第十八話【過去+現在=家族】
「ほら、あーん」
「あ~~~ん♪」
レイの次のお願いは「あーんして食べさせて」だった。
さっきのアレの後だからどんなお願いをされるのか恐怖していたが、比較的簡単なお願いで助かった。
この後全部これくらいのお願いだと助かるのだが。
「美味しかった~! ありがと、カイト!」
「そら良かったよ」
昼飯を用意したのも俺。食べさせたのも俺。レイはワクワクしながら食卓で待っていただけ。
さしずめ今日のレイはわがままお嬢様って感じだな。
無論わがままを許したのは俺なんだが。
「んで、次はどうする」
洗い物を済ませ、レイに向き合う形で俺も座る。
「レイはどうしたい?」
「!!」
問いかける俺を見て、何故かレイがドキッと反応する。
「んあ? どうした」
「んーん。なんでもなーい」
「何でも無さそうな顔じゃなかったけどな」
「も~」
レイは机に突っ伏し、若干照れながら上目遣いで俺を見た。
「あたしにも優しいお兄ちゃんが居たらこんな感じなのかなーって思ったの~!」
「お兄ちゃん?」
「妹をいっぱい甘やかしてくれるお兄ちゃん!」
甘える様な声でニヤケながら俺に手を伸ばしてくる。
「ね~え~、カイトお兄ちゃ~ん♪」
「っ……やめろそれ!」
「あ~? 照れてるんだ~? カイトお兄ちゃ~ん♪」
俺に兄妹はいない。だから本物の妹の事はわからない。
そんな俺でもわかる、こんなに兄にデレデレで甘えてくる妹が居る訳ないだろ。
妹がこんなに兄の理性を揺さぶる訳ないだろ。
「ねえねえ、カイトお兄ちゃん。手繋ご?」
レイは俺の方に手を伸ばして、にぎにぎと手のひらを開閉していた。
「お・ね・が・い♪」
「……チッ」
今日の俺はレイの「お願い」という言葉に逆らえない。他でもない俺のせいで。
照れ隠しに舌打ちをし、テーブルを挟んだままレイと手のひらを合わせた。
「しゅるしゅる~……えへへ」
あっという間にレイのひんやりとした指を絡められ、手を引く事が出来なくなってしまう。
普通に手を繋ぐよりも触れる面積の多い繋ぎ方に、自然と胸が高鳴る。
その分レイの体温も普段より感じられた。
「……ねえ、あたしデザート欲しいな」
「デザート? んな事言ってもお菓子なんて家にねえぞ」
「大丈夫だよ。ここにあるから……」
レイは身を乗り出し、俺の手を軽く引いた。
「あー……」
「はっ! バカお前!?」
「……んむっ」
そして俺の指先を深く咥えた。
「ちゅ、んむ……れろ」
「…………っ」
「れろっ、ちゅぱ……んむぅ?」
まじまじと眺めていたらレイに不思議そうな視線を送られてしまった。気まずいので慌てて目を逸らす。
よく考えたら、レイが血を吸う所を見るのは初めてだった。
いつも俺の首筋から血を吸っているレイ。その為毎日血を与えていても、どの様に吸っているのかは見た事が無かったのだ。
「かぷ……ちぅー」
レイの唾液で既に指先の感覚は無かったが、レイの牙が立てられるのを目視で確認する。
俺、今までレイを膝にのせてこんな事させてたのか。そりゃ紗霧ちゃんにも驚かれる。
「ぷぁっ……ありがとカイト♪」
「あれ、もういいのか?」
「今のは食後のデザートだし、夜にちゃんとほしいから」
「ああ……そうかよ」
別に毎日やっている事なのに、いざ改めて「後でまた血を貰うから」と言われると少しドキッとする。
血を吸う様を見たばかりだからだろうか。
「ねえねえ、今日一日どんなお願いも聞いてくれるんだよね?」
「なんだよ改まって。……か、覚悟はしてるぞ」
「そっか。じゃあ……」
まだレイの唾液で濡れたままの俺の指を見つめた後、妖しい瞳を俺に向けた。
「…………この指さ」
「じゃあ俺手洗ってくるから」
「あーーっ!!」
レイの言葉を聞く前に立ち上がり、洗面所に向かって指についたレイの唾液を洗い流した。
何でも願いを聞くと確かに言った。だが言う前なら俺が何かしてやる必要は無い。
「あーーーーーーーーっ!!!!」
「声デカいな」
わざわざ後ろから着いて来て、清潔になった俺の手を見て再度叫ぶレイ。
「なんだ、俺の手が綺麗になって困る事でもあったのかよ」
