第四十話【銀血(シルバリオブルート)】
近所で発生した吸血霊鬼絡みの事件。
その詳細を担任から聞いたヒナが俺を連れて向かったのは、我が高校の保健室だった。
そう、ここの生徒ならみんなお馴染み、吸血霊鬼の紗霧ちゃんが支配する空間だ。
「逆月先生、どうせ居ますよね。失礼します」
「おいおいおいおい!?」
ノックもせず、返事も確認する事も無くズンズンと保健室の中へ進むヒナ。
いくら紗霧ちゃんとは充分馴染んだって言ったってもうちょっと礼儀と言うものがだな。
「おやおやこれは白銀生徒、珍しいね! 旅行ぶりかな? 神上生徒も一緒とは」
当の紗霧ちゃんは俺達の突然の訪問に驚きつつも、困っている様子は無かった。
「あれから身体の具合はどうだい。もう完治したのかな?」
「ええ、おかげさまで。病院で検査も受けましたが、問題無いと言われました」
「それは良かった! お姉さんの処置も捨てたものではないねぇ」
二人の会話を聞いていて、もしやヒナは身体の調子を伝える為に紗霧ちゃんへ顔を見せに来たのか、なんて思ったりもした。
もちろんそれもあるだろうが、それだけでもないだろう。
「ですが、今日はそんな話をしに来た訳じゃないので」
一瞬にしてヒナの声色が変わる。
俺でもわかる。これは気心の知れた相手に向ける声じゃない。怒り、疑念、そう言ったものが混ざった不信感を抱いている時の声だ。
「……あー、やだやだ。そういう顔をしている時の白銀生徒には冗談が全く通用しないからねぇ」
頭をポリポリと掻いて、椅子に座ったまま身体をこちらに向ける。
「どうせ長い話になるんだ、どこか座るといい」
どうやら紗霧ちゃんはヒナがしようとしている話に心当たりがあるようだ。
紗霧ちゃんは俺とヒナに座るよう促した。
お言葉に甘えて俺とヒナは近くにあった椅子に適当に腰を下ろした。
「……で、白銀生徒。何が聞きたい?」
紗霧ちゃんは机に肘をつき、真面目な顔でヒナを見つめた。
ヒナは睨み返すような目で視線を交わし、淡々と答えた。
「最近この辺りであった吸血霊鬼の事件、何か知ってる事はありませんか」
「っ……ヒナ、まさかお前!?」
「おやまあ、ストレートだね」
あまりに単刀直入過ぎるヒナの物言いに流石に声が出る。
その言い方ではまるで紗霧ちゃんを疑ってると言わんばかりではないか。
「ヒナ! いくら何でもそれは……」
「ごめんねカイト、ちょっとだけ私と逆月先生に話させて」
「……ヒナ?」
「大丈夫、カイトが隣に居てくれるおかげでちゃんと落ち着いてるから」
そう返すヒナの表情は、確かに教室で見た時の冷たいものからは一変していた。
強い視線で相手を睨むような眼力は変わらないが、そこから感じるのは怒りではなく、ただ純粋な真剣さだった。
ならさっきの不信感を抱くような目は何だったのだろう。紗霧ちゃんに対してでは無かったのか。
「ふむ……白銀生徒は退魔師でもあるから協力しても良いんだが……そもそも君は今どこまで知っている?」
「被害者が女性と言う事、まだ犯人は見つかっていない事、後は犯行現場に銀色の髪が落ちていた事」
「なるほど、教師の間で共有されていたものと同じだね」
銀色の髪? なんだそれは。
って、そう言えば途中からヒナの事が気になってそれどころじゃなかったんだった。
毛髪か。被害者の女性のでなければ十中八九犯人の物だろう。
「DNA鑑定の結果、それが人間ではなく吸血霊鬼の物だと言う事はわかっています。教えてほしいのは、逆月先生がもっている情報……銀髪の吸血霊鬼について何か知りませんか?」
「…………はぁ」
ヒナの質問を受けて、紗霧ちゃんは心底面倒くさそうな表情をしていた。
肩肘をついて大きなため息が漏れる。
「ちょ、ちょっと先生!? いくら面倒でもそんな態度は無いんじゃないですか!?」
「ああ……いやすまない。別に白銀生徒の質問に答えるのが面倒くさいわけじゃないんだ。お姉さんが面倒なのは、その銀髪が想像通りだった場合であって、君のせいでは無い」
