第十五話【ヒナタのお誕生日デート】
今日は八月二日。ヒナの誕生日。
先日交わしたヒナとの約束通り、ヒナとのデートをする日だ。
集合時間は午前十時。駅前の変な銅像の前で待ち合わせと言う事になっているのだが。
「ちょっと早く来過ぎたなぁ……」
スマホの時計を確認する。
画面には九時三十分の表示。約束まで三十分もある。
確かに待ち合わせに遅れない為、ヒナを待たせない為に多少早く到着する予定ではあったが、ここまで時間が余るとも思っていなかった。
あと五分もすれば駅前の銅像に辿り着くだろう。
「あづい……」
この炎天下の中二十五分も待つのか。そう思うと気が重くなった。
それでもヒナに同じ思いをさせるぐらいなら、そう自分に言い聞かせて集合場所へと向かった。
◇
「は!?」
歩き続けて銅像が見えて来た時、思わず声を上げた。
銅像の前にそわそわした女の子が、見覚えのある顔の女の子が誰かを待っていたのだ。
慌てて俺は駆け寄った。
「おい! ヒナ!?」
「えっ!? カイト!?」
ヒナは驚いた様子でこちらを見る。驚いたのはこっちだ。
「びっくりした……まだ待ち合わせまで時間あるのに」
「全部こっちのセリフだよ! お前、いつから待ってたんだ?」
「え、えっと……」
俺の質問にヒナは気まずそうに目を逸らす。
「……三十分ぐらい前」
集合時間三十分前の現在時刻から三十分前。つまり集合時間の一時間前からここに居たという事だ。
「この炎天下にか!? デートの前に倒れるぞお前!!」
「あっ、心配しないで! ちゃんとお水と塩分も補給してるし。あ、でも……」
ヒナは恥ずかしそうに身をよじる。
「……汗の匂いとかは、しちゃうかも」
心配していた俺は肩を落とす。
まあ多少顔が赤いが、具合は悪くなさそうで何よりだ。
むしろ変な所に気が回る程度には余裕がありそうだ。
「……すんすん」
「ひゃっ!! ちょっとカイト!?」
試しにヒナの首筋の匂いを嗅いでみた所、柑橘系の爽やかな匂いがした。
「香水の匂いしかしねえよ。いい匂いだな」
「もう! 急に人の匂い嗅がないでよ!! ……でも、それならよかった」
首を押さえながら、ヒナは恥ずかしそうに微笑んだ。
「とりあえず、どっか涼める所……喫茶店でも入るか。ヒナもずっと待ってたなら暑いだろ? 行こうぜ」
「あっ……」
この照り付ける日差しの中三十分も立っていたのなら、ヒナは随分暑い思いをした事だろう。
そう思ってこの辺りにある喫茶店の場所を調べ、歩き出そうとした時ヒナが小さく声を上げた。
「ヒナ?」
「……ん、何でもない」
口ではそう言うが、ヒナはなんだかもじもじしていた。
それを見逃す俺ではない。
理由も何となくだが見当はついている。
「……ほら」
「……!」
俺は黙ってヒナの手を取り、引いて歩いた。
「なによ、もう……」
「嫌だったか?」
「ううん、むしろ嬉しいよ。でも、このデートはレイカさんとの戦いで、カイトに沢山喜んでもらおうと思ってたのに。カイトに先手取られちゃったから……」
「相変わらず頭かってぇなぁ……」
ヒナの真面目過ぎるプランにため息をつきつつ笑ってしまった。
「今日はお前の誕生日なんだぜ。お前が俺を楽しませたい様に、俺だってお前を喜ばせたいんだ。どっちがメインも無いだろ」
「……うん」
ヒナタは面白くなさそうに、それでいて嬉しそうに、複雑そうに微笑んでいた。
「精々私の事喜ばせてね、カイト」
「へいへい、精一杯やらせてもらいますよ。お嬢さん」
口では生意気な事を言っていたヒナだったが、俺の手に込められた力は強く、簡単に振りほどく事は出来なさそうだった。
仕方ないので俺も同じくらい握り返してやることにした。
ヒナの耳が赤くなったな。早く涼める所へ急ごうか。
◇
「はぁ~……涼しい店で冷たい飲み物。天国だな……」
喫茶店に辿り着いた俺はアイスコーヒーをすすりながら、エアコンから流れる冷風を堪能していた。
「カイト、コーヒー好きだよね」
対面に座るヒナの前にはアイスティーと小さなバニラアイス。
何と涼し気なテーブルだろうか。
「おう。ホットでもアイスでもコーヒーはよく飲むな。今日は流石に冷たいのだけど」
「何か理由でもあるの?」
「うーん、気付いたら朝よく飲むようになってたんだよな。寝起きが悪くなってから?」
俺とコーヒーの関係を遡っていると、大体朝に飲んでいる事が多い。
コーヒーの苦みも好きなのだが、やはりカフェインで目を覚ましたかったのだろうか。
「あー、血圧低くなってからかもしれん」
