第十一話【夜、寝室、あなたの匂い】
「ガチャ……」
真夜中の部屋。カイトの部屋。
カイトはもう寝ている。だから起こさない様静かにドアを開けて、そっと中へ足を踏み入れる。
「今日も来ちゃった……」
カイトはあたしを拾ってくれた時、空き部屋をあたしにくれた。
だから寝る時はそれぞれ自分の部屋があるんだけど、あたしはたまにカイトが寝たのを確認して、こっそり部屋に忍び込んでいた。
「んしょ……っと」
カイトが横になるベッドに潜り込んで、すぐそばに寝転ぶ。
カイトのベッドの中はカイトの匂いでいっぱいで、凄く安心する。
「カイト……」
あたしは、カイトの顔の横に手をついて、覆い被さる様にしてカイトの顔を眺めた。
そのまま眠るカイトの顔にどんどん近付いて、カイトの唇が当たりそうなぐらい傍に寄った。
「すー……くかー……」
あたしの耳をくすぐるのはカイトの寝息。
強くも無く、弱くも無く、一定のペースで深い呼吸を繰り返していた。
カイトの寝息を確認したあたしは、そのまま布団に潜り込んだ。
「どくん……どくん……」
今度はカイトの胸に耳をあてる。
息を吸う度に膨らみ、吐く度に縮む。ちゃんと呼吸をしている証拠。
カイトの心臓も、起きてる時と比べてゆっくりなペースでリズムを刻んでいた。
「…………」
今日もカイトは健康そうだ。
あたしは安心して、カイトの横に寝転がった。
「よかった……ちゃんと生きてる…………」
毎晩寝て、毎朝起きる。当たり前の毎日。
カイトもその当たり前の毎日をちゃんと重ねてくれている事が、たまらなく嬉しかった。
あたしの存在が、カイトの当たり前の毎日を壊していなくて本当に良かった。
「……うひひっ…………」
「わ、くすぐったかったかな……?」
カイトの首筋にそっと手を伸ばす。
触れた瞬間カイトの口からくすぐったそうな声が漏れたけど、起こしてしまう事は無かった。
カイトの首筋。いつもあたしに血をくれる場所。
普通吸血霊鬼の吸血は何日か置きに一回で充分なのに、あたしのわがままで毎日血をくれるカイト。
そのせいでカイトは貧血で辛そうだけど、それを理由にあたしに文句を言った事は一回も無かった。ちょっとした小言はあったけど。
「ごめんね、カイト。あたしが普通の量で満足できたらいいんだけど……」
カイトはこの前「俺の血がまずいからか……?」って聞いてきた。
正直すごく美味しい味ってわけじゃない。でもその時カイトに言ったのも本心だった。
その後「俺の血がまずいから何回も飲む必要があるのか!?」って聞かれた時は答えられなかった。恥ずかしかったから。
前に聞いたんだ、あたしはまだまだ成長期だから、身体が安定した人よりも多く血を吸う必要があるって。
でもそれをカイトに言いたくなかった。だってあたしが食いしん坊みたいに聞こえそうだったから。
好きな男の子にそう思われるのは、恥ずかしすぎて耐えられないから。
だから急いで部屋に逃げた。カイトには勘違いさせちゃったみたいで申し訳ないけど。
「……それも、わがままなのかな」
紗霧ちゃんは「血が足りないならいつでも来ると良い。輸血パックはいくらでもあるからね」と言ってくれた。
保健室でカイトを待ってた時も分けてくれたけど、あたしは断った。
そうすればカイトの負担も減るし、あたしももっとお腹いっぱいになれるし、何も悪い事は無いはずだった。なのに断った。
理由はやっぱり、自分勝手なもので。
「あたしの身体、カイトでいっぱいにしたかったから…………」
あたしのお腹を満たすのはカイト。
あたしの身体を育てるのもカイト。
あたしの命を繋いでくれるのもカイト。
あたしの全部、カイトが良かった。
もちろんカイトがそれで体調を崩したり、入院したら話は別だけど。
カイトに余裕がある間は、カイトに甘えていたかった。
「でもいいよね、カイト……?」
あたしに居場所をくれるって言ったのはカイトだから。
あたしに、居てもいいよって言ってくれたのはカイトなんだから。
「……そろそろ戻らないと」
カイトの健康診断は終わった。
後は起こさないうちに退散しないと、勝手に潜り込んだのがバレたらまた怒られてしまう。
カイトに怒られるのも好きだけど、怒らせたい訳じゃないから。
あたしはそっとカイトから身を退いた。
「……んん」
「ひゃっ!?」
今まで何度もバレずにやってきた。カイトを起こさずに退散するのも随分慣れたはずだった。
しかし今夜はそうもいかなかった。
「あづい……」
最近夜も暑い日が続いていた。
カイトも寝苦しかったのか、あたしの身体を掴んで放さなかった。
あたし達吸血霊鬼の体温は大体二十五度、指先とかはもっとひんやりしているから。
「はわわわわわ……!」