紗霧ちゃんはそう言って自分の額を指先でトントンと何度も突いていた。
話すか否か、伝えるべきかどうかを葛藤している様な、紗霧ちゃんにしては珍しい真剣な顔。
しばらくその姿を眺めていると、説明する気になったのか紗霧ちゃんがぽつりと口を開いた。
「…………【銀血】」
「ッ……!!」
その名を。いや、名前かどうかすらもわからないそれを聞いた途端、ヒナが制服の胸元を強く握りしめた。
恐らくは純銀の十字架が中にあるだろう場所。
「白銀生徒は知っているかもしれないが、ここには神上生徒もいる事だし、詳しく説明しておこうか」
「……あ、うん。実は俺あんまり吸血霊鬼について詳しくないから正直助かる」
隣に座る俺の事も忘れてはいなかった様で、ちらりとこちらを見る。
俺が吸血霊鬼の事を知り始めたのはレイを拾ってからだし、それまではヒナを襲った悪い奴と紗霧ちゃんぐらいの認識しかなかった。
後は精々親父から渡された手帳に書いてある情報ぐらいか。それも隅々まで読んで覚えてる訳じゃないんだが。
「悪事に手を染めた吸血霊鬼が魔族と呼ばれるようになるのは知っているね?」
「まあそのくらいなら」
現代では吸血霊鬼は人と暮らしている。そのうえできちんと人間の法律も守っている。
その枠から外れてしまった者たちの事を魔族と呼んで区別している。ここまでは一般常識の範囲だ。
「ならばその中でも特に悪辣で、何人も被害者を出しておきながら未だ処理されていない魔族の事を大魔族とさらに区分し、二つ名を与えるというのは?」
「…………なにそれ」
マジで知らない、初耳だった。
大魔族? 二つ名? そんなもの漫画やゲームの世界でしか聞いた事ねえぞ。俺の勉強不足の可能性もあるけど。
「大魔族は……まあすごい犯罪者を大犯罪者って呼ぶようなものさ。本質的には変わらない」
「じゃあ二つ名ってなんだよ。なんでそんなもんつける必要あんだ」
「おや? 吸血霊鬼と一緒に住んでいるのにそれもわからないのかい」
「……悪かったな」
若干拗ねた声を出す俺を呆れ半分で笑いながら、紗霧ちゃんは説明してくれた。
「大魔族になるとね、人間でいう指名手配も全国規模で行われるのだよ。で、その為には人と人との間で共通の認識にするための名前が必要になる訳だ」
「だったら普通に本名晒せばいいだろ。人間だってそうしてる」
「じゃあ吸血霊鬼なら?」
「…………そういう事か」
そこまで誘導されてようやく理解した。鈍すぎる。
吸血霊鬼の本名は家族レベルで親しい相手にしか伝えない。そんなものをメディアがわかる訳がない。
だから吸血霊鬼の指名手配には二つ名を用意する。納得の理由だった。
レイのせいで感覚ズレてたけど、きっと紗霧ちゃんも本当の名前じゃないんだろうな。チカゲも偽名って言ってたし。
「じゃあさっきの【銀血】っつーのは……」
「そう、大魔族の一人だよ」
「…………っ」
隣でヒナの手に力が込められるのがわかる。
さっきもこの名前を聞いて様子が変わっていた。何か因縁があるのだろうか。
「銀色の髪をした男の吸血霊鬼さ」
「銀色……それで【銀血】か」
「そうさ。必ず夜に行動して女性ばかりを襲う、頭のネジが外れたイカレフェミニストだよ」
「…………ん?」
なんだ、今とんでもない言葉が聞こえた気が。
「吸血霊鬼は太陽の下を歩けるというのに未だにそれを良しとしない時代錯誤野郎で、そのせいで捜索が困難を極めるはた迷惑極まりない社会のウジ……いや、醜く血を吸って這いつくばるヒル野郎の方がお似合いだね。まだお腹の子の為に血を吸う蚊の方が何十倍も尊い魂を持っているよ。他者の為に働くそれらと違って自らの欲望を満たす事しか能の無い下品なナルシストはとっとと掴まってあっけなく裁かれてしまえば……」
「す、ストーーーーーップ!!! 紗霧ちゃんストップ!!!」
「はっ…………?」
いつの間にかどんどんギアが上がっていって湯水のごとく暴言が流れ始めた紗霧ちゃんを慌てて止める。
何だよ今の、本当に俺の知ってる紗霧ちゃんだったか?