「それって……レイカさんに血を吸われるようになってから?」
「ははっ、多分な」
原因がぼんやりと判明し、心配そうなヒナに苦笑いを返す。
「まあ飲まなきゃ落ち着かないってレベルでもないし、健康に害がある程は飲んでないから安心しろ」
「カイトがそう言うならいいけど……」
ヒナがじっと俺のコーヒーを見つめていた。
「なんだ、飲みたいのか?」
「う、うーん……気にはなるけど、苦いの苦手だし……」
「ダメだったらアイスで口直しすりゃいいんじゃねえか? ほら、飲んでいいぞ」
そう言ってコーヒーカップをヒナの方へ寄せる。
ヒナは少し悩んだ後、カップを手に取った。
「……まったく、カイトって本当無防備なんだから」
「何が?」
「……こう言う事」
するとヒナはカップを百八十度、半回転させて持ち直した。
「あっ、お前!」
そこまでされてようやくヒナの意図に気付く。
俺の前にあったカップは当然俺の方向に口を付けた場所がある。
そのままの向きで渡したカップを半回転させたらどうなるか。
「もう遅いよ」
俺が止めるのも間に合わず、ヒナはカップに口を付けた。
そのまま少量口に含み、ごくんと喉を鳴らす。
「はい、間接キス」
「……ったくよ~」
してやったり顔のヒナに対し、悔しさを滲ませながら頭を抱えた。
だがヒナの方もノーダメージと言う訳ではなさそうで。
「…………にがい」
「そらそーだ」
ヒナは涙目になりながら自分のアイスを一口頬張った。
「やっぱり私にはコーヒーは難しかったよ」
そう言って俺の前にカップを戻すヒナ。
元の角度に戻すために半回転させて。
「お前さぁ……」
カップには先程まで無かった小さな跡が残っていた。
ピンク色の跡がうっすらと、俺の目の前に。
少し視線を上げると、ヒナの唇も同じ色をしていた。
「カイトはどっちから飲むの?」
悪い顔を浮かべながら、意地悪な質問をするヒナ。
舐めるな、俺がやられっぱなしだと思うなよ。
「ヒナはどっちから飲んでほしい?」
「へっ!?」
「俺に、カップのどこから飲んでほしいんだよ。お前が選んだ方から飲んでやるよ」
平静を装いながらヒナにカウンターを決めた。
この返事は予想していなかったらしく、ヒナもかなり戸惑っている様子だ。
悩みに悩んだ末にヒナが選んだ返答とは。
「……私と同じ所から飲んでよ」
「……………………」
「私が唇付けた所に、カイトも口付けてほしい」
やらかした。
これは双方大ダメージだ。
自分で言わされたヒナもだが、さっきああ言った手前俺の逃げ道も無かった。
「……ずずっ」
「あう……」
顔を真っ赤にしてカップに口を付ける俺。
真っ赤な顔を隠しながらそれをガン見しているヒナ。
どういうことだ、冷房故障したか? 暑くて仕方がない。
おまけにコーヒーの味までわからなくなってきた。
「……さっさと飲んで次行こうぜ」
「……うん」
喫茶店にて俺達は、互いに甚大なダメージを抱える事になった。
変な意地の張り合いは誰の得にもならない。いい教訓になった。
◇
喫茶店を出た俺達は、地域でも最大規模のデパートにやってきていた。
様々な店舗を内包するこのデパートで揃わないものは無いと言われるほどに広い。
その為人もそこそこ居るが、外で出歩くよりはマシだろう。
それに何の目的も無くここへ来た訳じゃない。
「ねえ、気になってたんだけど、いい?」
集合した時と同じように俺と手を繋いで歩くヒナが、少々訝しげに切り出した。
「カイト、私プレゼント用意しておいてねって言ってたよね」
「……おう」
「でもカイト、今日ほとんど手ぶらじゃない?」
「…………おう」
「…………」
まずい。ヒナがすごい怖い目で俺を睨んでいる。冷や汗が止まらない。
もしかして、今の質問だけでここへ来た理由に感付いたのか。
「……なあ、ヒナ。欲しい物ないか?」
「はぁ~~~~~~~~……」
俺は観念した。そして訊ねた、ヒナの欲しい物を。
ヒナの返事は信じられない程クソデカいため息。
「こ、これだけは言っておくぞ!? 決して忘れたり適当な訳じゃないからな!? むしろ毎日真剣に悩んで悩んで……」
「結局、思い付かなかったってことぉ?」
「……すみませんでした」
ヒナの誕生日にデートに誘ったのは俺だ。当然プレゼントも渡すつもりだった。
ただ今年は去年までのお祝いと違う点がある。ヒナが俺に対する恋愛感情を明らかにしている事だ。
今までは幼馴染であり友人として、これくらいでいいかなという基準があった。
だがそれが自分の事を好いてくれている女の子に適切なのかどうか、今の俺にはわからなくなっていたのだ。
