第三十七話【ツケの支払い】
二泊三日の温泉旅行が終わり、俺とレイは我が家へ帰ってきた。
レイとヒナにとっては本当に色んな事が起こった三日間だったが、最終的にはみんな笑顔で自分の家に帰っていったと思う。
そして俺は、その旅行の間にレイとヒナを宥める過程で何度かレイに頭を下げる事となった。
『……家帰って、二人きりの時な』
『…………帰ったら一週間毎日一緒に寝てやるから手伝って』
それ以外にも、二人への対応を改めて比較する事で、俺はレイに結構我慢をさせてきたかもしれないと自分を省みた。
今までヒナにしてやったような事をレイにもしてやった方がいいのではないかと。
と言う事で残り少ない夏休み、全部をレイに捧げるつもりで向き合おうと思った。
(……思ったけどな?)
初日からちょいとハードすぎやしないだろうか。
「んばーっ!」
「…………」
目の前には俺のベッド、その上に座ってんばーっと両手を広げているレイ。
その目は期待に満ちて輝いており、いつでも俺を受け入れる準備は出来ていると言った様子だ。
「全部一緒にするとは言ってねえんだけどな……」
自分のベッド、美少女、二人きり、密着。
理性との戦いが始まった。
◇
現在時刻は朝。旅行から帰って来た翌日の朝だ。
夜ではない、全然朝。
一週間一緒に寝るという約束通り、帰宅したその日から同じベッドで寝ていたのだが、レイは目覚めて早々こうしてスキンシップを求めてきたのだ。
「えーっと、レイ? それは一体何待ちなのかな」
「朝のぎゅ~っ!」
「そっか……」
朝のぎゅーってなんだよ、そんな習慣今まで一度も無かっただろ。
「…………」
「はい!」
「……あの?」
「はい!!!」
俺が何か尋ねようとしても、レイは両手を広げてただ催促するのみ。
そうですよね、言い出したの俺ですもんね。
「うぅ……わーったよ……」
「わ……っ!!」
俺は初めて、笑顔のレイに向かって自分の意思で腕を伸ばした。
レイの両腕の下から手を通す様に背中に回し、密着する様にそっと抱き寄せる。
「えへ……かいとあったか~い♪」
「暑いだろ、嫌じゃねえのかよ」
「んーん、カイトの体温は安心するからすきー♪」
「…………そっすか」
レイはヒナと比べるとスレンダーで、こうして抱き合った時にお互いの間に挟まる物があまりない。
その分密着した時の触れ合う面積が広くて、レイのひんやり体温が心地よく感じる。
「ねねね、かいと」
俺の耳元でレイがイタズラっぽく囁く。
「このまま抱っこして、リビングまで連れてって♡」
「はぁ~!?」
「知ってるよ、今日ヒナちゃん病院だから来れないんだよね。絶対バレないよ」
「こいつ~……」
レイの言う通り、昨日帰りの電車の中でヒナにあらかじめ説明されていた。紗霧ちゃんにも言われていた通り、旅館での治療はあくまで応急処置。問題は無いと思うが一応ちゃんとした診察を受けた方がいいと念を押されていたのだ。
その時すぐ横にレイも居たから会話の内容が聞こえていても何らおかしい所は無いのだが。
「そういうチャンスをモノにしようとする所、意外と抜け目ねえよなお前」
レイの性格を考えれば、これらの行動は恐らく計算で行っている訳ではない。
ただ俺やヒナの行動をよく見て、より長く安全に俺を独り占めできそうなタイミングを判断してアタックしているのだ。
つまりは天然の魔性。世が世なら歴史に名を遺す悪女になってたかもしれないな。
あ、いや、でもこいつヒナの足音聞いて見せつける為にタイミング合わせてキスしてきたんだっけ。
うーん、本当に天然か怪しくなってきた。
「だから今日は、カイトはず~っとあたしの!」
「……はいはい」
「あっ、せっかくならお姫様抱っこがいい!」
「まったく……仰せのままに」
そう言えば前にヒナをベッドに寝かせてやった時も羨ましそうに見てたっけ。
仕方ない、我慢させて多分期待に応えてやるとしよう。
「わっ、わっ! ひゃ~っ♪」
「軽いなぁお前……」
ヒナの時の様に腰を入れて抱え上げようとしたのだが、ちょっと力を入れたら簡単に持ち上がってしまった。
