第十二話【授業中、保健室、二人だけの時間】
「いたた……」
体育の授業中。
男女に分かれて女子はバレーボールだったのだが、無理にジャンプをして思い切り足をひねってしまった。
一人で歩けない程では無かったけれど、体育の授業を続行するのは難しく、私は保健室に向かって歩いていた。
「……気が進まないけど」
私の足取りは重かった。
怪我をしてしまったら保健室に行く、学生なら当たり前の常識。
しかし私にとって保健室とは、出来れば関わりたくない場所に他ならなかった。
◇
「……失礼します」
コンコンと扉を数回ノックし、保健室の主に声をかける。
「開いてるよ。入って来たまえ」
気の抜けた返事に警戒心を抱きながら、私は保険医に近寄った。
「……おや? 珍しい事もあるものだねぇ」
保険室の主、逆月紗霧は私の顔を見て興味深そうに微笑んだ。
対する私はむっとしていた。
「私もそう思います」
「そうだろうとも。白銀生徒はお姉さんの事が大嫌いだからねぇ」
「誤解しないでください、吸血霊鬼が嫌いなんです」
口ではそう言ったが、内心少しだけ図星を突かれた気分だった。
悲観的な事を笑いながら言う逆月先生は、いつも私より上手な感じがして苦手だったのだ。
長年生きてきた経験、退魔師の訓練を受けた相手を前にしても揺るがない余裕、対面する私が余計子供に思えてくるから。
「さ、足を見せたまえ」
逆月先生は近くの棚から包帯と湿布を探しながら私に椅子に座るよう促した。
「えっ? 私、足を痛めたって言いましたっけ」
「保険医を侮るなかれさ。今まで何人の生徒を手当てしたと思ってる? 歩き方を見れば一目瞭然さ」
「……そうですか」
話が早いのは良い事だ。だが早すぎると恐ろしさすら覚える。
私は裸足になり、腫れた足を逆月先生に委ねた。
「キツく縛るから最初は少し痛いよ」
「大丈夫ですそれくらい」
「ふふ、強気なお嬢さんだね。お姉さんが痛くない様にしてあげようか? んべ」
「結・構・で・す!」
私の足をさすりながら、挑発するように舌を出す逆月先生。
吸血霊鬼が言う麻酔は唾液、つまり私の足を舐めてあげようかという申し出。もちろん却下だ。
逆月先生は私の反応が面白かったのか、ケラケラと笑いながら包帯を巻いた。
「んっ……くっ」
「随分と色っぽい声を出すね。ひょっとしてお姉さん誘われてるのかな?」
「セクハラで訴えますよ?」
「冗談さ。馬に蹴られる趣味は無いからね」
この人は本当に、隙あらば人をからかってくる。
口を動かしながらも手はよどみなく包帯を巻いている辺り、保険医としての経験を感じさせるのがまた頭にくる。
「さ、終わったよ」
「ありがとうございました」
「……っと、どこへ行くんだい?」
包帯も巻き終わり、ここに居る理由も無くなった私は、立ち上がって保健室を出ようとした。
「教室に戻って、体育の授業が終わるまで待っていようかと」
「真面目だねぇ……そんな真面目な白銀生徒に頼みがあるのだが」
逆月先生はそう言って保健室の鍵を私に手渡した。
「えっと、これは?」
「実はもう一人そこのベッドに寝ているんだけど、お姉さん今からちょっと出掛けなくてはいけない用事があってね。真面目なクラス委員長の君にその生徒の様子を見ていて欲しいんだ」
「えっ? ちょっと!」
私に説明しながら、逆月先生は白衣を椅子に掛けて外出用の上着に着替えていた。
「待ってください! 私まだやるなんて一言も……」
「いいじゃないか。昼休みには戻るから、それまで白銀生徒もベッドで休んでいるといいよ。なあに、君も怪我人なんだから遠慮する事は無い」
私の返事を待たずして、逆月先生は保健室の扉を開けて私を置き去りにしてしまった。
扉を閉める前に、こちらを向いて一言だけ残していった。
「邪魔は入らないよ。ごゆっくり」
意味深すぎる一言を。
「ごゆっくりって何よ、もう……」
逆月先生は昼休みには戻ると言っていたが、今の授業から昼休みの間にはもう一科目授業が挟まる。時間にして一時間以上はある。
そこまでの重症では無いと思うのだが。
「でも頼まれちゃったし、せっかくだから私も横になっていようかな」
なんだかんだ足が痛いのも事実だった。
私は裸足でひたひたと歩き、ベッドを仕切るカーテンに手をかけてゆっくり開いた。
ついでに他の利用者が誰なのかの確認もしなければ。
「……えっ? なんで!?」
その瞬間、全てを理解した。
