間章 弦月巌
弦月巌、御年54歳。
今もなおその名を馳せる生きる伝説の半生は、実に紆余曲折で溢れている。
大陸の流れを汲む古流武術の宗家に生まれ、物心つく前より祖父に武道の基礎を叩き込まれた彼は、中学生になる頃には無手で在来者と渡り合えるほどの武をその身に宿す神童であった。
恵まれた体躯。歴史に裏打ちされた技術。際限なく積みあがっていく経験。
天才と言ってもいい。事実、武術の世界で彼はそう呼ばれていた。
しかし、数多の兵と互角に死合える技術を持つ天才とはいえ、世の理にはまだ疎い少年でしかない。
少年が夢見るは《最強》
日々技を磨く事だけを考え、最強を目指して鍛錬を重ねる。当時を振り返ると赤面してしまうほど青臭く純粋な想いを大事に握りしめ、彼は言う
「武を極める事が最強への道」
自分は武の頂点に立つのだ。何者にも負けない、何があっても負けない。そんな最強の存在に。
そう信じて疑わなかった彼の無垢な想いは、東京に核が落ち、未だ超える事叶わなかった祖父が、一瞬で灰となった事で砕け散る。
更には、戦争に参戦した在来者達が、現代兵器群の前に次々と斃れていく事を知り、彼の砕け散った夢は、その一片の欠片すら粉々に踏み砕かれた。
―――人は兵器の前で無力だ。武を極めようともそれは同じこと。
日本は防衛政策上、敵部隊に本土上陸を許した時点でほぼ敗戦である。したがって防衛の要は空戦、海戦、そして水際での陸上戦。
そんな日本の特殊事情もあって、近代戦争に徴兵はそもそも非効率だ。
よって、軍に所属していなければ戦場に立つことが出来ず、それでも参戦したければ他の在来者同様に個人として敵本土に飛び込むしかない。それは何の保証も支援も無い過酷な道だった。
それでも愛する故郷を守るためには今立つしかないと、参戦を決意した19歳のとある夏の日。
ダンジョンがこの星に現れた。
直後、既に紙切れ上での同盟国でしかなかったアメリカが世界にもたらした衝撃。世界中に開かれたゲート。
―――ダンジョンを踏破すれば資源が手に入る。
世界中で燃え盛っていた戦火が、まるで最初から何もなかったかのように一瞬で鎮火する様は、喜劇という他ない。
だが現実、そうして人同士が殺しあう戦争は、ダンジョンを介した階層権限争奪戦争へと形を変え、瞬く間にダンジョンを中心とする新たな秩序が構築されていく。
戦う事すら出来なかった弦月巌は、鬱屈した想いをダンジョンへと向けた。
ダンジョンに潜らなければ人類は滅亡する。権限を保持しなければこの国に未来はない。
そんな世間一般で言われる建前などどうでも良かった。
誰一人として変える事が出来なかった終末世界の理を、文字通り一瞬で変えてしまったダンジョン。
この国を護ると命を散らした同胞達は、一体何のために死んだのか。
それは憤りであった。八つ当たりと言ってもいい。
目につくモンスターを殴り殺す。蹴り殺した。捻り殺した。投げ殺した。
そして突如、全身に襲いくる激痛。
何とか激痛をやり過ごした彼は、今まで感じたこともない力が体に満ちているのを感じる。それを繰り返すうちに自分の力がもはや人間の範疇を逸脱している事に気付く。
それが《レベルアップ》という概念であることは後に知るが、彼は本能的に正解に至っていた。そして彼は打ち震えた。
一度は砕け散った夢。ガキの妄念だと思い知らされた自身の切なる願い。
―――『最強』への道が、ここにある!!!
