第三十八話【愛情は巡り巡って】
突然俺の脳裏をよぎった美しい赤髪の女性。
額縁の中に描かれた俺の母親であろう女性。
その優しく微笑みかける姿が完全に一致し、一瞬の光景が鮮明に記憶に焼き付いて離れなくなった。
どうしてだろう、胸のざわめきが収まらなかった。
「急にどうしたの? カイトのお母さんの絵がどうかした?」
「……さっきレイに膝枕されて撫でられてる時さ、知らない光景が頭に浮かんだ……いや、多分忘れてた記憶がよみがえったんだと思う」
突然部屋に戻った俺に付いてきたレイが不思議そうに俺の顔を覗き込む。
俺は片目を押さえながら、この不思議な記憶の光景を振り返っていた。
「記憶の中の俺もさ、膝の上で優しく撫でられてたんだ。真っ赤な髪の女の人……この絵と同じ顔の人に」
「じゃあやっぱりこの人はカイトのお母さんなんだね」
「……そうなんだろうな」
今まで俺はこの絵を母親の絵だと思っていたが、その証拠はどこにも無かった。ただ俺がこの人に血縁を感じていただけで、それを裏付ける何かがあった訳ではない。
でも俺の中にこの人と過ごした記憶があると言うなら、それはこの人が俺の母親である事を裏付ける証拠となり得るだろう。
物的証拠ではない。でも俺の中にあって、俺がそう思える材料になるならそれ以上は必要ない。
ただそうなってくると、ひとつの疑問が解消すると新しい疑問が浮かび上がってくるもので。
「レイ、すまん」
「え!? な、なに!?」
傍にいたレイの肩を抱き寄せ、触れそうなほどに顔を近付ける。
「ち……近いぃ……!」
「悪い、俺の事ちゃんと見てくれ」
「は、はいぃ!!」
恥ずかしがって目を閉じてしまったレイだったが、それでは俺の目的を果たせないので申し訳ないが目を開けてもらえるよう頼んだ。
「…………」
「か、かいと~……どーしたの?」
レイの潤んだ瞳。赤くて紅い瞳に縦長の瞳孔がまっすぐ俺を見つめていた。
「……………………サンキュ、もういいぞ」
「え!? 何もしないの……?」
「……あ、すまん。別にキスしようとしたとかそういうのじゃねえからな」
「がーん!!」
満足した俺が顔を離すと、レイは心底がっかりした様子で膝から崩れ落ちた。
流石に今のはレイの心を弄んだみたいで心が痛むな。でも必要な事だったんだ。
「……なあ、レイ。確認なんだけどさ」
俺は一人の友人、元気で活発な銀髪の少女を思い浮かべながら問い掛けた。
「人間と吸血霊鬼の間には混血の吸血霊鬼が生まれるんだよな」
「そうだと思うよ? あたしは会った事無いけど」
「あー、そう言えばそうか」
チカゲとタクは俺の学校での友人で、レイともヒナとも関わりはない。考えてみればそうだ。
「実は学校に混血の友達が居るんだけどさ、レイや紗霧ちゃんと同じ目をしてて、言われるまで混血ってわからなかったんだよ」
「そーなんだ」
「でさ、こっからが本題なんだけど……」
そう、ここからが本題なんだ。
俺の胸をざわつかせる原因が何かを知る為に必要な事。
「……俺の母さんさ、レイと同じ目をしてたんだ」
「……え!?」
目を見開いて驚愕するレイ。
そうだよな、今まで人だと思ってた相手が吸血霊鬼かもってなったらそんな反応もする。
「カイトのお母さん、吸血霊鬼って事!?」
「……多分」
母親が吸血霊鬼。
もしその前提があるとすれば、色々と疑問が解消される事もあるのだ。
例えば、写真が一枚も残って無い事。紗霧ちゃんがこの前言っていたが、吸血霊鬼は写真に、と言うか鏡に映らない。ならば写真が残ってない理由にも納得がいく。
それと俺の血の味がクソまずい事にも説明がつく。俺が吸血霊鬼だとすれば同族からは非情に好ましく無い味に感じるのは当然だろうから。
「でもさ、わかんねえこともあるんだよ」
そう、疑問が解消されば新たな疑問が湧く。
「……じゃあ、俺は何なんだ?」
チカゲも言っていた、俺は普通の人間の目をしていると。
毎朝鏡で身だしなみをチェックしているし、レイにマーキングされた所をヒナの手鏡で何度も確認している。
小さい頃の写真や修学旅行の集合写真だって持ってる。
まだまだある。俺は浮けないし、姿を消せないし、血を吸った事も無いし、身体能力だって平均に毛が生えた程度だ。体温も高いし、銀だって十字架だって触れる。
それでも、あの記憶の女性は間違いなく俺の母親なんだ。母親の物だったんだ、あの微笑みも、手の温もりも。
「俺……本当に人間なのか?」
俺は人間。そう信じているしそう生きてきた。
吸血霊鬼だとしても嫌な訳じゃない、仲のいい吸血霊鬼も沢山いるから。
一番嫌なのは、正体がわからない事だ。
だってそうだろ、人間でも吸血霊鬼でも混血でも無いとしたら、俺は一体何なんだ。
「あれ…………」
