第三十二話【心配×心配=信頼】
ヒナが戻らない。
朝食を済ませた後にレイがやらかし、それを見たヒナが飛び出してどんだけ時間が経っただろうか。すでに太陽は沈みかけていた。
部屋に戻りづらい理由なんていくらでも思い付くけれど、それにしたって遅すぎだ。
「ヒナタさん、怒ってるかな……」
時計を見る俺を見て、一度はキリっとしていたレイの表情も段々不安が滲み始める。
ヒナが帰ってこない理由の最たる原因であろうレイにとっては気が気じゃないだろう。
いくら謝ろうと決意してもその相手が帰ってこなければ状況は良くならない訳だし。
「…………そうかもしれない。でも、それだけでも無いと思う」
「えっ?」
レイの言葉に俺は以前ヒナが学校を飛び出した時の光景を思い出していた。
ヒナはあの時、おそらくは俺が自分より吸血霊鬼の味方をした事にショックを受けて、今日と同じ様に飛び出したはずだ。
俺が見つけ出したヒナは涙を流していたが、同時に冷静に反省と分析もしていた。
今朝のレイの行動に怒りも悲しみもあるだろうが、これだけ時間が経ったのならヒナは冷静になっているはず。きっとレイの行動の理由なんかを考えているんじゃないだろうか。
俺の願望でしかないが、ヒナにとってのレイが大切な存在なら、そう考えてくれているはずだ。
「…………俺、探しに行ってくるよ」
それでもヒナが今回、深く傷ついた事に変わりはない。
ならいつもみたいに、俺があいつを見付けて来るしかない。
この辺りは近所じゃないからあの公園の遊具に頼れないのは不安だが、ヒナとレイはもっと不安なはずだから。
「あ、あたしも行く!」
「レイ?」
「あたしのせいだから……じっとしてられない」
「……そうか。んじゃ行こうぜ」
さっきまで不安そうにしていたレイも、強い決意を込めて立ち上がった。
そんなレイの手を振り払うなんて選択肢、俺には無かった。
「レイは紗霧ちゃん達にも手伝ってもらえるよう声をかけて来てくれ。俺はこの辺りをひとっ走りしてくる」
「わかった!」
元気よく返事をするレイに頷き、俺達は二手に分かれた。
「ひとまず昨日見た所を順に追ってみるか」
俺は昨日三人で回ったルートを思い返しながら旅館を飛び出した。
◇
「……痕跡もねぇ」
観光客向けの店は既にほとんどが閉まっていた。
時間も時間だから当然なのだが、それはヒナが居ない事を一目で明らかにさせるのでありがたいのと同時に気が重かった。
まあ土産屋にそんな何時間も居座る訳ないのだが。
「あと昨日回ったのはこの辺だよな」
昨日通ったルートを辿るうちに、俺は景色が綺麗な高台へ辿り着いた。
この辺りは望遠鏡があったりベンチがあったり、居座る事自体は可能な設計になっている。
それでもここで何時間も居るのは現実的ではないが、以前上履きのまま外に走り出した事からもわかる様に、ヒナは賢そうに見えて肝心な時に抜けている。
「ありえなくはねえか……ん?」
辺りを見渡していると、視界の端に違和感を感じて注意深く観察する。
「……手すりが壊れてる」
古くなっていた手すりの一か所がへし折れ、辺りに立ち入り禁止の三角コーンが並んでいた。
修繕前と修繕後の手すりが混在しているのは知っていたが、実際に壊れている場所は無かったはず。となると今日誰かが壊してしまったのだろうか。
「…………」
まさか。
いや、ヒナに限ってそんな事は無いだろう。
でも万が一。
「……そんな訳ねえよな」
俺は立ち入り禁止の札を無視し、壊れた手すりに近付いた。
手すりの端に手をつき、壊れた場所から身を乗り出して下を見下ろす。
手すりの下は雑木林の様になっている。それに陽が沈みかけているこの時間じゃ下の様子は全く見えない。
木の上の見える範囲だけでも高さにしたらマンションの五階、六階ぐらいの高さはあるだろうか。目算だから実際はもう少し高いかもしれない。
「……クソッ」
何故だか胸のざわつきが収まらなかった。