なぜ逆月先生はこの生徒の面倒を私に任せたのか。
なぜベッドで寝ている様促したのか。
なぜ「ごゆっくり」という言葉が出て来たのか。
「…………どうしてカイトが寝てるのよ」
目の前のベッドには、今頃女子と別れてグラウンドで体育の授業を受けているはずのカイトが寝息を立てていた。
「カイトも怪我したの? でもそんな都合よく……じゃあサボり?」
逆月先生は何も言っていなかった。
だがあの人なら生徒が訪問した理由が怪我でも仮病でも受け入れてしまうだろうと言う負の信頼があった。
「…………ふーん、そっか」
そんな事、私にはどっちでも良かった。
重要なのは、今私の目の前でカイトが無防備に寝ているという事実。
部屋の鍵は私の手にあって、昼休みまで誰の邪魔も入らない。
「……ごめんなさいね。私、みんなが思ってるほど真面目じゃないの」
私は葛藤するまでも無くベッドに潜り込んだ。
もぞもぞと掛布団の中を進み、程なくしてカイトの目の前に現れる。
「特にカイトに関しては、負けるくらいなら卑怯だってかまわないもの」
カイトの腕を引っ張り、勝手に腕枕にして横になる。
こんな事言っておいてやりたい事が腕枕なのは自分でもちょっと初心うぶすぎると思うが。
「……懐かしいな」
幼馴染のカイトとは小さい頃からよく一緒に遊んでいた。
どちらかの家で遊んで、そのまま一緒にお昼寝をした事も沢山あった。
小さい頃はこうして一緒に寝ても何も思わなかったのに。
いつからだろう、こうしたいと思うようになったのは。
いつからだろう、こうしたいと思っても出来なくなったのは。
「……でもレイカさんは今でもこうしてるのよね…………」
以前カイトに言われた言葉を思い出す。
『……ちゃんと正直に話すと、あいつが勝手に風呂やベッドに潜り込んでくる事はある。』
私はカイトが好き。カイトの恋人に選んで欲しくて、出来る限りのアプローチを仕掛けている。
だが困った事に、カイトを好きな女性は私だけでは無いのだ。
吸血霊鬼のレイカさん。カイトと一緒に暮らしてる恋敵。
一目でわかった、あの人も本気でカイトの事が好きだと。
いくら私が正攻法で攻めても、同じ家に住んでいるというアドバンテージは中々覆らない。
この前だってカイトは首の周りにキスマークをこれでもかと付けられていた。
あれは辛かった。本当に負けたんだと思った。
カイトは何もしていないと言っていたし、その言葉を信じたけど、あの痕は間違いなくキスマークだ。
カイトにそんな事をするのは、出来るのは一人しか居なくて。
「…………そーっと、そーっとね」
カイトの体操服をめくり、新たな痕がないかどうか確認する。
カイトの肌は綺麗で、キスマークも吸血痕もどこにも無かった。
私は安堵して体操服から手を離した。
「よかった……」
レイカさんは毎日の様にマーキングしている訳じゃない、それが分かっただけでも収穫だった。
きっとレイカさんにとっても覚悟の要る行動だったんだろう。
「…………」
それか、魔が差して取った行動だったのか。
例えばそう、今の私の様に。
「もうちょっとだけ、確認しないと……」
再び体操服をめくり、カイトの肌を眺める。
否。眺めるだけで飽き足らず、頬ずりをしてみたり、匂いを嗅いでみたり。
好きな男の子が目の前に寝ているのだ、これくらいしたっていいじゃないか。
「すんすん……ふふ、汗の匂いがする」
体育の授業を受けてきたのだから当然だが、カイトの体操服の下は汗の匂いが充満していた。
他人の汗の匂いなんて普通不快に思うものだと思うが、カイトの匂いからは顔を遠ざけられずにいた。
「それになんだか、カイトの身体がっしりしてる」
今度はカイトの腹や胸に手を添え、その感触を確かめた。
筋骨隆々、マッチョと言う訳ではないけれど、ごつごつした骨格と引き締まった身体に、自分の女の身体との違いを感じてドキドキしていた。
「カイトも、男の子になってたんだ。そりゃ私の事も簡単に背負えるよね」
カイトと喧嘩した日。私を学校まで背負ってくれた時の事を思い出し、カイトの胸板に顔をうずめた。
「やっぱり好き。好きだよカイト……」
このまま頭を撫でてほしい。
力強く抱きしめてほしい。
カイトからも沢山愛を囁いてほしい。
様々な願望が浮かんできては、押しとどめた。
すぐに叶いはしないけど、願うだけならタダだから。
◇
「……そろそろやめなきゃ」
やりたい放題やって、やっと冷静になった私はカイトの胸から顔を上げた。
