第八話【保健室の紗霧ちゃん・一】
モテ期。ハーレム。両手に花。
健全な男子高校生なら一度は夢見るバラ色の青春。
普段どれだけ斜に構えていても、恋愛より友人を優先している気になっても、ふとした瞬間に「こうだったらいいのに」と考えてしまう様な理想のシチュエーション。
俺は今、その理想の中に居た。
「お、俺は一体、どうすりゃ……」
そしてその理想は、甘いだけでは無かった。
俺は今、二人の女の子に思いを告げられている。
一人目は俺の幼馴染、白銀陽向。
ヒナは真面目なクラスの委員長。でも昔から俺にだけはずっと同じ距離感で接してくれていた。
厳しくしつつもずっと俺の面倒を見てくれるヒナの事は俺も好ましく思っていたし、ヒナからの好意も言葉にしなくたって肌で感じていた。
そんなヒナからの告白に気分を良くし、俺も結構その気になっていた所に、もう一人の刺客が参戦してきた。
二人目は俺の同居人で吸血霊鬼、鬼咲麗華。
出会ったのは数か月前、路地裏で死にかけていたレイを助けた所から関係が始まった。
最初は顔がドストライクで、かなり下心の上で同居を提案したが、今では共に暮らす家族としてなくてはならない存在になっていた。
レイも俺に懐いているのは気付いていたけれど、まさか面と向かって好きだと言われるだなんて。
もちろんどっちの告白も嬉しかった。年相応にベッドで一人大はしゃぎもした。
だが冷静になった俺の頭にのしかかかってきたのは、幸せの重みではなく選択の責任だった。
「はい、カイト! 今日のお弁当、たまにはバランスとか忘れて、カイトの好きな物詰めてみたの……後で感想聞かせて?」
「お、おう! 昼休み楽しみにしてるわ」
「うん!」
学校に行けば、ヒナが毎日手作りの弁当を俺に手渡してくれる。
勉強でわからない所があれば優しく教えてくれるし、怪我をしたら手当もしてくれる。
今まで俺に隠していた、我慢していた分も尽くす様に良くしてくれる。
そしていつも最後に笑いかけるヒナの笑顔がすごく可愛くて、自然と俺も笑顔になるんだ。
「……ぷぁ、今日もごちそうさま! ……ねぇ、今日はもうちょっとぎゅってしてていい?」
「う……ちょっとだけだぞ」
「えへへ……ぎゅ~っ!」
家に帰れば、腹を空かせたレイに血をせがまれる。
家事は大体やってくれるものの、基本的には俺から血を貰うだけの同居人。
なのに俺にくっついてる時のレイは本当に嬉しそうで、幸せそうで。
無邪気な表情と妖しく光る瞳のギャップに、毎日吸い込まれてしまいそうになる。
二人からのアプローチはとても魅力的で、俺を喜ばせるには充分すぎる物だ。
だからこそ俺はどんどん悩み苦しむ。
どちらかを選ぶと言う事は、どちらかを切り捨てると言う事だ。
幼馴染か、同居人か。
「選べるわけねえだろ……」
俺は毎晩の様にベッドに突っ伏し、二人の事を思い浮かべていた。
ヒナとレイはお互いに相手が俺の事を好きな事を知っている。もしくは気付いている。
実際にヒナはレイに対し俺を堕とすと宣戦布告していたし、レイもその時の言葉に対抗しようとしていた。
だから俺がどちらかを選ぶ事に対してはどちらも覚悟の上だと思う。
思う、けれど。
「俺にはまだまだそんな覚悟出来ちゃいないんだよォ……」
どちらか片方の気持ちを知らなければ素直に選べたかもしれない。
でも知ってしまったのだ。どっちも俺の事を心から好きでいてくれている事を。
「……でも、このまま一人で考えてても永遠に解決しない気がするんだよな」
俺の中の二人は同じくらい大きい。
俺の意見だけでは絶対に結論を出せない事がわかり切っていた。