「プルルルルルル」
「っ!?」
突如鳴り出した自分のスマホに驚き、あと少しの所で崖下に真っ逆さまになる所だった。
『カイト!! 委員長戻らねえんだって!?』
俺突き落とし未遂の犯人はアユだった。
電話口からやかましい声が俺の鼓膜を震わせる。
「ああ、どこにも居ねぇ」
『レイちゃんと紗霧ちゃんから聞いたんだ。僕達も探すの手伝うから一旦帰ってきて情報共有して』
「ミノか。そうだな……わかった、俺も戻るよ」
同じ電話口からミノの落ち着いた声も聞こえる。どうやら俺以外は既に集まっているらしい。
すぐに帰ると伝えると、通話を切って元の道を走って戻った。
(……大丈夫、みんなで探せばすぐに見つかるはずだ)
ざわざわする胸と頭に自分でそう言い聞かせながら、さらに足を速めた。
◇
「……あ! カイト!!」
旅館に戻ると、アユ達はロビーに集合していた。
アユが俺に気付いてミノと共に駆け寄ってくる。
「どうだった?」
「土産売ってる辺りと高台は見てきた。なんにもなかったけど、高台の手すりが一カ所壊れてた」
「……決めつけるには弱いけど、無視するのは怖いね」
ミノは冷静に分析をしていた。
最悪の未来を想定しなければならない状況になってるって言うのが苦しかった。
「…………ん?」
「っ!?」
アユとミノに遅れてレイと紗霧ちゃんも俺に近付いてきたのだが、二人は何かに気付いて足を止めた。
「…………」
「うそ……!?」
「レイ? それに紗霧ちゃんもどうかしたのか?」
レイは焦った表情で冷や汗を流し、紗霧ちゃんは険しい表情を浮かべていた。
その二人の顔が俺の不安を加速させる。
「……カイトから匂いがする」
「匂い? なんのだよ」
「…………っ」
レイの顔がどんどん青ざめていく。
そんな顔しないでくれ、聞くのが怖くなるじゃないか。
だけど聞かなきゃならない。聞かない選択肢は無い。
「…………血の匂い」
「血!? 誰の…………」
レイは声を震わせ、怯える俺の問いに答えた。
「……ヒナタさんの血の匂い」
「…………どういう事だ」
信じられなかった。
いきなりわけのわからない事を言われて頭がパンクしそうだった。
「なぁどういう事だよ! ヒナの血の匂いってどういう事だ!? 俺はヒナとすれ違ってもいねえんだぞ!?」
俺は思わずレイの肩を掴んで詰め寄る。
信じられるわけ無いだろう。だって血だぞ、身体を流れる赤い血。外傷がなければ見ることは無いはずのもの。
流れた血がなければ匂いが残るはずもない。
「いいや、きっとすれ違っていたんだよ、神上生徒」
「っ……紗霧ちゃん?」
レイに詰め寄る俺の肩を叩き、代わりに説明したのは紗霧ちゃんだった。
「君達にはわからないだろう。しかし私達には、吸血霊鬼には一発でわかる」
「それは、つまり……」
「白銀生徒はどこかで重傷を負っていると見て間違いないだろうね」
紗霧ちゃんからの冷静な言葉に全身の力が抜け、その場に崩れ落ちた。
ヒナが重傷を負っている。だとすれば間違いなくあそこの高台だ。
バカか俺は。あの近くでヒナが苦しんでいたかもしれないのに、のこのこと帰ってきたっていうのか。
「お、俺は…………ヒナを探しに行かねえと!」
「待つんだ」
「待てるわけねえだろ!? 血の匂いが充満する程、高台まで漂う程の怪我してんだろ? こうしてる間に怪我が悪化したら……死んだらどうすんだよ!?!?」
「だから待てと言ってるだろう」
今にも飛び出そうとしている俺の腕を紗霧ちゃんは断固として離さなかった。
「すまないね、言い方が悪かった。白銀生徒が怪我をしているのは事実だ。ただ神上生徒が想像しているようにおびただしい程の出血をしているとは思えない」
「……なんでそう言える」
「強いのは血の匂いの方じゃない、吸血霊鬼の鼻の方なんだよ」
紗霧ちゃんは俺を落ち着かせる為に詳細に、かつ簡潔に説明した。
