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AMKZ

「殺してみろ田嶋ァッ!!」



 低く、低く、もっと低く。1歩目、2歩目でトップスピードへ。

 地面すれすれを獣のように駆ける。耳元で風が唸る。頬の肉が後ろへ持っていかれる。

 顔も体も地面と平行に、視線だけで田嶋を捉える。

 

 放出される氣で踊り狂う艶やかな黒髪。

 彼女と出会ってから数か月、俺は初めてその素顔を垣間見る。

 怖気を感じるほど美しき般若がそこにいた。

 

 

「絶対に殺すから―――ッ!!」


 

 下から上へ。地面を掠めるような軌道でナイフを振り上げる。

 


「いやなこったッ!」


 

―――――ギンッ



 渾身の一撃は、いつの間にか田嶋が持っていた小刀に阻まれる。

 数瞬の鍔迫り合い。歯を食いしばる俺の顔が田嶋の血走った瞳に映る。

 互いの生ぬるい吐息が届く距離。ほんの少しつま先に力を籠めれば、簡単に唇を奪えそうだ。

 


「よう田嶋。お前、美人だったのな」


「ふざけないで―――っ!」



 じりじりと押される。腕力も技術も負けていて鍔迫り合いで勝てるわけがない。

 田嶋が開いている左手を振り上げる。視界の隅に映るその手にはチキチキとおぞましい音を立てるカッターが握られていた。

 そしてそれは真っすぐ俺の首筋に向かって振り下ろされ――――

  


―――ドンッ 


 

 俺は発砲した。

 0距離射撃。実弾に等しい威力を誇る魔弾はしかし、田嶋の装甲に相殺され、眩い閃光を撒き散らして消滅する。

 冷たい汗が背中から噴き出した。

 硬い。硬過ぎる。少なくとも同世代の冒険者に見合った装甲ではない。


「――痛ぅッ」


 だが全ての衝撃を殺しきれたわけではないらしい。

 撃たれた左手を庇う様にして田嶋が後ろへ飛び退る。その顔には微かな怒りが浮かんでいた。

 


「ねえ一之瀬クン、なんで手を狙ったの…… もしかして手加減、かな……?」 


「さあな。必死だったし覚えてねぇよ」


「私、言ったよね、殺すって……」


「俺言ったよな、殺されないって」



――――ヒュンッ



 反射的に首を右に倒すと飛翔音が耳元を通り過ぎた。

 バツンっと頬が弾ける感触がする。ぬるりと溢れ出した血潮が滴となって顎から滴り落ちる。

 避けなければ完全に顔面に大穴が開いていたであろう投擲。


 一瞬たりとも逸らさなかった視線の向こう。

 泣きじゃくる少女が夜叉の仮面を被っている。


 俺は不敵に笑った。ぶっちゃけ虚勢だ。紙一重のやり取りを楽しめるほど俺は戦闘狂じゃない。膝だって震えてるし、ションベンちびりそうだ。

 肩も頬も、剥き出しの肉が燃えるように熱い。 


 それでも俺は笑うのだ。


 自信を鼓舞? 強がり? 気が触れた?

 理由は何だっていい。俺は狩られるだけの獲物じゃない。ターゲットでもなければ被害者でもない。


 俺達は対等だ。対等の仲間だ。対等であるために、俺は笑う。

 そして言ってやる。嘲るように。

 否定してやるんだ。真正面から。



「何が『殺す』だ。殺してみろバカヤロウ」



 返答は投擲。

 万年筆が俺の太ももにドスリと突き刺さる。だが俺は笑みを崩さなかった。

 骨をも粉砕するだろう田嶋の投擲が、多少の肉に刺さっただけで止まったからだ。

 

 なぜ喉を狙わない? なぜ心臓を狙わない? 


 眉間でもいい。むしろ胴ならどこでも致命傷だ。なのになぜ彼女はそうしない?