「うぅ……カイト、絶対気付いてた……」
「なんの事やら」
レイが何を言っているのかまるで見当がつかない。
ふてくされたレイの手を引いて、俺達はリビングへ戻った。
◇
一度俺に先手を打たれてからか、レイのお願いは常識的な範囲に収まるようになった。
「それでね、この前見たドラマがね?」
俺達はソファーで並んで座りながら「手を繋いでお話ししよう」という願いを叶えている途中だった。
「……カイト?」
「ん? どうした?」
「なんかあたしばっかり喋ってるなあって思って」
レイは俺に気を遣ってるのか、少し悩んでいる様子だった。
「カイト、疲れてない?」
「全然。むしろ黙ってても色々話してくれて俺は楽だぞ」
不安そうなレイに正直に答える。
こうしている間は変に理性を保てる様に気を張る必要も無ければ、レイの危険なお願いを先読みする為にアンテナを張る必要も無い。
それに楽しそうに話すレイを見ているのは、俺としても楽しかった。
「んー、でもカイトの話も聞いてみたい……」
「そうか。聞きたいって言うなら話してもいいけど、どんな事が聞きたいんだ?」
「えっと…………」
さっきまで楽しそうに話していたのに、急に静かになるレイ。
今度の沈黙はしばらく続いた。チラチラと俺の顔色を窺いながら。
「聞きたい……んだけど、聞いてもいいのかわからない」
「なんだよそれ。聞いたら気まずくなりそうな内容なのか?」
「うん……カイト、嫌がるかも」
俺の手を握るレイの力が強まる。
珍しい、随分葛藤してるみたいだ。
「……でも、カイトの事全部知りたくて」
「…………おぉ」
ああ、いつものレイだ。
今日は散々レイの知らない一面を見せられてきたが、ようやく俺の知ってるレイが表に出てきた気がする。
無邪気で自分に正直で、どこか怖がりなレイ。
「わっ!」
レイの手を一度離し、上から指を絡める様に握り直してやった。
「大丈夫だ。言ってみ」
レイが何を心配しているのかはわからないが、少なくとも思い付く範囲で聞かれて困るような事は無いはず。
触れられたく無い過去や地雷も特に思いつかなかった。
「……うん」
レイは躊躇いがちに口を開いた。
「……カイトの家族って、どんな人?」
レイが気になっていたのは、どうやら俺の家族、おそらく両親の事だろう。
「なんだ、そんな事でいいのか」
「そ、そんな事!?」
しれっと答える俺に驚愕の表情を向けるレイ。
そんな事かと思う反面、レイが気まずそうにしていた理由にも納得がいった。
まだ学生にも関わらず、俺は一人暮らしをしている。その状況を見れば変に深読みしてしまうのも無理ないだろう。
だが実際は心配されるような事じゃない。ベッドの下の本のジャンルを聞かれた方が何倍も気まずかったくらいだ。
「いいよ、話してやるか。つってもあんま面白い話じゃねえぞ?」
俺は話の順序を組み立てる為に、ぼーっと天井を眺めた。
◇
「俺は母親が居ない。けど心配すんな、親父は生きてる」
俺を産んだ時に命を落としてしまったと聞いている母。
俺は親父が男手ひとつで育ててくれた。
「えと、やっぱり聞かない方が良いんじゃ……」
「そんな事ねえって。最初から居なかったんだから寂しいとかそう言うのは全くねえよ」
とは言え、親父が言うには写真一つ残って無いらしいから、一目見るぐらいはしてみたかったなと思いはする。
親父曰く世界一の美女だったらしいしな。レイとどっちが美人か比べてみたい所だ。
「この家で親父と二人普通に暮らしてたんだけど、仕事の都合で引っ越す事になったんだ」
「あれ? でもカイトはここに居るよね?」
「ああ。俺だけ残ったんだ」
レイに話しながら記憶を遡っていると、俺自身懐かしさが込み上げてくる。
毎日楽しいから、こうやって過去に想いを馳せるなんて事しないしな。
「中学に上がるかどうかって頃、親父について行って引っ越すかどうかって話になったんだけど、断ったんだ」
「なんで?」
「丁度同じ時期に、ヒナのお袋さんが襲われたんだ」
吸血霊鬼に、と言う言葉は意図して伏せた。言わなくてもレイは知っているから。
わざわざ言う事でレイが気にするのは可哀想だったから。