「いやはやすまない。【銀血】の事となるとどうも頭に血が上ってしまって……気にしないでくれたまえ」
「んな無茶な……まあそう言うなら一旦置いておくけど」
「ふふ、助かるよ」
いつもはおちゃらけてる紗霧ちゃんがあんなに呪詛振りまいてる所なんて初めて見たんだぞ、気にしないなんて出来る訳ないだろう。
だがそれを追求するのは今じゃなくても出来る。今はヒナの質問に答えて貰わないと。
「それで、犯行現場に落ちていた銀髪が何かという話だったね」
「……はい」
「まあこれはお姉さんの憶測が大部分を占めるから、確実とは言い切れないけれど」
紗霧ちゃんは椅子にもたれかかって足を組み、中指でメガネの位置を整えた。
「被害者が女性、掴まっていない犯人、そしてわざとらしく現場に残された銀髪……まああの【銀血】の仕業だろうね」
ヤバイ、紗霧ちゃんの暴言が止まらない。
マジで何があったんだよ。
「そしてそれは、白銀生徒。君もよく知っているんじゃないかな」
「…………」
「は? どういうことだそれ」
「……話しても?」
紗霧ちゃんとヒナの間で、俺の知らない何かが共有されている様だ。
あの紗霧ちゃんが勝手に話さずにヒナに許可を求めていた。それだけ重要な内容なのかもしれない。
ヒナは小さく頷いた。俺が聞いても構わないようだ。
「さっき【銀血】は女性ばかり襲うと言ったね」
「ああ」
イカレフェミニストって言ってた。女性が好きなら女性襲うなよな。
「実はその対象は幅広く、年齢による区別は無いと言ってもいい。少女から大人まで、奴が気に入れば誰でも襲われる」
やはり何百年も生きてると人間の年齢なんてどうでもよくなるんだろうか。
「特に上質な血を持っている女性なら、例え子供でも容赦なく攫うんだ」
「……………………」
そうか。そういう事か。
担任から話を聞いてあんな顔してたのも、【銀血】って聞いて態度が変わったのも、全て納得がいった。
あの怒りや不信感は紗霧ちゃんに向けてたんじゃなくて、更にその奥、【銀血】に向けてたんだな。
「気付いた様だね。そうだ」
紗霧ちゃんは俺の思考を見透かしたようにそう言い、結論を言葉にした。
「当時まだ幼かった白銀生徒を攫った吸血霊鬼の中の一人であり、まだ捕まっていない唯一の犯人。それが千年以上を生きた最悪最古の大魔族……【銀血】だよ」
◇
「…………」
保健室を離れ、学校を離れ、俺の家に向かって無言のままつかつかと進むヒナ。
話しかければいいのはわかっているのだが、かける言葉が見つからなかった。
ヒナは過去、何度も吸血霊鬼に襲われている。自分だけでなく母親まで。そんな弱い自分を変えようと、自分の身は自分で守れるようになろうと願った結果、ヒナは退魔師になった。
ヒナを襲った吸血霊鬼のほとんどは捕まった。だがそのうちたった一人だけまだ野放しになっているのも知っていた。
ヒナの最終的な目標が、そいつを処分するである事も。
「……ふぅ」
だが、俺にはその辺りの事情はどうにもならない。
ヒナが襲われ、ヒナが変わろうと思って、ヒナが決めた道だ。俺が横からどうこう言える問題じゃない。
俺に出来るのは精々、ヒナの日常を穏やかなものにしてやる事ぐらいだ。
「っ……カイト?」
俺は小走りでヒナに追いつき、同じペースで歩きながらヒナの手を握った。
「やっぱさ、今日の昼飯俺が作るわ」
「カイトが?」
「おう。こう見えても俺だって料理できるんだぜ? 一人暮らし長かったし、レイの面倒だって見てたわけだからな」
今日はヒナの作った昼食を貰う予定だったが、たまには俺がヒナに振舞ったっていいだろう。
いつもヒナにはこれでもかってぐらいごちそうになってるんだ、むしろ労わなければ罰が当たるというもの。
「流石にヒナには負けるけどさ、たまには男の手料理食うってのもいいだろ?」
そう言って不器用なウインクをヒナに飛ばしてみる。
「……ふふっ、元気付けようとしてくれてるんだ」
「はてさて、なんのことやら」
「なんかその誤魔化し方逆月先生みたいね」
なんだそれは。胡散臭いって事か。
「私は大丈夫だよ。こうしてカイトが傍に居てくれるから、小さい時からずっと……」
「ヒナ……」
「でも、やっぱりカイトのご飯は食べたいかな」
俺の手を握るヒナの力が若干強くなる。
やや赤く染まった顔で俺の顔を見上げ、目を細めて微笑んだ。