それからの彼の半生を語るには一言で事足りる。
モンスターを殺す。ただそれだけである。
そうしていつしか最前線で戦うトップランナーとして、弦月巌の名は世界中を駆け巡っていった。
手に入れた最初の権限は、12階層。
金に興味はなかった。ただ強くなりたかった。弁護士だの税理士だの面倒極まりない。ダンジョンに潜るだけで生活できればいい。そのための金があればいい。
その結果、多少贅沢してもまあ普通に暮らせる程度の年金を死ぬまで受け取れるという、権限が持つ価値を考えたら頭がおかしいとしか言いようの無い条件で、弦月巌は日本政府に権限を譲渡する。
これを契機に世間一般は、弦月巌は真の人格者であると認識するようになるが、実際のところはただ面倒臭かっただけである。
お金に頓着しない彼の性格は、このあたりで形成されていったのだ。
毎日毎日、ダンジョンとねぐらの往復しかしない彼を見かねた、仲間の一人がこう言った。
「ダンジョン以外に面白いことなんて腐るほどあるんだぜ?」
そう言って屈託無く笑うのは、いつも生意気で人をくったような態度のいけ好かない青二才。
その言動に柳眉を上げることもしばしばあるも、どこか憎めない、人を惹きつける不思議な雰囲気を纏う男、アキラだ。
アキラは言った。
「巌さん、面白いところ連れてってやるよ」
一回りも年下のくせに何を知ったような事を。武を極める以上に面白いことなどあるか。
そう一喝してやろうとも思ったが、何だかんだ信頼できる仲間として長いことつるんできた男の助言である。ただ切って捨てるわけにもいくまい。
そうして連れて行かれた先で、アキラに教えられながらソレに手を出すこと数時間。
弦月巌は絶叫していた。
「行けぇぇぇ~~~~!! 差せっ 差せっ 差せぇぇぇぇ~~~~~~~!! ぁ……」
「巌さん、そろそろやめといたほうが……」
「もう1レース…… 最後にもう1レースだけっ!」
漢 弦月巌。36歳にして競馬にどハマりである。
今まで娯楽になど見向きもしてこなかった男が、初めて触れるには、競馬は刺激的すぎたのだ。
しかも、冒険者としての実力と反比例するかのように、そっちの才能は壊滅的だった。
アキラは若干声を震わせながら言った。
「い、巌さん…… け、競馬よりも面白いとこ連れてってやるよ。ていうか連れて行かせてください」
またもや生意気なことを。競馬よりも面白い娯楽なんぞあるか。
そう一喝してやろうかと思ったが、何だかんだ競馬という素晴らしいものを教えてくれた男の言である。無下にするわけにもいくまい。
そうして再び連れて行かれた先で、アキラに教えられながらソレに手を出すこと数時間。
弦月巌は絶叫していた。
「ふおぉぉぉ~~~っッ!! 柔らけぇぇぇぇ~~~っ!!」
「いや~んっ! オジサマ えっちぃ!」
「い、巌サン……、スマン、俺が悪かった……」
御触りパブで大フィーバーである。アキラはその時、頭を抱えてうずくまったという。
こうして彼の生活の中にダンジョン以外の要素が誕生する。もちろん、競馬と御触りパブである。
もっとも、これらの事は蛇足気味の出来事だ。それ自体は重要ではない。
つまりは、人生など一度何かがきっかけで動き始めたら、後の変化は早いもの、ということなのだ。
そう、いままでダンジョンと闘争だけが凡てであった彼の世界は、それがウソだったかのように様々な色に塗り替えられていく。
ふと思い起こして後ろを振り返ると、無限に広がる記憶の海で、恒星のごとく光り輝く二つのかけら。手に取って確認するまでもない。
愛する妻との出会い、そして―――
「この子が…… 俺の……っ」
火が付いたような激しい産声。少し力を入れれば容易に折れ砕けてしまうであろう、あまりにも無防備で弱弱しい体。
しかし、一人では生きていけぬ脆弱な存在なれども、その裡に宿るは神明より継がれる確かな生命の奇跡。
己の命よりも大切な、この世の全ての命よりもなお重い、我が子の―――娘の誕生
「あなた、この子の名前を…… 呼んであげて」
「奏、俺の……っ 俺の奏……っ」
この苦難と混迷の時代に生まれ落ちて39年
