林間学校 終幕
現在では下火になってしまったが、当時、世間ではこんな論調があった。
――――冒険者は危険だ
それは真に今後の世界を憂う識者であったし、冒険者犯罪による被害者でもあった。
希薄化する権力を恐れた政治家や冒険者によってシノギを失った武力集団でもあったし、とにかく冒険者の存在を許せないというイデオロギー的妄念に凝り固まった痴呆でもあった。
そういった一定の層を取り込みつつ、過激な主張を繰り返し、更には過激な手段をもためらわない思想的組織というものがあった。弦月奏を誘拐したのは、そんな組織の下部の下部。どこの世界も似たようなものだ。要するに理念より腕力を重視するチンピラである。
弦月巌は世界的なVIPだ。その行動は常に注目され、彼の一言には力が宿る。
人々から認められるからこそ、敵というのもまた現れるもの。
当時、彼の家族には24時間体制での警護がされていた。忙しなく世界中を飛び回る弦月が家族を大事にしていることなど、当然の如く知る政府の当然の対応と言える。
そして不幸にも、そのチンピラ集団は政府が用意した警備をかいくぐる程度の実力はあったらしい。
当然の如く発表された犯行声明には、実に綺麗なお題目が並ぶ。美しい理念と小難しい単語を織り交ぜた自己正当性の主張。そしてその裏、実際にやっていたことは10にも満たない少女を誘拐して脅す下種の所業という皮肉。
思想的主張の反面、身代金目的があったらしいとも言われているが全ては闇の中である。
その組織に関わる全てを、弦月が文字通り物理的に消滅させてしまったからだ
弦月の行動は正当化された。
司法も、行政も立法もクソも無い。糾弾する者もまたいたが、悉く民意という名の暴力に潰されていった。そういう時代でそういう正義がまかり通る状況だった。
しかし、返って来た娘を抱きしめて、震える妻は言った。
――――奏が大人になるまで、あなたと一緒には居れない。
この子が大きくなり、弦月巌とは別の人格として、一人で生きていけるようになるその日まで。
表立ってこの子に関わらないで欲しい。
この子が弦月巌の娘である限り、いつかまたこんな危険に晒されてしまう。
あなたは悪くない。だけど私は耐えられない。
愛する妻の独白を、無言で聞いた弦月はただ下を向いて唇を噛みしめるだけだった。
いくら強くなったところで、24時間、どんな時も守り通すなどという妄言を吐くほど子供でもない。愛するが故の別れ。
そうして弦月巌の生活から突如として消えた『家族』という要素。
あまりにも大きな背中を、悲しいくらい小さく丸めて、彼は独り、闘う。
―――大きくなったらパパとけっこんするー
「奏……」
その名の通り、巌のような拳を握りしめて涙する。
―――パパだいすきー
「奏……っ」
頭を振り払って、敵に拳を叩きつける。
もはや腐れ縁となってしまったアキラに会っては、まるで幼子の様にその想いを吐露した。
「娘に、奏に会いたいんだ……っ」
同年代の息子がいるというアキラは、いつからかタメ口になったその口調で弦月の肩を叩く。
「巌サン、見守ってやれよ。例え子供がアンタを知らなくても、アンタが子供を知っていればいいじゃないか」
だけど、と愚図つく弦月を目を細めたアキラは、グラスに満たされたウイスキーを煽りながら、ただ静かに笑う。
そしてアキラの隣で穏やかに微笑む女性。
世界最凶の称号を欲しいままにし、【鬼神】と呼ばれ恐れられたその女が、本当にただの主婦になってしまったように言った。
「見返りなんて無いです。でもそれが愛だと思いますよ。信じて待つのも、きっとそう」
「そう、なのか……?」
「そうだよ巌サン」
「でも浮気したら殺しますけど」
