第十九話【鬼咲麗華(キサキ=レイカ)・零】
「あたし…………人を、殺しちゃったんだ」
見た事ないほどに怯え、震え、それでも勇気を出して自分の過去を俺に話してくれたレイ。
その第一声は、一人の女の子が背負うにはあまりに重く、酷く冷たい明確な罪だった。
「…………」
「……カイト?」
「なんだ?」
「もう少し……驚くと思ってた」
「驚いてるぞ、予想よりも重そうな話題だなって」
レイにはそう言ったが、確かに俺は落ち着いていた。身近な人間が人を害した罪を告白した時のリアクションとしては淡白な物だっただろう。
理由はひとつ。
(なんとなくだが、そんな気はしてたんだよな)
レイを人殺しの魔族だと思っていた訳じゃない。
俺が初めてレイと会った時、飢餓状態のレイに意識がなくなるまで血を吸われた。
その後俺が目覚めた時、最初に聞いたのはレイの悲痛な叫びだったんだ。
『やだやだ……お願い、死なないで……ごめんなさい……ひとりにしないでぇ……』
死なないでなんて言葉は、誰かと死に別れた経験が無いと咄嗟に出るもんじゃない。
ひとりにしないでなんて言葉は、人との繋がりを失った奴じゃないと願わない。
人を殺して何とも思わないような奴は、会ったばかりの相手に泣きながら何かを希ったりしない。
だから俺は、レイは誰かの死に触れた事があると予想していたんだ。
予想外だったのは一個だけ。
(レイ自身が殺したとは思ってなかったけどな……)
こんなに幼く、無邪気で、それでいて怖がりなレイが人を殺せるわけない。きっと何か理由があるんだろう。
そしてそれは今からレイが話してくれるはずだ。俺が耳を傾けている限り。
「カイ……っ?」
俺の手を握ったままのレイの手を、強く握り返した。
続きを聞く意思を示す為に。
逃げたりなんかしないと示す為に。
「聞かせてくれよ、続き」
ショックが無かったわけじゃない。
だけどその程度の事、レイの手を離す理由にはならない。そう思っただけだ。
「……うん」
レイは少しだけ安心した様子で微笑んだ。
「……じゃああたしも、お父さんとお母さんの事から話そうかな」
レイは先程の俺と同じ様に、天井を見つめてぽつぽつと語り始めた。
◇
「あたしのお父さんとお母さんは、あたしが小さい時に居なくなっちゃったの」
「居なくなった?」
「うん。その時のあたしは本当に小さかったから、よくわからなかったんだけど、きっと死んじゃったんだと思う」
「なんだか、曖昧だな」
「ほら、カイトは吸血霊鬼が弱るとどうなるか見た事あるでしょ?」
「ああ…………そう言う事か」
吸血霊鬼は姿を消せる。それは自分の意思で行えるが、死に瀕した時は制御が出来なくなる。
つまり吸血霊鬼は死に際、みんな人の目に映らなくなると言う事。
命を落とした吸血霊鬼は誰の目にも留まらず、最期は透明になったまま灰になって散らばると言う。
「お母さんは身体が弱くて、健康な人の血がたくさん必要だったんだって。それでお父さんが人を呼ぼうとしたんだけど、血をくれる人なんてなかなか見つからなくって。悪い事だけど、無理やり人を攫おうとしたの」
「じゃあ、レイの親父さんってもしかして……」
「うん。そのまま帰ってこなかった」
吸血霊鬼が同意なく人を襲う事は法律で禁じられている。人と吸血霊鬼の身体能力の差では自衛する事も困難だからだ。
だから吸血霊鬼は人を襲った瞬間魔族とみなされる。襲われた人が悲鳴の一つでもあげれば、その相手はたちまち退魔師の執行対象だ。
レイの父親も、おそらくはそう言った道を辿ったのだろう。
「お父さんが帰ってこなくて、お母さんもどんどん具合が悪くなって。気付いたら二人共居なくなってたの」
そう語りながら、レイは懐かしむ様に俺の母の絵を眺めた。
「あたしが最後に見たお母さんも、こんな顔をしてたんだぁ……さっきはそれを思い出しちゃって」
