第十六話【一生残るプレゼント】
ピアス穴をあけてほしい。
ヒナは俺にそう願った。
震える声で、身体で、瞳で。
真っ赤に熟れた果実のような顔で、そう言った。
「っ……待てよ!」
ヒナの肩を力強く掴む。
「えっと、えっと……っ!!」
何かを言わなければ。止めなければ。
そう思っているのにちょうどいい言葉が思いつかない。
それでも何とかしてヒナを思いとどまらせなければ。これはそう簡単な事じゃないのだから。
「……ピアスあけるなとは言わねえよ、俺もやってるし。けど自分で出来ないくらいならやらねえ方がいいって。わかってんのか? 身体に穴あけるんだ。一生残るんだぞ?」
長期間ピアスを使用していなければ穴は塞がる場合もある。
それでもかつて穴があいていた痕はいつまでも残り続ける。
「そんなん、他人にやらせる事じゃねえんだって!」
「だからっ……!」
俺の言葉を受けた上で、ヒナは俺に反論する。
「だからお願いしたんでしょ……?」
「い、いや、お前……」
俺の手を握り、もう片方の手でピアッサーを持って、瞳に涙を貯めながらヒナは言う。
「私がカイトの事どれだけ好きか知ってほしいから。一生カイトを忘れられなくしてほしいから。お願いしてるんじゃない……」
「ヒナ…………」
どうしてそんなに必死なんだ。
さっきまでそんな素振りなかったじゃないか。
それとも、逆か? ずっと必死だったのか?
表に出してなかっただけで、お前はずっと必死だったのか?
ここまでしても、俺がヒナとレイのどっちに傾くかわからないから、些細なチャンスも見逃さないってのか?
「……レイカさん」
「えっ!?」
一瞬思考が読まれたのかと思ってフリーズする。
すぐにそうでは無いとヒナの言葉が証明したが、俺の意識はヒナの言葉に釘付けにされた。
「レイカさんってきっと、本名なんでしょ?」
レイカ。レイの本名、鬼咲麗華。
吸血霊鬼にとって本名って言うのはその生涯を捧げるレベルで大切な物だと言う。
吸血霊鬼を憎んでいたヒナは、きっと吸血霊鬼について俺よりも詳しい。名前についても俺より早く知っていたのだろう。
「レイカさんはカイトに本名を明かしてる。それってすごく難しくて、覚悟の要る行動だと思うの」
「……俺もそう思う」
「だから私も、レイカさんに並びたい。カイトの中で絶対に切り離せない人になりたいの」
レイは俺に本名を明かした。二度と隠れる事も出来ず、記憶を消す事も出来なくなる誓いを。
ヒナは一生消えない痕を残す事で、レイと同じラインに立ちたいのだ。
だがその願いはもう一手、俺の了承を得ないと成立しない。
だから誕生日のこの日、俺が何でも叶えてやると言った今、ヒナは行動に移したと言う訳だ。
「…………」
「あっ……」
ヒナの手からピアッサーを取り、封を開ける。
カシャカシャと軽く動かし、不備が無い事を確認する。
大丈夫だ、これなら必要以上に痛がらせる事は無いだろう。
「俺、いつも言ってるもんな。どっちかだけ贔屓すんのは良くないって」
レイが名前を明かしたのはレイの意思だ、俺が無理に聞き出したわけでも、ヒナに寂しい思いをさせたかったわけでもない。
それでもヒナ自信がその事実に劣等感を抱いているなら、俺がピアス穴をあけてやる事でそれが埋まるなら、俺がやる事は一つだ。
普通は他人がやっちゃいけない事だし流石に少し、いやかなり緊張するけど。
「ヒナ、タオル持ってこっち来い」
俺は壁に背中を預け、固定する様に寄りかかった。
ピアッサーを持ってない方の手でちょいちょいとヒナを手招く。
「……クソ痛ぇから覚悟しろよ」
俺も、覚悟を決めた。
◇
「ほら、もっとしっかり抱き着いてろ」
「こ、こう……?」
「そう。んで俺の肩に頭預けろ」
ヒナを俺の膝の上に座らせ、ガチガチに固定させる。
ピアス穴をあける時はこれでもかってくらい準備しないと、後から様々なリスクに襲われる羽目になる。
ヒナにそんな思いをさせる訳にはいかないから、出来る事は全てやる。
「一回耳たぶ触るぞ」