もちろん、理由なんてどうでもよくて。
カイトにぎゅって抱き締められてる事実が、あたしの頭をいっぱいにさせた。
「あぁ……ひんやり……」
あたしを抱きしめてるカイトはあたしのひんやりボディで寝心地がよさそうだ。
一方あたしは今にも頭が沸騰しそうだった。
あたしはいつもカイトから血を貰う時に、半分抱き着いている様な体勢を取る。
あたしからカイトに引っ付いたり抱き着く事もよくある。
だけど、カイトから抱き締めてくれた事は今までたった一回しかなかった。
あの時は大切な話をしていたから、カイトが抱き締めてくれたのも少しは心の準備が出来ていた。元々あたしが抱き着いていた所を抱き返してくれた形だったし。
でも今は違う、完全に不意打ちだった。
「どうしよ……どうしよ……!」
カイトの、普通の人の腕を振りほどくのは簡単だ。
でも無理に逃げればカイトを起こしてしまうかもしれないし、なによりこんな貴重な体験を終わらせていいのか悩んでもいた。
不意打ちで、しかもカイトから抱き締めて貰えるなんて、もう二度とないかもしれない。
そう思うと、あたしの胸は張り裂けそうなぐらい高鳴って、身体の奥からゾクゾクが込み上げてきた。
「……ん、レイ……」
「ふぇ!?」
不意に名前を呼ばれ、慌ててカイトの顔を見上げる。
「…………すぅ」
「ね、寝言……?」
カイトの口はそれ以上何かを呟く事は無く、再び規則的な寝息を立て始めた。
だが今の寝言のせいで、カイトを起こさなくてよかったという安心と共に別の感情が湧き上がってくるのを感じた。
「…………カイト、あたしの夢見てるの?」
こうしてあたしがベッドに潜り込んでいるんだから仕方がない。
あたしの事を抱きしめているんだから仕方がない。
そういう建前は全て吹き飛んだ。
カイトが、寝ている時でもあたしの事を考えてくれている。
その事実だけで歯止めが効かなくなってしまった。
「……カイトが悪いんだよ?」
カイトの前ではいい子で居ようと頑張っていたのに。
ヒナタさんとも正々堂々戦うって決めたのに。
そうやってあたしの事喜ばせちゃうんだから。
少しぐらい仕返ししたって、罰は当たらないよね。
「……かいと、すきだよ」
◇
「くぁ~…………あふ」
カーテンの隙間から差し込む日差しに、珍しく目覚まし時計よりも先に目が覚めた。
「なんか頭がすっきりしてんな。よく眠れたのかな」
暑さのせいで最近寝苦しく、夜中に何度も目覚める日が多かったが、昨夜はそれが一度も無かったらしい。
おかげで久しぶりに気持ちの良い目覚めが出来た。
「とりあえず朝飯作って……あれ?」
いつもの流れで俺とレイ、二人分の朝食を作ろうとして異変に気付く。
普段なら大体俺と同じ時間に起きてくるレイの姿が見えない。
「靴はある。って事はまだ寝てんのか」
俺はレイの部屋の前に立ち、そっと聞き耳を立てる。
ノックで起こしてしまうかもしれない。かと言ってもし起きていて着替え中だったら計画的ラッキースケベになってしまうからだ。
結果として、レイの部屋から物音はしなかった。俺はそのまま静かにドアを開く。
「……寝てる」
レイのベッドには盛り上がった毛布とピンクの毛玉がちゃんとそこにあった。
まあレイにだって夜更かしする事ぐらいあるだろう。
「しゃーねぇ、冷蔵庫に入れておいてやるか」
俺は自分のと同じ分の朝食を皿に盛り、ラップをかけて冷蔵庫に入れてやった。
レイが気付く様に書置きもしといてやろう。
「……あ。つーかあいつ、自分である程度の家事出来るんだよな。別に俺がやってやる必要…………」
いつもの癖で二人分作ったが、最近レイもちゃんと人並みの家事が出来る事が判明したばかりだ。
だからこんな時まで気を遣ってやる必要は無いのだが。
「……ま、いっか。レイ、いつも俺の作った料理美味そうに食ってくれるからな」
こういう時、無邪気で可愛いってのは得だよなあとしみじみ思う。
それだけで周りも良い気にさせられてしまうんだから。
「んじゃ、行ってきます」
久しぶりに返答の無い挨拶を玄関に向け、俺は学校へと向かった。
◇
「あ! おはようカイト!」
「んー、おはよ」
教室にて、俺に最初に気付いたのはヒナだった。
ヒナは俺の顔を見た途端日が差したように明るくなる。
こうやって見ると、本当に露骨な奴だな。
「なんか今日は顔色いいね。何かあった?」
「うーん、特になんも無かったんだけど、やけに寝起きがすっきりだったんだよ」
「へぇ、カイト低血圧気味なのに珍しいね」
「なー。俺もそう思う」
ヒナとそんな会話をしながら自分の席に向かう。
「うわ、この辺あっついな……」
廊下側のヒナの席と比べて、窓側の俺の席は明らかに体感温度が違っていた。
