第三十一話【家族×恋敵=自己嫌悪】
レイの暴走。それは間違いなく俺の安易な行動が原因だった。
自分の心に素直になる。それが一番の行動だと信じ、深く考えずに動いた結果がこれだ。
待っていたのは全員が不幸になる最悪の結末だった。
「カ、カイト? レイカさんも、なにやって……」
目の前の信じがたい光景を見ても、何とか言葉をひねり出したヒナ。
しかし俺は身体が、上半身は特に痺れが強く言葉を発する事は出来なかった。
一方レイもヒナの言葉に応える事は無かった。
「……ぷぁ」
「ッ!!?!?」
レイが俺からゆっくりと口を離し、二人の唇の間で唾液がアーチを描く。
その細い銀の橋をヒナに見せつける様に、レイの薄く開いた瞳がヒナに向けられた。
「ぁ…………」
ヒナは小さく悲鳴をあげると、踵を返して部屋を出て行ってしまった。
(ヒナ……)
レイにされるがままの俺にはヒナを呼び止める事も、レイを突き放す事も出来なかった。
身体が痺れているから、などと言う体のいい言い訳に甘えて。
きっと声を出せても、身体が動いても、今の俺に出来る事なんて何も思い付かなかったけど。
「…………ひぐっ」
「……?」
突然すすり泣く声が聞こえて、視線をレイに戻した。
「……うぁ、あぁ……っ」
レイは糸の切れた人形の様に、その場に崩れ落ちていた。
「あたし……あた、なんで……ぐすっ」
「…………」
レイに手を離され、支えを無くした俺の身体もずるずると壁伝いにへたり込む。
なんの偶然か、しゃがみ込んで嗚咽を漏らすレイの前に屈むような体勢に落ち着いた。
「あーらら、派手にやられたみたいだねぇ」
「…………!」
ヒナの物ではない別の声がして、なんとか首を向けた。
レイの様子を診てもらう為にヒナが呼んできてくれた紗霧ちゃんだ。
「ぁ……ぅ……」
「まあまあ、落ち着き給え神上生徒。慌てたって今の君には何も出来やしない」
必死に声を出そうともがくが、俺の喉はたいした音を鳴らしてはくれなかった。
紗霧ちゃんは一目見ただけで俺の状況を理解しているのか、俺とレイのすぐそばにしゃがみ込んだ。
「わかっているだろう? 吸血霊鬼の唾液の麻酔効果は十分もすれば切れると。見た所だいぶぶち込まれたみたいだが、ふむ……長くても十五分と言った所だろうよ」
そう言うと紗霧ちゃんはレイの背中をポンと叩き、壁にもたれかかったままの俺に押し付けた。
レイはされるがまま呆然としていた。
「とりあえず今はその痺れが取れるまでの間、レイカ君の止まり木にでもなってやる事だね」
「…………ん」
本当にそれでいいのか、考える事はいくらでもあった。
だが紗霧ちゃんの言う通り、いくら考えても今の俺には何も出来なかった。
「ぐすっ……うぁ……」
「…………」
ただ、俺に身体を預けるレイにほんの少しの温もりを分けてやるくらいしかできなかった。
◇
それから大体十五分後。
紗霧ちゃんの見立ては完璧で、もう身体の痺れは完璧に取れていた。
「……レイ」
十五分経った今も、レイは俺の胸に身体を預けたまま嗚咽を漏らしていた。
流しても流してもレイの涙はとめどなく溢れ続けていた。
「……どうしちまったんだよ、お前」
返事を期待した言葉では無かった。
ただ、言わずにはいられなかった。
ようやく動くようになった手でレイの頭を撫でながら、ぽつりとそう呟いた。
「神上生徒の身体は大丈夫そうだね。ならお姉さんは部屋に戻らせてもらうよ」
「は? いや待てって」
俺の痺れが取れた事を確認すると、紗霧ちゃんは薄情にも俺達の部屋を出て行こうと立ち上がった。
あまりの行動に声をかけるも止まる気はさらさら無さそうだった。
「待つ? 何を待つと言うんだね?」
「……いや、それは」
「今のお姉さんは生徒達の保護者であり保険医だ。その仕事内容に生徒同士の痴話げんかの仲裁は含まれていないと思うのだが?」
「……手厳しいな」
紗霧ちゃんの言う通りだ。
これは俺とレイ、ヒナの間で起こった問題だ。紗霧ちゃんに首を突っ込む義務はない。
もう少し言葉を選んでくれても良いんじゃねえかとは思うけど。
「……しかしまぁ、なんだ。神上生徒には冷たいスポーツドリンクを用意してもらった恩があるからねぇ」