「あっ……んっ、くすぐったい……」
「我慢しろ」
備え付けのアルコールティッシュでピアッサーとヒナの耳たぶ、俺の手を念入りに除菌する。
そしたら耳たぶを軽く引っ張って、どのあたりに刺すか目途をつける。
あと、ヒナの肩の上に一応タオルをかけて、血が滴っても部屋を汚さない様に。
「大体これでいいか。ヒナ、覚悟決まったか?」
「…………う、うん」
「はぁ……ったく」
ピアッサーを耳たぶに押し当て、残りはヒナの心の準備が整うのを待つだけ。だと言うのに、あれだけ俺にピアッサーを握らせたがっていたヒナは今俺の肩でぷるぷる震えていた。
「やっぱやめるか? 今なら間に合うぞ」
「い、嫌っ! あけてもらう……から」
「じゃあもっと力抜けよ」
そう言ってはみたものの、ヒナはどこか強張っていた。これでは手元が狂うかもしれない。
まあ今から身体に穴をあけますと言われれば無理もないが。俺も最初はそうだった。
「…………そうだなぁ」
ヒナを落ち着かせるにはどうすればいいか。ゆっくり頭を回した。
「……今日のヒナ、いい匂いだよな」
「へっ!?」
「柑橘系、シトラスとかそういうのだろ」
とりあえず褒めてみる事にした。
「髪型も珍しくポニテだし、やっぱその方が涼しいか」
「こ、これは、レイカさんがずっとポニーテールだから、カイトが好きでそうさせてるのかなって」
「なんだ、じゃあ俺の為にやってくれたのか。別に俺がやらせてる訳じゃねえけど」
レイの髪型はいつもレイが適当に結んでるだけだ。俺が関与した事は無い。
「服もさ、暑かったり急いだりでゆっくり褒める時間なかったけど、いつものヒナの印象と違ってて新鮮だよ。すっげー似合ってる」
「……本当?」
「マジだよ、めっちゃ可愛い。最初見た時だって、これからこの子とデートしていいんだ俺って思ったら踊り出したくなったぐらい」
「そっか……嬉しい」
ヒナの声が段々と柔らかくなっていく。
気付けば身体の震えも止まり、呼吸も落ち着いている。
「全部俺の為にしてくれたんだろ」
「……うん。少しでもカイトに喜んでもらいたかったから」
「ありがとな」
「カイト……」
「バチン!!」
「ぅあ゙っ!? あ、ぐ……っ!」
ヒナの身体から強張った様子が無くなったのを見て、不意打ち気味にピアッサーを押し込んだ。
突然の痛みにヒナの身体が大きく跳ねるが、ピアッサーは即座に抜けてるので問題はない。
「はっ、あっ……んぅ」
「痛いなら俺にしがみついてろ」
「ん……うん……」
あけたばかりのピアス穴からじんわりと血が滲む。
とは言えこの程度なら問題ないだろう。触りすぎて荒れても良くない。
それよりも俺は痛みに耐えるヒナの頭を優しく撫でた。
「いつもはレイにこの体勢で血を吸わせてんだよ」
「……知ってる」
「だからまあ、たまにはヒナにこうしてやってもいいよな」
「……ん」
小さな事でもひとつひとつ、ヒナの中の劣等感を解消させていく。
ここまでやったんだ、とことん付き合ってやるさ。
「もう片方はどうする、あけるか?」
「ん……あける」
「そうだよなぁ、ご丁寧に二個買ってんだもんなぁ」
ちょっぴり鼻声でヒナが返事をする。本当は怖いだろうに随分頑張るものだ。
それもこれも、俺が好きだからなのか。
こんなに好きになってくれて、どうやって返してやればいいんだ。
返せるかどうかもわからないのに。
「ほら、反対側に頭置いて」
「……はい」
「耳たぶ触るぞ」
俺は同じ様にピアッサーと耳たぶを除菌する。
さて、こっちはどうやってあけようか。
「なあヒナ」
「……なあに?」
「バチン!!」
「っ!!? んあ゙っ!! やあっ……」
考えている間に手を動かした。一回目で大体の位置はわかっていた。
だったらいっそ怖がる前にあけてしまうのが一番だと思った。
「はぁ、はぁ……ぐすっ」
「おーよしよし、頑張った頑張った」
「いたい……いたいよぉ……」
「そうだな。でももう痛くないから」
突然の痛みに俺の肩で悶えるヒナを全力で宥める。