 本気ならば今ので終わっていた。俺は宣言通り殺されていたはずだ。

 

 だが、彼女―――田嶋は俺を殺さなかった。殺せなかった。



「殺すために生まれた……? ハッ 馬鹿言ってんじゃねえ」


 

 フォロースルーの態勢のまま、可哀想なくらい震える手を見たら馬鹿でもわかる。

 考えてみれば最初からそうだった。初撃だってそう、追撃だってそうだ。

 武戦の4人を相手に平気な顔してる猛者が、俺みたいなしょっぱいルーキー1匹相手に苦戦するはずがないではないか。

 刺さった万年筆を引き抜く。ビチャリと手を濡らす血がやけに熱い。

 下品に唾を吐き捨て、俺は彼女を睨み付けた。 



「誰が決めたんだよ、ンな事をよう―――ッ!」

「何も知らないくせに知った風に言わないでッ!!」



 悲鳴のような金切り声が空を劈く。

 どうみたって劣勢なのは俺の方なのに、彼女はまるで敗者のように叫んだ。



「私の家は殺人一族……っ 私は田嶋を体現するための人形でしかないッ! 当主の命令は絶対なの。お爺様は――――あの人は言った事は必ずやる。私がここで殺さなきゃあなたは本当に殺される、『外』で、本当の『終わり』が訪れる、あの人がそう言った……ッ!! だから――――っ」


「だから俺を殺すってか? 素晴らしい理由だ。いいねボタンを連打してやるよ。なんで俺に白羽の矢が立ったのか知らねえけど心底アホらしい。死ぬほどくだらねえ理由だ。ていうか逆にウケるし」


「笑い事じゃないッ! だから私はこうして――――」




 

 軽い眩暈がする。出血は止まってない。

 肩口から背中にかけインナーがヌチャヌチャしていて気持ちが悪い。

 太ももから伝った血液が靴に溜まり、深い水たまりに足を突っ込んでしまった時の不愉快さが拭えない。 


 倦怠感もあるし、少し寒気がする。段々手足か重くなっていく気さえする。

 しかしそんな最悪のコンディションの中


 俺は見たんだ。

 



「―――お前はどうしたいんだよ、田嶋」


「~~~ッッ!!」




 彼女が被る偽りの仮面に、正しく亀裂が入るのを。

 殺人鬼の仮面の下、助けを求めて泣きじゃくる少女の素顔を。


 答えなんて最初から堂々と目の前に置いてあった。

 殺すなんて宣言、そもそも要らないのだ。


 本当に殺すつもりならば、黙って俺の背後に回って喉を掻き切れば良かった。

 音も無く背後から暗器で心臓を一突きにすればよかった。

 それなのに、なぜ彼女は『決闘』なんてまどろっこしい事を選択したのか。

 俺は無慈悲に分かり切った答えを口にした。 



「正直に言えよ。『殺したくない』って」


「そ、そんわけない――ッ! だって、私は暗殺者(アサシン)の在来者(エルダー)で―――」


 

 彼女の仮面が剥がれ落ちていく。ボロボロと、音を立てて。

 自身を偽り、欺き、目を逸らし、そうして虚しい建前で塗り固めた虚構の鎧が、彼女が口を開くたび崩れ落ちていく。

 


「ぎ、技術も知識も欲求も本能も、全てこの血に宿ってるッ! 小さい頃から殺すためだけに生きて―――」 



 彼女だけがソレに気付かない。

 彼女の声が、言葉が、今この瞬間も自身を傷つけている事にすら気付かず、壊れた人形のように同じことを繰り返す。

 俺は爪が食い込むほど強く拳を握りしめた。




「じゃあ、お前はなんで泣いてんだよ……」


「…………え?」




 空気を読まず不規則に明滅する街灯の光が、その細いアゴからしたたる滴を確かに照らす。

 大きな瞳。彼女の本来の性格が表れているのか、少しだけ垂れた優しい目だ。

 戸惑い、瞬きするたびに、目じりから押し出された涙が、ハラリと頬を伝う。

 

 静まり返った森の中、ポタリと涙が地面で弾ける音。

 田嶋が恐る恐る頬に手をやった。その手が汗ではない水滴で濡れている事に気付き、地面に広がるシミを呆然と見下ろす。 

 


「ウソ……なんで、私、泣いて……」



 堰を切ったようにとめどなく溢れ出す涙。コントロール出来ない感情に戸惑いを隠せない田嶋。

 そして戸惑いは困惑に変わり、困惑が動揺に変わる。

 暗器を投げ捨て、改造制服の袖でゴシゴシ涙を擦りあげ、見る見るうちに赤く腫れていく目元。

 

