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田嶋薫子 

やっと書けた・・・ 山場その一

「決闘、しない?」


 チカチカと明滅する街灯が田嶋の影をぼんやりと地面に刻む。

 あんなにも騒がしかった森は今この瞬間、狙いすましたような静寂に包まれ、時折、獣か鳥かもわからない鳴き声が波紋となる。


 俺は無言でライジングのスライドを引いた。

 撃鉄に刻印された魔導紋が疑似固形化された魔導体に押し付けられる。あとはトリガーを引くだけで刻印が発動し魔導体が射出される。


 左手にライジング。右手に黒刃。

 言葉は必要ない。

 微かに震える指先でフィンガーレストを愛撫する。光源を背負っている俺は、伸びる自身の影の方にゆっくりと視線を向けた。

 

 そこに佇むのは一人の少女だ。

 【殺戮悪鬼】の異名を持つ暗殺者の在来者(エルダー)。

 名を田嶋薫子。

 

 その身に息づくのは、脈々と時代へ受け継がれた業。

 静かに滾る血潮に刻まれるのは、抗う事の出来ない殺戮の記憶。


 だというのに長い前髪に埋もれた彼女の顔が、今にも泣きだしそうに見えるのは気のせいなのだろうか。

 田嶋が軽く腕を払う。どこから取り出したのだろう、いつのまにか彼女の手には昏い光を放つクナイが握られていた。


 彼我の距離は僅か10数m

 合図は―――無い。応諾の返事すらも。

 

 トリガーを絞るのと、田嶋がクナイを投擲するのは同時だった。

 湿った破裂音はライジング。悲鳴のような風切り音は投擲暗器。

 

 半ば反射的に首を倒して回避を試みる。耳元を通り過ぎた擦過音に遅れて頬の皮がパツンと弾けた。

 田嶋は――――当然の如く魔弾を回避だ。

 2射、3射を体術のみで躱し、地を這うような超低空姿勢で突っ込んで来る。瞬きが明ければ既に迫撃の距離だ。



「速ぇよッ!!」

「遅いよ」



――――ヒュンッ



 一閃。

 またいつの間にか田嶋の手に在った小刀が、足首の高さで振り抜かれる。

 俺はそれを飛び退って避け――――明後日の方向へトリガーを絞る。田嶋の指に挟まれた棒状の何かが視界を掠めたからだ。

 

 射撃の反動(リコイル)で空中姿勢を無理やり崩し、次の瞬間、俺の顔があった位置を飛翔音が突き抜ける。鼻先数センチの空気が唸り声をあげる。喉から潰れたカエルのような声が漏れた。

 一瞬の判断ミスで終わる。一撃の攻撃で死ねる。

 

 そんなスピードと威力だ。

 こんなもの、レベルアップだけの筋肉バカには出来るはずも無い芸当だ。確実な技術がそこにある。

 殺る気マンマンじゃねえか!

 

 体勢を崩したまま無様に着地―――と同時に体を投げ出して地面を転がる。理由は無い。勘だ。

 ドスッドスッと地面を穿つ重い音が数発。


 次は避けれるか? 次を避けてもその次は? このままだと詰む。

 必要なのは攻めの一手だ。手が見えなければ見えるまで足掻け。


 俺は転がりながら盲滅法(めくらめっぽう)に撃ちまくった。当たらなくていい。牽制になればループを断ち切れる。


 そして、その賭けには――――



「…………勝ったぜッ」



 追撃の嵐、一瞬の凪ぎを突いて立ち上がり勝ち誇る俺。

 それに対し田嶋は全く揺らぎの無い平坦な声で疑問を呈す。



「立ち上がったくらいで、何言ってるの?」

「うっせえ。つーか容赦とかしろよ。追撃が執拗過ぎて軽く引くわ」

 


