6 幸せな思い出
どうぞよろしくお願いします。
ハヤトは私のひとつ結びしている髪のゴムを解いて、髪を撫でてくれた。
黒く染めている髪。傷んでいる。そのことはもう言わなくていいだろう。
「……嫌だったら、言って下さい」
ハヤトはそう言って優しくキスしてくれた。
嘘でもいい。
今は、思いが通じ合って、結ばれたのだと、幸せだと思わせて欲しい……。
初めてで戸惑ったことはあったけれど、嫌ではなく……。
安心しきって、うとうとしてしまった。
いや、うとうとじゃないな、久しぶりの熟睡……。
目を覚ましたら、ハヤトの隣に寝ていた。お互い裸で、彼の腕が私の身体の上に掛かっていて。
重くはあるけれど、守られてる感じがした。
肌と肌が触れ合うのが温かくてすごく心地良くて、安心できた。
人に求めてもらううれしさもせつなさも温かさも、そして、なにもかもあげたいという愛しさと、私自身がハヤトを求める気持ちと……。
いろいろな感情と幸せを……貰った。
例え、嘘だとしても、一夜だけの行きずりの恋だったとしても、私だけの宝物のような思い出だ。
私はそっとハヤトの腕の中から抜け出すと、服を着てカバンを手に取り、静かに洗面所に行き、ドアを閉めた。髪を結び直し、顔を洗い、眼鏡を掛ける。
そして玄関に向かい、そっと開けて外へ出た。
入口はオートロックだったし、防犯カメラも多そうだった。鍵を掛けなくても数時間程度なら大丈夫だろう。
そっと閉めて、ドアに手を当てて「ありがとうございました」と呟き、記憶を頼りに外へと歩き出した。
もう始発が動き出す頃。
駅に無事にたどり着き、電車に乗り、二駅先の社宅……と言っても古アパートなんだけど、そこに帰り着く。
部屋に入り、鍵を閉めると小さな1Kの部屋を見回した。
もう持っていけないものはすべて処分してある。
布団はレンタルだし、家電と家具は置いていくことになっている。
大きめのカバンが布団の横にあり、そこには父と母の写真や思い出の品、大切な本、最低限の身の回りの品がまとめてある。
朝、9時に管理人が来て、部屋と鍵の引き渡し予定だ。
一年だったけれど、ひとりで暮らすのは……、楽しかったのだろうか?
さみしい気持ちになったことはあったけれど、母と父のことを誰にも邪魔されずに思い出しながら、前向きに生きていた時間だったのかもしれないな。
だから、最後に、自分のためにって、あんなに思い切ったことができた、のかもしれない。
昨夜のことを思い出し、恥ずかしくなって、畳んだ布団にもたれてじたばたしてしまった。
はあ、落ち着け。
買っておいたパンを食べ、グラスで水を飲む。
このグラスは母との思い出の品。父と私の湯飲み茶わんはもうカバンに入れてある。これだけは持って行きたいと思ったんだ。
グラスを洗い、タオルにくるんで大切に大きなカバンにしまった。
そして、また布団にもたれてうとうとしてしまう……。
ドンドンドン!
ドアが叩かれる音と振動に飛び起きた。
ん、もう9時?
壁の時計を見るとまだ8時だ。
もう管理人さんが!?
慌てて玄関のドアを開けた。そこにいたのは敏夫だった。
読んで下さり、ありがとうございます。




