7 別れ
どうぞよろしくお願いします。
会社で時々見かけるスーツ姿で、後ろに秘書(男性)を連れた敏夫。
私の顔を見るなり、慌てたように話し出した。
「昨夜、話を聞いて!
夜のうちに来たかったけど、美咲とおじさんに足留めされてっ!」
だから?
私は首を傾げる。
「お別れの挨拶に来てくれたの?
美咲も午後じゃない?
それまで一緒にいてあげないと!
美咲は半年の期間短縮になったんでしょ。
半年したら、結婚式だね。おめでとうございます」
最終的にはにっこり微笑みながらそう言った。
「なんで?
アレクは志願なんて……。
俺は……」
「私にとって敏夫は幼馴染で、従姉の美咲の婚約者だよ。昨日まで勤めていた会社の次の社長候補でもあるね。
私のことを友人として心配してくれていたのは知ってる。
ありがとうね」
「アレク……。俺は……」
その時、階段をゆっくりと上がってくる音が響く。
管理人さんが階段を上がり切ってから笑って言った。
「ははっ、朝帰りの不良娘が!」
「すみません……。最後の夜は恋人と過ごしていて……。
もしかして、夜、来て下さったのですか?」
「まあね。夜中、あんたの部屋の前で男がふたり、ドアを開けようと騒ぎを起こしてね」
「ええっ! それは申し訳なかったです。
きっと……、美咲ですね……」
「ああ、警察に通報したら、慌てて逃げていったよ。
前にもあったもんね。あの嬢ちゃんの嫌がらせだろ。
帰って来なくて正解だったよ」
管理人さんが豪快に笑う。
そして、敏夫と秘書を押しのけるように部屋に上がり込んできて、あちこち確認している。
「うん、大丈夫だね。心配はしてなかったが。
それにしても荷物、それだけかい!?」
「はい、食器や本は人にあげたり売ったりしましたし、古い服は処分しました。
食べ物は計画的に食べ尽くしましたし!」
私は笑う。そんな私を見て管理人さんも微笑んだ。
下の部屋に住む厳しいお婆ちゃんだったけど、それは誰に対してもそうで、ちゃんとしてれば、全然怖くない人だった。
「最後に恋人と過ごせて良かったね。
心配していたんだよ。
それなら、除隊後に帰る場所はあるんだね」
管理人さんの言葉に胸がズキンと痛んだ。
私に、除隊後はあるんだろうか? 何も考えていなかった。
私は曖昧に笑った。
鍵を渡すとお守りを渡された。
「……ありがとうございます」
「あんたのこと心配しながら見てた人はけっこういるんだよ。
私やそこの若社長とか。
軍の仕事が済んだら、恋人と幸せにおなりよ」
これも曖昧に頷いてお礼を言うしかない。
約一年、ひとり暮らしをした部屋を出て、階段を下り、管理人さんと別れる。
敏夫がカバンに手を掛けてきたので「やめて下さい」と私は拒否した。
敏夫が傷ついた顔をする。
「なんだよ……。さっきの恋人って話、嘘だろ」と拗ねたように言った。
「本当です。一晩泊めてもらって、一緒に過ごしました」
敏夫の表情が歪む。何か我慢している時の顔だ。
「俺のために……、守ってたんじゃ……」
「何を?」と聞き返してしまってから、秘書の存在に気がついた。
もう行かなきゃ。
「今までお世話になりました!
会社も退職しましたし、もうお会いすることもないと思います。
お元気で!」
ペコリとお辞儀してから、大きなカバンをガッと肩にかけて歩き出す。
後4時間ほど……。
まだ図書館は開いてない時間だ。
とりあえず、早朝からやってるファミレスにでも行くかな。
「アレクサンドリア!」
急に本名を大声で呼ばれて、恥ずかしい……。
そのまま首をすくめるように歩く速さを上げて遠ざかろうとした。
『アレクサンドリア』
そう私の名前。
母がつけてくれた名前。
父と母と……ハヤトは、私を『リア』と呼ぶ。
それ以外の人は『アレク』だ。
それ以外の人……、その中では敏夫が一番親しい人、だったのかもしれない。
「敏夫! 元気でね!」
私は最後に振り返って、幼馴染に別れを告げる顔になって微笑むと手を振って。
でも遠ざかる歩みは止めなかった。
読んで下さり、ありがとうございます。