 今になって冷や汗がどっと噴き出した。そして今更ながら膝が笑い始める。

 田嶋は構えるでもなく、ただ無造作に立っていた。汗一つかいていなければ息一つも乱れていない。ダラリと下げられた右手には危険な光を放つ脇差が握られている。

 底知れぬ強さと、虚ろな瞳に宿った澱みの深さに、俺は初めて『怖い』と思った。


「容赦は……しない。後悔して。私なんかに構った一之瀬クンが悪いよ」

「ところで『ハンデ』って知ってるか? 紳士のスポーツじゃ相手に合わせて不利な条件でプレーしたりするらしいぞ?」


 会話を引き延ばしつつ、ライジングのマガジンを交換する。

 強いとは思っていたが、ここまで一方的だとは思わなかった。少なくとも対人では佐々木や葵クラス、いや、それ以上。

 

 経験、技術、そしてレベルまでも全てが上だ。正直俺に勝てる要素が見当たらない。

 しかし、俺は負けるわけにはいかない。ここで俺が負けたらきっと……

 きっと、田嶋は戻ってこない。根拠も何もなく、でも俺はそんな気がしていた。


 

「何が何でも勝たなきゃいけない状況なんでね。手加減してくれてもいいんだぜ?」

「そう。私は紳士でも淑女でもないよ。それに―――」



―――キィンッ



 田嶋を中心に『氣』が爆発する。迸る波紋が森の木々を揺らし、枝葉を巻き上げる。

 脳髄に電流が奔ったような衝撃を受けた。体中の全細胞が悲鳴を上げる感覚。

 全身の毛穴がバカリと開く。あまりの焦燥感に膀胱が痒みを訴える。カラカラの喉に無理やり唾を押し込んだ。


 残念ながらこの感覚には覚えがあった

 ヤバいのが来る。絶対にだ。



「―――それに、一之瀬クンは、弱くない」


「な――ッ!!」



 田嶋はそう囁いて、俺の耳元に(・ ・ ・)息を吹きかけた。

 やけに生ぬるい吐息が俺のうなじを舐める。

 

 あまりの恐怖に背筋が凍った。

 構えは無かった。予備動作も無かった。瞬間移動!? いや違――― 



「……いくよ」

「マジかよッ!」



 時が凍り付く。間延びした一瞬を思考だけが泳ぎ回る。

 この瞬きが終わったら、来る。致命的な一撃が。

 死角だ。見えない。振り返る余裕も無い。だから賭ける。脇差の横薙ぎだけを想定する。それ以外が来たらゲームオーバー。勝負は一瞬。

 

 来るべき剣線をイメージする。

 武器は脇差。範囲(レンジ)は2m。狙いは……首。

 親指の付け根に全ての魔導を。地面を蹴れ。体を捻じれ。回避行動に全ての神経を集中させろ。

 

 そして瞬きが終わり――― 横一閃。



――――ゾンッ



 広がるのは、扇形に輝く銀の剣跡。身の毛もよだつ一撃だ。

 イメージ通りに前に飛びながら体をよじる。刃の通り道にナイフを翳す。そして接触。

 衝撃を殺し……切れないッ!

 

 パッと鮮血が舞う。

 遅れて左肩に鈍い痛みが奔った。平手打ちをされたような、そんな程度の鈍痛だ。

 バックステップで更に距離をとる。

 田嶋はフォロースルーで地面を向いたままの体勢で、なぜか追撃を仕掛けてくる様子が無い。


「ハアッ ハアッ」


 チラリと左肩に目をやると、肉がバックリ割れ、ピンク色の断面から血が滲み出ていた。然程ではなかった痛みとのギャップに眩暈がする。

 しかし、肉から血が染み出しているのが見えるという事は、重要な血管損傷には至っていない。断続的に血が噴き出しているが傷は浅いと判断する。


 致命傷を避けたという安堵感を覚えると同時に、鈍痛がやがて激痛へと変貌を遂げ、そして『熱』に変わった。焼けつくような熱だ。


 脇差を振り抜いた体勢のまま、田嶋がゆっくりと面を上げる。虚ろで濁り切った瞳が覗き込むように俺を見ている。

 その細く美麗な口元に点々と付着する鮮血が、やけに淫猥だった。

 