ヒナと比べてレイは肉が無い分身長がある。と言うか俺よりある。だから体重にそんな差は無いと思っていたのだが、実際に抱えてみたら健康面が心配になる程の軽さだった。
いや違うぞ、決してヒナが重かったとかそういう事を言っているんじゃないからな。
「……ねぇ、かいと」
「…………」
急に声色が湿っぽくなるレイ。
こういう時は甘えながら甘ったるい事を言ってくる前兆なんだ、身構えろ俺。
「なんだよ」
「あたし、かいとの本物のお姫様になりたいなぁ……」
「んんっ!? げほっ! ごほっ!!」
そら見た事か、直球ストレートど真ん中が来やがった。
ちょっと耐え切れなかった。
「……あ、こうやって腕を回したら、ちゅーできそう♡」
「だめだぞ」
「ねえ、ちゅーしていい?」
「だめだって言ってるだろ」
「ん~~~っ……」
「……ふんっ!」
「や~~~ん!!!」
俺の言う事を聞かずにキスをせがんできたレイを再びベッドに放り投げた。
いくらサービスデーだって言っても限度があるだろ限度が。
「うえぇ~ん、お姫様抱っこ~っ!」
「言う事を聞かない悪い子はここでおしまいです」
「そんな~!」
ベッドの上でわざとらしくめそめそするレイ。
悪いのは欲望に正直すぎた君だからね。
「なので、ほら」
「ふぇ?」
俺はレイの手を引き、ベッドから降ろして立ち上がらせた。
「お姫様抱っこは終了、手を繋いで一緒に歩くと言うレベルに格下げです」
「……へへ、はぁ~い」
そう言うとレイは嬉しそうに俺の手に指を絡めてきた。
恋人繋ぎまで許した覚えは無いんだが、まあこの程度でもレイは満足しているみたいだし大目に見てやろう。
俺はそのままレイの手を引いて、リビングまでの数歩を二人で楽しんだ。
もっとも、リビングに到着しても手を離してくれなくて、しばらくソファーで並んで座ってたんだけど。
◇
「ねえねえカイト」
ソファーで喋っていると、レイが何かをねだる様にすり寄ってきた。
「どうした?」
「えっと……たまにはね、カイトから何かしてほしいなぁって」
「え~? さっきしてやったろ」
レイはそう言うが、俺はついさっきハグをねだるレイの期待に応えたばかりだ。
「そーだけど、そーじゃなくて……カイトの意思であたしに何かしてほしいの」
「え? …………あー、なるほど」
「あたしがやってってお願いするんじゃなくて、カイトがあたしにこうしてあげようってなってほしいの!」
レイの言いたい事はよくわかった。
確かにさっきのハグやお姫様抱っこはレイが願って俺が応えたものだ。俺がレイにしてやろうと思ってした事じゃない。
「わがままなお姫様だなぁ、今日のレイは」
「……だめ?」
「うーん…………」
正直、俺から行くのはかなり恥ずかしかった。
だが、過去ヒナとのやり取りの中にも、ヒナの願いではなく俺から言った行動がいくつかある。保健室のアレやお姫様抱っこがそうだろう。
今日はその辺りで我慢させていた分のお返しをしてやろうというつもりでレイの相手をすると決めていたのだ。ここはレイの願い通り、俺の意思でレイを可愛がってやるのが筋と言うものか。
「…………いいぞ」
「やったっ!」
「ただし! 二つ条件がある」
俺はレイを甘やかしてやる前に二つ、重要な事をレイに話しておいた。
この前提があるのと無いのとでは、出来る事に大きな差が生まれてしまうからだ
「……何されてもセクハラだって訴えない事と、本気で嫌だと思ったらすぐに俺を止める事。いいな?」
俺は彼女が居た事がない。女の子が何をされたら喜ぶのか、何をされたら嫌がるのか何となくでしかわからない。
ましてや付き合っては無いけど自分の事が好きな相手だなんて難易度が高すぎる。
それで距離感を間違えてただのセクハラ野郎に成り下がるのだけはご勘弁願いたかったのだ。
「……いいよな?」
「え~? どうだろ……」
「この流れでよくない事あるの!?」
何故かレイは返事を渋っていた。
え、もしかして俺の事セクハラ野郎にするつもりだった?
