第二十六話【男女六人、目指せ温泉旅館】
「わりぃ、遅くなった!」
温泉旅行の出発当日。
俺はレイと共に大慌てで集合場所である最寄り駅へ辿り着いた。
「おせーぞカイト!」
「マジですまん! 普通に二度寝した!」
「ドアホ!!」
「まあまあ、集合時間丁度だからギリセーフかな」
大量の汗を流す俺を容赦なくしかり飛ばすアユと、情けを掛けてくれるミノが俺達を迎えてくれた。
「もー、事故とかじゃなくてよかったよ。汗拭くからこっち来て」
「いや自分で拭くから……」
「いいから来なさい!」
アユ、ミノと共に集合場所で待っていたヒナがハンカチを片手に俺の傍に駆け寄る。
世話を焼いてくれるのはありがたいんだが、人目がある所では少し、というかかなり恥ずかしい。
「朝からお熱い事だねぇ」
「僕達には見慣れたもんだけどね」
「だな。逆にこちらさんは見慣れねー訳だけど……」
ヒナの振る舞いはアユとミノにとっては既に珍しいものでは無いらしく、二人の視線は俺ではなく後ろのレイに向けられていた。
「わっ、えっと……」
デートの日の反省を踏まえ日差し対策に被っている麦わら帽子を両手で掴み、恥ずかしそうにもじもじとしているレイ。
ちらっと俺の方を向いたので小さく頷いて返すと、レイは二人に自己紹介を行った。
「……あ、あたし、神上怜です! カイトの従兄妹で今は一緒に住んでます! 今日は誘ってくれてありがとうございます!」
レイはそう言ってぺこりと頭を下げた。
レイが今名乗った名前、神上怜は以前ヒナを誤魔化すために俺が咄嗟に思いついた偽名だ。
レイは吸血霊鬼だ。自分から本名を明かす訳にはいかない。とは言えこの場で俺から名前を教えるのは妙な文脈が生まれるし、レイの大事な本名をペラペラ話すのも良くないと思った為偽名を伝える事にした。
アユとミノに嘘をつくのは引っかかりもするが、俺がチカゲに聞いたのも偽名だったし、吸血霊鬼が人に偽名を伝えるのは当たり前らしいから割り切るとしよう。
むしろ初対面の俺に本名を教えたレイがイレギュラーなんだ。
「か、かわい……おっほん!! 俺は大空歩だ! よろしくお願いしまーす!!」
「僕は畑中実です。好きに呼んでね」
一瞬レイに見惚れた後に元気よく返事をしたアユと、落ち着いた口調でニコっと返すミノ。
「じゃ、じゃあアユムくんとミノルくん……って呼んでもいいかな?」
「ッ!!!!!!!!!」
「おー……」
自己紹介の為に一度外した麦わら帽子を胸に抱いて、伏し目がちにそう訊ねてみたレイに対し、アユとミノはそれぞれ違った反応を示した。
っていうかアユ、お前その顔はもしかして覚えてないのか?
「も、もちろん良いぜレイちゃ……レイさん!!」
「僕もそれでいいよ。よろしく、レイちゃん」
「うんっ!」
二人が良い奴な事に気付いたのか、レイの顔からは緊張の色が消え、いつもの無邪気な笑顔が戻ってきた。
そしてその笑顔にやられた奴が一人。
「ぐっ、なんだこの胸のときめきは……」
アユが胸を押さえて苦しんでいた。
「アユム、わかってると思うけど」
「言うなミノル! わかってる、わかってるさ……」
アユを宥めようとしているミノ。
そうか、この二人はレイとヒナがスーパーで俺を取り合っている所を見ているから、レイの気持ちが俺に向いている事を知っているんだ。
知っていてなおときめいてしまうレイのビジュアル、やはり魔性の女か。
「……ちょんちょん」
「ん?」
自己紹介し合う三人を眺めていると、背後からヒナに肩をつつかれる。
「なんだよヒナ」
ヒナが何か言いたげなので少し頭を下げてやった。
ヒナは俺の耳に近付くと、少し意地悪な声で囁いた。
「……神上陽向でーす」
「~~~~っ!?」
バカな事を囁くヒナから思わず距離を取る。
「…………ああ、なるほど。本当にお前は……」
突発的なヒナの行動に一瞬困惑しながらも、実は俺絡みで変な事をしている時のヒナの考えはいつもすぐに思い至る。