「あの時のヒナ、本当に辛そうでさ。仲良くしてた俺まで居なくなったら折れちまうんじゃねえかって、ガキながら思ってたんだよ。んで親父に聞いてみたんだ。俺だけこの家に残ってもいいかって」
「……でも、カイトまだちっちゃかったんでしょ? 何で許してくれたの?」
「わかんね。でも親父はあっさり了承してくれたんだよ。元々忙しい人で、その頃から大体の家事は自分で出来たしな。本当に困った時はヒナの両親も助けてくれるって言ってくれたし、むしろヒナの為にありがとうって言ってくれたから、それほど心配は無かったんだと思う」
あんだけ真面目な幼馴染とその両親が近くに居るのであれば、親父も安心して俺を置いて行けたのだろう。
「カイトのお父さんって、何してる人なの?」
「……わかんね」
「えぇ!?」
「親父、仕事の事を何も話さない人でなぁ。俺に気を遣ってたんだろうけど、そのせいで何も知らねえんだよなぁ……」
そもそも仕事の話どころか、自分から話す事自体あんまりない人だった。
それでも、行動の端々から俺への愛情は感じていたから、悪い親では無かったと思う。
「もしかして今あたしが使ってる部屋って、カイトのお父さんの部屋?」
「そうだぞ。知らんオッサンの部屋使わせてごめんな」
「もー! そんな事思ってないよ!!」
しょうもない事で笑っていると、レイが何かを思い出したかの様に立ち上がった。
「ねえカイト、ちょっと待っててもらっていい?」
レイはそう言って自室に向かった。
何分も待つ事にはならず、すぐに戻ってきたレイは小脇に何かを抱えていた。
「それじゃあこれって、カイトのお父さんが描いたのかな?」
「う~ん? ……はぁ!?」
レイが持って来たのは、すやすやと眠る幼い頃の俺が描かれた一枚の絵だった。
「カイトにそっくりだなぁって思ってたんだけど、やっぱりカイトなの?」
「くっそー……俺だよ。親父、絵なんて描けたのかよ」
友達にアルバムの写真を見られて恥ずかしくなるのってこういう気持ちなのだろうか。
子供の頃の、それも寝ている所の絵だなんて。いつの間に描いていやがったんだ。
「ねえねえ、これ部屋に飾ってもいい?」
「はぁ!? んなもんダメに決まって……」
「…………お願い♪」
「……だーーーーっ!! 好きにしろ!!」
「やった~~っ♪」
嬉しそうに絵を抱き締めるレイ。
ちくしょう、上手い事「お願い」を使いやがって。
まあいいよ、レイの部屋に飾られる分には俺の視界には入らないから。
「……なあレイ、他にも絵ってあったか」
ふと、気になる事があってレイに訊ねてみた。
「あったよ。あともう一枚だけ」
「それも持ってきてもらってもいいか?」
「わかった!」
レイは俺の絵を抱え、再び自室へ向かった。
(…………あくまで可能性の話だ)
親父の部屋に俺の絵があった。
親父に絵が描けたなんて初耳だが、ひとまずそれは置いておく。
もし親父が俺の絵を描いて、持っていたのだとしたら。
もう一人描いていたのではないかと、そう思ったんだ。
「あったよー!」
考えている間に、レイがさっきとは違う絵を持って戻ってきた。
「……ああ、やっぱりそうか」
「カイトの知ってる人?」
「いいや? 会った事も無いし、見た事も無い人の絵だ」
レイが持って来た絵には、病院のベッドで身体を起こす美しい一人の女性が描かれていた。
「だけど、これが誰なのかはわかるよ」
初めて見た人。それでも、一目見ただけでそれが誰なのかも、どうしてそれがわかったのかも理解できた。
「この人の名前は神上露美愛。俺の母さんだ」
◇
俺は絵の中の女性から目が離せなかった。
その絵の中の人物が母親であると確信が持てた事について説明は出来ない。何か証拠がある訳でもない。
それでも目の前の女性からは、俺との確かな血の繋がりを感じたんだ。
「写真も何も残ってねえって言ってたくせに、こんなもん隠し持ってたなんてな。嫁を独り占めしたい夫の惚気か?」
口では憎まれ口を叩きつつも、不思議と胸が温かくなるのを感じた。
「一人息子にぐらい、見せろっつーの」
「……カイトのお母さん」