「何がよくないんだよ」
「えー、だってぇ……」
「だって?」
レイは少し考えながら人差し指を立てると、その指を口に押し当てながら俺を見て微笑んだ。
「多分あたし、かいとになら何されても嫌じゃないしなぁ……って?」
「がっ……レイ、お前ェ!?」
「だって本当だも~ん!」
こいつマジで、どれだけ俺の心を揺さぶれば気が済むんだよ。
危ない所だった。危うく今の一瞬で胸を撃ち抜かれる所だった。
「……まあ、訴えられる心配がなくなった事だけはよくわかったよ」
「わ、わっ……っぷ!」
俺はレイの生意気な顔を抱き寄せ、自分の膝の上に倒した。
強引な形ではあったが一応膝枕だ。男のごつい足だからって文句は言わせない。
「上等だ。思い付いた事片っ端からやってやるから、後悔すんなよ?」
「きゃっ♡ オラオラ系のカイトだぁ♡」
無理やり身体を倒されたのに何故かレイはご満悦な様子。
くそっ、誰がオラオラ系だ。今に見てろよ。この前の不意打ちでオーバーヒートした時みたいな顔をもう一度拝んでやるからな。
◇
(…………さて)
啖呵を切ったはいいのだが、実際何をすればいいのだろうか。
普段のレイはとにかく俺とくっつきたがる。ぎゅーだのだっこだの、手を繋ぐだけでも大喜びだ。ならやはりそっち方面で攻めた方がいいのだろうか。
ボディタッチか。レイは何をされても文句言わないと言っていたが、普通の場合触れる場所を少しでも誤れば即ブタ箱行きの危険な行為でもある。
それと、ヒナもそうだが何かを俺に求められるのも嬉しいのだとか。これに至ってはまあわからないでもない。俺もレイやヒナに頼られるのは嬉しいからな。
その辺りを加味していい感じに要素をブレンドしていくと、一つの結論に至った。
(……レイの身体で、俺が触りたい所に触る)
うん。
ダメじゃねえか?
「かいと~?」
「ぅおん!? なんだ!?」
「次は~? なにもしてくれないの~?」
「うぐ…………」
いや、文句言わないって言ったのはレイだ。
一回だけ、とりあえず試すだけ試してみたらどうだろうか。
「すー、はー……」
覚悟を決める為に、吸って吐いて深呼吸。
何度か繰り返した後、まずレイを起こした。
「わっ!」
俺の膝の上に座らせて、背中から包み込むようにハグしてみた。
「後ろからのぎゅ~だ……」
「ど、どうだ?」
「えへへ……カイトに捕まっちゃったみたい。動けないね……♡」
言葉自体は文句の様にも困っている様にも聞こえるが、声色が全くそう思わせない。
よかった、掴みはばっちりみたいだ。
「ねえ、あたしを捕まえてカイトはどうするの?」
「えーっと…………じゃあ、こうする……」
「……うひゃっ!?」
今度はレイの首筋に顔を寄せて、すんすんと匂いを嗅いでみた。
「か、かいと~っ! くすぐったいよ~!」
相変わらずレイは香水の類を持っていない。だからこれはレイの、あるいは吸血霊鬼の持つ本来の匂いと言う事になる。
前にレイのベッドに押し倒された時に感じたのと同じだ、鼻孔を突き抜けていく清涼感のある匂い。ミントやハーブに近い匂いだ。
そして今、その匂いを今までで一番強く感じていた。レイのうなじ、首元の髪の生え際辺りから一番この匂いを感じていた。
「あっ、ひゃっ……だめっ……かいと」
「……あっ!! すまん!!」
あまりに好みの匂いだったから夢中で嗅いでいたら、だんだんレイから危険な声が漏れ始めたので慌てて顔を離す。
「あ……やめちゃったんだ」
「は!? いや、だって今ダメって……」
「えと、言ったけど……」
レイがダメって言った。だから俺はうなじを嗅ぐのをやめた。
だが何故だ、レイは少し残念そうにしている。また俺は何か選択を間違えたのだろうか。
レイはもじもじしながら恥ずかしそうに言った。
「くすぐったいのだめだけど……嫌じゃなくて……カイトにだめな事されてるの、ゾクゾクしちゃって……」
「…………」
「ひゃんっ!!」
膝の上のレイを横に置いた。
俺は両手で顔を覆い、天を仰いだ。
「カイト? どうしたの?」
「女の子がそういう事をホイホイ言うんじゃありません!!!!!!」
「カイト!?」
ダメに決まってんだろうが!!
ヒナといい、レイといい!! なんでどいつもこいつもそういう事言うんだよ!!
俺には女の子虐めて興奮する趣味はねえぞ!! 目覚めちゃったらどう責任取ってくれんだよ!!
ああああダメだ!! こいつらどっちも絶対余裕で責任取るって言いだすもんよーわーーーーーっ!!