「お、おい、桂里奈、目が怖いって……」
そうして月日は流れ、少なくとも日本ではまた再び、戦乱の時代などウソのような豊かな生活が戻ってきていた。
冒険者が真っ当な職業として認められ、一般の人々と冒険者たちが同じ机を並べて飲み明かせるような、そんな素朴な温かさが当たり前になった。
子供たちの瞳に光が溢れ、かつての敵国の子供とも手を取り合えるような、弦月たち初期世代が夢見た世界が現実のものとなってきていた。
そんな折、定期的に連絡を取り合っている妻に、娘が冒険者高専に入学するという事を聞いた。
そして、血脈が持つ呪いなのか、皮肉にも娘は武闘家なのだという。
娘は自分の親があの弦月巌であることを知っている。事情も全て知った上で一人、見えない父親の背中を追って頑張っていたのだ。
言葉には出来ない猛烈な想いが溢れるのを感じた。
娘の夢は自分の夢だ。
指導したい。この技を、持てる技術を、全て余すとところなく教えてやりたい。
そして抱きしめて褒めてあげたい。
いつか、堂々と自分の娘だと、一緒に街を歩き自慢して回りたい。
しかしそれは今はまだ叶わぬ夢である。
―――ならば、奏は知らなくとも、彼女の成長の記録を、彼女の歴史を、俺は知っておきたい……っ
日に日に膨れ上がっていく欲求、折れかける自制心。
それでも辛うじて、彼は我慢した。歯を食いしばって。唸り声をあげながらも。幾多の困難を乗り越えて来た強靭な精神力で以って、本当に健気に耐えきったと言えよう。
だが、そんな彼の努力をあざ笑うかのように、
その日は唐突にやってきた。
ダンジョンハック
とある情報破壊犯を追う任務の最中、その犯人と思しき人物【J】に息吹がハックされ、生命再生機能が停止された上、火竜が召喚された。
愛する娘の命がまたしても危険に晒されたのだ。
事件が解決したのち、【J】に対する凄まじい報復行為が行われるだろうと、戦々恐々としていたギルド職員たちだったが、彼らの予想は斜め上で裏切られることとなる。
弦月にとっては既に【J】などどうでもよかった。なぜならば、【J】を殺そうとも第二、第三の【J】が現れ、そしてまた娘が危険に晒されるかもしれないからだ。
自身の怒りなどどうでもいい。もぐら叩きやイタチごっこに興味は無い。そんなものはギルドにブン投げとけばいい。
そう、彼はこう思った。
――――俺が守るしかない。
せめて日本にいる間は、この手で直接。
どうしても日本を離れなければならない時は、アキラにやらせよう。
彼女の日常を邪魔しないように、自分が近くにいると悟られないように、影から、遠くから、いつでも娘の危機にかけつけられるよう。
御年54歳、弦月巌は肩を震わせながら、そっと覆面を被った。
「俺が守る。俺のカナちゃんは俺が守る……っ!」
こうして、世界最高峰のストーカーは誕生した。
己が持つ技術の全てを懸けて。誇りと命全てを投げうって。
強靭すぎる肉体、人知を超えた武威。出力が高すぎる氣は、本人にその気がなくとも殺気と同じである。
それらが齎すプレッシャーを何となく感じ取った娘が、実はとんでもなく怖がっていることも知らずに、弦月巌は今日も今日とて建物の陰から娘を見守る。
人は言った。
そんな権力があったら何でも出来るでしょう?
あなたに手に入らないものはないでしょう?
そんなことは無い。彼にだって手の届かない望みはある。何としても叶えたい夢がある。
―――弦月さん! 今、一番の目標はなんですか!?
階層権限とかそういう返答を期待した記者の質問だ。
弦月は神妙な面持ちでこう返した。
「娘と一緒に暮らしたい」
そして、狼狽える記者の、どもりながらの次の質問がこうだ。
――――で、では2番目の目標は?