 そこにいたのは生まれながらの暗殺者などではなかった。嬉しければ笑い、悲しければ涙を流す。そんな年相応の普通の女の子だ。

 

 その姿はあまりにも無防備で隙だらけで、そして今にも消え入りそうなほど小さく見えた。こんな女の子一人に、今まで誰も手を差し伸べる事すら出来なかったのかと思うと無性に腹が立った。

 

 今、攻撃を仕掛けたら確実に勝てるだろう。

 決闘である以上、白黒つけなければいけない場面なのだろうと思う。

 だけど俺は、どうしても彼女に言っておかなければならない事があった。

 


「お前が決めるんだ」


「え……?」


 

 暴力とはどう見ても縁遠い、白魚のような指先が必死に目じりを擦っている。

 俺は、彼女の怯えが滲む縋るような視線を真っすぐ受け止めた。



「自分が何をするのか、自分が何者なのか。お前が決めるんだ」


「でも、私は―――」


「『でも』じゃない。『欲しいものは自分で掴み取れ』、先生もそう言ってただろ。俺たちは何者にでもなれるはずだ。誰よりも自由なはずなんだ。だって俺たちは冒険者高専冒険科なんだぜ?」


「…………わからない、わからないよ一之瀬クン……」 


「だったら決闘しよう、田嶋」


「決闘……?」



 頭を抱えてイヤイヤと首を振っていた田嶋が、『決闘』という言葉に反応して俺を見る。

 だから俺は笑った。今度はその笑みにもっともらしい理由もたいした意味も無かった。

 なにより、こっ恥ずかしいセリフを吐いてしまった自分を誤魔化したかったのもある。


 俺達は頭空っぽの馬鹿だ。理屈をこねくりまわしたところで答えは見えないし、言葉で物事解決するなんてイマイチ信じきれない。

 ならば馬鹿は馬鹿らしく、何も考えずに腕力でゴリ押しする場面があったっていい。どんな結果になろうと、転がった先に答えはある。


 要するに、女の子泣かしてどこに着地すれば良いかわからなくなったので破れかぶれである。笑うしかないではないか。

 


「そうだ決闘だ。俺たちは冒険者だしな。俺が勝ったらお前のレベルアップを見せてもらうし、お前が勝ったらお前が本当にやりたい事をやるんだ」


「私が本当にやりたい事…… でも、そんなの、認めてもらえないよ……」

 

「俺が認める。いや、俺達が認める。絶対に俺はお前の夢を、否定しない」



 ずっと虚ろだった田嶋の瞳に、光が戻り始める。

 怯えと諦めしかなかったその澱んだ瞳に、ボッと何かに火が灯ったのをはっきりと感じる。 

 

 大きくも少しだけ垂れた目。芯の強さを表す真っすぐな眉と、桜色の厚ぼったい唇。

 貞子とあだ名される影の薄い女の子は果たして、文句なしの美少女だった。



「約束、してくれる……? 私の夢、絶対に笑わないって」


「おい、もう勝った気かよ。俺のレベルアップ鑑賞って可能性もあるですけど」


「絶対に負けないから大丈夫。絶対に、負けない…… ねえ一之瀬クン、『雨ニモマケズ』って知ってる?」


「え? ええと…… アレだ。耐腐食ビタミソAMKZ(アメニモマケズ)的なヤバい薬だ。ていうかお前の夢と関係あるのか?」




 そのやりとりに、殺す、殺されるといった殺伐とした空気は無かった。

 純粋な決闘だ。勝てる気がまるでしない。だがそれでも良いと思う自分がいる。

 切磋琢磨する上での勝ち負けは大した問題じゃない。俺たちはライバルであると同時に、仲間でもある。それを確認出来ただけで、結果は2の次だ。



「ふふふ、内緒……っ あと一応言っておくけど、斑目先輩の薬とは全く関係ないよ」



 エーテルガン(ライジング)のスライドをゆっくりと引く。カシャンと小気味の良い音が風に流されて消えていく。

 田嶋が赤い目元を指で拭い、吹っ切れたような笑みを浮かべながら、いつの間にか取り出したクナイをギュッと握った。これはこれで怖い絵面だと思うが口には出さない。

 冒険科では当たり前の光景なのだから。


 

「じゃあ」


「始めますか」


 


 そう言うと、俺達は互いに笑い合いながら距離をとった。

次話から急転

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