「え?」
無理強いは出来ないと思った矢先に、そんな事を言いながら腕をこまねいて俺の隣にしゃがみ込んできた。
「それに以前、また悩んだら話を聞くと交わした約束もある。口を出すかはさておき、話ぐらいなら聞こうじゃないか」
「へぇ、結構優しい所あんだな」
「いいや? お姉さんはドライだよ。必要が無いと思えばしないし、関わりたくない相手の話は聞かない。お姉さんにこうさせたのは、ひとえに神上生徒の過去の行いさ」
「……そうかよ」
過去の俺の行いか。
ほんの少しだけ気が楽になったような気がした。
「……サンキュ、紗霧ちゃん」
俺は事の顛末を紗霧ちゃんに話した。
昨夜の俺の気持ちの動き、行動。それを見ていたレイの悩み、暴走。
答えてくれなくてもよかった。ただ、俺一人で抱えるにはあまりに重く、複雑な状況だったのだ。
「……つー訳なんだ、紗霧ちゃん……紗霧ちゃん?」
「あー…………」
特に何も返事が無かったので紗霧ちゃんの方を向くと、なんだかすごく気まずそうに冷や汗を流していた。
「まいったねぇ……なんと言ったらいいか、お姉さんの助言もちょっとばかし関係ありそうじゃないか」
紗霧ちゃんは顎に手を当ててどこか遠くを眺めていた。
「確かに、思ったまま行動しろってのは紗霧ちゃんのアドバイスだったけど……」
紗霧ちゃんはあくまで選択肢の一つを提示しただけ。
その選択肢を良しとしたのも、行動に移したのも俺の意思だ。
「そこに紗霧ちゃんが責任感じる必要はねえぞ」
「う、うーむ。そこまで重く受け止めている訳でも無いんだけれどね。実際にこじれてしまった現場を目の当たりにすると気まずくもなろうよ」
「そらそうか……」
紗霧ちゃんに責任は無いが、話を聞いてしまった以上無関係とも割り切れないだろう。
話を聞くと言ってくれたのは向こうだが、申し訳ない事をしたかもしれない。
「……しかしだね、この程度で済んでよかったかもしれないよ」
「……あ?」
紗霧ちゃんは真剣な表情に戻り、自らの指先をじっと見つめながら語った。
「二人の異性に好意を向けられる。その関係は神上生徒がどちらかを選んだ時終わりを迎える。遅かれ早かれ、いずれは訪れていた事だ」
「……ああ」
「ほんの少し傾いただけでここまでこじれるとは思っていなかったけどねぇ」
「…………ああ」
紗霧ちゃんはそう言うが、俺は心のどこかでこうなるんじゃないかって思っていたのかもしれない。
いや、こうなる可能性とその結論へ至る材料を持ち合わせていたのかもしれない。
特に今回の様に、俺がヒナを選んだ場合にレイが取りそうな行動が。
「……ぐすっ」
鼻をすするレイの頭を絶え間なく撫で続ける。
(なんで考えてやれなかったんだろうか)
レイは「居場所」に強く固執している。
かつて自分で壊してしまい、その罰として死すら受け入れていた「居場所」。
俺に手を差し伸べられ、再び手に入れる事が出来た「居場所」。
この「居場所」を再び失う事をどれだけ恐怖しているのか、考えなくてもわかる。
俺がわからなかったのは、レイの中でヒナの存在が俺の想像を超えて大きくなっていた事だ。
ヒナの幸せの為ならその「居場所」を手放す覚悟をするぐらい、レイはヒナの事も好きになっていた。いや、その献身を考えれば愛していたとすら言えるだろう。
(ああ、そうか……)
悪い事をしたら叱って、それ以上に心配してくれる相手。
レイにとってヒナは、二人目の家族だったのか。
恋敵であり、家族。
それでも今回は、やっぱり恋敵だと思ってしまったんだろう。
レイはまだ十四歳だ。それに普通の人間と違って学校に通って情緒を育んできた訳でも無い、長命種としての十四。まだまだ幼い年齢だ。
どれだけ強く願っても、覚悟をしても、ほんの少し心が揺さぶられれば思いも変わってしまう。
そういう危うい思いを抱えていたんだ。
「難儀な奴だな……」
ヒナの事が大切なレイ。
俺の事が大切なレイ。
そのどっちも間違いなくレイなんだ。
レイにとってどっちの自分を優先して行動するのが正しいかなんて、どこにも答えは無いし誰にもわからない。
だからお前はひとりで悩んで、悩んで、全部溢れちまったんだろ?