とは言え、最終的には俺が決めなければならない内容でもある。
だからせめて誰かに話を聞いてもらいたかった。
「アユとミノは……ダメだ、ミノはともかくアユが恋愛相談で役に立つわけない。タクトとチカゲは……まだ知り合って日が浅いし、あいつら自身が付き合ってるカップルだしなぁ、二人の間で悩んでる相談ってのはちょっと違う気がする……」
様々な友人を思い浮かべては、何かが違うと振り払う。
こういう時に友人関係の狭さが牙をむいてきた。
「どっかに居ねえかなぁ、俺の知り合いで、経験豊富そうな…………」
必死に頭の中で検索をかけていた。
対して広くない人脈を検索し、検索し、検索し。
「……あ」
なんと奇跡的に一件ヒットした。
相談するのにうってつけそうな人物が。
◇
「ほっほ~う? それでお姉さんを頼ったと言う訳だね神上生徒」
翌日。早朝の学校、保健室。
悩んだ末に俺が相談相手に選んだのは保健室の紗霧ちゃんだった。
「紗霧ちゃんは長生きしてて経験も豊富そうだし、生徒からのこういう相談も慣れてそうだと思ってさ」
「うんうん、その判断は実に正しかったと言えるよ、少年」
「少年って呼ぶ怪しいお姉さんって本当に居るんだな……」
紗霧ちゃんの反応がコテコテすぎて思わず冷静になる。
そういや紗霧ちゃんも一人称先生じゃなくてお姉さんなんだよな。憧れてんのか、そういうの。
「まあいいや、んで相談の内容なんだけどさ」
「おっと、その前に一ついいかな」
紗霧ちゃんの反応は一旦置いておいて、本題に入ろうとしたところで紗霧ちゃんに止められた。
「まさかタダで相談に乗ってもらえると思っている訳ではないだろうね?」
「……はぁ!?」
紗霧ちゃんの発言に思わず叫んだ。
「当然だろう。何事も物事には対価が必要な訳で……」
「ちょっと待てや!! アンタ曲がりなりにも教師だろ!? 生徒を導く役職だろ!! そのアンタが生徒からの相談に対価を要求すんのか!? いや確かに俺は頼む立場だけども!!」
「まーまー落ち着きたまえ少年よ、何もお金や物品を頂こうっていうわけじゃあない」
俺を宥めながら紗霧ちゃんはデスクの引き出しからラミネート加工されたボロボロの紙を一枚取り出した。
「なんだこれ、契約書?」
「お姉さんがここの保険医になった時に当時の理事長に貰ったものでね」
「それって何十年前だよ」
「知っての通りお姉さんは吸血霊鬼な訳だ。人と共存すると言っても血は必要な訳でね」
「え、無視?」
俺の言葉が聞こえていないのか、無反応のまま契約書の内容を要約して教えてくれた。
「簡単に言うと「教師としての権限を与えるから責任を持って取り組んでくれ。その代わり、生徒側から了承を得た場合に限り吸血行為を認めよう」って事さ。吸血霊鬼にとっての衣食住を保証する代わりに働けって事だね」
「ほーん」
考えてみればそうか。紗霧ちゃんも保健室の先生の前に一人の吸血霊鬼だ。人の血を摂取する必要はある。
生徒の血を交換材料にするのはいかがなものかと当時の理事長に問いただしたくもあるが、それも生徒合意の上でないと発生しないのであれば、少なくとも文句を言う人間はいないか。
「そこでだ。相談に乗る対価として神上生徒の血を幾らか頂けないかと思っているのだが、どうだね?」
「まあ俺は慣れてるし別にいいんだけど……最近飲めてねえのか?」
「いや? そういう訳では無いよ」
紗霧ちゃんは今度はデスクの一番下、大きめの引き出しを引いた。
開いた途端ひんやりとした冷気が漏れ出たかと思うと、中には赤い液体の入ったパックがいくつも並べられていた。