「それで寂しそうにしてたのか」
「うん……」
俺には母との思い出が無い。レイにはそれがある。
初めから無いものはそれが普通だと思って生きていけるが、あるはずだった繋がりを失ったものの悲しみはどれ程の物なのだろう。
娘にこんな優しい顔を向ける母親だ、レイとも仲の良い親子だったんだろう。
魔族に堕ちてでも家族を助けようとした父親だって、褒められたものでは無いかもしれないが愛情は本物なはずだ。
「いい両親だったんだな」
手段や結果はどうあれ、この言葉が真実なはずだ。
他でもない遺された娘が、こんなに思っているのだから。
「でもよ、それが何でさっきの話に繋がるんだ?」
話を聞いた限り、レイの父親は退魔師の手によって裁かれ、母親は病死だ。
いくら幼い自分を無力に思っても、それで自分が殺したと言う事にはならないだろう。
「うん……じゃあ、続けるね」
レイの表情が、ほんの少しだけ重くなった。
「お母さんは具合が悪かったからさ、代わりにあたしの面倒を見てくれてる人が居たの。近所に住んでたおじいちゃん。あたしが吸血霊鬼だって知っても同じ様に可愛がってくれたの」
「ほう。随分人のいいじいさんだな」
人は自分の手に負えないものを恐れる生き物だ。
老いた体で吸血霊鬼の面倒を見るなんて、相当の覚悟があったか、それとも怖いもの知らずの無敵のじいさんだったか。
「優しい人だったよ。家にはお手伝いさんも居て、広い所に住んでたんだ。だからあたしが一人になっちゃった時、一緒に来るかいって言ってくれたの」
これはまた、落ちてた吸血霊鬼を拾うなんてとんだ物好きも居たもんだ。
「それからあたしはおじいちゃんの家でお世話になる事になったの。おじいちゃん以外にもお手伝いさんが血をくれたりして、代わりにあたしもお手伝い頑張ったりして。一緒に生活してたんだ」
「だから一通りの家事覚えてたのか?」
「えへへ……うん。お手伝いさんの先輩に教えてもらった」
道理で家事の苦手そうなレイに家事スキルが身に付いている訳だ。
しかも裕福な家の手伝いに来るような人って事はちゃんとプロの仕事のはず。教えるのも上手そうだ。
「………………っ」
「レイ?」
ここまで声のトーンは低くても、順調に語っていたレイの口がぴたりと止まった。
「……っぐ」
「……あっ!!」
俺の手に込められていた力も急激に増す。
手の骨がミシミシと悲鳴をあげ、俺が声を漏らしたところでようやくレイも気が付いた。
「ご、ごめんね! 痛かったよね……」
「大丈夫だ。そんな顔すんな」
「でも……」
「辛い話させてんのは俺なんだから、これ以上気負わなくていいんだっての」
咄嗟に手を離したレイの手を握り返す。
「俺の事はいいから、続けてくれ。もちろんレイのペースでいいから」
「…………わかった」
レイは再び俺の手を、たどたどしく握り返した。
「……ある日、いつもみたいに誰かに血を貰おうとしたの。でもその日はみんな忙しくて、あたしに構ってる暇なかったんだ」
複数人の手伝いがみんな忙しくする日か。一般人からしたら想像もつかないが、何年も一緒に暮らしてればそういう日もあったりするんだろう。
「仕方がないから普通のご飯食べて我慢しようかなって思ってたの。そしたらおじいちゃんがあたしを呼んで、こんなじいさんので良ければ飲んでいいぞって言ってくれたの」
「本当に優しいじいさんだな」
「…………でも、それが間違いだったの」
「…………」
レイの声が一気に低くなる。
今まで少しは懐かしんだり、無理やりにでも出来ていた笑顔が、レイの顔から完全に消えた。
「あたしはいつもお手伝いさんから貰ってるくらい血を貰った。いつも通り血を吸って、傷を塞いで、おじいちゃんありがとうって言おうとした。でも、あたしがおじいちゃんの首元から顔を離した時…………」
レイが唇を強く噛み締める。
じんわりと血が滲む程に塞がれた口が再び開いて、紡いだ言葉はとても冷たかった。
