4章【彼方を照らす光】 プロローグ レベルアップ38歳
本日、冒険者高専冒険科 書籍版の発売です。活動報告にも書影を掲載しています。
よろしくお願いします。m(_ _)m
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず。
昔の偉い人はそう言ったそうだ。
人は縋る。平等という名の幻想に。
生まれた瞬間、いや、生まれる前から人は人であり、その権能や尊厳に瑕疵があってはならず、これを否定する事は差別だと非難すらされる。
専属の料理人と医者に囲まれ、白が目に眩しい豪奢な個室で生を受ける者がいる一方、駅構内のトイレで生れ落ちる者がいる。
全てを買い与えられ、指先一つ動かさずにも生きていける者もいれば、肉親の暴力に怯えやせ細って震えている者がいる。
一を聞いて十を知る神童が頤を突き出し、十を聞いて一すら理解できぬ悪童が視線を落とす。
病躯に嘆いて世界を呪う少女の視線の先には、薄着で外を駆けまわる少年の姿。
自身の置かれた不運を嘆き悲しんでみても、この国に生まれたというだけで世界的に見れば幸運だという皮肉。
運、才能、環境、健康、性別。
世界は不条理で溢れている。
徒競走で手を繋がせるならば、テストでも配った答案を書き写させればいいではないか。
演者全てがロミオかジュリエットになれるならば、政治家と社長と芸能人で社会を満たせばいいでなはいか。
そんな現実を突き付けられても、識者たちは慈愛の笑みすら浮かべ、聞き分けの無い子を諭すように言うのだ。それでも人は平等なのだと。根源的な価値は同じなのだと。
だから俺は違法動画をダウンロードした。
違法も合法も無い。動画は動画。
全ては平等、根源的価値は同じなのだ。
DLが終わると、ファイルをいつもの『吟味』フォルダに放り込む。
もちろん、俺はこのジャンルでは識者なので、落とした動画は全て平等に扱う事にしている。宗教的言い回しをするならば全ての動画を平等に愛していると言ってもいい。
俺は我が身を掻き抱きながら大きく頷いた。
最近、同志たちが集まる『レベルアップ監視委員会』の掲示板では、『凶作が続いている』と激論が交わされている。もはや飢饉ではないか危機感を露わにする者がいるほどだ。
言わんとする事はわかる。そしてその原因もわかる。
俺たちの聖域にまで押し寄せているのは、ステマである事を隠しもしない誘導URLの嵐だ。
俺は忌々し気に舌打ちをして、その一つをクリックした。
予想通り画面に表示されたのは、大人しめな薄ピンクを基調とした背景に洒落た感じの字体がさらりと上部を飾る。
立ち上げから数週間で数千万アクセスを獲得するに至ったサイト、『レベルアップはお好きですか?』とその衛星サイト『おねいさんとれべるあっぷ♪』である。
レベルアップの衝動は今や公然の秘密だ。
世界の救世主たる冒険者たちの尊厳を保全すべく、冒険者ギルドが提唱した冒険者保護条約で女性冒険者のレベルアップの拡散禁止が謳われていようとも、人の口に戸は立てられない。
性の目覚めと同時期に、少年少女たちは誰に聞くまでも無く、冒険者たちが体験するソレを知り、そして思う。レベルアップを見てみたい、と。
興味はある。見てみたいけれど危ない橋は渡りたくない。
ならばそこまでのリアルは必要ないのではないか。
映画の悪役が実際に射殺されていないように、ドラマの恋人役がリアルで愛し合っているわけではないように。それはレベルアップも同じことではないのか。
そんなライトな層を狙い撃つように、広大なネットの海に突如として産声を上げたこのサイトには、利用規約最上段に、本物のレベルアップは発見次第削除した上、通報する旨の条文がある。
そう、このサイト、無数にUPされている動画の9割9分以上が偽物なのだ。
俺は無言のまま、週間ランキング1位の動画を選んでクリックする。
『どやっ!? ええのけ!? レベルアップええのんけっ!?」
『しゅご~い。レベルアップしゅんご~いのォ~♡」
俺は最高に汚い言葉で罵りながら動画を切った。
権力に迎合した汚らわしい豚どもめ。軽蔑するぞ、体制に媚びを売る唾棄すべき帝国主義者共め。
こんなものはレベルアップではない。白目を剥いて口元に泡をこびりつかせ、舌を突き出しダラダラと唾液を垂れ流しながら腰を振る。それが真実だ。
しかし世間一般の認識はそうではなかったらしい。水面下で燻っていた需要の大きさは瞬く間に成長したこのサイトを見れば明らかだ。
崇高なる同志たち集う我らが拠点、『レベルアップ監視委員会』ですら、その波から逃れる事は出来なかった。
電気信号の向こう側、同志と信じて止まなかった彼らでさえも、火遊び感覚で遊びに来ているだけの者は少なくなかったらしい。
かなりのユーザーが向こうに流れ、以前の活気は見る影もない。