今になってようやくわかったよ。
「……寂しい思いさせてごめんな」
家族のレイ。
幼馴染のヒナ。
どっちが大切かわからない俺も、ずっと悩んでたからさ。
◇
俺の話を聞き終わると、紗霧ちゃんはこの部屋を後にした。
自分が居たらレイが話し辛い事もあるだろうって言って。
なんだかんだこういう所に、紗霧ちゃんの長年生きてきた大人な部分を感じる。
「……落ち着いたか?」
俺の腕の中でレイはまだ時折鼻をすすっている。
それでも最初に比べれば涙も止まり落ち着いてきたように見えるが。
「……だめ」
「だめかぁ」
だめならしょうがないよな。
俺は引き続きレイの頭を撫でた。
「……いいの?」
「いいって、何が」
「だめなあたしでも、かいとはこうやって撫でてくれるの?」
「なんだそれ」
変な事を聞かれても返事に困ってしまうだろ。
しかし、だめなあたしか。
「随分思う所があったみたいだな」
「…………うん」
「聞いてほしいか? 聞かないでほしいか?」
「…………」
レイが一人で抱えきれないと言うなら一緒に支えてやる。
レイが自分で解決したいと言うなら黙って寄り添ってやる。
「レイの好きにして良いんだ」
「……あたしの事、怒らないの?」
「説教は問題が全部片付いて、まだ必要だと思ったらだな」
そこまでレイの事を叱るつもりは無かったけど。
だって今回の騒動の原因、いつまでもどっちつかずだった俺と、レイを不安にさせた俺のせいだろ。
自分の事を棚に上げてレイを叱れるほど立派な人間じゃないんだ俺は。
「…………なら、聞いて?」
レイの両腕が俺の背中に回された。
さっきまでのレイと同一人物とは思えない程に弱く、か細い力で俺にしがみつく様に。
ひと時も離れたく無さそうに。
「…………あたし、ヒナタさんにやり返そうと思ったの。あたしが見た事」
「っ……え」
レイの言動からして、レイが見たと言うのは昨日俺がヒナタを抱き締めていた所だろう。
それを見て悲しくなったのはわかるのだが、やり返そうと言う言葉がレイの口から出てきて面食らってしまった。
「あたしとカイトがキスしてる所見せつけたら、ヒナタさんもあたしの気持ちわかるかなって……」
「えっと」
「耳を澄ませて、ヒナタさんの足音が聞こえてくるのに合わせて、カイトを押さえつけて……」
「あの」
「扉の前で思いっきりキスしてたら、どんな顔するかなって……」
「…………」
何も言葉が出てこなかった。
こんなレイを見るのは久しぶりだった。
何でも言う事を聞くと言われたら、真っ先に俺にマーキングをしてくるような。
俺とのつながりを少しでも強固なものにしたがる時のレイ。
俺の所有権を主張する様な行動をとるレイ。
普段のカラっとした印象とは正反対の、暗く重く冷たい感情がむき出しになったレイ。
「…………そうか」
きっとレイ本人に自覚は無い。
カラっとしている時も、じめっとしている時も、レイはただ自分の心に素直に行動しているだけなんだ。
ちょっと振れ幅がすごいだけで。
「それで、どうだったんだ」
「…………」
「してやった、いい気味だ、あたしの勝ちだ……なーんて思えてたら、そんな顔してねえだろ?」
レイの腕に力が込められる。
表情は酷く暗く、痛みに耐える様に目を細めている。
「……なんにも、嬉しくなかった」
「……うん」
「カイトとキスしたのに、ヒナタさんを出し抜けたのに、むしろ苦しかった」
「うん」
「ヒナタさんはもっと辛い思いしたのかなって考えたら、涙が止まらなくなっちゃった」
「……そうか」
相槌を打ちながら、休むことなくレイの頭を撫でる。
今のレイにはそれが必要だと確信していたから。
「あたし……なんであんなことしちゃったんだろ……」
自らの行いを振り返り、再びレイの瞳が揺れる。
「かいと……あたし……ヒナタさんに…………」
「ヒナに、どうしたい?」
「…………謝りたい。謝らなきゃ」
レイは涙をこらえ、はっきりとそう言った。
「……よくちゃんと言えたな」
やっぱりレイにとってのヒナは既にただの恋敵で片付けられる関係じゃないんだ。
やられたらやり返したくなって、やり過ぎたら申し訳なくなって、相手の事が心配になって謝りたくなって。
レイにとってのヒナは恋敵で、家族で、どうしようもないほどに大切な友達なんだ。
「許してもらえないかもしれないけど、それでも謝る」
そう決心したレイの顔からは、弱々しさが消え去っていた。
真っ赤に腫らした目尻には零れない様に耐える涙。
それでも下がりっぱなしだった眉はキリっと向きを変えていた。
「おう、ちゃんと見ててやる」
