第七話【居場所】
「…………」
ベッドで横になりながら親父の手帳を開き、ペラペラと捲る。
「……あった」
俺が探していたのは吸血霊鬼の名前に関するページ。
やはりと言うべきか、親父はこれに関しても知っていたらしく、ちゃんと記されていた。
・吸血霊鬼は生みの親に与えられた名前が魂と結びつき、強力な呪いとなる。
・吸血霊鬼の口から直接名前を教えられた人間は、以降その吸血霊鬼が姿を消しても肉眼で捉える事が可能になる。
・同じく本人の口から苗字込みで名前を伝えられると、その吸血霊鬼からその個人に対する記憶を消されなくなる。言い方を変えれば、忘れる事が出来なくなる。
・以上の事から、吸血霊鬼にとって他者に本名を全て明かす事は極めて重要な意味合いを持ち、命ある限り愛すると決めた相手にしか伝える事は無いとされている。
「タクト達が言ってたのは本当だったのか」
吸血霊鬼が人間に誠意を示す為だとか、その効果を本能で知っているとか、その辺のニュアンスの内容は書いてなかったが、知識として必要な内容は全て聞いた話と一致していた。
となれば、浮かんでくるのは一つの疑問。
「じゃあなんでレイは、あんなあっさり俺に名前を明かしたんだ……?」
あの日俺はレイを助ける為に血を与えた。
確かにレイから見れば俺は命の恩人かもしれない。しかし逆に言えばあの時の繋がりはそれだけだ。
命を救ってくれた代わりに本名を明かす。吸血霊鬼としてのアドバンテージの大半を捨てる。
それはきちんと釣り合ったリスクとリターンなのだろうか。
「レイに聞かねぇとわからねえよな……」
救ってくれた命を相手に捧げると聞けばありえない話ではない。
だがその辺りの裁量は人によって変わってくるだろう。
「……うっし」
俺は身体を起こし、レイがテレビを見ているリビングへ向かった。
この疑問を解消する為に。
◇
「レイ、ちょっといいか」
ソファーでテレビを見ながらだらけていたレイに背後から声をかける。
レイは器用に後ろを向いて俺の顔を見ると、途端に笑顔になった。
くそっ、なんで俺を見て嬉しそうにするんだよ。可愛いな。
「カイト! どうしたの?」
「いや、お前に聞きたい事があって……」
そこまで言ってハッとする。
俺はこの疑問を何て言ってレイに訊ねるつもりだったんだ?
『お前って俺に生涯を誓ったの?』
バカか。そんなサラッと聞いていい内容じゃないだろ。
それに偉そうにもほどがある。何様のつもりだ。
『鬼咲麗華って本名か?』
これも却下だ。聞き方は悪くないが、遠回しにレイを疑ってるようにも聞こえる。
レイは気にしないかもしれないが俺が気にするから却下だ。
『俺の事好き?』
もう本当に、やめてくれ。
ナルシストになった覚えはない。
「あー……えっと……」
「うん?」
話しかけておいて唸るだけの俺をレイが不思議そうに見つめる。
そりゃ困惑もするだろう。申し訳ない限りだ。
「……ダメだ、上手い聞き方が浮かばねえや」
諦めた俺はせめてレイに失礼が無いよう、なるべく穏便な言葉を選んだ。
「レイ。お前の名前についてなんだけど、詳しく聞いてもいいか?」
「あたしの……名前?」
「そうだ、レイの……吸血霊鬼の名前について聞きたい」
「……うーん」
レイは珍しく悩んでいた。
俺の質問に対して今までのレイだったら元気のいい「いいよ!」か「わかんない!」が帰ってきていたから。
悩むと言う事は、話したくない部分もあるのだろうか。
少なくとも、名前について何も考えていなかったという線はこれで消えたか。
「……カイトが知りたいなら、教えてあげてもいいよ」
「本当か!」
「ただ、あたしからもお願いしてもいい?」
「お願い? まあ俺に出来る事なら」
俺がそう言うと、レイは少し恥ずかしそうに頼んできた。
「……カイトの血、貰いながらでもいいかな」
◇
ソファーに腰を掛け、膝の上にレイが跨る。
俺が貧血で倒れない様にするために、最終的に落ち着いた吸血時のスタイル。
いつも通りの体勢だ。
「かぷ。ちゅーっ……」
レイの牙が突き刺さり、俺の首筋から吸血を行う。
痛みはない。多少のくすぐったさと、レイの温もりと重みだけを感じていた。
俺も手を伸ばし、いつも通りレイの頭に添える。レイお気に入りの体勢。
「……レイ、もう聞いていいか」
「うん、いいよ」
「じゃあ……」
「あっ、待って!!」
話をするならと、レイの身体を起こして顔を見ようとしたのだが、レイにそれを阻止されがっしりと抱き着かれてしまった。
「なんだよレイ、そんな強く抱き着かなくても」
「え、えっと……顔見られるの恥ずかしくて」
「は!? お前が!?」
レイの言葉に驚きを隠せなかった。
無警戒に風呂に突撃してくるレイが。当然の様にベッドに潜り込んでくるレイが。
吸血の時に当たり前の様に抱き着いてくるレイが、顔を見られるのが恥ずかしいと言ったのか。
こんなレイの声を聞いたのは初めての事だった。
