第三十九話【大魔族】
太陽が沈み、夜の闇が支配する時間。
街灯と月明かりのみが照らす中、一人の女性を観察する様に眺める、人ならざる者が居た。
「おぉ……何度見ても美しい。ずっと待ちかねていたのだよ、この時を」
電柱に寄りかかる様にして地面へとへたり込む女性にじわじわとにじり寄る男の影。
その妖しく輝く瞳を前に、女性は視線を逸らす事も声を出す事も叶わなかった。
「…………!!」
「うん? ……ああそうだった、君は今身体を動かせないんだったね。でも悪いのは君さ、いくら相手が美しい外見をしているからと言って、そう簡単に唇を奪われる距離まで接近を許してしまったのだから」
「……!! …………っ!!」
「だが、怯える表情もまた美しいよ」
女性は目に涙を溜め助けを求める様に口を開くが、その願いが言葉になる事は無かった。
恐怖に震える女性を前に、男はニタリと口角を上げてその白い首筋へと顔を寄せた。
「安心したまえ、命まで奪うつもりは無いとも。我が牙が狂いさえしなければ……の話だがね」
男の言葉により一層恐怖に歪み青ざめる女性を眺め、興奮を抑えきれない男の牙が首筋に深く突き刺さった。
鋭い痛みに震える女性なんてお構いなしに、白い牙と大きな口は容赦なく鮮血を吸い上げる。
「ククク……やはり、恐怖に歪む美女の血液に味で勝るものは無い……」
血を失っていくにつれて意識を手放した女性を、男は既に興味が無くなったかのように置き去りにし、勢い良く跳び上がって電柱の上から街を見下ろした。
「だがやはり……あの味より素晴らしいものと未だ出会えずにいる……」
男は顔に手を当て、喜びながらも嘆く様に身を震わせていた。
「あれから何年経ったか……きっと彼女はさぞ美しく育っている事だろう」
男の顔は笑顔に歪み、ひとつに束ねた銀色の髪が風に揺られて月光を反射していた。
「そう遠くない内に迎えに行こう、楽しみに待っていてくれたまえ。ハハハハハハッ……!!」
両手を広げ、漆黒の天に向かい高らかに笑った男は、そのまま姿を霧と変えてその場を立ち去った。
◇
「うぁー……おぁー……」
九月一日、朝。
全国の学生の目覚めが最も悪くなる日。
例に漏れず俺の目覚めも最悪だった。
「かいと~? おきて~」
ひんやりとした手が俺の肩を揺らす。
「今日から学校なんでしょ~? 遅刻しちゃうよ~」
何度も呼び掛けられるが、本当に目蓋が重くて開かない。
まだ寝たい。寝ていたい。レイのひんやりボディに甘えて心地よい二度寝の世界に戻りたい。
「早く起きないと、ちゅーしてあげないよ~?」
「んぅ、んん……」
参った、そう言われてしまっては起きなければなるまい。早く起きないとキスされてしまうだなんて定番すぎて照れ臭いが、レイなら実際にキスしてくるだろうからこのまま起き上がらないのは危険すぎる。
仕方なく片方の目からゆっくりと目を開いた。
「…………」
待って?
レイって今、起きないとちゅーしないって言った?
それだと定番の奴と違くない?
「あ! やっと起きた~。かいとってばあたしとちゅーしたかったんだ♡」
「し、しまった……逆だ!?」
一体いつからレイの問い掛けが定番の奴だと錯覚していた。
目を開いたのが同意とみなされたのか、レイは嬉しそうに俺に飛びついてきた。
「まっ、待てレイ! 今のは聞き間違えて……」
「ん~~~っ……ちゅっ♡」
「んむむーーーーっ!!」
レイに何度唇を奪われても、いつまでもこの感覚に慣れる事は出来ていなかった。
あんまり朝から興奮させないでくれ。余計遅刻しちゃうだろ。
◇
「ほんっとうに油断も隙も無いわね」
「うぇ~~ん……」
朝からリビングでヒナに正座させられているレイ。
「カイトの事だからどうせ朝起きれなくてうだうだしてるんだろうなって思って見に来たけど、正解だったみたいね」
「助かったぜヒナ。危うく俺が朝飯にされる所だった」
こんな朝早くから俺の家を訪ねてくれたヒナによって、俺に吸い付くレイを引っぺがしてもらったのだ。
合鍵渡しておいてよかった~。
「でもよ、わざわざ来てくれるなんてどうしたんだよ」
「えっ!? だからカイトが起きれなかったら大変だしって……」
「それもありがたいんだけど、本当にそれだけか?」
「う……」
ヒナの事だから俺の遅刻の心配をしてくれてるのも本当だろう。
ただそれだけなら一本連絡を入れればいいだけの話で、わざわざこうして家にやってきて朝食の用意までしてくれる理由とは程遠かった。
ちなみに本日はベーコンエッグ、シンプルながら愛される安定したメニューだ。美味しい!