「嫁さんに帰ってきてほしい」
また再びあの温かい家庭を取り戻したい。
愛する娘の成長を、堂々と見守りたい。
髭を擦りつけると、痛いと言いながら笑ってくれた。
パパと結婚すると言ってくれた娘を、もう何年もこの手に抱いていない。
いつから手を繋いでいないだろう。早く時よ過ぎてくれ。
そうだ、娘が大人になった時、一緒に買い物に行こう。娘に似合う戦闘装束を買ってあげるんだ。
そして一緒にレストランに行こう。ハンバーグが大好きだった娘に、腹いっぱいハンバーグを食べさせてやるんだ。もちろん酒だって飲むさ。行き付けの飲み屋に俺の娘だと自慢して回ってやる。
贅沢は言わない。つれないことを言われるかもしれない。それでもいい。それでもいいんだ。
いつか…… いつかもう一度、娘と手を繋いで街を歩―――
―――う、旨鹿っ! お、オレと踊ろうぜっ!?
それは蛮行だった。
万死に値する蛮行であった。
今や父親の自分ですら触れることの出来ない、娘の手を……っ
「触るな…… 俺の娘に。俺のカナちゃんに触るな……っ」
ただ娘を見守るはずの弦月巌は、いや、どこにでもいるただ一匹の父親は
全てを忘れて絶叫したのだ。
――――俺のカナちゃんにさわるんじゃねえぇぇ~~~ッッ!!
「おおおおおおォォォォッッ!!」
そして今、彼の目の前には血だらけになって向かってくるクソガキがいた。
呼吸は荒い。衝撃で外れた左肩を不規則に揺らしている。体中が悲鳴を上げ、今にも力尽きてしまいそうだ。
しかし、クソガキの目だけは爛々と輝き、その瞳にははっきりと弦月巌の姿を捉えている。
弦月はグニャリと口角を上げた。その意気に免じて一撃で沈めてやる。
「一撃で、終わらせてやるクソガキ……っ」
「やめてぇぇぇぇ~~~ッッッ!!!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
恐ろしいほどの沈黙。弦月奏の荒い呼吸音だけが、しばらく広場に響く。
誰もがギュッと瞑っていた目を開けると、そこには拳を振り抜いて膝を着く旨鹿と、アゴを跳ね上げたまま、呆けた表情で固まる弦月さんの姿があった。
信じられない光景だ。何があったかわからないが、旨鹿があの弦月巌に一撃入れたのだ。
葵、小森ちゃん、比佐山、神楽耶も全員、金縛りにあったように動けないでいた。
おそらくは闘気に中てられたのだろう。多々羅さんなんかは何故かちょっと内股気味になって震えていた。お前まさかやらかしてないよな?
そして、俺たちと一緒に来たモモ先生も、傷だらけの旨鹿を見て激高するようなことは無い。ここは死に戻り在りのガーデンだ。
そもそもモンスターが徘徊するガーデンで、先生が常駐しない班行動をさせた上に、自殺禁止とか言ってる時点で、甘っちょろいたわ言は無しである。怪我すらも冒険者としてすべき経験の一つに過ぎない事は、他でもない俺たちが一番よく知っている。
「あわわわわっ」
でもこういう場面でワタつくのは先生としてどうだろう。火竜戦ではあんなにカッコよかったのに、ホントの危機ではない時のこの人のユルさときたら……
俺はため息をつくと一歩前に出た。弦月さんが少しだけ驚いたように俺を見た後、横にいるアーニャを見て更に目を見開いた。
「弦月さん、アンタなんでこんな事を。笑い事で済まないってわかってんだろ……」
先日のお礼をまず口にすべきとも思ったが、状況が状況なので色々ととっぱらう。
すると弦月さんは、バッと覆面を脱ぎ捨て、肩を怒らせながら叫んだ。
「か、カナちゃんは俺の娘だっ! 父親が娘と会って何が悪いっ!」
弦月奏と俺たち以外、旨鹿含めた全員が目を点にして言った。・
「え?」
「え?」
「え?」
「え?」
「え?」
あの葵までが目を点にしている様子は中々貴重だなと思いつつ、俺は再度ため息をついた。