「避けるんだ…… 前から思ってたけど、初撃を避けるの、上手だよね」

「火竜戦、ハッ ふぅっ 見てなかったか?」

「私は病欠してたから」

「そうだったなちくしょう」


 精一杯の強がりで右頬を吊り上げる。

 田嶋がようやく構えを解いて唇に付着した血をペロリと舐めた。

 昏い興奮と恐怖に俺は背筋を震わせる。


「死角からの一閃、見えてなかったよね? 勘、かな?」

「知ってるか? ハァッ 佐々木の居合は見えないし、ハッ 飛んでくるんだぜ? ちなみにアイツのクールな妹もな」

「佐々木クン、仲、いいよね。エルダーなのに……ッ 信頼、してるんだよね……?」

「ああそうだ。『仲間』だから当然だ」

「…………当然?」



―――チキチキチキ




 聞き覚えのあるその音に鳥肌が立つ。強烈な悪寒に背中がビクリと痙攣した。

 距離は取っていた。10数mはある。だがこんな距離、無いに等しいのは先ほど田嶋が証明したばかりだった。


 しかし、今度は田嶋がユラリと近づいてくる。

 一歩、また一歩。ゆっくりと。無防備に

 俺はその雰囲気に呑まれ、金縛りにあったように動けなかった。



「『仲間』、『信頼』、なにそれ? 虫唾が奔るよ……」




――――チキチキチキチキ




 まだまだ距離がある。

 なのにその音が連想させる武器、いや、道具(・ ・)は、俺の知る限りではあまりにも射程(レンジ)が短かった。

 なにより戦闘という局面で出てくるはずも無いものだ。

 俺は混乱していた。


「念のため聞いておくけど、何でカッター持ってんの……? 工作でも始めちゃう感じ?」


 頼りない街灯だけが光源の薄闇の中、貞子みたいな女がじりじりと迫り、そしてカッターの刃を鳴らしている。

 とてつもなく猟奇的な絵面に俺はゴクリと唾を呑みこんだ。


「カッターは使い勝手がいいから。汎用性が高いし、切れ味も良い上にどこにでもあるの。身近にあるものの中では一番殺傷力が高いよ」


 そういえば、田嶋は細長い棒状の何かを投擲していた事を思い出す。

 俺はおそるおそる、目だけで地面に刺さったソレを確認した。


「万年筆…… ボールペンも…… お前、何でも使うのな……?」

「そうだよ。何でも使うよ。そう訓練、されてるから」

「それがエルダーとしての技術って事か?」

「――ッ そうだよ」



 田嶋の動きがピタリと止まる。俺にはそれが攻撃の予備動作などではないとわかってしまった。

 それは、彼女が戦闘開始から初めて生じた隙。

 彼女の『迷い』。自身がエルダーである事に対する何らかの葛藤だった。



「そうだよ…… もう、知ってるよね? 私が暗殺者のエルダーだって事……」

「ああ…… 知ってる。お前がその使い手だって事も」


 

 生い立ちについて何かを聞くたびに顔を逸らし、駄々っ子のように激高し、俺を避けていた田嶋。

 その理由はわからなかった。

 エルダーは先天的に、自身の血脈に纏わる知識と高い能力を誇っている。

 俺も冒険者を志す者の一人として、羨ましいと思う事はあっても、可哀想と思った事は無かったからだ。


「やっぱり、そう、なんだ…… ふふっ 可笑しいでしょう?」

「……何がだ?」

「だって、私のお父様もお爺様も、ひいお爺様も、そのもっと上の代もずっと。顔も知らないずっとずっと昔のご先祖様たちもみんな。みんな人を殺して、それを生業に生きてきたの」