「何代か前の理事長が定期的に輸血パックを仕入れてくれるようになったから飢えとは無縁になったよ」
「なんか、現代って感じがするな……あ? じゃあなんでわざわざ俺の血を欲しがるんだ?」
「よくぞ聞いてくれた!」
「うおぁ近ぇ!!」
俺の質問とほぼ同時に身を乗り出してくる紗霧ちゃん。
「以前この保健室でレイカ君を匿っていた事があったね。その時にお茶の代わりに輸血パックを出そうと言ったんだが、断られてしまったんだよ。何故だと思う?」
「俺に聞かれてもな……なんて言ってたんだ?」
「ふふふ…………『あたしはカイトの血があればそれでいいから』だそうだよ!!!」
「だっ……!?」
バカ野郎。人の居ない所で盛大に惚気るんじゃない。
くそ、せっかく今日は比較的冷静だったのに。
「その後も色々根掘り葉掘り聞き出……レイカ君の話し相手になったりしていたんだが」
「本音出てるぞ」
「彼女がそこまで言うのはもしや、神上生徒の血は絶品なのではないか、と!」
両手を広げながら再び俺に近付いてくる。近いって。
「君からはそう言った匂いは感じなかったら盲点だったが、同族であるレイカ君があそこまで言うのなら試してみる価値はあると思わないかね!?」
「わ、わーった! わーかったからちょっと離れろって!」
どんどん近付いてくる紗霧ちゃん。このままではそのデカいメガネのレンズを押し当てられてしまいそうだ。
仕方ないので吸血を許可して紗霧ちゃんを下がらせた。
見た目は不健康そうなのに、テンションの高い人だ。
◇
「ではさっそく……っと、どうかしたかい?」
「へ? 血を吸わせる準備だけど」
俺は保健室のベッドに座って、いつもレイにしてやるみたいにブレザーを脱ぎ、パーカーの首元を緩めて首筋を露出させた。
だが紗霧ちゃんにはそれが異常な光景に映ったらしい。
「参考までに聞きたいんだが、君達は普段どういった体勢で血を与えているんだい?」
「え? えーっと……」
俺は紗霧ちゃんにいつもの吸血タイムを説明した。
俺が貧血で倒れない様にソファーに座ったままで、その上にレイが跨って、正面から首筋に牙を立てる。そう説明した。
話してる最中に紗霧ちゃんの顔がどんどんニヤケていって、嫌な予感がした。
「それで今まで一度の過ちも無かったというのだから本当に凄い話だね」
「……何がだよ」
「健全な男子高校生君、その距離感に一度も違和感を持たなかったのかい?」
「ぐ……」
紗霧ちゃんの指摘にバツが悪くなり、顔をしかめた。
俺だって思ったさ、最初はラッキースケベぐらいに思っていたくらいだ。
ただ人間とは順応する生き物。慣れてしまったのだ、その距離感に。
そのまま続けていた俺にも非はあるが。
「紗霧ちゃんは普段どうやって血貰ってんだよ」
「大体指先か手首だね。血が出る所を見たくないと言われた時だけ首筋に、それも背後からだけどね」
「そうかよ……」
思い返してみればチカゲとタクトも背中からだった。対面ではない。
そうか、レイとの距離はカップルよりも近かったのか。
「まあ、それが神上生徒の標準だと言うならそれに従おうか」
「え? いや別に……」
「遠慮する必要は無い。美人なお姉さんが至近距離に迫るんだ、喜んでくれて構わないよ」
いつものレイの様に紗霧ちゃんが俺に跨って顔を寄せる。
確かに紗霧ちゃんは美人だ。美人なのだが、こう。
「紗霧ちゃんってすっげー不健康そうなんだよなぁ」
紗霧ちゃんの顔は整っていて、間違いなく美人に分類される。
だがその目にはくっきり隈が付いていて、大きなメガネでそれすらはっきり見えない。