「影から娘の成長を見守って何が悪いっ!」
「めっちゃ表出とるやんけ」
思わずツッコんでしまった俺を誰か褒めて欲しい。
すると、ずっとアワアワしていたモモ先生が、なぜか突然キリっとした顔でとってつけた感満載の説教を始めた。
「げ、弦月さん! とにかくですね、これは立派な授業妨害ですよっ!!」
生徒一人誘拐された上に一人殺されかけといて授業妨害とか無い。
みんなも「ももちゃん先生ったらまたやらかしちゃって!」みたいなヌルい空気だ。今更だけど、ウチのクラスはどうかしてるぞ。
「す、すまなかったっ! そのガキを殴り飛ばしたはいいが、注目を浴びて頭が真っ白になった…… 今は反省してる……っ」
「DQNかよっ!」
アーニャの言う通り本当に何も考えてない人だった。
なのでウチの何も考えてない人たちが当然反応する。
「……ならばしょうがない」
「あるぅ~ そういう時あるょねぇ~」
「せ、先生も昔は【狂姫】とか呼ばれて…… ふぅぇっ」
クリス先生助けて…… なんで先生こっち来なかったの……
といっても、モモ先生が向こうに残ったら今頃生徒全員突入してきてるであろう事を考えると、適材適所と言わざるを得ない。だけどgdgd過ぎて俺にはもう捌けないです。
「みんな、そういう問題じゃないよ! 【J】も言ってたよね! これは本当に大きな問題なんだ!」
「あ、尼子屋ッ! 頼むっ お前だけが頼りだ!」
いつの間にか弦月さんの背後を狙える位置にいた尼子屋が叫ぶ。
すると、ポカーンと突っ立ってるだけだった比佐山がハッと我に返った。
「そ、そうよ! 納得できないけど尼子屋の言う通りよっ!」
「よし、比佐山! もっと言ってやれ!」
「【J】が何言ってたか知んないケド、とにかくこれは大問題だわっ! だって尼子屋が言ってるんだものっ! 尼子屋! さっきのあたしの速攻見てたっ!?」
「比佐山、頼むから話をこれ以上ややこしくしないでくれ」
そしてそのまま、「こういうこともある」派と、「大問題だわ!」派に分かれて喧々諤々。
しかも大問題派同士で、「なんで見てなかったのよ!」とか「だ、だって僕は……」とかやってるので、実質、馬鹿組の勝利だ。お前らもう帰れよ。
「ジュ、ジュリエッタは、やられやがった馬鹿と書いてウマシカの男がぶつかってましてグダグダであった!」
「グダグダしか合ってねえよ」
ツッコミ需要過多すぎてどうにもならん。一体何なんだウチのクラスは。
その後も弦月さんは、この前の事件で護衛を決意しただの、普段は気付かれないようにするからだの、カナちゃんに触れた男は殺すだの、わけのわからん事を喚き、最終的には「本当に久しぶりに会えたんだ!」と半泣きになっていた。
正直俺は、このまま撤収でもいいかなと思う。旨鹿を見ると、拳を振りぬいた体勢のまま茫然と固まっているし、家族に対して人一倍熱い想いを持っているヤツは、色んな感情をどう処理して良いかわからないのだろう。
しかし、たとえここにいる全員が笑って許そうとも、一人だけ意見を聞いておかなければいけない人物がいた。
「弦月、お前、どう思ってるんだよ」
弦月奏。日本最高の冒険者にして伝説の男、その娘。
彼女の家庭環境なんて俺は知らない。父親が、なぜ陰ながら護衛してるのかもわからないし、普段会えないのかもわからない。
それでも、弦月さんが彼女の父親であることは間違いないし、巻き込まれた側だとしても彼女は当事者である。
俺たちはたかだか冒険者の卵だ。こんな事をやらかした弦月さんをどうにかする権力も、武力も無い。聞いた様子だと弦月さんは反省しているが、罪だの罰だのという話にはならないに違いない。
ならば、だからこそ今、一番大事なのは、俺たちが『納得するか』なんてことよりも、彼女が『どう考えているか』だ。