「…………」


 フッと吐息が聞こえた。俺はいぶかし気に眉を潜める。彼女の表情は長すぎる前髪に隠れて分からない。

 だが俺は見た。田嶋の口元が自嘲するように吊り上がっているのを。



「殺して殺して、数えきれないくらい殺して、その知識と経験と技術を遺伝子にまで刻んで、在来者(エルダー)に分類されるようになるくらい…… いつしか生まれた子供が、言葉を覚えるより前に殺し方を理解してしまうくらいに、友達と繋いだ手でその首を絞めたくなってしまうくらい。田嶋家のご先祖様は人を…… 殺したの」



 隙だらけだった。

 今、ライジングを撃てば間違いなく当たる。接近して首元にナイフを突きつける事が出来るかも知れない。

 だけど俺は動けなかった。


 両手をダラリと垂らし、地面の一点を見つめ、うわ言のようにブツブツと身上を語るその姿は、俺にはとても小さく見えた。

 


「そしてね、私はね、ふふふっ 天才なんだって。私ほど才能に恵まれた田嶋はいなかったって。数百年間殺し続けた田嶋一族始まって以来の、逸材なんだって。サムライでもニンジャでもない。人殺しの天才」



 彼女の中に潜む闇、本当の願い。

 そんなもの、バカな俺にわかるはずがない。想像もできない。

 その不遇を理解したフリをするのは簡単だ。大変だったねとゴミみたいに軽いセリフを口にすることだって、とても簡単な事なのだ。


 もしかしたらそれで心が晴れる人だっているかもしれない。救われる人がいるかもしれない。

 だが、たとえ底辺校の変態紳士と呼ばれようとも、俺はそれが侮辱だという事を知っているつもりだった。



「それが私。人殺しの血が流れ人殺しとして育てられた……人殺しの天才」



 彼女はもがいている。声にならない悲鳴を上げて、誰に届くはずも無い助けを求めて。

 砕け散った夢のかけらを、誤魔化しきれなかった自身の願いを、大事に大事に宝物のように握りしめて。

 

 独り闇の中から、彼方を照らす光を眺めている。

 俺達が肩を組んで夢を語り合う姿に目を細めながら、少し離れた遠くで独り俯いている。

 


 俺は許せなかった。


 

 何が許せないか、そんな難しい事はわからない。

 ただ俺は、体をワナワナと震わせ、拳を握りしめる田嶋を黙って見ているような事は

 出来そうになかった。


 

「私は、殺すために生まれた……ッ!!」


 

 その絶叫に、俺は一歩踏み出した。

 優しい言葉なんて必要ない。

 彼女にそうさせる本質が、その源泉が今、目の前にある。



「そうかよ」



 それが俺が彼女と決闘する理由だった。

 カッター片手に腕を振るわせる田嶋と相対する。前髪で見えないその顔に諦めが見えた。

 そして田嶋の顔がくしゃりと歪む。



「だから一之瀬クン、君を……殺すよ」



 それは慟哭だった。

 俺は口元を引き結んだ。堪えていないと涙が出そうになった。

 何てことない。難しい事なんて何一つなかったんだ。

 今、目の前で俺に殺気を向けているのは暗殺の天才なんかではない。

 ただ悲しみに泣き崩れる一人の女の子だった。



「無理だ田嶋。お前には出来ないよ」


 

 歯を食いしばらなければ声が漏れそうなほどだった肩の熱は、いつの間にか頭に移動していた。脳みそが沸騰しそうだった。

 絶対に、絶対に俺は許さない。

 それがもし覆しようのないルールなのだとしたら。

 




「何も…… 何も知らないくせに……ッ!!!」

「ああ、俺は何も知らねえよ。だけどな田嶋……」



 俺がそのクソみたいなルール(システム)を破壊(ブレイク)してやる。 

 だから俺は傲然と言い放つ。諦めの悪さだけは、俺は誰にも負けない。

 



「約束してやる田嶋。俺は…… お前には絶対殺されない」




 俺はグリップがひん曲がるほど強く握りしめて地面を蹴り飛ばす。

 そして絶叫した。

 



「殺してみろ田嶋ァッ!!」



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