第三十六話【そして日常へ】
「……ちょ、ちょっと! そんなにしたら起きちゃうんじゃないの!?」
「ぷぁ……だいじょーぶだよ。何回もやった事あるもん」
なんだろう、身体が重い。
俺にのしかかる柔らかい感触、あと何か聞こえる。
「なっ、何回も…………」
「……ね、ヒナちゃんもやる?」
「はっ!?」
この声はレイとヒナだろうか。随分寝相が悪いみたいだ。
それになんだか不定期に胸元がくすぐったくなる。
「見てて、こうやって……ちゅーしながら……」
「あわわわわわ……」
「ほら、ヒナちゃんも……」
「え、えっと……こ、こう……?」
「そうそう! それでちゅ~ってするの」
「……………………」
なるほど。
段々と意識が覚醒してくる。
いくら低血圧で目覚めの悪い俺だと言ったって、身体の上でこれだけやりたい放題されたら起きもする。
「ほら見て、ヒナちゃんが付けた痕だよ」
「わ、私が付けたキスマークが、カイトに……」
頭の中で盛大にため息をつく。
二人の仲が良くなったのは大変いい事だ。
だがこんな事まで一緒にするような悪い友達になれと言った覚えはありません。
「…………オイ」
「わっ!?」
「きゃっ!!」
片目を開け、都合よく胸元に近付いていた二人の頭を掴んで抱き寄せる。
「お、おはよ~かいと……えへ」
「はいおはよう二人共」
「ち、ちがうのよカイト。これはその……」
笑って誤魔化しながら返事をするレイと、この期に及んで言い訳しようと言葉を濁すヒナ。
「大丈夫だ、言わなくてもわかってるよ」
抱き寄せた頭の上でわしゃわしゃと両手を動かす。
ちょうどいい手の位置を探す様に。
「お、怒って無いの?」
「怒る? 俺が?」
「ご、ごめんなさい。レイカがやってるの見たら、つい……」
「まったく、そんなんで俺が怒ると思ってんのかよ」
俺の言葉に段々と表情が和らいでいくレイとヒナ。
それを見ておかしくなってしまい、俺もふっと微笑んだ。
「怒るに決まってんだろ」
「「だああぁぁぁぁああぁぁぁっ!!?!?!?!?」」
そして、二人の頭をゴリゴリとこすり合わせてやった。
◇
「あーあ、どうすんだよこれ」
洗面所の鏡の前で浴衣の胸元を広げ、二人の犯行の形跡を調査する。
「よりによって首に近い所にも付けやがって。これじゃ帰りにバレるだろ」
「あ、それヒナちゃんだよ」
「ヒ~ナちゃ~ん?」
「わっ、わからなかったのよそこまで!! ドキドキしっぱなしだったの!!」
ヒナの証言だけなら可愛いで済むが、被害者からしたら堪ったものではない。
他のメンバー、アユにミノに紗霧ちゃんだぞ。誰にバレても面倒くさい。
「くっそー。なあヒナ、この赤いのお前のメイク道具で何とかなんない?」
今までこんな事するのはレイだけだった。そしてレイはメイク道具なんて高尚なもの持っていなかった。
だが今回はヒナも共犯者だ。普通に女子高校生としてメイクもきっちりこなしているヒナならある程度のメイク道具を持ち歩いているはずだ。
「なーヒナ」
「…………」
「ヒナってば」
なんだろうな、返事がない。
顔を見ても我関せずと言った顔で目を逸らしやがる。
こいつ、まさか。
「オイ」
「……な、何」
「まさかとは思うが……せっかく付けた痕消すのもったいないとか思ってねえよな」
「ビクッ!?」
ヒナは大きく身体を震わせた。図星じゃねーか。
「ふざけんなお前!! バレたら恥かくの俺なんだぞ!?」
「いーじゃないの恥かけばー!! レイカは何回もやってたんでしょ!? 一回ぐらい何よ!!」
「その一回が問題なんだよ!! こんな見えやすい所に付けやがって!! せめてお前以外誰にも会わない日にしろよ!! お前と一晩明かした事が知られたうえであいつらにキスマークなんて見られる訳にいかねえだろうが!!?」
「う……そ、そんなの……」
かなりの剣幕で捲し立てる俺に一瞬たじろぐヒナだったが、めげずに再び立ち向かってきた。
めげろ。
「……見えた方がいいでしょーっ!!」
「うわぁ!? 開き直るんじゃねえよ!?」
「他の人に見えないとマーキングの意味無いじゃないのよ!! カイトは私の物だって見せつけさせてよぉーっ!!」