サイトの活気が無くなれば当然のごとく、動画を投稿する聖戦士達のモチベーションだって下がる。モチベーションが下がればUPされる動画の質も下がる。
そしてさらに人が離れていくという悪循環。
突如として現れ、レベルアップ業界を席巻した黒船『レベルアップはお好きですか?』
俺たちは今、幕末を彷彿とさせる動乱の最中にあった。
しかし、何が起きようとも変わらないモノ、というものはある。
たとえ革命戦士たちが未曾有の危機に陥っていようとも、変わらぬ真実というものがある。
それと同じように、本物の紳士はどこまでいっても紳士だったのだ。
紳士とはかく在るべき。
それを無言で体現する俺たちの神意執行者、『ジャスティス』氏である。
俺は2礼、2拍手、1礼してからDLした動画を開いた。
画面に広がるのは見渡す限りの海と、ところどころに顔を出す島々。
間違いない。現在、人類が躍起になって攻略している30階層代。島を渡るために泳ぐ海に大型モンスターが犇めく鬼畜仕様のフィールドだ。
このフィールドを歩いているというだけで、一流の冒険者であることは確定である。そして映像の視点はどうやっているのかわからないが、少し上方からの空撮のように見える。ジャスティス氏が何らかの特殊能力を保有している事が窺い知れる動画だ。
空からの映像は、1組の冒険者達の戦闘を映し出していた。白人女性3人、黒人男性1人、白人男性1人の5人が、一人の女性を護るようにして戦っている。
冒険者たちは波打ち際までモンスターをおびき寄せ、片づけてから次の島に渡るという教科書通りの戦術を採用していて、派手さも無いが危なげも無い堅実な戦いぶりから、かなりの上級者である事が窺えた。
そしてカメラは次第にパーティーに照準を合わせて寄っていく。40代と思しき彼らの顔を見ても名前は分からなかった。俺が知らないという事はトップラインの冒険者ではない。
もしかしたら、年代や状況から考えて、どこかの国か企業に雇われている護衛剣なのかもしれない。
そんな事を考えていると、カメラが視点がぐるんと回転して、守られていた女性の顔をUPで映す。俺は素っ頓狂な声を上げた。
「イヴァン・シュタイナー! 魔導工学の偉人じゃねえか!」
統一ゲルマン帝国 魔導技術連統括主査 イヴァン・シュタイナー博士 38歳。
魔導工学の無限の可能性が説かれつつも、実用化に至る技術の無かった黎明期。
当時16歳であった彼女が提唱した理論は当初、冷笑と共に流されたという。現代では当たり前となっている魔導工学の原点。『原理は後回し』理論だ。
原理原則などクソくらえ。そういうものなんだから受け入れるしかない。出来るものとして考えましょう。
物理法則を越える魔導を語る際には必須の概念も、それまで人類社会を支えてきた時代の科学者たちには到底受け入れる事が出来なかったという。
今では初級魔導工学のテキスト冒頭に刻まれる原則を唱えた彼女は、近代魔導工学の祖として世界中で語られる偉人だ。
体内魔導による簡易エネルギー補完理論にはじまり、魔石動力開発。概念魔導力の電磁的変換など、彼女の功績を挙げたらキリがない。
魔導工学誌『マギア』の監修も務め、今でも新たな技術発掘に余念の無い生ける伝説は、自らダンジョンに潜り、日々研究に励んでいるのだという。
酸いも甘いも噛分け、笑うと目元に刻まれる上品な皺は、上手に歳を重ねた女性の象徴だ。
アラフォーはおばさんと言って憚らない俺たち高専生も、彼女の熟した美貌には息を呑まざるを得ないだろう。
そんな女性が、最前線に近いダンジョンを護衛と共に歩いている。俺は深呼吸して姿勢を正した。
もちろん護衛が優秀なのだろうが、それだけで30階層代を行けるほどダンジョンは甘くない。彼女自身もある程度のレベルを保持する戦士なのだ。
俺はレベルアップ動画である事も忘れ、畏敬の念すら込めてディスプレイを見つめる。
どうやら戦闘はそろそろ終わるらしい。
黒人冒険者が、ムカつくほど似合うウインクをキメ、タコとトドが合体したような大型モンスターに深く槍を突き刺すと戦闘音が止んで、波の音だけが心地よく耳をくすぐった。
全員がフッと肩の力を抜き、談笑を始める。それでも周囲に警戒を巡らせ、下手なジョークてふざけたりしないあたりは、流石職人気質のゲルマン人である。
そうして戦闘と探索の切れ目、海辺から浜へとちょうど意識を切り替える空白のようなタイミングで
ソレは起きた。
さざ波の立つ水面が突如盛り上がる。現れたのは、口からイソギンチャクが生えたシャチと表現するのがぴったりな化け物だ。
そいつは護衛パーティが振り返る直前に水面を蹴り、凄まじいスピードでイヴァン・シュタイナーに突撃を敢行し、俺は動画であることも忘れて息を呑んだ。
運が良かったと言っていいだろう。