家族の問題と押し切るには無理があるとしても、当の本人の意見を聞かなければ何も始まらないのだ。
「弦月、お前を責めるわけじゃない。だけど、ケジメってのもやっぱり必要だ。お前はどうしたい? どうすべきだと思う?」
目の前で友人を傷つけられた彼女が、どういう想いを偉大な父にぶつけるのか。何を以って幕引きにすべきと考えるのか。
これまで一言すら発していない弦月奏に全員の注目が集まる。
「俺は娘を愛している! カナちゃんもきっと俺を――――」
前髪で影になって表情が見えない弦月奏。
改造制服で剥き出しになった肩を細かく震わせながら、
彼女は、聞き取れるか聞き取れないか位の声で、呻くように言葉をひり出した。
「…………うざい」
気の遠くなるような沈黙に、全員がゴクリと唾を呑む。
俺は来る悲劇の予感に、そっと目を逸らした。
「か、カナちゃん…… い、今、何て……」
いつの間にか全員がサッと目を逸らして斜め下を見ていた。瀕死の旨鹿ですら挙動不審に陥っていた。
なのに弦月さんはワタワタと焦りながら彼女の顔を覗き込む。おいやめろ…… これ以上聞くなって……
祈りにも似た俺たちの想いはしかし届かない。
とうとう弦月奏は思春期爆弾を炸裂させたのだ。
「うざいッ!!」
「へぶらぁっッ」
仰け反って地面に膝を突く弦月パパ。
眼球がグルグルと不規則に泳ぎ、その髭だらけの顔は誰が見ても絶望一色に彩られている。
俺たちは斜め下を向いたまま、誰一人として動かない。
「みんな一緒に頑張ったのに…… いきなり現れて迷惑かけて……っ オレの大事な仲間を……旨鹿を怪我させて……っ」
そして、先ほどよりも遥かに攻撃的な沈黙。正直、帰りたかった。
永遠とも思える10数秒、そして―――
「パパなんて……」
その呟きに、俺は心の中で十字を切った。男女の弦月が「パパ」とか今更どうでもよかった。
予感がした。
猛烈に切ない予感がしたんだ。
だから俺はこう考えた。
俺は木だ。この場に生えてしまっただけのただの木だ。何も聞いてないし、何も見ていない。俺はこれから起きることに一切関係ない。
チラリと目だけで周りを見ると、先生含めた全員が木の境地に達していた。
そしてついに―――
「パパなんて大嫌い―――っ!!」
――――ちゅどーん
弦月さんの脳天が噴火した。比喩的な表現だと言い切りたいところだが、残念ながら噴火した。
ドサリと倒れる弦月さん。誰が見ても色々マズい角度で地面に激突した。
全員が固唾を飲んで弦月さんを見ているが、ピクリとも動く様子がない。
そして数秒後、何となく見たことある気がする淡い光の粒子が、弦月さんの体からうっすらと立ち上りはじめた。
あの……大変申し上げにくいのですが……
「……光化現象。この人死んだけど」
言いにくい事をはっきり言ってくれる葵さんにシビれる。
日本が誇る最高の冒険者は、娘の思春期爆弾で本当に死んでしまったらしかった。
誰も一言も発しないが、全員がこう思っているだろう。『息吹』で本当に良かった。
頼むから外の世界では言わないでくれ。国益に関わる
「ええと…… 帰った方が……いいよね……?」
尼子屋がボソリと呟いた。
もう敵もいなければ問題も無い。気まず過ぎて怒りなんてどっかに行ってしまっている上に、俺たちが出来ることは本当に何もない。
薄情って言ったら薄情かもしれないが、誰かが最初に言ってくれるのをみんな待っていたような状況なのだ。
「あ、尼子屋! アンタが命令なんて百年早いっての! でもしょうがないわね! 一緒に帰ったげる!」
「帰っちまってやがるでしたので」
「……ミナト、戻ろう」
「み、ミナト、戻ってフォークダンスおどろ」
「あ、ああ……」
といっても旨鹿は重症である。放って帰るわけにもいかない。