「だから顔の見えない、吸血しながらでって言ったのか?」
俺からの問いに言葉ではなく頷いて返事をするレイ。
よく見たら耳が赤くなっている。本気で恥ずかしがってるらしい。
「まあ、お前がこのままでって言うなら強制はしないけどさ」
レイの顔から眼を逸らし、天井を仰ぎながら再度レイに訊ねた。
「実はさ、この前学校で吸血霊鬼と、その彼氏と知り合いになってさ。色々聞いたんだ……」
俺はレイに、屋上での出来事を簡単に話した。
タクト、チカゲと出会った事。その二人から貰った情報。
そして抱いた違和感。どうしてレイは俺に名前を明かしたのか。その名前は本名なのかどうか。
聞きたかった事を全部、ありのままレイに伝えた。
「……あの時お前は、なんで俺に名前を教えたんだ?」
「…………」
「鬼咲麗華は、お前の本名でいいのか?」
先程頭の中で考えていた文字列を、タイミングと言い方に配慮しながら言葉にした。
疑うようにではなく、確認するように。なるべく落ち着いた声色で。
「……カイト、そのチカゲさんに一回記憶を消してもらったんだよね」
「ああ。実演の為に一回だけ、チカゲの名前だけを消された」
「じゃあ、吸血霊鬼が記憶を消す時どうするか、カイトは知ってるんだよね」
レイの問いに当時の光景を思い出した。
チカゲは俺の記憶を消す際に、自分の瞳を見る様言われた。
そして少しだけ、ぼんやりとチカゲの目が光ったのを覚えている。
「あたし達も試してみよっか」
「は? おい……」
レイは身体を起こすと、真っ赤な顔を俺に見せた。
そして顔を近付け、まっすぐに俺と視線を交差させた。
「カイト……あたしの事全部忘れて?」
「っ!? やめっ……!!」
レイのとんでもない命令に思わず目を逸らしそうになるが、手遅れだった。
その前にレイの瞳がぼんやりと輝いたのを見てしまったから。
「な、何やってんだレイ!? お前の事忘れろだなんてそんな……こと…………」
そこで俺は、今の行動が俺の質問の答えだったと言う事を理解した。
チカゲの時は、目が光った時には既にチカゲの名前を忘れてしまっていた。
だが今はレイの事を覚えている。目の前の赤い目を、ピンクの髪を、可憐な少女を。出会った日から今日までの全てちゃんと記憶に残っていた。
「……ってことは、やっぱり」
俺が全てを理解した事を察すると、レイは照れ臭そうに笑った。
「…………そうだよ。あたしの名前は鬼咲麗華。正真正銘……本名だよ」
それだけ言うと、レイは再び俺に抱き着き顔を隠してしまった。
「は、恥ずかしい……」
「あ……そ、そうか……」
俺が聞いた名前は本名なのか。その疑問は解消された。
鬼咲麗華は本当の名前。レイのフルネームであると。
「っ……だったらよぉ、なんで会ったばかりの俺に本名を明かしたんだ? 吸血霊鬼おまえらにとって本名って、そんな簡単に教えていいもんじゃないんだろ?」
俺の疑問はまだ残っている。レイが本名を明かした理由。
どちらかと言うと俺はこっちの方が気になっていた。
心のどこかで、レイは俺に噓をつかないような気がしていたから。
鬼咲麗華は本当の名前なんだろうと、信じたい俺が居たから。
「え~? そんな事まで聞きたいの……? もっと恥ずかしいなぁ……」
レイは俺の肩でしばらく唸っていたが、観念した様に口を開いた。
「……嬉しかったの」
「嬉しかった?」
「カイト、覚えてるかな? あの夜、あたしに言ってくれた言葉」
レイにそう聞かれるが、俺の方はあまり良く覚えていなかった。
レイが倒れていて、血を与えて、行く宛が無いならうちに来いと言った。
そんな大まかな流れこそ覚えているが、一言一句何を言ったかまでは忘れてしまった。
「あたしは覚えてるよ。カイトが私に言ってくれた事」
一方でレイは、まるでつい昨日の事の様にスラスラと言葉を並べた。
「「お前が居てもいい場所、作ってやるって言ってんだ」……って。あたしに居場所をくれるって、あの時カイトはそう言ってくれたの」
「あー、言われてみれば言った気もするな……」
「えへへ、でしょー? あたしはその言葉がすっごく嬉しかった。救われたんだ……」
俺の背中に回されたレイの手に力が入る。
俺達はさらに密着し、互いの心臓の鼓動が伝わってしまう程だった。
「寂しかった。辛かった。寒かった。怖かった。あたしはきっとあのまま死んじゃうんだろうなって、そう思ってた。それも仕方ないかなって思ってた。でもカイトが助けてくれた。許してくれた。手を差し伸べてくれた。あたしの……居場所になってくれたんだ」
「お前、あの時の事をそんなに……」
「ね。あたしが本名を教えた理由、わかってくれた?」
吸血霊鬼が人間に本名を明かす。
それはきっと、俺に対する最上級の誠意だ。
今の言葉一つ一つがレイの本心である事は、確認するまでも無かった。
「…………」
じゃあ、お前はそれまでどこに居たんだ?