加えて容赦なく日も差してくる。これは今日も一日地獄そうだ。
俺は胸元をパタパタしながら服の内側に冷気を送った。
「窓際の人は大変そうだねぇ。はいこれ、今日のお弁……と…………」
「おわーっ! あぶねぇ!!」
いつも通り俺に弁当を手渡してくれるヒナ。
しかし今日は俺を見て明らかに様子がおかしくなり、その手元から弁当が滑り落ちた。
「わっとと、セーーーーーフ!!!」
間一髪の所で俺の両手はヒナの弁当をキャッチする事に成功した。
危ない所だった。最近の俺の昼食は全てヒナに任せっきりだから、昼飯抜きになる所だった。
せっかく早起きして作ってくれたであろうヒナの弁当だ、ご飯一粒も無駄にするわけにはいかない。
「……って! どうしたんだヒナ!? 急に固まっちまいやがって!!」
「あ…………う…………」
俺の声掛けにも大した反応は無く、ヒナはただうめき声をあげていた。
「…………ぐすっ」
「は!?」
そしてしばらくそうしていたかと思うと、急にぽろぽろと涙を流し始めたではないか。
「ど、どうしたヒナ!? どこか痛いのか? 辛い事でもあったか!?」
「…………わ、私、負けたんだ……」
「何が!?」
ヒナの言葉がまるで理解できない俺。
わなわなとヒナの周りをぐるぐる回る事しか出来なかった。
「やっぱり、お弁当ぐらいじゃ同棲には勝てないんだ……」
「だから何の話だって……」
「ぐすっ……隠さなくてもいいよかいと……首元……」
「首元……?」
ヒナはそう言って俺の首元を指差した。
そんな事を言われても自分の首元なんて、首の角度的に確認できなかった。
「ど、どうしたってんだよ……あ、もしかして吸血痕が残ってたとかか? おかしいな、いつもきれいに消えるはずなんだけど……で、でもヒナはその辺の事情知ってるだろ? たまたま残ってたのかもしれないけど、そんな泣き崩れる程の事じゃ…………?」
「…………そんなにいっぱい?」
「え?」
ヒナは泣きながら、俺に手鏡を貸してくれた。
俺はそれを受け取り、困惑しながらヒナの指差した場所を確認してみた。
「…………げっ!?」
そして俺は、自分の首元の環境に驚愕した。
ヒナが見たのは吸血痕では無かった。鎖骨、肩、うなじとあちこちに赤い点が付いていたのだ。
しかもそのどれもが痛くもかゆくもない。つまり、だ。
「……ゆうべは、おたのしみでしたね……」
「違う!! 断じて違う!! 俺は何もしてないしされてない……はずだ!!」
おかしい。昨夜は本当に何もなかった。むしろ普段よりぐっすりだった程だ。
レイだってちゃんと自分の部屋で寝ていたし、潜り込まれた形跡だって無かったはずだ。
だがこれが虫刺されなんかで無いと言うのは火を見るより明らかだ。
何故なら虫に刺されたぐらいじゃ、こんな吸い付かれたような痕にならないからだ。
百歩譲ってこれがその、本当に、アレだとして。
キスマークだったとして、あのレイがそんなマーキングみたいな事する訳ない。想像が出来なかった。
しかしそうでなければ説明がつかないのも事実。
「バウムクーヘンは美味しいやつ用意してね……」
「本当に! 本当に違うんだって!! ヒナが想像してるような事は何もなかったから!!」
涙を流して顔を覆い、完全に敗北ムードになっているヒナ。
結局俺はホームルームが始まるまでの時間をすべて使い、ヒナの誤解を解く事に成功した。
どんどんクラスメイトが教室に入って来るにつれ、周りからの視線が突き刺さってきたが、それでもヒナの誤解は解けたのだ。
クラスメイトの俺に対する誤解は深まってしまったが、今更だろう。
「カイト~、委員長に飼われてるヒモってだけじゃ飽き足らず、他の女にまで手を出したのかよ~?」
「…………」
ホームルーム中、半笑いで俺を煽るアユ。
現時点でクラスからの印象はこれなのだ。もう何を思われようと変わらん。
完全に的外れって訳でも無いしな……。
(…………本当にこれ、レイがやったのか?)
暑いのを我慢し、パーカーを上まで閉めた今では、もう首元の痕は見えない。
それでも、その痕が昨夜俺に付けられたという事実は変わらなくて。
本当にこれがキスマークなんだとしたら、犯人は一人しか居なくて。
「……はっ。ねーな」
その犯人像をすぐに振り払った。
いつも無邪気で、人見知りな癖に距離近くて、情緒も思考も幼いレイがそんな犯行に及ぶわけがない。
これは虫刺されか、何かしらの肌荒れなんだろう。きっと。
◇
「か、かいとぉ…………うぅ~~~~~~~っ!」
一方その頃、レイの部屋。
毛布にくるまって顔を真っ赤にしながら、大胆過ぎる自分の行動に一晩中恥ずかしがっていたと知ったのは、それはもうずっと後の事だった。