「……まあほら、そんなに家遠いわけじゃないし、せっかく合鍵貰ったんだし……やってみたかったのよ。一緒に登校するの」
「そんなとこだろうなとは思ってたよ」
俺の視線を誤魔化すのが難しいと判断したのか、ヒナは正直に自らの目論見を語った。素直で可愛いじゃないか。
「それと、カイトには一番に見せたくって」
「見せる?」
「……ほら」
ヒナはそう言って自らの髪をかき上げた。
耳に髪がかけられ、プリティな耳たぶがあらわになる。
「あ! 俺のピアス!」
だがひとつ、品行方正なヒナの耳たぶには似つかわしくないものが。
「言われた通りちゃんと夏休み中は穴あけ用のピアスを外さないで、今日まで我慢したんだから。せっかくならカイトに見て貰いたいじゃない」
「そんなに楽しみにしてもらえてたのは嬉しいけどよ、今から学校行くんだぞ俺達。委員長サマがピアスなんかしてていいのかよ?」
ヒナが喜んでくれているのは俺も嬉しい。しかし普段のヒナは真面目なクラスの委員長、俺のピアスを取り締まって没収する側の人間だ。
そんなヒナが意気揚々とピアスを学校に着けて行こうとしているのを俺は肯定していいのだろうか。
「甘いわね。私は髪が長いから普通にしてれば見える事は無いし、先生達も私の事信頼してるからいちいち確認しに来たりしないわ」
「うっわぁ、せっこいなぁ……」
「今までの私が勝ち取ってきた信頼のどこがせこいって言うのよ!!」
「その信頼を利用してる所かな……」
およそ真面目な委員長とは思えない発言をしながら、俺に食って掛かるヒナ。
「体育はどーすんだよ、髪結ぶだろお前」
「流石にその時は外すわよ。没収されたくないし」
「本当にせこい……」
悪い意味で徹底しているヒナにガクっと肩を落とした。
まあ本人が良いと思ってるならそれでいいけどさ。
「……あ、それと今日は始業式だけで終わるから午前だけよね」
「そうだけど」
「なら今日は帰りも一緒に帰って、お昼も一緒に食べましょ?」
「おぉ~、夏休み終わっても作ってくれんのか!」
ヒナからのありがたい提案に朝から胸が高鳴る。
いや、高鳴るだけならさっき散々慣らされたんだけどさ、レイに。
「お弁当もまた作って来るし、カイトの胃袋は私の手の中なんだから」
「ヒナの料理はどれも美味いからなぁ……ヒナを嫁に貰う奴は幸せ者だ…………あ」
定番の誉め言葉をヒナに言ったつもりが、それが失言だったと言ってから思い知る事になる。
「あーいや、今のはね?」
「そ~れ~じゃ~あ~?」
「おわっ!?」
今がチャンスとばかりに背伸びをして俺の首に腕を回すヒナ。
あれ~これさっきも同じような状況になった気がするんだけども。
「その幸せ者はカイトよね?」
「あっいやそれはその」
「私の事お嫁さんに出来るのは、カイトだけだものね?」
「い、いや~それはわからないと言いますか……」
やばい、ここぞとばかりに詰めてくる。
失敗した、完全に俺のミスだ。ヒナに隙を見せたせいでヒナが好きを見せてきた。
「こらーっ!!」
「きゃっ!? なにするのよ!!」
このままではヒナにもキスされる。そう思っていた所にさっきまで黙って正座していたレイが飛び込んできてヒナを引き剥がした。
「ヒナちゃんは一生独身でしょ!!」
「はぁ~~~~!?!? また言ったわねこの女ッ!!」
あっという間にレイとヒナの取っ組み合いが始まった。
レイの火の玉ストレートも中々の剛速球だったが、迷いなく飛び掛かるヒナもヒナで喧嘩っ早すぎる。
「今日のお昼、レイカだけ山盛りのにんにくを追加したって良いのよ!!」
「昼飯作ってはやるんだ」
「ふーんだ! そしたら全部カイトにあーんしちゃうもんね!!」
「いや俺もにんにくはあんまり……」
仲が良いんだか悪いんだかわからない二人のやり取りを眺めながら、朝の貴重な時間がダラダラと進んで行った。
「私もカイトとキスしたかったのに!!」
「絶対止めてやる!!」
「じゃあ俺着替えてくるから……」
これ以上相手してると本当に遅刻すると思ったので、俺は一人自室に戻って制服に着替え始めた。
◇
ヒナの言っていた通り、今日は始業式のみの特殊な日程。体育館での校長先生の長話も終わり、それぞれ教室ですぐさま帰りのホームルームとなった。
この後はまたヒナと共に俺の家に帰り、ヒナの作った昼食を頂く予定だ。
今日は何を作ってくれるんだろう、なんて考えていたら、何やら担任の様子がいつもと違っていた。
「なんか先生怖くね?」
隣のアユも担任の表情の険しさに気付いたのか、小声で俺に囁く。
「重大な話でもあんのかね?」
「さぁ……」
重大な話か、もしそうだとしたら何だろう。夏休み中の生徒の素行が悪すぎて上から叱られたとか?