可哀想に、泣いているではないか。誰がこんなひどい事を。
「色々説明する事あるけど、まあ後でいいよな」
どうせ今言ってもヒナの耳には入らない。
それより今はヒナが泣き止むまでこうしてやらなければ。
「大丈夫か~? なんかしてほしい事あるか?」
「……キス」
「はいはい、まだまだ早いな~」
「じゃあいっぱいギュってして」
「ドアインザフェイスかよ。いつもならその手には乗らねえけど……」
そんなバレバレの小細工をするぐらいヒナに余裕が無いのも確かで。
「いいよ。落ち着くまでこうしててやっから、思う存分甘えていいぞ」
そう言ってヒナを抱きかかえながら、ごろんと横になった。
「どうせ誰も見てないし、聞こえない。その為のネカフェだろ?」
「ぐすっ……」
俺の許可を得たからか、ヒナは一層強くしがみついてきた。
ヒナとは初めてだが、なんだかとても馴染みのある体勢だった。慣れた手つきで肩に置かれた頭を撫でる。
「かいとぉ……」
「ん? どうした?」
鼻声で俺の名を呼ぶヒナに優しく答える。
「……だいすきだからね」
「…………知ってるっつの」
誰も見ていないこの空間で、いつかに似たやり取りを。
惜しみない愛情に、せめてものお返しを。
「……誕生日おめでとう、ヒナ」
◇
「はいこれ」
痛みも引いて涙も引いて、ヒナが落ち着いた頃に俺達は肩を並べて座っていた。
俺の肩に頭をこてんと乗せるヒナにピアス穴の説明を散々した後、そのままの流れでヒナに渡したいものがあったのを思い出した。
「鍵……?」
「俺んちの鍵」
「へ!!?!?!?!??!?!?!??」
「声でか」
ヒナは大きく叫んだ後、俺から受け取った鍵を見て震えていた。
せっかく痛みも落ち着いたのにまだ震えるなんて、一昔前のラブソングかよ。
「そりゃあ声だって出るでしょ! あ、合鍵って事!?」
「そうだけど、そんなに驚く事かぁ?」
一応無計画に渡した訳では無い事をヒナにちゃんと説明するか。
「だってお前、夏休みの間もちょくちょくうちに来るんだろ? 毎回返事できるとも限らないし、せっかく来てくれても寝てたら悪いだろ。鍵やるからその時は勝手に入ってきてくれ。あ、一応レイも居るからそこは気遣ってくれよ?」
「あ、うん……」
俺があまりにあっさりと家の鍵を預けるものだから驚いているのか、ヒナは単調な反応しか示さない。
「まあヒナなら鍵預けてもいいだろって信用の上で渡したんだ、大事にしてくれよ」
「……ほんっと、カイトってさぁ……」
ヒナはそこまで言って言葉を続けなかった。
「なんだよ」
「……んーん、やっぱいい。これも誕生日プレゼントって事でありがたく貰っちゃうから」
「誕プレぇ? そんなのが?」
「なんなら今日一番嬉しいかも」
「はぁ……? うん?」
ヒナが何を言っているのかいまいちよくわからなかった。
ヒナが俺の為に俺の家に来てくれるのまではわかるんだが、その時の為に鍵を渡されるのってそんなに嬉しい事なのだろうか。
わからん。わからんがヒナが喜んでるならそれでいいや。
◇
日も傾き始め、デートもそろそろ終わりを告げる。
俺とヒナは手を繋ぎながらヒナの自宅に向かって歩いていた。
指を絡める一歩先の繋ぎ方で。
「それさ、両親に何て説明すんの?」
「ピアス穴?」
「だってお前、一応学校じゃ優等生なんだぜ?」
ヒナの両親はいい親だ。ヒナの事をすごく大事にしてるし、ヒナの意思を尊重している。ヒナが優等生なのは親の意向じゃなくヒナが自分で選んだ道だ。
だがいくら娘の自由を許す親でも、優等生だった一人娘がいきなり耳に穴あけて帰ってきたら、親としては心配してしまうのではないだろうか。
「ふふっ、今日はカイトとデートだって伝えてあるからな~」
「……え」
「カイトに傷モノにされちゃったって説明しよっかな~?」
「はっ!?!?」
髪を揺らしながら、いたずらっぽい顔で俺の反応を窺うヒナ。
「ふざけんなお前! ヒナがあけてくれって言ったんだろ!」