「白銀生徒は吸血霊鬼に何度も襲われた事がある。そうだね? それは白銀生徒が上質な血液を持つ人間だからだ」
「上質な血液……?」
「簡単に言えば吸血霊鬼にとってとても魅力的な血だと思ってくれればいい。高栄養素の高級フルコースの様なものだ。そしてそれは出血していなくても判別出来る程度にはわかるんだよ」
「だからヒナが何度も襲われた……って事か?」
「そうだ。そしてもし大量出血していたとしたら、それはここにいてもわかるだろう。さっき神上生徒が帰ってきてようやく、ふわっとだけ感じる事が出来たのはそういう事だ」
紗霧ちゃんの言葉を信じるなら確かに辻褄が合う。
今までヒナばかりが襲われた理由も納得がいった。
「でも、それならやっぱり俺がヒナの近くに居たってのは本当なんだろ!? 早く行かねえと……」
「はぁ……まったく、何度待てと言わせるつもりだね」
紗霧ちゃんは相変わらず俺の腕を離してくれない。
「もう外は暗い。そんな中でがむしゃらに探し回っても効率が悪いだろう」
「効率だと!? んな事考えてる場合じゃ……」
「私達に任せろ」
「っ!?」
紗霧ちゃんはそう言って視線をレイに向けた。
その視線に応えるようにレイも力強く頷く。
「レイカ君、匂いは追えるね?」
「大丈夫!」
「私は少しやらなきゃならないことがある、白銀生徒の方は任せるよ」
「わかった!」
レイの自信ある返事に紗霧ちゃんは少し微笑んだ。
「ただ、あたしはまだ自分の力を自由に使うの慣れてないから……カイト」
「あ……俺?」
「ほんのちょっとだけ、血を貰っていい?」
急に名前を呼ばれて驚いていると、レイに血を要求された。
珍しくも無い事だが、どうして今ここでそれを。
「血をやるのは構わない。でもどうしてだ? それに少しだけって」
「あのね、普通の時より血が欲しくなってる時のほうが血の匂いに敏感になるんだ。その方がヒナタさん早く見つかるかなって」
「……なるほど」
空腹の時に飯の匂いに敏感になるようなもんか。
その食欲を引き出そうって事か。わかりやすくて助かる。
「ほら」
俺は躊躇いなくレイの前に指を差し出した。
「麻酔は要らねぇ、早くやれ」
「……うん」
レイは俺の指先を咥え、いつもの麻酔をかける工程を省いて容赦なく噛み付いた。
「ぐっ……!」
鋭い痛みが指先に走る。麻酔無しの吸血はレイとの初対面以来か。
上等だ。今ヒナが感じてるだろう痛みを考えたらこの程度どうでもよかった。
「……ぷはっ」
ちょっとだけと言ったレイの言葉は本当で、ものの数秒で俺の指を離した。
「ありがとカイト。行ってくる!!」
「ヒナの事、頼んだぞ」
「まかせて!」
レイは力強い返事と共に、凄まじい勢いで床を蹴って旅館を飛び出していった。
吸血霊鬼の身体能力か、およそ人の速さではなかった。
「それじゃ私も行こう。っと、その前に神上生徒、その手貸してくれるかい?」
「え、これ?」
紗霧ちゃんは今レイに血を与えて、血が止まる前の手を指差して要求してきた。
「あむ……………………うん、これでよし」
紗霧ちゃんは俺の指を咥えると、あっという間に指先を止血してくれた。
「よかったのか? 俺の血ってクソまずいんじゃ……」
「一応保険医だからね、生徒の怪我を治すほうが最優先さ。私も本気を出すのに血をもらいたかった所だし。それに口直しのあてもあるしねぇ……んじゃ行ってくるよ」
そう言って紗霧ちゃんも旅館の出口に向かっていった。
口直しって何のことだろうか。
「……頼んだぞ、二人共」
二人の吸血霊鬼を見送り、ロビーにはただの人間三人が取り残された。
◇
「……おい、カイト」
今まで俺達の会話を黙って聞いていたアユが俺の名を呼ぶ。
その目には珍しく怒りの色が見えた。
「レイさん、吸血霊鬼なのか?」
「……ああ」
そうだよな、今の話を聞けば誰だって気付く。
記憶を消す余裕も無かったし、今回は誤魔化せそうにないか。