なんて甘い内容ならまだよかった。
なにせ担任の口から説明された内容は、とてもじゃないが笑えるものではなかったからだ。
「それではみなさん、ホームルームを終わる前に最後に一つだけ大事なお話があります」
大事な話。アユの予想が当たったと思いつつ、茶化す空気でもなくただじっと次の言葉を待っていた。
「実は先日、この地域で一件吸血霊鬼絡みの事件が発生しました」
「ッ!?」
吸血霊鬼。その言葉が担任の口から出た事に驚愕し息をのんだ。
徐々にざわめき始める教室。近所で事件ともなれば無理もない。
「被害者の女性は命に別状はなかったようですが、未だ意識が戻らないそうです。推定の事件発生時刻が深夜だったのに対し、女性が発見されたのが早朝と言う事もあって、危険な状態で長時間放置されてしまった影響で何らかの後遺症が残る可能性が高いとされています」
「オイオイ、マジで大事件じゃねえかよ。なあカイト……カイト?」
「…………」
アユの言う通り、これはちゃんと危険な大事件だ。
しかも担任の口ぶり的に犯人はまだ捕まっても処理されても居ない様子だ。
(そうだ、ヒナは……)
となると、俺が今気がかりなのはヒナの安全だ。
ヒナの血は上質で、吸血霊鬼からしたら垂涎ものの血液らしいし、その上匂いでヒナの事を判別できるらしい。
ヒナだって優秀な退魔師らしいし心配しすぎかもしれない。だが俺にはヒナが何度も襲われた記憶がある以上楽観視も出来なかったのだ。
俺は廊下側の席に座るヒナの様子を窺った。
(……ッ!?!?!?)
「…………………………………………」
ヒナは無言で、事件の内容を説明する担任を睨みつけていた。
それも初めてレイを見た時の様な、怒りの炎をその身に宿している冷たい顔で。
遠くから横目に見ただけの俺を震えさせるのに充分な威圧感だった。
「えっと……」
それからも担任が細かい情報や犯人像なんかも話していたが、俺の頭の中はどうやってヒナの機嫌を取るかでいっぱいだった。
あのヒナならそこら辺の吸血霊鬼であれば敵じゃないだろう。いや楽観的過ぎるのも良くないけど。
俺としてはヒナがずっと隣でキレ散らかしてる方がよっぽど怖かった。
◇
「あのー……ヒナさん?」
ホームルームが終わり、次々にクラスメイト達が教室を出ていく中、いつまでも席に座ったまま黒板を睨みつけていたヒナにそっと近づく。
きっと今のヒナに誰も近付けないだろうし。俺ですら怖いもん。
「…………」
「そろそろ俺達も帰ろうぜ。俺腹減っちゃって、ヒナの昼飯楽しみだなー……って」
「…………」
ダメだ、俺の声届いてないかも。
ヒナに無視されたのは生まれて初めてだ、怖い、心が折れそうだ。
(こうなったら……)
俺は周囲を見渡し、教室に何人残ってるかを確認した。
そして驚愕した。なんともう俺とヒナだけになっているではないか。
早く帰れる日は早く帰りたいのか、先程の話を聞いてみんな真面目にまっすぐ帰宅したのか。
はたまたヒナの発する威圧感に耐え切れずにみんな逃げ出したのか。真相はわからないが助かった。
「すまんヒナ」
俺はヒナの横顔に触れるだけのキスをした。
「……~~っ!?!?」
途端に真っ赤になるヒナ。
よかった、俺の事を無視してたわけじゃなかったんだ。
「な、何やってるのよカイト!? ここ教室なんだけど!?」
「その教室、もう俺達二人しか居ねーぞ」
「……え!?」
ヒナはハッとして周囲を見渡す。
もしやあの威圧感は誰かに向けていたのではなく、ただひたすらに集中していたからなのだろうか。
ヒナは昔から過度に集中すると周りの声が聞こえなくなることはあったが、久しぶりに見た気がする。
それでも俺からのキスには反応するんだ、ほっぺだけど。
「考えてたのはさっきの事件の事か?」
「……うん」
「実は俺、お前の様子が気になって途中からあんまり聞いてなかったんだけど、ひっかかる事でもあったのか」
「……うん、あった」
だろうな。ヒナは今まで何度も吸血霊鬼絡みの相談を受けてきたんだ、ただ吸血霊鬼の事件が発生したってだけであそこまで考え込む事は無いだろう。
「説明しても良いんだけど…………帰る前にちょっと寄りたい所があるの。出来ればそこで一緒に説明したいんだけど、いい?」
「そいつは構わねえけど、どこ行くんだ?」
ヒナは自分の荷物を鞄にまとめ、俺の前を歩きながら目的地を明らかにした。
「……保健室よ」