「んな訳に行くかァ!!!」
確かにヒナの言う通りだ。マーキングとはその対象が自分の物であると周りに誇示する為に行う事。誰かに見られること前提だ。
だからって俺が納得するかどうかはまた別問題だ。
「いいからとっととメイク道具寄越せ!! 持ち歩いてんだろファンデーションくらい!!」
「うぅ~っ……あるけど……あるけど~!!」
「あっ! 待てコラ!!」
ヒナは自分の鞄の下へ走り、メイク道具を取り出すとそれを大事そうに抱えて俺から距離を取った。
「やっぱあんじゃねーか……早く寄越せ!!」
「やだーっ!!」
「レイみたいな駄々こねてもダメだ!!」
「あたしあんな感じなの!?」
「ぐ……こうなったら……」
「んなっ!?」
追い詰められたヒナはなんとメイク道具を隠してしまった。
自らの浴衣に手を突っ込んで。
「ふふーん! 取れるものなら取ってみなさいよ!!」
「ちくしょう……卑怯だぞ!!」
今のヒナからメイク道具を奪うには、ヒナの浴衣を引ん剝く必要がある。
寝る時は下着を外し、その浴衣からまだ着替えていないヒナのをだ。
「どうする……どうする……!!」
選択肢はいくつかある。
諦めてこのまま合流するか、ヒナの浴衣を引っぺがすか、いっそ何か別の衝撃で痕を上書きするか。
一個目は嫌だ。二個目は男として危険だし、三個目は物理的に痛そうで嫌だ。
何とかして穏便にメイク道具をひったくる方法さえあればいいんだが、こんな時女同士だったら……。
「……そうだ!」
「んー?」
俺は後ろで俺とヒナのやり取りをニコニコ眺めていたレイに視線を向けた。
俺が浴衣を脱がせるのは問題があっても、女同士のレイなら大丈夫だ。
ヒナのはだけた胸元を見る限り、うおっでっか……じゃなくて十字架は寝る時は流石に外している様だ。レイが触っても問題ない。
問題はレイをどうやって味方に付けるかどうかだが。
今は非常事態だ、俺は俺の為なら俺の安売りぐらいいくらでもするぞ。
「…………帰ったら一週間毎日一緒に寝てやるから手伝って」
「やっほ~~~~~~い♪」
「きゃぁぁぁあああぁぁぁぁっ!?!?!?」
言うが早いか動くが早いか、レイはあっという間にヒナを押し倒し、ヒナの浴衣を脱がせ始めた。
「ちょっとやめなさいよ!? あんっ♡ どこ触って……ひゃん!?」
「カイトあったよー!」
「でかした!!」
レイはすぐにヒナのメイク道具を奪い取り、背後の俺に手渡した。
「そのまま押さえ付けてろ!!」
「りょーかいしました!!」
「や~~ん!! 離しなさいよ~っ!!」
大騒ぎするヒナとそれを押さえるレイに背を向け、俺は急いで洗面所に向かった。
「……ちら」
いや、急ぐべきなのはわかってるんだけど。
ちょっとだけ気になってしまって、ちらっと振り向いた。
「こーらヒナちゃん? あんまり暴れると脱げちゃうよ~?」
「ちょっ、わかってるなら直してよ!? 見えちゃう!! 見えちゃうからっ!!」
「ぐへへ~、やっぱりヒナちゃんのおっぱいおっきいねぇ」
「なあっ!? どさくさに紛れて何してんのよ!?」
「…………」
浴衣をはだけさせながら絡み合う女子二人。
いいものを見た。
◇
なんやかんやあって見事キスマークを隠す事が出来た俺は、朝食を済ませてみんなと合流していた。
時間は昼前、そろそろこの旅館を出る時間だ。
「いやぁ、色々な事があったねぇ」
旅館を振り返りながら、半分溶けかけている紗霧ちゃんがしみじみと呟く。
「色々助かったよ紗霧ちゃん。付いて来てくれてありがとな」
「礼を言うのはこちらの方さ。久方ぶりの上質な血液を合法的にいただけた訳だからねぇ」
「あぁ……まあ、その件についてもありがとな」
紗霧ちゃんの視線の先に居たのはヒナ。
治療の際に何かあったそうだが、その際にヒナの血を貰う必要があったんだろうか。何はともあれ紗霧ちゃんは喜んでるしヒナも助かったしで多分良い事だろう。
「なーなーカイト~、せっかくだし集合写真でも撮らね?」
「お、いいね」
アユがインスタントカメラを取り出しそう提案する。
