですかっ……」
部屋の前で、リナは不安そうな顔でアルフレッドを見上げる。
リナを助けるためとはいえ、他の貴族の前で婚約者だと宣言してしまったのだ。
さらにその証拠を見せろとまで言われてしまっては、もはや言い逃れは出来ない状況にある。しかも、隣の部屋で聞き耳を立てて聞いている監視役までいるのだ。
「……リナは、嫌かな?……その……」
「い、嫌なんてとんでもないですっ!? 私は……ずっと以前から、アルフレッド様をお慕い申しあげておりました……ので……っ」
リナの顔が分かりやすく真っ赤に染まっていく。
「良かった、本当に嬉しいよ。リナ、これからもよろしくね」
にっこりと微笑むアルフレッドに、リナは耳まで真っ赤にして俯いてしまった。