そんな事を考えていたらどんどん思考が深みに嵌まっていき、気付いた時には当日だった。
「でもさ、本気でヒナに喜んでもらいたかったんだよ。嘘でも言い訳でも無くて……」
「……わかってるわよ。カイトがそんな適当な人じゃないって事もちゃんとわかってる」
ヒナは本気で責めている訳では無い様だ。
それでも、俺に理解を示してくれるヒナの言葉が余計に傷に沁みた。
「その代わり、ヒナが欲しい物なら何でも用意するからさ!!」
「何でも……何でもいいの?」
「おう! ……あ、レイへの勝利宣言とか流石にアレだけど……」
「カイトの中の私は一体どうなってるの!?!?」
一応念の為万が一の事があるかもしれないと思って牽制しておいたが、とんでもない剣幕で叱られてしまった。
いや俺だってヒナがそんな事頼むとは思ってないけどさ。何かとレイにマウント取りたがるじゃんか、お前。
「……それじゃ、ついて来て」
「あるのか? 欲しい物」
「…………うん」
「わかった。どこへ行きゃいいんだ?」
ヒナは俺の手を引いて、俺を導く様に引っ張った。
目的地を訊ねた俺に、ヒナはぼそっと小さな声で呟く様に答えた。
「…………薬局」
◇
ヒナが俺を連れてきたのは薬局だった。
だが、薬局の前まで辿り着くとヒナは急に俺の手を離した。
「ここで待ってて」
そう言い残し、ヒナ一人で薬局へ入って行ってしまった。
俺に買って欲しい物があった訳ではないのか、などと考えている間にヒナはすぐ戻ってきた。
あっという間の買い物だった。時間にしてそう何分もかかっていないだろう。最初から買うものを決めていた様な、そんな早さだった。
「なんの用だったんだ?」
「後で教えてあげる。それよりもう一か所行きたい所あるから」
「ん? おう……?」
俺は訳も分からず、ヒナに振り回されていた。
次こそ本命の店だろうか。
◇
次にやってきたのは、他の階と比べて異質な場所だった。
店先に商品が並んでいて何の店があるのかわかりやすかった今までの階と違い、ここには扉で仕切られて内側が見辛い店が多い。と言うより、商品を扱うタイプの店が並ぶ場所では無かった。
美容室だとか、エステだとか、整骨院だとか、そういう場所だ。
「こっち」
「なあ、そろそろどこへ向かってんのか教えてくれても……」
「もうすぐ着くから……ほらここ」
「ここ……?」
ヒナが足を止めた先にあったのは、ネットカフェだった。
あらかじめ決まった時間、パソコンの置いてある小さな個室をレンタルできる場所だ。
「えっと…………」
俺は汗が止まらなかった。
デート中、女の子が、二人きりになれる場所に誘ってきた。
しかも直前に薬局へ寄る徹底っぷり。
振り払っても振り払っても、俺の中の男の子が下品な妄想を脳裏にこびりつかせていた。
『なんでもくれるって言ったんだから……いいよね? カイトを……ちょうだい?』
頭の中は真っピンクだった。
「さ、早く入ろ?」
「ま、待てヒナ!? こういうのはちゃんとした関係になってじっくり仲を深めてからするべきじゃないか!? いや俺とお前の仲は小さい頃から充分深めてきたけどさ!? せめてこんな狭い所じゃなくてちゃんとした……!!」
「……何言ってんの? いいから早く行こ」
顔を真っ赤にして何とか説得しようとする俺の手を引いてズンズン進むヒナ。なんて男らしいんだ。
こうなったら覚悟を決めるべきか。いや、いくら何でも止めるべきかもしれない。でも、いやしかし。
「カイト?」
「ひゃい!!」
「部屋借りれたから、こっち来て」
そんな事を考えている間にもヒナは手続きを済ませてどんどん話を進めてしまう。
気付けば個室の扉は目の前だった。
◇
「カイトにね、お願いがあるの」
二人で個室に入り、結構な広さのマットレスに腰を下ろす。
ヒナは鞄を開けると、薬局の袋を取り出した。
「あのなヒナ、本当にこういうのはもっと親密な仲になってから……」
「ねえ、もしかしてえっちな事考えてない?」
「えっ!? 違うんですか!?」
特に引っ張る事も無く断言するヒナに驚きと残念さが混ざった声で返事してしまう俺。
残念さってなんだよ、くそう。
そりゃちょっとは期待してたけどさぁ。
「お願いって言うのは、私が今欲しい物の事」
「ああ……って、なんでわざわざネカフェなんだよ。しかもここ……」
俺は部屋の中を見渡す。
ネカフェは個室と言っても、仕切りがあるだけで天井は繋がっているタイプと完全な個室で防音完備の二種類がある。ここは後者だった。
そのせいでえっちなお願いだと勘違いしたんだけどな!