足のつま先から急激に身体が冷えた気がした。
身体が小さく震え、力が抜けてへたり込む。
自分の事がわからないのって、こんなに恐ろしいのか。
「……おじゃましまーす」
「っ……?」
尻をついて座り込んでしまった俺に覆い被さる様に、レイが突然抱き着いてきた。
「レ、レイ? 悪いけど今はそういう気分じゃ……」
「だーめ」
レイを押し返そうと肩に手を置くが、レイは構わず俺を優しく抱き締める。
「大丈夫、だいじょーぶだから」
「……レイ?」
「覚えてる? あたしが昔の事を初めてカイトに話した時の事」
「……忘れる訳ねえさ、大事な話だったもんな」
レイの過去。世話になったじいさんを殺してしまったと思い込んでいた時の、懺悔にも似たレイの告白。
深く過去に触れるにつれて、あの時のレイはどんどん怯え、震えていって。
「……もしかして俺、あの時のお前に似てたか?」
「うん。だから今度はあたしがぎゅってする番かなって」
レイは俺の身体をしっかりと、かつ優しく包み込むように抱き締めていた。
俺の頭を撫でながら優しく囁く。
「カイトの言葉を借りるならね、カイトが人でも吸血霊鬼でも、何にも変わらないよ」
「…………んな事は」
「あるの! だって、カイトが何物でもあたしは嫌になったりしないし、これから何か変わる訳でもないでしょ?」
「それは…………」
ぴったりとレイの身体が俺とくっつく。
ひんやりとしている、俺より体温が低い証拠だ。
それに微かにではあるが、レイの鼓動が伝わってくる。
「カイトがなんだって、あたしは離れない、見捨てない、嫌わない、一人にしない」
「っ……!?」
それは俺が以前レイにかけた言葉で。
「カイトは、カイトだよ」
今度はレイの言葉となって、俺の不安を溶かしていった。
「……ああ、ありがとな、レイ」
そうだ、俺が何者かなんて何だっていい。
俺と関わる奴が俺の事を俺だと思い、変わらず接してくれるならそれでいいんだ。
そう、レイの言葉が思わせてくれたんだ。
「……えへへ」
「ん? なんだよ、嬉しそうに」
不意にレイの表情が緩み、嬉しそうに微笑んでいた。
レイは俺の頬に手を添えると、にっこりと笑った。
「カイトはやっぱり、笑ってる方がかっこいいよ」
「なっ……!?」
それは以前俺が、泣き止んだレイに口を滑らせた言葉だった。
「……ねえねえカイト、あの時はこの後どうなったか覚えてる?」
「ぐ……いや……」
「え~? 体勢もおんなじなんだけどな~」
口ではそう言ったが、忘れるはずもない。
だってあれは俺にとっても初めての経験だったんだから。
「ねえ、いい?」
「……お前は本当に、絶好のチャンスを逃さないよな」
あの時は不意打ちでやられたんだけど、今回はそうではない。
でもヒナの時はわかったうえで受け入れたんだし、おあいこだよな。
「…………こんだけ寄り添って貰って、断れねえよ」
「えへ、やった♪」
ゆっくりとレイの顔が近付いてくる。
逃げるつもりはなかった。拒むつもりはなかった。
ただ、俺と言う得体の知れない存在を前にしても迷わずに繋がりを求めてくれるレイに、身を委ねたかったのかもしれない。
「……ちゅっ♡」
冷えた心に温もりを分けてくれたレイの唇は、ここに居ていいんだよと俺に刻み込むかのようだった。
◇
「……それじゃあ、そろそろリビングもどろっか」
唇を重ねて何秒か。触れ合うだけのキスはあっさりと終わりレイが立ち上がろうとした。
「あ……待ってくれ」
「え? わひゃう!?」
俺から離れようとするレイを、俺は呼び止めながら再び抱き寄せた。
「えっと……まだ怖い?」
「少し……だいぶ落ち着いて来たけど」
レイの抱擁はとてもありがたかった。まるで冷たく孤独な海の底に沈みかけていた俺を拾い上げてくれたような安心感だった。
そのせいだろうか、その温もりを手放すのが非常に心細く感じたのだ。
「……もうちょっとだけ、俺から離れないでくれるか?」
「ひゃぁ…………!!」
いつものレイと違って、その両手は俺を抱きしめ返す事無く行き場を求めてさまよっていた。
「……かいとってずるいよね」
「ズルい? 俺が?」
「そうだよ。前に雨が降ってヒナちゃんに泊まっていけばって聞いた時も感じたけど……たまにカイトって素直に弱み見せて来るよね」
「泊まり…………あー、あの時か」
レイが言っているのは恐らく、レイを探していたじいさんと会って帰った日だ。
あの時はじいさんの刺客がレイとヒナを連れて行ったのでは、なんて今思えばあり得なさ過ぎる妄想をしたせいで精神が疲弊していたんだ。
あの時もそう、誰かと離れるのが心細かったんだ。
「でもよ、それがなんでズルいんだよ」
「んっ、うーん……」
やれやれと言った感じでレイの手がようやく俺の背に収まる。
