第二十九話【非日常下での日課】
バカ共の思惑によって旅行中俺と同室となったヒナとレイ。
決定された時は散々暴れたが、時間が経つにつれて気心の知れた相手との同室に違和感を感じなくなってきていた。
この夏休みからヒナがちょくちょく俺の家に来ていたのもあって、この三人で行動を共にする事に対してはなんの抵抗も無くなっていたからだ。
だから旅館付近の街を歩くのも、観光地を巡るのも、同じ部屋で豪華な食事を囲むのも問題は無かった。
ただそれも、日が暮れ月が空を支配する頃になると、様々な問題点が浮き彫りになってきたのだ。
「カイト! 枕投げする!?」
両手に枕を持ってウッキウキなレイを、俺とヒナでやれやれと言った目で見つめる。
「しません」
「えー!? 楽しみにしてたのにー!」
「そう言うのは漫画やアニメの中だけだ、普通にあぶねーだろ」
「それにレイカさん、自分の力の強さをちゃんと把握してる?」
「う~……」
枕投げの反動で何か部屋の備品を壊してしまったら大変だし、なによりレイは吸血霊鬼だ。人の何倍も強い腕力で枕を放り投げられたらいくら柔らかい素材だとしてもダメージは免れないだろう。
レイも普段ならば力は制御できているが、楽しくなってヒートアップしたらその限りではない。
俺は嫌だぞ、枕に首の骨折られてお陀仏なんて。
レイも理解してくれたのか、悲しそうにしながらも枕を元に戻した。
(……それに)
俺は横目で隣に座るヒナを見た。
レイもヒナも旅館で貸し出している浴衣に身を包んでいる。
それ自体は俺もそうだしおかしい事ではない。おかしくは無いんだが。
『寝る時は下着着けないから……』
以前俺の部屋に泊まった時、ヒナが発した言葉が頭の中を反響していた。
あの時のヒナの言葉通りなのだとしたら、今この浴衣の下は何も着けていない事になる。
いや、流石に下は履いているかもしれないが、上は危険な可能性が高い。
一方レイは下着を着けている事の方が珍しい生き物だ。日中はアユやミノも居るから着けているだろうが、今は怪しい。かなり怪しい。
「ほらレイカさん、また浴衣ズレてる」
「うーん、上手く直せない……」
「もう、見てあげるからじっとしてて」
それにレイは動く。とても動く。
浴衣なんてお構いなしに動き回るし普段は俺のズボンばかり履いてるから、お淑やかに歩くなんて全くできない。
そのせいで浴衣の下半身部分がそういうスリットのスカートみたいになっていた。
「じゃないと、カイトにえっちな目で見られちゃうわよ」
「み、見てねーよ!」
そうなんですよ、見ちゃうんですよどうしても。
同じ部屋に防御の甘い格好した女の子が二人も居るとどうしても目で追っちゃうんです。
男の本能なんです俺にはどうしようもないんですわかってください。
(……ただ、これからはマジで一層気を強く持たねえと)
そう気を入れなおした。
先日、レイの過去の一件を清算した際にレイの本当の年齢を知る事となった。
なんと十四、俺より二個も下。人間なら中学生だ。
今までは最低でも年上だと思ってたからそういうラッキースケベもお得かと思っていたんだが、年下なら話は別だ。
まだ十四歳であるレイをえっちな目で見てはならない、それが俺の年上としてのプライドだった。
「わ、わわっ!」
「レイカさん危ない!」
「わぷぇっ!!」
「ああ……盛大にはだけちゃってもう」
だからお願い、もう少し、あと少しでいいから貞操観念を学んでくれ。
お前外見は既に成熟した大人の女性と大差ないんだから、ただの生殺しだから。
「えへへ……でも見られるのがカイトなら別にいいかなーって」
「ダメよ! そんなのズルいじゃない! 私だってカイトにアピールしたいのに!!」
「そういう問題じゃありません!!」
他人事みたいに言ってるけどヒナ、お前も大概だからな。
普通の女子高生はみだりに男子の手を胸に押し付けもしないし、ベッドにも潜り込まないし、下着姿を見せようともしないの。
その行為が向けられるのが俺だけだってわかってるからしつこく言わないだけだからな。俺が我慢すればいいだけだから。
「……とにかく、ちゃんと浴衣着てお淑やかにしてなさい。あと旅行中、特に部屋の中では必要以上に俺に近付かない事」
「「えーっ!?」」
「えーじゃありません、危ないんですからね。てかなんでヒナまで嫌がってんだよ」
後ろでぶーぶー抗議している二人を無視して、寝る為の布団を敷き詰める。
同じ部屋とは言え、布団は人数分ある。同じベッドの中に潜り込まれるよりはマシだろう。
などと思ってしまうのは、俺の方もだいぶ距離感を狂わされているのだろうか。
「おら、バカやってないでお前らも寝る用意しろ」