たまたま抜身の剣と共に振り返った博士が躓き、直前まで博士の顔があった場所を化け物が通過。
おそらくミスリル製であろう剣の切っ先が化け物の喉元から尻尾まで綺麗に抜け、化け物は丘に着地すると同時に血を吹き出して絶命した。
驚いたように尻餅をつく博士。すぐさま彼女に駆け寄る護衛団。
最初にソレに気付いたのは、仲間たちが油断なく周囲を警戒する中、博士を起こそうと手を差し伸べた女性冒険者だった。
『Oh mein Gott!!』
俺も思わず叫んだ
|「なんてこった……ッ」《Oh mein Gott!》
博士は―――吸っていた。大気を。
それは、全ての空気は私のモノと言わんばかりの盛大な吸気だった。
「スゥ~~~~ハッ スゥ~~~~ハッハッスゥ~~」
前歯の間を通り抜ける空気で、時折歯笛にも似た音が鳴る。
肩で息をし、眉根を寄せた顔を真っ赤に上気させ、ビクビクと震える内ももが、かすかに乗った脂を波打たせている。断続的に大きく跳ねる腰が白浜をかき混ぜ、無様に砂を散らす。
若ければ良いというわけではない。上手に歳を重ねた者特有の、ねっとりと練られた粘着質な情気が、画面からむせ返るほど迫ってくる。
間違いない。キタ。きましたコレ。
これはまさしく―――
|『Aufleveln…!』《レベルアップだッ》
『Echt!?』
護衛達がワタワタと焦り倒す中、俺はおもむろに目を閉じてこの世の無常に想いを馳せる。
この世界に平等なんていう幻想は無い。多様性こそが人の本質。
そう、今まさにレベルアップしている彼女がそうだ。
『スゥ~~~~ハッ』
彼女たちは吸う。吸うのだ。
我ら由緒正しき大和民族ならば吐くところを
ゲルマン女性は気持ち良くなっちゃうと息を吸っちゃうのだ。
洋モノをご覧になったことのある皆様にはご理解いただけると思う。
「これが…… 生まれながらにして持つヒトの差異……ッ」
俺の目元を一筋の涙が伝う。
永遠に分かり合えることの無い民族としての違いを目の当たりに、深い悲しみと、そして同量の喜びに俺は打ち震えた。
言語、文化、価値観、思想、宗教、アイデンティティ。
確かにヒトは永遠に理解し合えないかもしれない。信じて交わす言葉は無力なのかもしれない。
しかし、だからこそ俺たちは繋ぐための手を持っている。
『ス~~~~ ス~~~ッ スッ ス~~~ッ』
もはや呼気を忘れ、吸気だけで限界を迎えようとしている博士。
美しく整えられた長いまつ毛が波打ち、飲み込むことを忘れた唾液が口端からあふれ出す。
不規則に動き回っていた瞳が宙の一点を捉え、瞳孔が完全に開き切る。
『スゥッ スッ ズズゥッ ズッ ガッ』
痙攣を振り切って大きくうねり始めた腰は、狩猟民族の本能のなせる業だ。
ピンと張り詰めた背中が限界を超えて弓なりに反らしたその姿は、まさに天に向かって吠える美しきケダモノ。
そして博士は、レベルアップが始まってから初めての呼気を、遥か天空におわす神に捧げたのだ。
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ぁぁぁア゛ァァ~~~~ッッッ!!!!」
「デモクラシー……ッ!!」(意味不明)
俺はそっと動画を閉じると、2礼、2拍手、1礼をした。
神は違えど空は一つだ。態様は人の数だけあっていい。
大いなる空の下、違いを認め合う事さえできれば俺たちはきっと手を取り合える。
ゆっくりと席を立ち、部屋を出る。
リビングには当然のようにソファーで寝っ転がって煎餅を貪り食うイモ子がいた。そしてその横には、せっせとお盆に煎餅を補充する駄メイドの姿もある。
オークの着ぐるみパジャマを着て、まるで我が家のように堂々とアニメを見る根性を叩き直してやらなければならないが、今はそんな気分じゃない。
とても崇高なものに触れたばかりの俺にとって、イモ子の所業は重要ではなかった。
「あ、ミナトー 儀式終わったブー?」
「ミナト様、メス豚です。殿方がお好きなメス豚お嬢様でございますよッ! これは今夜は乱暴にしてほしいという被虐願望の現れかも知れません!」
俺はやれやれと肩を竦める。
しかし俺には聞いておかなければならない事があった。
俺はバリバリの農耕民族。そしてコイツはガッチガチの狩猟民族。先ほど俺は理解したばかりだった。違いは認め合わなければならない。そのためにはまず知らなければならない。
だから俺は神妙な面持ちで問いかけた。
「アーニャ、お前って『吸う』派? 『吐く』派?」
アーニャが頭の上に『?』マークをいくつも浮かべながら首を傾げる。
すると、ハッと我に返ったタバサさんがスッと背筋を正し、軽くエプロンをはたく。
そして見たことが無いくらい真剣な表情で言った。
「お嬢様は『吐く』派、にございます」
守秘義務の欠片も無い駄メイドの返答に、俺は深く頷いてキッチンに向かった。
ドイツ語はてきとーです