肌色も同年代と比べると悪い気がする。
「……ほう。それは少しお姉さんも傷付いたな」
「へ? あ、いや、悪い……紗霧ちゃんそう言うの気にしてないと思ってた」
「……まあいいさ、自ら望んでこうしている訳だから」
紗霧ちゃんはそう言うと自分の顔に手を当て、ゆっくりと手を下げた。
「……んん!?」
するとなんと言う事だろう。途端に血色がよくなり、メガネは消え、若干くすんでいた瞳は綺麗な深紅に輝き、あれだけ深かった隈もきれいさっぱり消えているではないか。
「すげ……どうやったんだ今の……」
「どうだい? これがお姉さん本来のビューティーフェイスだよ」
「あ……いや……すっげー美人になった。時代が時代なら顔だけで国落とせるんじゃねえか?」
「ふふふふふふ……良い反応だ。たまには素顔を見せてみるものだね」
俺から褒められて気分を良くしたのか、すっかり大人びた顔でケラケラと笑う紗霧ちゃん。中身は変わっていないようで安心した。
個人的にはメガネは残ってても良かったのだが。
「え、じゃあ普段はわざと不健康そうにしてるって事か? なんでまた」
「考えてみたまえ。こんな傾国の美女が学校の保健室に居ると知ったら、今が盛りの男子高校生たちはどうなると思う」
あまりに自己評価が高い紗霧ちゃんだったが、ついさっき俺も同じ評価をしたところだから否定しづらい。
そして国を落とせるレベルの美人が近くにいると知った男の子達なら、どんな行動に移るかは想像に難くない。
「保健室が大繁盛しそうだな」
「代わりに授業中の教室はさびれてしまうだろうね」
「……もしかして前にそう言う事があったのか?」
「美しさとは罪だねぇ……」
紗霧ちゃんは答えなかったが態度が物語っていた。
あったんだ、その美貌だけで授業を崩壊させかけた事が。
「さて、これで文句も無いだろう。では血を頂くとするよ」
「元々文句なんて無かったけども」
紗霧ちゃんはそう言って俺の膝に乗って首筋に舌を這わせた。別にやり方をレイに合わせる必要はどこにも無いんだが。
(紗霧ちゃん、マジで美人だな。まつげも長いし、だけど……)
俺は目の前にある美人の顔にドキドキしながらも、妙な冷静さも維持していた。
すっぴんの紗霧ちゃんは今まで見た事がない位美人だった。だと言うのに落ち着きが残っていたのはなぜか。
(……レイやヒナに抱き着かれた時の方が、落ち着かなかったな)
やっぱり、今は二人の事で頭がいっぱいだからだろうか。
「ふむ、こんなものかね」
首筋の感覚がなくなってきたところで、紗霧ちゃんが大きく口を開いて牙を伸ばす。
「それじゃお待ちかね、神上生徒の血を頂くとしよう」
紗霧ちゃんの牙が俺の首の皮を貫き、赤い血を滴らせる。
溢さない様に口に含んだそれを、喉を鳴らして飲み込んだ。
「…………おぶっ」
「ん?」
「あ゙っっ……まっず!!!!!!!!」
「はぁ!? ちょ、オイ!!」
「ゲホッ!! ゴホッ……おぇ……」
途端に嗚咽を漏らし、床にのたうち回り始めた。
紗霧ちゃんが止血してくれなかった首を押さえながら紗霧ちゃんの震える背中をさすった。
「はぁ……はぁ……」
「まっずってどういう事だよ!? っていうか失礼だろ!! そっちから飲ませてくれって頼んでおいて!!」
「お、おかしいなぁ……?」
結局紗霧ちゃんはそのまま俺の目の前で飲んだ血を吐き出し、水で口をゆすぎ、しくしくと涙を溢した。泣きたいのはこっちだが。
屈辱的過ぎる光景を見せられた俺が話題を振る事が出来たのはそこから二十分後の事だった。