夜が続く限り俺の脳内にもどうしたって邪念が湧く。対策としてはさっさと寝るしかないのだ。
その為に、レイとヒナにも早く寝るよう促した。
これでひとまずは安全が訪れるだろう。
◇
「…………言ったよな、必要以上に近付くなって」
数分後、俺の考えがいかに甘かったかをわからされる事になった。
「だってぇ、まだ今日の分貰ってないもん」
レイはそう言って床に座る俺の足の上に跨り、覆い被さる様に肩に手を置いていた。
「そりゃみんなが居る前で血飲ませる訳にはいかなかっただろ」
「だから今欲しいの!」
「わかってる、レイにとっては必要な事だってのは俺もわかってんだ」
俺はもう一人、何故か俺の背後からしがみついているヒナに首を向ける。
「おめーは何やってんだ」
「…………何やってるんだろうね」
「ヒナがわからなくてどうすんだよ!!」
前からはレイがいつもの体勢で密着している。そこまではまだいい。
何故かそれに対抗する様にヒナが後ろから腕を回してガッツリ抱き着いて来たのだ。
「だって、レイカさんはカイトに抱き着けていいなあって……」
「レイにとってはこれも食事だ、生きる上で必要な行為なんだよ」
「わ、わかってる、けどぉ……」
ヒナも自分の行動に無理がある事は重々承知している様子だ。
俺としても強く拒絶する事が出来ない。何せ贔屓は良くないよなとヒナに言ったのは俺なのだから。
それでもだ。
「むにっ……」
レイより立派なものがずっと俺の背中に押し当てられてるんだよ。
前も後ろも美少女に密着されてるこの状況で。
「カイト……もういい?」
「あっ!? ああ、いつでもいいぞ」
ヒナの事ばかり考えていたらレイがそろそろ我慢の限界だった。
レイは俺の浴衣を緩め、肩から首筋にかけて露出させた。
「……失礼しまーす」
「おい待てェ! 失礼すんじゃねぇ!!」
なんかどさくさに紛れて反対側もはだけさせてる奴がいる。
「何やってんだお前! お前は血飲む必要ねえだろ!!」
「……無いよ、無いけどぉ……」
俺の左肩には、既に吸血準備としてレイが舌を這わせていた。
それを見たヒナが右肩にどんどん顔を近付けていた。
「舐めるだけ! 舐めるだけだから良いでしょ!?」
「良いわけあるか!! 自分の発言客観的に捉えられねえのか!?」
どうすんだよこれ、ヒナが明らかに正気じゃない。
(はっ……よく考えたらレイが俺から血を吸う所見るの、初めてなのか?)
どうしてここまでヒナが取り乱しているのかを考えている時、ひとつの気付きを得た。
ヒナはレイが俺からどうやって血を貰っているかを知識としては知っていたが、実際にその場に立ち会うのは今が初めてなのだ。
二人が初対面の時は未遂だったし、今までは流石に気まずいと思ってヒナが帰ってから血を飲ませていたから。
「ちゅっ、ちゅ、れろ……」
「ぐっ…………」
頭では理解していても、目の前で見るのとでは印象がまるで違う。だから慌てて自分も俺にしがみついてきた。そんな所だろうか。
今現在も俺の肩を舐め回しているレイを見て危機感を抱いているように見える。
「あのですねヒナさん、確かに今だけは引き分けになるかもしれませんが、レイは毎日こうやって血を吸っていますし、そもそもレイはこれをアプローチとして行ってはいないんですよ。あくまで食事の一環でして」
「わわわわわわわ、わかってるわよそんな事ッ!! あむっ!!」
「あっ!? お前!?」
俺の必死の説得も虚しく、レイと反対側の首筋にヒナの歯が食らいついた。
「あぐあぐ……」
「これが真面目で人望のあるクラス委員長の姿かよ……」
ただの人間であるヒナにもちろん牙は無い。本気で噛んでいる訳でも無いのでくすぐったいだけではあるのだが、今はむしろその方が危険と言うか。
いっそバカみたいに痛い方が邪念が振り払えてよかった気さえしてくる。
「じゃ、いただきまーふ……かぷ」
レイの方は麻酔が終わり、いつものように牙を立てて本格的に吸血が始まった。
「…………!!!」
「いたいいたいいたい」
「えっ!? ごめんカイト、痛かった!?」
「すまんレイ、お前の方は大丈夫だ気にするな」
ほら、お前が対抗して強く噛みつくからレイが心配しちゃっただろうが。
レイを安心させる為にいつもの様に吸血中のレイの頭をそっと撫でた。
「むぐむぐ! むぐぐ!」
「わーったよもう!」
言葉にすらなっていない抗議の念を送られた俺は反対側の肩に置かれたヒナの頭もポンポンと撫でた。
こうなったらヤケだ、満足するまで付き合ってやる。
さっきまで近すぎてヤバいと思ってたけど、ヒナの行動があまりにギャグ過ぎてそんな気分じゃなくなったから今の俺には余裕があった。
って言うかヒナ、こんなにバカな事する奴だったか?