「……一回顔洗ってくっから!!」
「え!? あ、うん!」
俺は煩悩を振り払うために一旦洗面所に避難した。
どうせ一日中レイとくっつくのであれば煩悩を避けては通れないと言う事に気付いたのはもうちょっとだけ後だった。
◇
「ふぁー……」
「おかえり~」
さっぱりしてリビングに戻り、レイの隣にぽすんと腰を下ろす。
そしてそのままレイの膝の上に頭を置いてみた。
「わわっ、どうしたの!?」
「今度は俺がレイに膝枕してもらおうかと思って。こういうのはダメか?」
「ううん! 全然いいよ!」
レイは俺に求められると喜ぶ。そこを中心に考えた結果、さっきの膝枕の流れで今度は俺も膝枕をしてもらう事にした。
レイの許可ももらえた事なので、ソファーに横になってレイのふとももを堪能させてもらおうじゃないか。
「あたしの膝枕、どお?」
「……………………」
「え、カイト?」
「……思ってたより硬いんだな」
「えっ!?!?」
俺、女の子の膝枕ってもっと柔らかいんだと思ってた。だからさっき俺は男のゴツイ足でごめんなって思ってたわけだが。
いや、よく考えればレイはスラっとしている。しすぎている。抱えたら軽さに心配になるレベルで細い。
細いと言う事は肉が付いていない。ふとももに肉が付いていなければ柔らかくはならない。当然の摂理だ。
流石に頭が痛くなるレベルで硬いわけじゃないんだけど、俺が女の子に抱いていた幻想とは遠くかけ離れていた。
これ、ヒナならもっ。
「……ヒナちゃんならもっと柔らかかったのかなーとか考えてるでしょ!?」
「ぶほっ!? あっ……ェー!? ソンナコトネーヨ!?」
あぶねー!! 考える所だった!! もう少しでレイに嘘をつく羽目になる所だった!!
「……ほんと~?」
「ほんとほんと!! マジで考えてない!!」
考えかけたけど、考える前に止めたからセーフです。
「ふーーーん……ならいっか……」
「……おっ」
レイはふくれっ面を徐々に元に戻すと、俺の髪を優しく撫で始めた。
それはまるで、俺がいつもレイにやっている時みたいに。
「なんだ、今日は俺がサービスする日なのにいいのかよ」
「あたしがカイトにしてあげたい事をやらせてもらうのも、サービスだよ!」
「んー、なら少しだけ甘えてみるかな……」
人に頭を撫でられたのなんていつぶりだろう。レイやヒナの事を撫でる事はよくあったけど、逆ってなるとほとんど記憶にないかもしれない。
仲のいい相手にこうして頭を撫でられるって言うのは、なるほど。結構安心するっていうか落ち着くもんだな。
温かいと言うか、こそばゆいと言うか。肌の表面はほとんど触れてないはずなのに、不思議とぬくもりを感じる。
「……カイト、気持ちよさそう」
「そうか?」
「すごく優しい顔してるよ」
「そうか……」
実際とてもリラックスしていた。
誰かの膝の上で頭を撫でられた経験なんて一度も無いのに、なんだかとても懐かしい感じがして。
『……おやすみなさい、カイト』
「っ……!?」
不意に脳内に知らない光景が浮かび上がった。
真っ赤な髪の綺麗な女性が、俺の頭を優しく撫でている光景が。
「え……カイト?」
ほんの一瞬の出来事だった。目を開けばいつも通りのリビングと、可愛い可愛い同居人。
「大丈夫? どこか痛い?」
「いや……なんともない。んだけど……」
ゆっくりと身体を起こし、頭を押さえてさっきの光景を思い返した。
何だ今のは。誰かが俺の頭を撫でて、優しく微笑んで、俺の名前を呼んで。
さっきのレイと同じ構図が俺の記憶を呼び起こしたってのか。
いやそんなはずはない。俺にはそんな記憶ないはずだ。知らない場所で、知らない声で、知らない女性に名前を呼ばれるなんて事。
「…………違う」
確かにあの光景の場所も、女性の声も知らない。
だが一つだけ、女性の顔だけはつい最近見た事があるはずだ。
「悪い、ちょっとだけ離れる」
「どこ行くの?」
「……俺の部屋」
「ついてっていい?」
「ああ、構わねえよ」
俺はこの違和感を拭う為に、レイと共に自室へ戻った。
自室へ戻ればあっという間に見つかる場所に、目的の物はあった。
飾ってあったのだ、俺の部屋の壁に。
「……白黒の絵だからわからなかったけど、俺の母親なら俺と同じ髪の色しててもおかしくねえよな」
親父の髪はこげ茶色、赤くない。受け継いでるとしたら母親からだ。
もしこの人の髪が俺と同じ色なら、あの光景の女性と完全に一致する。
「……なあ、母さん」
今の光景、もしかして本当に俺の記憶なのか?
壁にかけられた絵の中の女性は俺に何も答えなかった。