「……おじいちゃん、もう動かなくなってたの」
「…………」
「おじいちゃんから血を貰うのは初めてじゃなかった。でもあたし知らなかったの、成長して血を飲む量がどれくらい増えてたのか。知らなかったの、おじいちゃんが前からどれくらい歳を取ってたのか。知らなかったの……それがおじいちゃんにとってどれだけ危ないか……」
「…………レイ」
「すぐにお手伝いさんたちを呼んだ。みんな慌てて、青ざめて、あたしを見て言ったの。「恩知らず」「人殺し」「化け物」って」
「レイ」
「ちがう、あたし化け物じゃない! 恩知らずじゃない! あたしはただ、お腹がすいてて……でもみんな、みんなみんなあたしを睨んで、怒鳴って、押さえつけて、怖くて……それでっ!!」
「レイ!!!!!!」
だんだんパニックになっていくレイを思いきり抱き締めた。
ガタガタと震えて、身体は酷く冷え切って。血の気なんて感じられないぐらい青い顔をしていて。
せっかく整えた髪もぐしゃぐしゃにしながら、か細い声で呟いた。
「……みんなの記憶を消して、逃げたの」
「…………」
それ以上、レイは何も言わなかった。
そのまま震えが収まるまで、呼吸が落ち着くまで、レイを抱き締め続けた。
◇
「カイト……あたし……」
「何も言わなくていい。悪かった」
ここまで取り乱すと思ってなかった。
ここまで重い過去を抱えてると思わなかった。
でもレイは震えながら、全部を俺に話してくれた。
おかげで俺は、レイの事をより深く知る事が出来た。
どうしてレイはあんなに「居場所」に固執していたのか。
かつての居場所を自分で壊してしまったからだ。
どうしてレイは一人で死にかけていたのか。
もう誰もレイを助ける人が居なかったからだ。
どうしてレイは自分の事を、あのまま死んでも仕方ないと思っていたのか。
そう思うだけの罪の意識がレイの中にあったからだ。
レイに抱いていた疑問は全て晴れた。
せめてもの感謝の気持ちだ。俺はレイを抱き締めながら伝えた。
「レイ。お前のじいさんの件は事故だ。いろんな不幸が重なっただけ。お前ひとりで抱え込むべき罪じゃない」
「でも、でもあたしは……」
「うるせぇ黙ってろ。話を聞いて俺がそう思ったんだ。俺の出した結論に口出しすんな」
「……信じてくれるの?」
「そう「お願い」しただろ」
レイの「お願い」は何でも聞く。
レイが信じろと言うなら全て信じる。
「レイ、お前は人殺しじゃない」
「かい、と…………」
ぽた、ぽた、と俺の肩が濡れる。
「かい……う、ぐすっ……」
耳元で聞こえるレイの声がだんだん鼻声になっていく。
「ひぐっ……うわあぁぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁん!!!!!!!!!」
そして、我慢の限界を超えたレイは大きな声で泣いた。
「わぁぁぁぁぁぁぁあああん!!!! ごめんなさいっ、ごめんなさいぃぃっ!!!!」
泣きながらレイは、俺に向かって何度も謝罪した。
レイが抱えていたものを降ろす様に、何度も何度も謝罪した。
レイはずっと罪の意識に囚われていた。愛する人を死なせてしまったから。
辛かっただろう。後悔しただろう。でもそれを謝る相手すら居なかったのだろう。
その全てを、代わりに受け止めてやるのは俺の仕事だ。
そうしてやりたかった。
◇
「ぐすっ……ごめんねカイト」
「何が」
「あたしの事、嫌になった?」
腫れた目を擦りながら、おずおずと俺にそう訊ねるレイ。
「はぁ……自分の「お願い」忘れたのかよ」
レイの乱れた髪を直してやりながら、優しく撫でる。
「お前が何を言っても、どんな奴でも離れない。見捨てない、嫌わない、一人にしない」
レイの目尻を優しくさすり、笑いかけてやった。
「お前はお前だ。何も変わりゃしねえよ」
「……うん。ありがと、カイト」