『汗拭いてあげよっか。お腹とか、背中とか』
『……恥ずかしいけど、もしどうしても見たくなったら、二人きりの時に見せてあげてもいいよ……?』
『……レイカさんが寝た後でね』
『……コーヒー牛乳くらいなら、私でも飲めるんですけど?』
駅で集合してから今に至るまでのヒナの発言を思い返す。
今日一日通して過度なアプローチが多いと思っていたが、一体何がヒナをそうさせているのだろうか。
「ちぅーーっ……」
「んむぅーっ!」
「…………」
少なくとも、今のヒナには何を聞いても無駄だろう。
考えるのを諦めた俺は、二人が満足して俺を解放してくれるのをただただ待った。
◇
「…………まあ、こうなるような気はしてたよ」
先程俺が敷いた三組の布団。
二人が喧嘩にならない様に俺が真ん中に置かれるのは百歩譲ってわかる、理解できる。
「えへへぇ……かいとぉ~……すや……」
「…………」
そうなると、まあこいつらなら勝手に布団に入り込んでくる訳で。
俺の両腕を抱き枕の様にしてレイとヒナが密着していた。
「どうせならレイを挟んで寝たほうが寝心地良いんじゃねえかな、ひんやりして」
「私は涼しさを求めてる訳じゃないんだけど……」
「すやー……」
俺の左腕には幸せそうに寝息を立てるレイが引っ付いていた。
対するヒナは俺の右腕を抱いてる所までは一緒だが、どうにも落ち着かない様子だった。
この状況に関して言えばぐーすか寝てるレイの神経が太過ぎるとも思うけれど。
「……レイ、よく寝てるよな」
「そうね」
「レイさ、多分悩みが解決して今心が軽いんだと思う」
自分が殺してしまったと思っていたじいさんが生きていて、更に自分の事を許し心配までしてくれていた。
再会してきちんと和解した事でレイの心の暗雲が全て晴れたのだろう。
今日のレイも今まで見た中で一番楽しそうだった。旅行と言う非日常感も後押ししてるのかもしれないが。
「それも、ヒナが俺の背中を押してくれたおかげだよ」
俺はレイとじいさんを会わせるのを最後まで悩んでいた。
最終的にはレイに委ねたとはいえ、会わせようと思えたのはヒナが相談に乗ってくれたからだ。
「……何の事かしらね」
「おっと、そうだったな」
もっとも、相談の最中にレイの名前は一言も出していない。
それでも俺がレイの事を話しているのは気付いていただろうけど。
そのうえで力になってくれたのは、やはりヒナの優しさのおかげだ。
「……なあヒナ、今日はどうかしたのか?」
だから、ヒナにも悩みがあるのなら俺は力になりたかった。
今日のヒナは様子がおかしすぎる。それが悪い方向におかしいかどうかは断言できないが、冷静でないタイミングが多かったのは確かだろう。
レイも眠ってる事だし、聞き出すにはちょうどいいタイミングだと思った。
「……べつに、どうもしないけど」
「嘘つけや」
ヒナは拗ねたような口調で目を逸らす。
それでも両手はしっかり俺の腕を抱いたまま。
「じゃあ何か、俺の知ってるヒナはお天道様の下でも構わず発情するドスケベ女って事か?」
「はぁっ!?」
「いや待てよ? でもそれは前からそうだったな。んじゃやっぱりいつも通りって事……」
「ち、違う! 私ドスケベなんかじゃ……っ」
「しーっ」
段々声が大きくなっていくヒナに向かって人差し指を立てて静かにするようジェスチャーをする。
思うように腕が動かせなくて唇には届かないけど。
「レイが起きちゃうだろ」
「……どすけべじゃないもん」
「はいはい」
再び拗ねた様に俯くヒナ。
頭を撫でてやりたいが、それをさせないのはお前らなんだから勘弁してくれな。
「ドスケベじゃねえなら、なんで今日はそっち方面の誘惑が多かったんだよ。流石に自覚はあるよな?」
「…………んぅ」
やはり自覚はあるようだ。肯定はしたくないが否定も出来ない、そんな顔をしている。
「…………ちょっと焦ってたの」
「焦ってた?」
「うん」
ようやく素直になったのか、ヒナは小声で理由を話してくれた。
「最近のカイトはレイカさんについてあげる事が多かったでしょ?」
「あれは……」
「いいの。レイカさんが大変な時期だったってなんとなく察してたし、そこは私もちゃんとわかってるの」