「本当に負けず嫌いだな、お前」
「だってズルいじゃない、レイカさ……こほん、レイさんだけ神上を名乗っていいなんて」
「……そう、かな」
すっとぼけてみたがヒナの言いたい事はわかる。
同じ苗字を名乗ると言う事は、すなわち家族の証な訳で。
同じ血が流れていない人間同士が同じ苗字を名乗ると言う事は、つまりそう言う事だ。
「ねえ、カイト」
「んだよ」
「……想像した?」
「うるせえな……」
はい、想像しました。
俺の隣で神上陽向を名乗っているヒナの姿を。
「本当にくれてもいいんだよ、カイトの苗字」
「……言ってろ」
ヒナとのデートの日から再確認した事がある。
こいつ、学校では優等生で通ってる癖に俺を落とす為には不意打ち飛び道具色仕掛け等マジで手段を択ばない。
ちょっとでも俺がその気になりそうな事はなんだって試しやがる。
「顔赤いよ?」
「暑いんだよ」
「汗拭いてあげよっか。お腹とか、背中とか」
「遠慮するよ」
「ふふっ、ざーんねん」
俺をからかいながら小悪魔の様に微笑むヒナ。
もしヒナが本当に神上を名乗る様になったら、こんな風に甲斐甲斐しく世話してくれるんだろうか。
何を考えているんだ俺は。これもヒナの術中か、策士な事で。
ヒナにこうやってからかわれる事に心地良さを感じ始めているのもこいつの影響なのだろうか。
◇
「しかし本当に暑いな……早いとこ駅入ろうぜ」
「誰を待ってて外に居たと思ってんだ」
「うっ、それを言われると……」
弱音を吐いているとアユに痛い所をつかれてしまった。
い、いいじゃないか。なんとか時間には間に合っていたんだから。
「そう言えば、あの人ももう来てるよ。暑いって言って中で待ってるけど」
「姿が見えねえと思ったら中に居たのか」
暑くて駅に入ろうとする俺にヒナがそう教えてくれた。
アユが引き当てた温泉旅行券は六枚。今この場には五人しかない。
最後の一人、レイが提案した人物は涼しい駅の中で快適に待っている様だ。
「まあ無理ないよなぁ。迎えに行こうか」
俺達は日差しが照り付ける屋外から退避する為、冷房の効いた駅内部に足を踏み入れた。
「い、いやはや~……ようやく来たんだねぇ神上生徒。お姉さん、もう少しで干からびる所だったよ~……」
駅に入ると、中の椅子でうなだれている怪しげな女性に声を掛けられる。
深めの帽子に真っ黒なサングラス。夜中に遭遇したら不審者として通報してしまうかもしれない。
そう思う程には昼間でも不審者だった。
「紗霧ちゃん、大変そうだな……」
「は、はは……吸血霊鬼にこの気温はこたえるよ。レイ君は偉いねぇ……」
レイとのデートの日、レイは外に出て数分で地獄の熱気にダウンしていた。その経験のおかげで今日は暑さ対策ばっちりな訳だが。
周りに配慮してるのか、紗霧ちゃんは小声でレイに訊ねた。
「カイトがいっぱい準備してくれたからそんなに苦しくないよ」
「それは何よりだ。神上生徒は見かけによらず優しいからねぇ……」
「小言の一つでも言ってやろうかと思ったけど、マジで辛そうだから勘弁してやるよ」
「ふ、ふふ……お気遣い痛み入るよ……」
俺に素直に心配されて再び椅子にもたれる紗霧ちゃん。
俺が用意したとはいえレイですらちゃんと暑さ対策していると言うのに、紗霧ちゃんは完全にダウンしている。
普段からエアコン完備の保健室で生活しているから日本の夏を甘く見ていたのだろうか。長生きの癖に変な所が現代人らしい人だ。
「紗霧ちゃ~ん、まだ復活しないのか~?」
心配そうな顔を覗かせてアユとミノ、ヒナも近くに寄る。
「先生、僕達の監督の為に付いて来てくれたって聞きましたけど、もしかして結構無理してますか?」
紗霧ちゃんを誘ったのは実際にはレイだが、紗霧ちゃんとの関係がある学外の人間となるとレイが吸血霊鬼である事がバレかねない為、二人には俺とヒナで保護者として誘ったと言う事になっている。