レイはようやく微笑んでくれた。
ああ、やっぱりだ。散々レイの事を泣かせておいて今更だけれど。
「……お前はやっぱ、笑ってる方が可愛いよ」
「っ……!?」
「……あ!?」
しまった。つい声に出してしまった。レイが落ち着いて気が緩んでいたのだろうか。
恥ずかしがって顔を赤らめるレイと、釣られて赤くなる俺。
「さ、さーて飯にしようぜ!! そろそろいい時間だろ!! 俺準備してくっから!!」
話を逸らし、慌ててその場から退散しようとする。
「待って!!」
「へぶっ!!」
しかし、歩き出そうと言う所でレイに足を掴まれ転んでしまった。
思い切り顔面から床に叩きつけられて悶絶する俺。
「がっ……オァ……」
「わーーっ!! ごめん!!」
レイは俺の顔をそっと確認した。
額と鼻の先、右頬も若干擦りむけていた。とんでもない勢いで転んだものだ。
「すりむいちゃってる……ごめんかいとぉ……」
「いてぇ……」
「……カイト、じっとしててね」
「ん……んぅ!?」
レイは俺の顔を押さえ、怪我した部分をぺろぺろと舐め始めた。
「おおおおおおおま何して!?」
「こ、こうしたらすぐ治るから……」
「そ、そうだろうけど……そうだろうけど!!」
吸血霊鬼の唾液の治癒力は今まで毎日見てきたから知っている。
知ってはいるが、この状況は絵面がどうにも。
「……カイトが」
「えっ?」
「カイトがどこか行っちゃうんじゃないかって、不安になって。つい引っ張っちゃったの」
「あー……」
確かにあの話をした直後に離れられたら、不安に思うのも無理ないか。
そこは俺も少し配慮が足らなかったかもしれない。
でももう少し優しく呼び止めてくれても良かったじゃないか。まだ顔がひりひりするぞ。
「……ついでにちょっと貰っちゃお」
「おいコラ」
ちゃっかりと俺の傷から血を頂くレイ。
まあ、いつものお茶目さが戻って来たって思えば許してやらんこともないか。
次第に痛みも薄れてきたし。
「……カイト、今日最後のお願い、してもいい?」
「ん、なんだよ改まって」
まだ時間はそこそこあるが、もう最後で良いのだろうか。
疑問に思う部分はあるが、レイが最後で良いと言うなら俺も最後まできっちり応えてやろうじゃないか。
「いいぜ、どんとこい」
「それじゃあ、お願い」
レイは綺麗になった俺の傷跡を拭きながら、一言だけ俺に願った。
「…………怒らないでね」
「……?」
怒らないで。それが「お願い」だろうか。
何の事かと考えていると、急に顔の自由を奪われた。
「レイ……? お前何やって」
「…………ちゅっ♡」
「んむっ…………」
その直後、俺の唇に柔らかい物が触れた。
何が起こったのか、一瞬判断できなくて。
ただ、レイの真っ赤な顔が目の前にあった。
「……んむ!?」
数秒間の制止と沈黙の後、ようやく状況が整理できた時には全てが遅かった。
「ばっ、ばばばば、バカ野郎お前……」
「……今日はありがと、カイト。すっごく楽しかったし、嬉しかった」
混乱して舌が回らない俺を前に、レイは心底幸せそうな顔で微笑んで見せた。
「やっぱりあたし、カイトが大好き!」
この世のどんな花も霞むであろう、麗しい華が咲いていた。
「……それだけ! おやすみ!!」
「ちょっ、待てってレイ!!」
驚いて腰が抜けてしまった俺を置いて、レイは自室へ駆けて行ってしまった。
「また明日!」
最後に自室の扉からぴょこっと顔を出してそれだけを言い残していった。
「…………あんにゃろ~」
男子高校生と言う生き物は単純だ。
いくら強烈な記憶を植え付けられても、更に強烈なインパクトがあれば簡単に上書きされてしまう。
ヒナに頬へキスされた時はあんなに頭がいっぱいだったのに。
「ほんとにもう……男心を弄ばねーでくれよ……」
神上灰人、高校二年生の夏休み。
ファーストキスは、ほんのり鉄の味がした。