いつの間にかレイが俺に肩を寄せ、共に同じ絵を眺めていた。
「綺麗な人だね。カイトに似てるよ」
「本当か? 俺、こんなに美人かなぁ」
「うーん、そこじゃなくて。優しそうに笑った顔」
レイに言われて再度視線を絵に戻す。
絵の中の女性は確かに柔和な微笑みを浮かべていた。
「……俺、こんな風に笑ってんの?」
「うん。あたしを家に誘ってくれた時とか、あたしが寂しそうな時とか、カイトはいつもこうやって笑うよ」
「ふーん……そうか」
出会って半年くらいだが、毎日俺と顔を合わせているレイが言うならきっとそうなんだろう。
「だってさ。俺たち似てるってよ、母さん」
いつもの俺ならレイの言葉に照れ隠しの一つも漏らしていただろうが、今だけは素直に受け止める事が出来た。
今まで何も感じる事が出来なかった母親との繋がりを感じられて、気分が良かったのかもしれない。
「……この人が命と引き換えにカイトを産んでくれたから、あたしはカイトと会えたんだよね」
「ああ、そうだな」
「カイトを元気に産んでくれて、ありがとうございます……」
そう言って絵の前で深く頭を下げるレイは今まで見た事の無い表情をしていた。
絵の中の女性の様に優しく、それでいてどこか……。
「……レイ?」
どこか、悲しそうだった。
「大丈夫かレイ、具合悪いんじゃ……」
「ううん、身体は大丈夫。ただちょっとだけ、色々と思い出しちゃって」
レイは俺に笑って見せた。
泣いているのかと錯覚する様な悲しい目で。
「…………」
レイは昔の事を思い出そうとする時、いつも辛そうな顔をする。
その時によって表に出る感情は異なるけれど、共通しているのは辛そうな事。
恐れていたり、苦しそうだったり、今みたいに悲しそうだったり。
「レイ、聞いてもいいか」
今しかないと思った。
今まではレイが辛いなら無理に思い出させる必要は無い、そう思っていた。
でも事ある毎にレイがそれを思い出して辛い思いをするなら、話を聞く事でレイの重荷を一緒に背負ってやりたかった。
「お前の過去に……何があったんだ?」
「ッ…………」
途端に怯えた表情を浮かべるレイ。
触れていなくてもわかる程に、その両肩はぷるぷると震えていた。
「無理にとは言わない。全部話せとも言わない。ただ、もしお前が抱えているものの中で、俺にぶつける事で少しでも軽くなる物があるんだったら、聞かせてほしい」
震えるレイの肩を抱き寄せ、耳元で力強く宣言した。
「お前はもう、俺の家族なんだから」
「……!!」
わずかではあるが、レイの震えが小さくなった。
レイはただ黙って、俺に肩を抱かれていた。
◇
レイと肩を寄せ合って、どのくらい沈黙が続いただろう。
レイが俺の手を握り締めた。強く強く握り締めた。
「カイト……お願い、してもいいかな」
「……ああ」
今日一日、レイの「お願い」を何でも聞くと言った。
日は傾き始めたが、日付が変わるにはまだまだ時間がある。
俺は小さく頷いた。
「これからあたしの言う事、全部信じてほしいの」
「わかった」
「何を言っても、この手を離さないでほしい」
「任せろ」
「どんなに……どんなにあたしが酷い事言っても、離れないで……」
「…………」
「見捨てないで、嫌わないで……ひとりに、しないで…………」
震えるレイの声が、どんどんか細くなっていく。
消え入る様に、溶けていく様に。
祈る様に、懺悔する様に。
まるで、初めて会った時に泣いていた女の子の様に。
「誓うよ」
聞いたのは俺だ。
レイを拾ったのも俺だ。
レイが好きになってくれたのも、レイを家族だと言ったのも全部俺だ。
家族になった以上、最後まで見捨てない。そう決めている。
「…………ありがと、カイト」
俺に手を握り返されて、レイの身体はようやく震えが収まっていった。
そのまま俺の肩に頭を乗せて、ぽつりぽつりとつぶやいていった。
「…………カイト、あたしね」
俺はただ、レイの言葉に耳を傾けていた。
レイが何を言っても受け止められるように。
まさか、レイの口からあんな爆弾が落とされるなんて、思っても見なかったけど。
「あたし…………人を、殺しちゃったんだ」