「不安な時は変に我慢しないで助けてもらった方がいいって、旅行で思い知ったからね」
「あー、あれはなぁ……」
旅行二日目のヒナは一人で一日抱え込んだ結果、高台から落ちて全身バキバキになる羽目になったからな。
流石にアレは色んな不運が重なった結果だけど。
「ねえねえ、私カイトの作ったカレーが食べたい!」
「はぁ!? また時間かかるもんを……今からじゃ昼に間に合わねえよ!」
「じゃあ夜も一緒に食べるから。ダメ?」
「……しょうがねえなぁ、作ってやるけど昼は別のもんだからな。片付けてから用意してやる」
「やった! ふふっ……♪」
先程の冷たい表情が嘘のような笑顔で俺の腕にしがみつくヒナ。
俺なんかのカレーでここまで喜んでもらえるならいくらでも作ってやるっつの。
「んじゃこのまま食材買って帰ろうぜ。多分家にカレー粉無いから」
「わかったわ。私の好きな奴選んじゃうからね」
「別にヒナが選ばなくても覚えてるけどな、お前の好きなやつ」
「へ、へ~。覚えてたんだ、そっか……へへ」
ヒナは昔からカレー大好きだったけど、辛すぎると食えないんだよな。だから甘口と中辛を混ぜて作る。
どこのブランドが好きなのかも小さい時ヒナの母親に聞いてるから大丈夫だ。好みが変わってなければの話だが、今の反応的に大丈夫そうだろう。
「もし違ってたらまた教えてくれ」
「はーい♪」
なんとかヒナのご機嫌を取り戻す事が出来た俺は、ヒナと手を繋いだまま近所のスーパーへ向かったのだった。
◇
「はぁ~~~~~~~~っ…………」
肺活量を鍛えているのかと聞かれそうなレベルで深く深く深いため息をつきながら、しばらく留守にしていた我が城、保険室を掃除していた。
箒でゴミをまとめ、ちりとりで拾う。
「…………チッ」
ちりとりの中にはわずかなホコリ、砂、消しゴムのカス、普通のゴミ。
そしてその中に私の髪は一本も落ちていない。
当然だ。純血の吸血霊鬼の毛髪は人間のそれとは似てる様でまったく異なる。
一定の年齢、大体レイカ君ぐらいの年齢までは人間と同じ様に伸びるが、身体の成長が止まるのと共に髪も伸びなくなる。そこからは本人の意思で変え放題な訳だ。
そして吸血霊鬼の髪は人間よりも深く身体と繋がっている、肉体の一部と言ってもいい。長さを変えるだけではない、動かす事も出来るし色も量もある程度は操作が可能だ。
肉体の一部がたまたま抜け落ちて犯行現場に残る、そんなことはあり得ないのだ。それが出来れば吸血霊鬼の事件は現在よりももっと早く解決する。
つまり、わざと髪を抜いて現場に残そうとしない限り、証拠として残る訳が無いのだ。
「相変わらず気に食わない野郎だよ」
あのクソ野郎、数年前にこの辺りに出て来たって言うからわざわざこの学校に転勤してきたって言うのに、それ以降一切表に出てこないと思ったらまたふらっと帰ってきやがって。神出鬼没にも程がある。
だからこそこの一千四百年間誰も奴を捕まえる事が出来なかった訳だけれど。
【銀血】は歴代の大魔族の中でもぶっちぎりのバケモノだ。千年以上生きてる吸血霊鬼が弱いわけがない。おそらく技術の進んだ現代の退魔師でも数人程度だと返り討ちにあって終わりだろう。
しかし、ようやく掴んだ手掛かりを無駄にするわけにもいかない。
「…………っと」
しまった、怒りのあまり無意識に髪の金色が解けてしまった。慌てて元の色に戻す。
「落ち着け……私は紗霧、生徒達の頼れるお姉さんだ」
自己暗示をしながら自らの髪を撫でる。
癖のあるくすんだ金髪、そうあろうと姿を変えたこの髪を。
「近い内に会っておかなきゃいけないね……嫌だなぁ」
掃除用具を片付け、保健室のベッドに身を投げる。
天井を見上げながら、会わなきゃならないが会いたくない人物の顔を思い浮かべげんなりとする。
「どの代もおっかないんだよなぁ……アマクニ」
しかし、何代も前から協力を取り付けている手前、こういう時に顔を見せない訳にもいかない。
「……あ、そうだ!!」
そこで私は天才的な発想が降りて来てニタリを笑みを浮かべる。
「きっともう一人アマクニの所に行きたがる子が居るじゃあないか……一緒に行けば怖さも半減、私ってば天才だねぇ!」
そうと決まれば、私は学校に提出する休暇届を書き始めた。
「…………今度こそ、血の一滴もこの世に残さないからな」
それが私に残された、唯一の使命だから。