「うん……」
「安心しろ、殴り合いになったら数発は様子見ててやる」
「…………う、うん」
俺がふざけた事を言ったせいで、レイの顔がまた若干弱気になってしまった。
いや、内容はふざけてるように聞こえるかもしれないけど大事な事なんだ。男同士の喧嘩ならだが。
レイにとってヒナのパンチは怖いだろうけどな。
「……頑張れよ」
「……うん!」
レイはやりたい事がはっきりしたみたいだ。
後はヒナだが、あいつは今どうしているんだろうか。
レイがもう少し落ち着いたら、一緒に探しに行こう。
◇
「すぅ…………ふぅ……」
日が傾き始めた。
無我夢中で部屋を飛び出してから、どのくらい時間が経ったのだろう。
昨日はカイトとレイカさんと三人で景色を楽しんだ高台。
何をするでもなく、何時間もここで立ち尽くして、私は何をしているのだろう。
それだけの時間が経過しても、頭の中はまるで整理できていないと言うのに。
「……なんなのよ、もう」
それでも冷静さはいくらか取り戻せたか。
あの時の光景を思い返しても呼吸が乱れなくなった程度には。
「……なんなのよ、あの目」
カイトとレイカさんがキスをしていた。
唇が離れて、レイカさんは横目でじっと私を見つめていた。
まるで私の反応を窺うみたいに。
「………………きっついなぁ」
だめだ、やっぱりまだ全てを飲み込むには時間がかかる。
以前カイトの首元に大量のキスマークを確認した時はそれだけで涙が零れた。
レイカさんがカイトのファーストキスを奪ったって知った時は卒倒した。
普段の振る舞い程メンタルが強く無い事は自分が一番よくわかっていた。
弱い私は、キスの現場に鉢合わせたら耐えられなくなって逃げ出すらしい。
半日近く呆然と景色を眺めていても、頭から離れないらしい。
「……レイカさん、なんであんな事したんだろ」
私とレイカさんの出会いは、お世辞にも良い出会いとは言えなかった。
それでもカイトを挟んで一緒に過ごすうちに、少しは仲良くなれたと思っていたのに。
少なくとも私はそう思っていた。
元気で危なっかしくて、目が離せなくて。
妹が居たらこんな感じかなって思う事すらあった。レイカさんも最近は私に懐いてくれていた。
しかし、さっき私に向けられた目は、そんな相手に向けるものでは無かった。
敵。恋敵。恋路を邪魔する相手に向ける威嚇にさえ思える強い視線。
「なんて、私が言えた義理じゃないか……」
先に宣戦布告したのは私だ。どんな態度を取られた所でそれを咎める権利など私にはない。
なのにこんな気持ちになっていると言う事は、やはりレイカさんの事を信頼していたからだろうか。
「……レイカさん、カイト、何してるかな」
私の知るレイカさんなら、どうしているだろうか。
私に申し訳ないと思っているだろうか。それともカイトに叱られて私を探してるだろうか。
カイトはレイカさんに寄り添っているのだろうか。私を待ってくれているだろうか。
「……そろそろ戻ろ」
これ以上ここに居ても私の気持ちは癒えないだろう。
それに逃げたままでは何も進展しない。
レイカさんが何を考えていたにせよ、向き合わなければ何も進まない。
怖いけど、苦しいけど、もう一度顔を合わせるしかないんだ。
「……っと、あぶなっ!?」
この日差しの下、ろくに水分も取らずに何時間もいれは眩暈ぐらい起きるに決まっている。
立ち上がった途端に足元がふらつき、手すりに背を預けた。
「はぁ……」
自分の無計画さにため息が零れた。
しかしゆっくり計画する余裕があるなら部屋を飛び出してはいない。
「カイト……レイカさん……」
いつかは誰かが欠ける歪な関係かもしれないけれど。
せめて今は三人で笑顔を向け合っていたい。そんな事を考えるくらいには二人の事が大切なんだ。
その為に、お互いの気持ちをぶつけ合おう。今度は逃げずに向き合うんだ。
そう誓って私はオレンジに染まりつつある天を仰いだ。
「バキィッ!!!!!!!!」
「…………えっ?」
不意に視界が大きく回った。
私の身体を支えていた感覚がなくなり、両足が地面から離れる。
「うそ…………っ!?」
気付けば私が背を預けていた手すりは遠く手の届かない所まで遠ざかってしまった。
『レイ、あんま手すりに乗り出すなよ』
景色の全てがスローで流れゆく中、昨日のカイトの言葉が蘇る。
そうか、私の体重を支えていたのは、古くから残る修繕前の。
「…………ズザァァァァァッ!!!!」
何度も身体に打ち付けられる痛み。
身体の表面を無数に切り刻まれる痛み。
そして最後に強烈な痛み、鈍い音と共に、私は意識を手放した。