モモ先生を見ると、彼女も同じことを考えていたようで、未だ固まる旨鹿に向かって歩き出す。
すると、多々羅が俺たちの前に回り込んで行く手を阻んだ。
一体何だと、多々羅を見ると、彼女はウインクしながら人差し指を唇に当てる。そして声を潜めて話し出した。
「あの二人はぁ、そっとしておこうょ。ホラ、私たちはぁ 先に帰るよぉ。ホラホラぁ」
そう言って俺たちを森に押し返す多々羅。
怪我してんだからそんな事言ってる場合じゃねえだろと、俺は少し抵抗する。
すると――――
「ああそうか、ははっ 一人でキレて馬鹿みたいだな俺…… なんか、悪ぃ。せっかく親父さんとの対面だったのに……」
バツが悪そうに苦笑する旨鹿が、ポリポリと頬を掻く。思いっきり弦月から目を逸らし、まるでイタズラを叱られる悪ガキが強がって笑っている様な、そんな裏表の無い表情。
弦月の顔がクシャリと歪む。そしてそれを旨鹿に見せまいと必死に下を向く。
「と、とにかくよかったよ。な、なんだよ~ 親父さんだったのかよ~ 焦って損したぜ。俺、バカだからさ~ 早ちりとりってヤツだっけか? ははは……」
頬を掻く度にポロポロと地面に落ちる乾いた血。不自然に捻じれた左腕。
もう踏ん張れない右足は、弦月に気づかれないよう少しだけ地面から浮かせ、えずいて吐きそうになる血を無理して飲み下す。
小刻みに震え始めていた弦月の体は、もう隠すことが出来ない程、大きく跳ねていた。
「でもよ、どんな親父でも家族は一緒がいいってかーちゃんが―――」
旨鹿がその台詞を最後まで言い切る事は出来なかった。
弦月が無言で旨鹿の胸に飛び込んだからだ。
もも先生の目が少女漫画みたいにキラキラしていた。ホントどうしようもない先生だ。
多々羅が無言で首を振る。
だから俺は設定を思い出して踵を返した。色々あって忘れてたが、そういえば俺はただの『木』だった。いや、歩いているからトレントか。
俺は何も見ていないし聞いていない。ここにはあいつら二人しかいない。
それでいいじゃないか。
「ううん。カッコよかった…… 旨鹿、ありがとね」
「ちょ、おい、痛ぇってオイ……」
俺たちはそのやり取りを背中で聞き流して森に入る。
お姫様と白馬の騎士サマの逢瀬だ。いつもリア充爆発しろと叫んでいる俺だって、引き際くらい知ってるんだ。
そうして森に入った途端、興味津々に二人の様子を覗き見ている女子共と、「邪魔しちゃダメだよ!」と焦る尼子屋。俺は思わず軽く噴き出した。
こいつらと一緒のクラスになれて、本当に良かったと思う。
葵が両手を広げて言う。
「……ミナト。ばっちこい」
「バカ言ってねえで戻るぞ」
「……ちぇ」
小森ちゃんが頬を染めながら言う。
「い、いいなあ…… 監禁、するのかなあ……」
「怖ぇ事言ってないでホラ」
そして――――
「ミナトも火竜戦、カッコよかったよっ!」
「ああ、ありがとな」
「イケズめっ!」
べっ と舌を出すアーニャの頭にポンと手を置く。
真っ赤な顔をして俺を見上げる彼女の頭を、何度か軽く叩いてチラリと後ろを振り返ると、広場では未だ弦月に抱き着かれた旨鹿がアワアワしていた。
くっそ、やっぱりリア充爆発しろ。
「弦月さんが見たら死んでるな」
「息吹だからいぃよぉ」
「外でやんなって誰か言っとけよ」
木々に切り取られた空を見上げる。
ガーデンの偽物の空は、光源魔法に照らされてムカつくくらいに澄み渡っていた。
なんとも言えない気持ちになって視線を戻すと、何故か全員が俺を見ている。
何を期待してんだお前ら。俺はリーダーでもなんでもねえんだぞ。
今日何度目になるかわからないため息をつく。
そして何かを含んで笑う仲間たちの視線を受け止めて俺は苦笑した。
「さ、戻るぞ。クリスティナ先生にお仕置きされる前にな」
次回はエピローグ
問題総括はその時に