「まあ、声は聞かれたくなくて」
「よくわからねえな……んで? 欲しい物ってなんなんだ?」
ヒナの意図は掴めなかったが、とにかく欲しい物が聞けるなら聞こうじゃないか。
「…………ん」
「ん?」
ヒナは俺の事を指差し、小さく唸った。
いや、俺と言うよりは俺の耳?
「カイトのピアスが欲しい」
「へ? これ?」
ヒナが指差していたのは俺の耳に着けられているピアスだった。
今まで散々学校に着けて行ってはヒナに没収されるのを繰り返していたピアス。
もちろん今日は学校外なので没収はされていない。
「俺と同じピアスが欲しいのか? だったらこのデパートにも売ってたと思うけど……」
「そうじゃなくて、カイトのが欲しいの」
「今付けてるこれって事?」
ヒナは小さく頷く。
心なしか、どんどん顔が赤くなっている気がする。そこまで恥ずかしい事だろうか。
「こんなのでいいって言うなら俺は全然構わないけど、本当にいいのか?」
「……うん」
「そこまで言うなら、ちょっと待ってろ………………ほら」
ピアスを外すのは何も難しくない。俺は両耳のピアスを外してヒナの手に乗せてやった。
「ありがと……」
「んで、もしかしてお願いってこれで終わりか?」
「ううん、もう一個だけある」
そうだろうな。せっかくの誕生日デートだ、こんな安物のピアスで満足する訳ない。
まあ、俺の身に付けてたものが欲しいって言う乙女心がわからない程鈍感でもないけれど。それにしたって安物だからな。もう少しわがままになったって良い。
ヒナはさっき取り出した薬局の袋をガサゴソと漁り出した。
中から出てきたのは真っ白なタオル。それともう一つ。
「……ピアッサー?」
ピアッサーと呼ばれる、簡単に言えばピアスの為の穴を耳にあける為の道具だ。
小さな針を覆う様な形の道具で、耳たぶに押し当ててパチンと押せば簡単にあけられる。
「あーそうか、ヒナにピアス穴なんてねえもんな」
優等生で委員長のヒナ。ピアスなんて無縁な人生だったはずだ。
それも俺から貰ったものを身に付けたいからピアスデビューと言う事か。なんだかむず痒くもある。
「でもさ、なんで今取り出したんだよ。ご丁寧にタオルまで買って……?」
「…………」
「何でそんなに緊張……ッ!!?!?!?」
反射的に俺はその場で立ち上がった。
さっき俺は自分の事を鈍感じゃないと言った。
訂正する。俺と言う奴は本当に鈍い野郎だ。
だから全てを理解するのにこれだけ時間がかかってしまった。
「お前……お願いって、まさか…………」
俺のピアスを欲しがった。
わざわざ今ピアッサーを買ってきた。
俺にまだお願いがある。
そのお願いを口にするのに酷く緊張した様子のヒナ。
ここまで情報を並べられて、俺はようやく答えに辿り着く事が出来た。
「…………っ」
ヒナは真っ赤な顔で、震える身体で、意を決した様子で、絞り出す様に俺へのお願いを口にした。
「……私の耳にピアス穴あけて、カイト」