確かにこの夏休み、ヒナの誕生日が終わってからはほとんどレイの事を考えていた気がする。
それほどレイにとっては大きな問題が降りかかってきていたから。
「わかってるんだけど……」
「……ヒナ?」
急に言葉を詰まらせるヒナ。
どうしたのだろうか、名前を呼んでみても反応が薄い。
「……ダメだ、言うの恥ずかしいなぁ」
焦りの理由を言い淀んだまま、どんどん顔を赤くしていった。
それは月明かりしか差し込まない薄暗い部屋の中でもぼんやりとわかる程で。
「大丈夫か?」
「大丈夫……って言うか、別に心配されるような理由でも無いの。ただ、ちょっとだけ……」
ヒナは再び言葉を詰まらせる。
しかし今回は唇を震わせながらも、ゆっくりと言葉をひねり出した。
「……ちょっとだけ、寂しかったなぁって思ったの」
まるで泣き出しそうな震えた声で、それだけを呟いた。
「……なるほどな」
「だから言ったでしょ、心配されるような理由じゃないって……」
「そうだな……」
俺がレイに引っ付いてた理由は頭では理解しているし、レイの事自体心配もしていた。
でもそれはそれとして追いついてこない感情もあったから、この旅行ですこし空回ってしまった。想定よりもギアを上げすぎてしまった。そんな所だろうか。
(あー、くっそ。どうしよ)
めちゃくちゃ可愛いな、こいつ。
「ヒナ、腕離してくれるか」
「え……」
俺に頼まれ、余計寂しそうにしながらも俺の腕を解放してくれた。
そんなヒナに背を向けて、レイの方へ身体を向ける。
「……かいと?」
背後からヒナのか細い声が聞こえる。
そんな声出さないでくれ、悪い様にはしないから。
「……ねえ、かい」
「そらよ」
「っ!?!?」
俺がレイの方に向いたのは、ヒナに腕を離してもらったのは、俺の腕にしがみついてるレイをそっと引き剥がす為だ。レイを起こさない様に。
両腕がフリーになった俺は再びヒナの方を向いてギュッと抱き締めてやった。
「あ、あのっ……かいと?」
いつになくたどたどしい話し方で俺の名を呼ぶヒナがまた可愛くて、抱き締める力が一層強くなる。
「悪かったな、ヒナ。いつも贔屓は良くないって言ってんのに、そんなに寂しい思いさせるぐらいレイに付きっきりになっちまって」
「…………ううん、だいじょぶ」
あーあ、こりゃダメかもしれん。声がどんどんたどたどしくなっていってる。
でももうちょっとだけ耐えてくれ、今はこうしたい気分なんだ。
「でもな、あれは特別。家族の大変な時に寄り添ってやっただけだから、その時の埋め合わせとかをしてやるつもりは無い」
「え? じゃあこれは……?」
「これ? これはまた別だよ」
俺は以前紗霧ちゃんに相談した時の事を思い出していた。
二人の女の子に告白されて思い悩んでいた時、紗霧ちゃんに言われた事を。
俺がどうするべきかなんて頭で考えるものじゃない、どうしたいかは後から勝手に付いて来るものだと。
今日のヒナはそれが実感できるほどに、可愛いなと思ってしまったんだ。
「……ただ俺が、ヒナの事抱き締めたくなっちゃったんだよ」
「へっ……!?」
レイとヒナ、ずっと二人を同じくらい大切に思っていた気持ちが。
二人の間で揺れ動いていた気持ちがあの一瞬、ほんの一瞬だけ。
明確にヒナに傾いていたんだ。
「だからこれも特別。レイには内緒な」
「……言えないよ、こんなの」
「それもそうだな」
戸惑いながらも、ヒナの両腕が俺の背中に回される。
いつもは照れ臭い行為も今はとても心地良くて、ヒナに返事をするかのように強く抱き締め返した。
「……かいと、私の事好きになってくれたの?」
「んー、まだわかんない」
「なにそれ、さいてー……」
俺も自分の言葉ながら最低な返事だと思う。
ヒナにはいつも酷い言葉ばかり返している気がするな。
「……でも、今はそれでいいや」
そんな言葉でも許してくれるヒナに甘えてしまうからなんだろうな。
だからこんな、女心を弄ぶクズ男の様な行動に出てしまったんだろう。
「……………………」
だから、俺の背後でレイの寝息が聞こえなくなっていた事に気が付かなかったんだろう。