「大空生徒に畑中生徒も心配ご無用……とかっこよく言える程余裕はないけどねぇ。無理している以上にお姉さんも楽しみなのさ、この温泉旅行がね」
そう言って紗霧ちゃんは俺とレイ、ヒナの居る方へ視線を向ける。
「それに可愛い生徒の頼みだ。保健室の住人ではあるが、教師として断る訳にはいかないだろう?」
「わざわざありがとな、紗霧ちゃん」
「……感謝しています。逆月先生」
額に汗を輝かせながら、こちらに笑顔を向けてくれる紗霧ちゃんに素直に感謝する俺。素直にありがとうとは言えないが感謝も忘れていないヒナ。
「紗霧ちゃんありがとう!!」
そして元気よく感謝を伝えるレイ。
「「「「あっ」」」」
同時に声を上げる俺、レイ、ヒナ、紗霧ちゃん。
「うん? レイさん今紗霧ちゃんって呼んだ?」
「レイちゃんも逆月先生の事知ってるの?」
「えっ!? あっ、えーっと!」
レイの態度を不審がるアユとミノに何とか誤魔化すために言葉を探すレイだったが、こういう時の咄嗟の判断をレイはとても苦手としている。
「……むん!」
助け舟を出してやろうかと思っていると、何やらレイが気合を入れた様子でアユとミノの顔を交互に覗き込んだ。
「……な、なんのこと!?」
「いや何の事って言うか今……あれ?」
「僕達今何を不思議がってたんだっけ……」
「ごめんなレイさん、変な事聞いちまって」
「ううん、大丈夫! 気にしないで!」
するとアユとミノは急にレイを不審がるのをやめ、何事も無かったかのように紗霧ちゃんの介護に向かった。
「…………レイ」
「な、なにかなー……?」
俺とヒナでじっとレイを見つめる。
レイは一切目を合わせようとしない。
「……お前今、あいつらの記憶弄ったろ」
「……ひゅ~、ふしゅ~」
俺が詰め寄ると、レイはヘッタクソな口笛を吹いて誤魔化したつもりになっている。
あんなに急に人の態度が変わる訳が無い。自分が何をしていたのか忘れない限り。
先程レイがアユとミノの顔をじっと見つめていたのも、やらかした記憶を消すために視線を合わせていたのだろう。
「はぁ……本当に便利な事で」
「ごめんなさい……」
「人の記憶をそう易々と消すのは褒められた事じゃないわよ」
「はい……」
「まあ変に疑われるよりはいいけどな」
俺とヒナに叱られ、素直に反省するレイ。
ヒナが厳しく叱っているし、俺は程々でいいだろう。
こいつら初対面はあんなに鬼気迫る状況だったって言うのに、今となっちゃ三人合わせて家族みたいな空気になっている気がする。
ちゃんと悪い事は悪いと言って叱ってやるヒナもそうだが、素直に聞いているレイもレイで。
(なんか……)
レイを叱ってるヒナ、母親みたいだな。
ヒナも将来子供が出来たらこんな感じで叱るのだろうか。
こうやってヒナが厳しくして、その後に俺が代わりに甘やかしてやって。
「スパァァァン!!!」
「わっ!?」
「きゃっ!! な、何!?」
俺、今何考えてた。
なんで俺とヒナが同じ子供を育ててる前提なんだよ。
邪念を振り払うために両頬を思い切り叩いた。
「な、何やってるのよカイト!? ほっぺ真っ赤になってるじゃない!!」
「暑いんだよ」
「今明らかにスパンって聞こえたけど!?」
ヒリヒリする頬に冷房の風を感じながら、冷静になった頭で天を仰いだ。
これもさっきヒナが余計な事を言ったせいだ、そうに違いない。
なーにが神上陽向だ、バカ野郎。
あんまり痛い妄想をするもんじゃねえよ、ヒナも、俺も。
(……ただ)
想像してしまった、三人で賑やかに暮らす未来も。
俺がレイとヒナ、どちらかを選んだ瞬間に叶わなくなるありえない未来を。
俺とヒナ、そしてレイ。いつまでも三人で居られたらいいのにな。
◇
その後も駅の中で駄弁っていると、まもなく俺達の乗車する電車が到着すると言うアナウンスが駅に響いた。
「紗霧ちゃん、そろそろ電車来るぜ」
「肩貸しましょうか?」