弦月巌はその時、初めて己の存在意義を知る。
滂沱と流れる涙と共に、彼は言い放った。
「俺は、この子と出会う為に生まれてきた」
それは確信。
闘うために生まれたと信じて疑わなかった無骨な男が、初めて流した涙と共に。
血に濡れすぎた両の腕で、瞼を閉じる己の半身を抱きしめながら。
綿々と受け継がれ、そしてまた未来へと繋がる命の連鎖の中で、自分は次代の礎となるための存在であると。
そう、思った。
そしてこの日、弦月巌は『最強』を目指すことを止めたのだ。
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それからの弦月巌の功績を全て上げていてはキリがないので、とりわけ大きなものを記載する。
まず『弦月巌』と聞いてまず世界中の人が思い浮かべるのは、19階層の踏破。
正確に言うと19階層の踏破で得られた権限を、後人育成のための訓練施設とすることを条件に、政府へと委譲した事である。
当時は世界はまだまだ食糧難の時代。古来より教育を重んじる日本社会にあっても、その選択は非難にさらされた。
資源調達もままならい状況で、教育などしている余裕があるか。今この瞬間に餓死者が出ているのに、それは持つ者の道楽だ。
考え直せ。気でも狂ったか。それが世間の声であった。しかし弦月は頑なに首を縦に振る事はなかった。
見据えるは未来。為すべきは標
今この瞬間も生まれ来る後輩と、彼らが切り開くであろう希望を。
次代のために。娘が生きる未来のこの国の為に、この施設は必ずや必要になるはずだ。
今や、日本を担う未来の冒険者の育成施設として、経済的には貴重な外貨を稼ぐ重要な手段とまでなったガーデン、『息吹』はこうして生まれた。
そして、次に挙げられるもの。いや、世界的にはこちらのほうが認知されているだろう。
ダンジョンの探索も進み、20レベルを超える者がちらほら出始めていた時代、『人』という器の範疇を明確に超える力を、冒険者たちが持ち始めた時代の話である。
権限で食料と資源を齎し、世界の救世主として崇められていた冒険者たちの自意識は、留まる事を知らずに肥大化していった。
それによって世界中で悲劇と不和が生まれ始める。冒険者による犯罪行為の増大である。
一国の指導者すら有力な冒険者の言動に口を差し挟めない時分に、真っ向から彼らに異を唱える者などいない。取り締まる側の武力にだって限界はある。
そんな時、弦月とその仲間たちは、冒険者ギルドを通じて世界中のメディアにこんな広告を掲載した。
――――人の道を外れた冒険者は俺が殺す。
お前らが超法ならば俺も超法。俺に勝つ自信があれば法を犯せ。
あまりにもシンプル過ぎるその一文が、社会に与えた影響は甚大であった。
人権派を気取るインテリ層の金切声を遥かに上回る大衆の喝采でもって、冒険者ギルドに、冒険者による犯罪の取り締まり機関、通称『討伐部隊』が立ち上げられたのはこの時だ。
秩序の守護者として、とてつもない賞賛を浴びた弦月であったが、その時、実は彼の心にあったのは、娘が安心して暮らせるようにという素朴な一念だけだったという
そうして彼の名は日本最高の冒険者として独り歩きしていくこととなる。
目の前の小さな出来事一つ一つを諦めず、真摯に向き合った結実として『結果』は在る。
『結果』を重ね、その言葉に信用が付与された時、それは『実績』となる。
そして『実績』を束ねて、その一挙手一投足に人々の関心が集まった時、それは『名声』となり、
『名声』が偶像として祀り上げられ、独り歩きし始めた時、いつしかその人物は『伝説』となる。
不世出の偉人、日本が誇る最高の冒険者。
それが弦月巌。『伝説』の冒険者である。
しかし、光が強ければ影もまた濃くなるというのは、いつの時代も変わらぬこの世の真実。
順風満帆にも思える彼の軌跡に陰りが生じるキッカケとなったのは、本当にチンケな組織のチンケな構成員が起こした浅慮な犯罪だった。
彼が溺愛して止まない一人娘。
弦月奏が誘拐されたのだ。
もう一話、キリのいいとこまで今日書く予定です