「え~? そうだったっけ。お父さんとお母さん、私とカイトどっちを信じてくれるかなぁ?」
「このまま俺んち行って、レイに塞いでもらうかその穴ァ……」
「えっ!? やだやだ! せっかく痛い思いしてあけたのに!!」
吸血霊鬼ならこの程度の傷簡単に治せてしまうだろう。吸血痕の事を考えればきっと跡も残らない。
ヒナもそれは理解しているのだろう。実際に可能な提案である事を理解して大慌てだ。
「ごめんってば! カイトの事悪い様には言わないから、安心して?」
「……まあ、俺がやったのは事実なんだけどよ」
「本当に冗談だから! そんなに気にしないで!」
ヒナの言葉を重く捉え過ぎた俺をヒナが慌ててフォローする。
「確かに痛かったし怖かったけど……」
ヒナがちょいちょいと俺に屈むよう促す。
ヒナに耳を近付けると、耳元でこっそり囁いた。
「本当はちょっとだけ、カイトに痛くされてる……ってゾクゾクしちゃってたんだ」
「っ……何言ってんだお前!?」
慌てて顔を離す俺。視界に映ったヒナの顔は赤く、それが自前なのか夕焼けのせいなのかは断言できない。
「普段優しいカイトだからかな。カイトになら痛くされちゃうのもたまにはいいかな……って思っちゃうわけです」
「へ、変態だ……」
「カイトの前限定の変態ならどう?」
「ぐ…………」
想像してしまった。
学校では優等生、クラスの真面目な委員長が、自分の前だけは変態的な欲望をあらわにする。
学校とは違う顔を俺だけが知る事が出来る。
「……きょ、興味ねえよ!!」
「カイト、顔真っ赤だよ?」
「うるせぇうるせぇ!!」
危ない所だった。
先日のレイに続きヒナにまで邪な感情を抱いてしまう所だった。
もう手遅れかもしれないが。
◇
「んじゃ、ここまでだな」
「あーあ、もう終わりかぁ……」
ヒナの家の前に辿り着き、ヒナも名残惜しそうに俺の手を離した。
「別にまたすぐ会えるだろ、鍵も渡したんだから」
「そうだけどぉ、違うの~……」
そりゃ前もってデートとして会うのと、当たり前の様に普段通り会うのとでは気分が違うだろうけど。
「終わらせたくないな……今日」
手を離した後も、ヒナは自分の家の門を開かず、俺との間で地面を蹴っていた。
「結局すぐにはカイトから貰ったピアスも付けられないみたいだし」
「おい、あんま触ると……」
ピアス穴はあけたばかりの頃はしばらく穴あけ専用のピアスを付けておく必要がある。ヒナにはもどかしいかもしれないが必要な事だ。
それが納得いかないのか、指先で耳たぶを弄るヒナ。
「痛っ……!」
「あーほら、言わんこっちゃねぇ」
無論しばらくは触らない方がいい。こうなるからだ。
散々説明したのにこいつは。
「ったく見てやるからこっち向け」
俺はヒナの耳たぶの状態を確認する為に少し屈んだ。
「……なんちゃって」
「へ? おわっ!」
それは全てヒナの罠だった。
耳たぶを弄ったふりをしたのも、痛がったふりをしたのも、俺をおびき寄せるヒナの罠だった。
ヒナの両手で俺の顔を引き寄せられ、ヒナの顔が目前に迫る。
「…………ちゅっ」
ヒナの唇の柔らかい感触が、俺の頬にしっかりと押し付けられた。
「ほっぺならいいでしょ? 今日一日楽しませてくれたお礼って事で!」
「あ……お……」
驚きすぎて言葉が出ない俺からササっと離れ、ヒナは玄関の扉を開けた。
そして最後に顔だけをひょっこりと覗かせながら、幸せそうな笑顔を俺に向けた。
「またね、カイト!」
そう言い残し、ガチャリと言う音と共に本日のデートは終わりを告げた。
「……ほぁ」
ヒナの唇が触れた場所をそっと指先でなぞる。
今でもヒナの唇が触れているんじゃと言う錯覚に陥る程、ヒナの不意打ちキスには衝撃を受けた。
指先には昼間のコーヒーカップの様な、ほんの少しのピンク色。
「…………くっそー」
ヒナって、あんなに可愛かったかな。
俺の頭の中では今日のヒナと昔のヒナとの比較作業で大忙しだった。
それは俺の中のヒナと言う存在に変化が表れ始めている証拠でもあった。