「もしこんな事してるのがカイトにバレたら、恥ずかしすぎて死んじゃうもの……」
眠っているカイトに勝手に添い寝する。
眠っているカイトの服をめくって観察する。
眠っているカイトの身体に触りまくる。
控えめに言ってもスリーアウトだろう。
いくら恋する乙女だと言っても限度がある。
「さ、ちゃんと布団を掛けておかないと」
証拠隠滅の為に、最初に見た時の様に掛布団をカイトに掛けようとした。
「……いや、起きてんだけどさ」
「……………………………………」
カイトと目が合った。
閉じているはずのカイトの目がばっちり開いていた。
開いて、私の顔をまっすぐ見つめていた。
「…………」
何も見なかった事にしてカイトの顔ごと布団を掛けた。
「いやいやいや! なに無かった事にしようとしてんだよ!?」
ダメだった。
「カイト!? 起きてたならなんで言ってくれないのよ!!」
「ちげーよ寝てたんだよ! 寝てたのにどっかのドスケベ女に起こされたんだよ!!」
「どっ……はぁぁぁぁ!? どっ……す、けべ……女って、誰の事よ!!」
「お前以外どこに居んだよ!!」
顔を真っ赤にして言い合う私とカイト。
私はそんなんじゃない。そう言いたかったのに言える材料がどこにも無かった。
「いや~びっくりしたぜ。普段あんだけ風紀が何だ校則が何だって言ってるクラス委員長サマが、同年代の男子の身体に興味津々とはなぁ?」
「うぐっ……い、いつから起きてたの!?」
「ガバッと服めくられた時だよ。最初は怪我とか心配してんのかと思ったけど、まさかもう一回めくられるとは思わなかったぜ?」
「く、くうぅ……」
普段の仕返しとばかりに、先程の行為をカイトに責め立てられる。
私をからかって楽しそうなカイトに対し、私の顔はどんどん熱くなっていった。
だと言うのに、カイトの言う事が全部本当の事だからまともな反論も出来なかった。
「それにヒナ、お前自分も体操服なの忘れてねえよな?」
「た、体操服がどうかしたの……?」
「……お前、さっきの自分の体勢思い出してみろ」
「…………っ!?」
私はとっさに自分の胸を覆い隠した。
「お前さ、あんま薄着で男子に密着しねぇ方がいいぞ~?」
カイトの胸に顔をうずめていた。
気付けば私はカイトに馬乗りになっていた。
それだけ密着していれば、出ている所は押し当てられる。
胸の様に柔らかい物は尚の事。
「え、えっち……!!」
「押し当ててきたのはそっちだろうが、ドスケベ委員長?」
「お、押し当てたかったわけじゃ……!」
「好き好き言いながら抱き着いておいてか~?」
ダメだ、何も言い返せない。
このままじゃ本当にドスケベ女になってしまう。
私はそんなんじゃないのに、否定できないのももどかしくて。
「うぅ……うわぁぁぁぁん!! かいとのばかぁぁぁぁっ!!」
「おわっ!?」
感情が昂るあまり、大泣きしてしまった。
「あちゃ~、ちょっとからかいすぎたか? いや、からかうのに充分な事されたはずなんだが……」
「ばか! かいとのばか!!」
今更反省して私の機嫌をうかがうカイト。
しかし私の口からは子供の口喧嘩の様な罵倒しか出てこない。
酷い話だ。悪いのは圧倒的に私なのに。
「ったく、しょうがねえなあ…………よっと」
「ひゃん!?」
不意に、カイトにベッドへ引きずり込まれた。
すかさず二人を覆う様に布団を掛けられ、カイトの顔が目の前に迫る。
「悪かったな。この前の事気にしてたんだろ?」
「……この前って」
「キスマーク事件だよ。つっても俺はまだ疑ってるんだが……ヒナはそうじゃねえんだろ?」
カイトの言う通りだった。
カイトからしてみれば、自分の身に覚えが無ければそれが違うという一番の証拠になる。
でも私から見たら、カイトの首元に付けられた沢山の痕はキスマーク以外の何物でもなかったのだ。
「俺は二人から好きって言われて、二人からの好意を素直に受け取ろうと思ってるからさ、どっちかを贔屓するのはズルいかなーって思ってんだ」
「…………うん」
「でもさ、学校でしか会えないヒナと一緒に住んでるレイじゃ、やっぱちょっとレイに分があるかなーとかも思うんだよ」
「……お風呂とか添い寝とか?」
「あらためて言葉にされると本当に不公平だな、その二つ……」
カイトは私の頭に手を添えると、昔のように優しく撫でた。
「だからまあ、たまにはこういう二人きりの時間もいいかなって思うんだけど、ヒナはどうしたい?」