そう言えば今回一緒に行動する事は無かったが、あのカメラにはいろんな写真が入っているのだろうか。今度見せて貰いたいものだ。
「あー、すまない。大空生徒の提案は素敵だが、写真は遠慮させてもらうよ」
写真を撮る為みんなで並ぼうとした時、紗霧ちゃんは首を横に振った。
「おろ、紗霧ちゃん写真嫌いか?」
「好きとか嫌いとかの問題では無くてね」
紗霧ちゃんはレイの方をちらっと見て、アユに申し訳なさそうに説明した。
「吸血霊鬼と言う生き物は写真に写らないのだよ」
「そうなん!?」
「初めて聞きました、そうなんですか」
アユと一緒に写真を撮る気満々で居たミノも少し残念そうにしていた。
だから今レイの事見てたのか。
「写真と言うか、鏡に映らなくてね。だからその性質を利用したカメラのレンズにも写れないんだ。旅の思い出に残れなくて申し訳ない」
「そういう事ならしゃーねーよ」
「レイカちゃんも写れないなら可哀想だしね」
そういう事ならと、アユとミノは写真を諦めカメラをしまった。
そうそう、レイが吸血霊鬼である事は昨夜、部屋に戻ってくる前に改めて共有したそうだ。
アユもミノも変わらない態度で接してくれたってレイも喜んでいた。
「んじゃ、このまま駅向かうかー」
「そうだね」
「ふふっ、相変わらず強い日差しだよ……暑いね……」
そう言ってアユ達三人は旅館を後に歩き出した。
「私達も行きましょ」
「カイト? 置いてかれちゃうよ?」
「ああ、悪い」
ヒナとレイも歩き出したのだが、俺が後ろでもたもたやっていたので足を止めて振り返ってくれた。
ごそごそと鞄を漁り、目当ての物を探す。
「どうしたのよ、忘れ物?」
「いや、そういう訳じゃねえんだけど……あった」
俺は目当ての物を見付け、小さな紙袋の中から取り出した。
「ヒナ、レイ、ちょっといいか」
「うん?」
「いいけど……?」
二人の手を取り、それぞれの手に俺が持っていたものを握らせた。
「わ、かわい~!」
「ヘアピン?」
「旅行の記念になると思ってな。銀製じゃないからレイも着けられると思うぞ。ヒナにはひまわりのワンポイントで、レイには桜。どうかな」
「嬉しい! ありがとカイト!」
「……ふふ、私も嬉しい。ねえ、つけてみてもいい?」
「あたしも!!」
「ああ。見せてくれ」
二人はそれぞれのヘアピンを嬉しそうに受け取ると、俺の前で前髪に差して見せてくれた。
「どう? 可愛い?」
「よかった、似合ってるよレイ。髪色にマッチしてくれて安心した」
「ねえ、私は?」
「ヒナもぴったりだな。髪が茶色いし、ひまわりは相性いいな」
俺に褒められて二人とも気を良くしたのか、照れ臭そうに微笑んだ。
ぜひ写真を撮らせてもらいたかったが、そうかレイは写真に写らないのか。残念だ。
「でも、私カイトに何も買ってないな……」
「あたしもお金ないし」
「今回は慌ただしかったからな、気にすんな」
俺だって初日にちょろっと時間を見付けて、二人の目を盗んでこっそり買っておいただけだ。見返りなんて求めてない。
本当にただ、二人に似合うかもなって思っただけなんだ。
「……あ、そーだ!」
何かを思い付いたレイがそう言って俺の腕にしがみつく。
「ちょっとレイカ! まさかあなたも!?」
慌てた様子でヒナも反対側にしがみつく。
「なんだなんだ、まさかこれで歩こうってんじゃねえだろうな!?」
「流石にそんなことしないわよ!」
「大丈夫、すぐ終わるから!」
二人はそう言うと、徐々に顔を俺に近付けてきた。
「かーいと♪」
「カイト……」
「「ありがとね……ちゅっ」」
「っ!!?!?」
直後、両方の頬に柔らかい感触を感じた。
すぐに俺から離れるレイとヒナ。
「じゃ、じゃあ私達先行ってるから!!」
「遅れないでねー♪」
俺を置いて先に歩き出した二人を見て、俺はしばらく呆然としていた。
「……ったく、お礼目当てにプレゼントしたわけじゃねえっつの」
恥ずかしさを誤魔化すためにわしゃわしゃと自分の髪を乱し、置いて行かれない様に小走りで二人を追いかけた。
旅行の最後の最後まで人の心を乱しやがって。
相変わらず、油断も隙もねえ奴らだ。