「……女の子って言うのは、好きな男の子が弱みを見せてくれるとキュンキュンしちゃうの。あの時のヒナちゃんだって顔真っ赤にしてたでしょ?」
「そういえば……男の家に泊まるのが恥ずかしいのかと思ってた」
「それもあるかもだけど……」
「……レイもキュンキュンしてんの?」
「…………確かめていいよ」
「はっ? 何言っ……」
俺の言葉が全て伝わるより先に、レイは俺の頭を自らの胸元に抱き寄せた。
「ばっ!? 流石にまずいって……」
「聞こえない? あたしの胸の音」
「っ…………」
レイの胸に押し付けられた俺の耳に、どくんどくんとレイの鼓動が伝わる。
平常時でこの速さだったらすぐに病院を勧めるレベルの速さで、レイの心臓は収縮していた。
「すっごく早いでしょ?」
「……ああ、よーくわかったよ」
どんな状況でも、やはり人の鼓動と言うのは落ち着くらしくて。
気付いたら耳を澄ませてただレイの胸の音だけに意識を集中させていた。
「なんなら触って確かめてもいいよ?」
「バカな事言ってんじゃねえよ。んな事出来る訳……」
「ヒナちゃんのは触ってたのに」
「……えっち警察さん、どうかご容赦を」
「どーしよっかなぁ…………それじゃ~……」
レイは俺から離れ、今度は俺のベッドに向かった。
そのまま俺のベッドで横になると、俺に向けて両手を広げた。
「カイトのベッドの上で、いっしょにだらだらしよーよ。カイトももうちょっと一緒の方がいいでしょ?」
「まあ……」
「ほ~ら、カイトおいで~? 今日のあたしは、何されても訴えないし文句言わないよ~?」
「いや、ちょっと変わってんぞ。訴えないで、嫌な事はすぐ言う。だったろ」
口ではそう言いながら、俺の身体は吸い寄せられるようにベッドへ向かって行った。
両手を広げたままのレイに招かれ、当然の様に覆いかぶさる。
「えへへ、今日のかいと、ほんとに素直だ」
「……正直、虚勢張る元気もねぇ」
「よーし、よーし。だいじょーぶ、だいじょーぶ。かいとはそのままでいい、ゆっくりで良いんだから」
男のベッドの上で男に上に乗られたのに、レイはずっと慈愛の表情を浮かべたまま俺を受け入れていた。
ちくしょう、優しすぎて涙が出そうだ。
「カイトってさ、実は寂しがり屋だよね」
「はぁ? 俺が……?」
「そんな事無いって言える? この格好で」
「…………」
確かに、全く言えなかった。
離れるのが、一人になるのが怖くて女の子の胸に飛び込んだ俺に、寂しがり屋を否定する権利はない。
「でも、そうかもな……」
寂しがり。そう言われてみると、今までの自分の行動に納得がいってしまう。
道端でレイを拾ったのも、ヒナ達のスキンシップを強く断れないのも、こうしてレイの胸に吸い寄せられてしまったのも。結局は俺が人肌を求めているからかもしれない。
生まれた時から母親が居なくて、幼い時に父親と離れて暮らす様になって。
確かに寂しがりになる要素ならいくらでもあったか。
「……レイ」
「なあに?」
ぽつりと、ちっぽけな願いが胸に浮かんだ。
深く考えずにそれを言葉にしていた。
「レイは……俺を置いてどこにも行かないよな」
それはとても弱く、折れそうな声の、年下の女の子に縋る情けない願いだった。
「……どうかなぁ、カイトがヒナちゃんを選んだら、カイトなんかしーらないっ! って言ってふらっとどこか行っちゃうかもだし」
「ちゃんと面倒見るからさ……」
「あたしはペットじゃないんですけどっ!?」
今の言い方は良くなかったか。
許してくれ、本当に今弱気なんだ。
「それじゃあ、ヒナちゃんじゃなくてあたしを選んでくれる?」
「……………………………………………………」
「なんか言ってよ~っ!?」
レイにぽかぽかと叩かれる。叩くと言っても本当にぽかぽかとしか音が鳴らなそうな優しいパンチだったが。
仕方ないじゃないか。何も言わなかったんじゃなくて言えなかったんだ。
だってそうだろ。ここまで弱気になった所を健気に支えてくれて、身も心も受け止めてくれてる所にそんなこと聞かれてしまったら。
(……勢いで頷いちゃいそうだったんだよ)
それだけは我慢しなければならなかった。
二人の女の子に好かれてる俺が一番やっちゃいけない事だから。
しかし、そんな風に悩んでる時点で相当レイに惹かれているのは揺るがない事実だった。
この前はヒナに傾いて、それでレイを悲しませたばっかだってのに懲りないねこの男は。
(……でも)
「しょーがないなぁかいとは。でも許しちゃうんだ、大好きだから……」
そう言って頬を膨らませながらも、レイは俺の事を優しく抱きしめたまま離さなかった。
やっぱりズルいよな、俺って。
「だーいすきだもん……♡」
やっぱりズルいよな、可愛いって。