「助かるねぇ……けど大丈夫さ。それに電車に入ってしまえばもっと冷房が利いているからね……」
アユとミノのお優しい言葉に感謝しつつも自力で立ち上がる紗霧ちゃん。
駅の内部は冷房が利いているとはいえ、ホームと繋がっている為どうしたって冷え切る事は無い。
一方電車の内部は走行中は密室になるうえに狭い。冷房の利きも段違いだろう。
ただ、その発言が数百歳の人物から出たと言うのが何とも不思議な話だ。誰より現代人の思考だろ、この大人。
「そういや紗霧ちゃんって温泉は大丈夫なのか? 普通の風呂は大丈夫だと思うけど」
「おんやぁ? 神上生徒はお姉さんの入浴姿に興味がおありかな?」
「いや、毛ほどもねぇけど」
「つれないねぇ」
本音を言えば俺は紗霧ちゃんの素顔を知っているし、ありえないレベルの美人なのも知っている。そんな相手の入浴姿は気にならないと言えば嘘にはなる。
しかし俺はそんな事が気になって質問したわけじゃない。
「吸血霊鬼って海やプール苦手だろ? 温泉はいいのかよって思って」
吸血霊鬼の弱点の中に、長時間日光にさらされた水と言うものがある。
吸血霊鬼の身体に与える影響は水の純度、そして日に当てられた時間の長さに比例すると言う。
海や屋外のプールは水の純度が高いとは言えないが、その代わりに一年中日に当たり続けている。その為水を用いた公共施設には近寄らないのが普通らしい。
レイを見ていれば家庭の浴槽程度は何ともないのはわかるのだが、温泉はどうなのだろうと思った。
厳密には紗霧ちゃんではなくレイの心配だが。
「問題ないさ。知っての通り温泉もさして純度の高いものではない。流石に露天風呂は遠慮させてもらうつもりだが……」
「……あん?」
紗霧ちゃんは何故かニヤニヤしながら俺に耳打ちしてきた。
「……白銀生徒が露天風呂に向かったタイミングでこちらから声をかけてあげるぐらいは出来るぞぉ?」
「…………」
下卑た笑みを浮かべる金色の毛玉に心底呆れた視線を向ける。
こいつはこれでも一応教師だろ、生徒の裸を生徒に覗かせる手伝いをしようとするなよ。
「逆月先生?」
「ビクゥッ!?」
ジャララっと、手首に純銀のチェーンと十字架を巻き付けたヒナが紗霧ちゃんの背後から忍び寄る。
ヒナはとても素敵な笑顔を浮かべていた。ひとつも楽しそうじゃなかったが。
「おっと急に寒気が……お姉さんは先に電車に乗っているよ!!」
それだけ言い残して紗霧ちゃんはさっさと電車へ逃げて行った。
続く様に他の皆も乗車していく。
「まったく……どうしてあの人はいつもいつも」
ぷりぷりと文句を言いながら、十字架を首からかけ直すヒナを見て思わず微笑む。
「ふっ……ヒナの前でもいつもあんな調子なのか?」
「すぐからかうのよ、私相手でも」
「怖いものねーのかよ、あの教師」
ヒナはプロの退魔師ではないとはいえ、近所の吸血霊鬼関連の相談を受ける程度には実力者だ。
そのヒナ相手にからかう余裕がある辺り、大物だと感心するべきか。
それとも教師相手に本当に痛い目に遭わせた事は無いヒナが大人なのか。
「失礼しちゃうわよね、でも……」
「……その流れででもって続けるな」
ヒナもヒナで妙な笑みを浮かべ俺に近付いてくる。
嫌な予感がして牽制はしたものの、止まる気配がない。
ヒナは少し背伸びして、紗霧ちゃんと同じ様に俺に耳打ちした。
「……恥ずかしいけど、もしどうしても見たくなったら、二人きりの時に見せてあげてもいいよ……?」
「っ……だからぁ!!」
俺に文句を言われる前にヒナも電車内へ逃げて行ってしまった。
「……本当にさぁ」
紗霧ちゃんと言い、ヒナと言い、健全な男子高校生の劣情を煽る真似はよしてくれよ。
まだ始まってすらいねえんだぞ、温泉旅行。
「カイト~? 置いてかれんぞ~」
「……今行く」
いつも通りのアユの言葉がとても染みた。
俺はこれからの温泉旅行でどんなイベントが待ち受けているのか想像しながら、出発直前の電車に乗車した。