一人寂しく死んでしまう事を仕方の無い事だと思えてしまったのは、どうしてなんだ?
いろんな言葉が浮かんでは、消えた。
「ああ、ありがとな」
「ひゃ……!」
レイの頭を撫で、俺からも抱きしめ返す。
それは今聞く事じゃない。俺が知らなきゃいけない事でもない。
恥ずかしがりながらも俺の疑問を解消し、この上ない誠意を見せてくれたレイの心を傷付けず、レイの過去を聞き出す方法を俺は知らない。
あの夜、俺に向かって震えながら「死なないで」と必死に祈っていたレイの過去が平穏なものな訳が無い。
俺の疑問はちゃんと晴れた。レイも居場所を手に入れた。それでいいじゃないか。
「……えへへ、カイトから抱き締めてくれたの初めてだね」
「えっ……あ! 悪い!!」
俺は無意識にレイを抱きしめていた事に気付き、慌ててレイの身体を引き剥がす。
「や~ん! 悪い事なんて何もないのに!!」
「いや悪いだろ!! 彼氏でもないのに抱き着くなんて!!」
「そんな事無いよ~!」
大慌ての俺の両頬をがっしりと押さえ、レイはまっすぐ俺に微笑みかけた。
「だってあたし……カイトの事大好きだもん」
「…………へ」
最近、ヒナにも言われたその言葉。
ヒナからの時はまだ落ち着いていた。ある程度は気付いていた事だから。
だが今の、レイからのこの言葉は。
「…………はっ?」
完全に不意打ちだった。
「……家族として、だよな? 兄とか、親とか、そういう」
「違うよ。男の子として、カイトの彼女になりたい好きだよ」
逃げ道が塞がれた。
レイは俺に懐いている。その自覚はちゃんとあった。ではなぜレイからの好意を友愛や家族愛だと思っていたのか。
他でも無い俺がそう思ってしまっていたからだ。
「ね……カイトはあたしの事、好き?」
「は、はぁ!? お前何言って……」
「あたしはちゃんと言ったもん! カイトからも聞かせてほしい……」
いつもの幼い印象とは打って変わり、吸血霊鬼の美貌をフルに活かした切ない表情。
俺の好みドストライクの顔が瞳を潤ませて俺からの言葉を懇願していた。
「……お、俺は家族として好きだ。お前の事」
「女の子としては?」
「うっ……」
「カイトの彼女になってるあたしは、お嫁さんになってるあたしは、想像できない?」
一体いつからレイはこんな大人びていたんだ?
いや、吸血霊鬼なんだから元々俺より大人ではあるのか?
それにしても変わり過ぎだろう、いつものレイはどこへ行ったんだ?
俺に叱られてめそめそしているレイは、ヒナに怯えて震えているレイはどこへ消えてしまったんだ?
元気よく俺の名を呼ぶ無邪気なレイは、目の前の女神と本当に同一人物か?
「カイト…………?」
呑まれる。
魅了される。
堕とされる。
好みの顔で、悪からず思っていた相手が、超至近距離で、俺に全力で愛を伝えている。
普段の倍以上の速さで心臓が動いているのを感じた。
「レ、レイ!」
「っ……」
何とか落ち着こうと、レイの肩を掴んで少し距離を取った。
こんな顔が目の前にあったら冷静になる事も出来ない。
「あ……」
それが失策だと気付いたのは、俺に肩を掴まれたレイの顔を見てからだった。
「んっ…………」
目を閉じ、唇を軽く突き出していた。
胸の前で祈る様に手を組みながら。
「レイ…………」
もしこのまま俺がレイの唇に自分の唇を重ねても、きっとレイは怒らないだろう。
もう行ってしまえ。ダメだ落ち着け。
レイも待ってる。いやよく考えろ。
俺の中で相反する意見が渦を巻く。
「俺は…………」
手が震える。
腕に力が入る。
うまく呼吸が出来ない。
小刻みに息を吸って、吐いて。吸って、吐いて。
「…………お、俺! 部屋戻るから!!!」
最後の理性を振り絞り、レイの身体を引き剥がした。
「ひぃん!!」
「きょ、今日は色々応えてくれてサンキュな!!! じゃ!!!」
「あーっ!! かいと~~っ!!!」
俺はレイの顔を見ない様に、脱兎の如く自室へ逃げ出した。
◇
「はぁ……はぁ……」
自室に逃げ込んだ俺は、ベッドに頭からダイブした。
「ヤバイ……ヤバイヤバイヤバイ……!!」
目を閉じれば脳裏に浮かぶ、二人の女の子。
『…………カイトが好き。大好き』
『男の子として、カイトの彼女になりたい好きだよ』
俺は今、とんでもない人生の転換期に立たされている。
「…………どうしよう」
同じくらい大切な二人の女の子から、告白されてしまった。