「ていうかレイカ君って紗霧ちゃんが呼んでたよな、名前も嘘なのか?」
「……そうだ」
「じゃあ何か? 俺とミノルを騙してたってことか?」
「……そうなる」
アユの声が小さく震える。
当然だ、友人だと思ってた相手に嘘つかれてたんだから。
「カイト、てめぇ……」
アユが俺の胸倉を掴み、眉間にしわを寄せて迫る。
数発は殴られるだろうか。そう思い歯を食いしばった。
「……俺達をあんま見くびんなよ」
「えっ……?」
「レイさんが……いや、レイカさんが吸血霊鬼だって知ったら俺達が嫌がるとでも思ったんだろ」
「……そりゃそうだろ」
紗霧ちゃんみたいに吸血霊鬼である事を公表した上で信頼されている人も居る。
でもそれは少数派だ、チカゲの事を考えれば吸血霊鬼が人だと偽って生活するのは当然なんだ。
貴重な友人を不安にさせたくないと思うのは当然の事だろ。
「チッ、いつもはぞんざいに扱う癖にこういう時ばっか真面目ぶりやがってよ」
「……アユ?」
「レイカさんがお前の家族で、お前の連れてきた子って事には変わらねーんだろ?」
「……ああ、レイは俺の家族だ」
「だったら! 俺達がカイトの家族を嫌うわけねーだろ!」
「っ!?」
アユは胸倉を掴んだまま、きっぱりと言い放った。
「もう少し周りを信じろ。カイトが考えてるよりも、周りの奴はお前の事信頼してんだぞ」
「……悪かった」
「おう、わかりゃいーんだよ」
そうか、こいつらはそういう奴だった。
元々愛想も良くない俺と好き好んでつるんでくれてる物好きな奴らだった。
そうだとわかってればレイに嘘をつかせる事も、アユ達に疎外感を感じさせる必要も無かったんだ。
それにこいつらはレイが吸血霊鬼だってわかっても言いふらすような奴じゃない。
「名前は吸血霊鬼の……しきたり? みたいなもんでまた別の理由で言えなかったんだ。レイの事は悪く思わないでくれ」
「へっ! 俺があんな可愛い子に詰め寄れるわけねーだろ!」
「……なんだいつものアユか」
「俺はいつも俺だよ!」
俺に言いたいことだけ言って、アユはいつものアユに戻った。
もしかしてこいつ、ヒナの事で不安になってた俺に気合い入れ直す為にやったのか?
いやアユの事をよく考えすぎか。
とはいえ、アユのおかげで俺もいつもの調子を取り戻せた気がする。勝手に感謝しておくとしよう。
「なんだ、アユムは殴らなかったんだ」
「「えっ」」
真面目な話も終わったかと言う所で、無言を貫いていたミノから不穏な言葉が掛けられる。
「てっきりアユムと僕の分で二発は行くと思ってたよ」
「えっと……ミノルさん?」
「アユムは許したみたいだけど、僕は許してないよ?」
「ミノ!?」
そう言うとミノは笑顔のままカツカツと俺に近寄ってきた。
怖い。笑顔なのに全然笑ってない。
そうだ、こういう時ミノは誰よりロックなんだ。草食系に見えて結構ガツンと来るタイプなんだ。
「アユムが殴らないなら僕が行くよ」
「待て待て待て待てミノル!? 今はカイトも色々疲れてるしさ!?」
「関係ないね。よくも騙してくれたねカイト、レイカちゃんにも嘘つかせて、歯を食いしばりな」
「うう……はい……」
「バカ受け入れんなカイト!?」
「アユムって変な所で真面目だよね」
「お前はもう少しカイトを労ってやれ!!」
ミノは拳を振り上げ、今にも俺に振り下ろそうとしている。
アユが必死に抑えていなかったらとっくに俺の顔面に叩きつけられていただろう。
「二度と友達に嘘つけない色男にしてやるからさ」
「覚悟の上です……」
「だからやめとけってミノル!! カイトも早く離れろや!!」
結局アユの必死の説得によってミノの拳が俺に届けられる事はなかった。
その代わりに、ヒナ達が無事帰ってきたら目一杯労ってやれと釘を差された。
もちろんだ。だから頼むヒナ、無事でいてくれ。俺の事はどれだけ罵ってくれても構わないから。
(ヒナ……)
またお前の元気な声を聞かせてくれ。