「……良い事言ってさっきからかった分無くそうとしてる?」
「あ、バレた?」
ジト目で睨みつける私にニヤリと笑い返すカイト。
それでも許してしまいそうなのは、惚れた弱みと言う奴なのだろうか。
「……じゃあ、こうしたい」
「って、おい!!」
「ぎゅーーっ……」
どうしたいと聞いて来たのはカイトだ。だから私はやりたい事をしただけ。
布団の中でカイトに密着し、ぎゅっと抱き着いた。
「薄着で密着しない方がいいっつったろ」
「好きな男の子相手なら良い武器になるでしょ?」
「うぐ……」
「私知ってるんだから、カイトがこうやって女の子に密着されるの好きなの」
「嫌いな男はいねえって!」
「好きって認めたね~? じゃあ、ドスケベ君だ」
「言いやがったなお前!」
二人で顔を見合わせて吹き出し、声を出して笑い合った。
なんだかカイトとこういうくだらないやり取りをするのがすごく久しぶりな気がした。
クラス委員長とか、恋愛感情とかの前。ただの幼馴染だった頃の様なやり取り。
もちろん、こうしてる間もあの頃と違う所はあるけど。
「……カイト」
「どうした?」
「レイカさんの事、抱いた事はある?」
「抱い……はぁ!?」
「あ、ごめん。ぎゅってした事ある?」
「あ、あーそっちね……」
カイトは気まずそうに指を一本立てた。
「……一回だけ。真面目な話した流れで」
「ふーん……じゃあさ」
私はカイトの上にのしかかり、上目遣いで頼んだ。
「一回だけ、今だけでいいから、私の事もぎゅってして?」
「…………はぁ」
カイトは照れ臭そうに目を逸らし、それを誤魔化す様にため息をついた。
「……贔屓は良くないって言ったもんな」
そう言ってカイトは私の腰に手を回し、ぎゅっと身体を抱き寄せてくれた。
「ん……カイトの身体おっきくて、あったかい」
「いや暑いだろ」
「保健室はエアコンかかってるからちょうどいいよ……ふふっ♪」
そこで私はすこしいたずら心が湧き、仕返しも兼ねてカイトに訊ねてみた。
「レイカさんと私、どっちの方が抱き心地いい?」
「……お前そういう所あるよな」
私はみんなが思うほど真面目ではない。
でもカイトだけは、そういう私も知っている。
こういうずるい質問だって、カイトの前では出てしまうのだ。
「レイの方がひんやりしてて夏場はありがたいんだよな。でもヒナの方が……」
「私の方が?」
「……やっぱ何でもない」
「答えてよ、引かないから」
「…………ヒナの方が柔らかくて、いい感触だと思います」
「ふーん、そっか」
前に見た時、レイカさんはスラっとしててモデル体型って感じだった。
でも私の方が胸も大きいしお尻も大きい。
抱き心地なら私の方がいい自信があった。
勝手に勝ち誇った気になって一人ほくそ笑んだ。
「正直に答えてくれたカイトには、昼休みが終わるまでこうして私を抱きしめる権利をあげるね」
「んだよそれ、頼んできたのお前の方じゃねえか」
口ではそう言いながらも、カイトは私を離しはしなかった。
それに気分を良くした私は、カイトに全身を委ねた。
「…………すぅ」
カイトの鼓動に耳を澄ませていたら、いつの間にかカイトの寝息が聞こえてきた。
カイトの規則的な寝息と鼓動を聞いていたら、次第に私の目蓋も重くなっていった。
「おやすみ、カイト……」
そうして私は、何年かぶりのカイトの添い寝で深い眠りに落ちていった。
◇
「いやはや、遅くなってしまった。もう昼休みも終わってしまうよ」
用事を片付け帰ってきた私は、白銀生徒に叱られないかヒヤヒヤしながら保健室の扉を開けた。
「すまなかったね、ずいぶん待たせてしまったようだが……おや? 随分静かだが……」
保健室の中は静まり返っていて、人が起きている気配はなかった。
となると、白銀生徒はベッドの上か。
私はベッド横のカーテンをそっと開いた。
「……おやおやおや、これはこれは」
私の視界に飛び込んできたのは、二人仲良く同じベッドで眠る神上生徒と白銀生徒の姿だった。
私としてはもう少しやらしい雰囲気になっているかと期待していたのだが、これはこれで良き青春の一枚だろう。
「今日の午後は保健室閉業だね」
私は救急箱をひとつだけ手に持ち、書置きを一枚用意した。
「御用の生徒は職員室まで」と書かれた紙を扉に貼り、鍵を閉め、私は職員室へと向かった。
馬に蹴られるのも、白銀生徒に十字架パンチされるのも嫌だったからね。




