林間学校 最終日 死闘
Aチーム・Eチームが森に先行して少し後、ほどなくして打ち上げられた信号弾を見て俺とアーニャは森に飛び込んだ。
信号弾が上がる先、そこに覆面男―――いや、弦月さんがいる。
おそらくあれを打ち上げたのは尼子屋だ。
ダンジョンを念頭に通信機器を持ち込まない俺たちだが、武器認定をされない道具を持ち込むことについて何の制限もない。といっても信号弾を持ち込もうなんて考える奴はそう多くない。前回の事件を経て尼子屋なりに色々考えているのだろうと思う。
「一之瀬く~んっ!! もっと早く走りなさい~っ!! ちんたら走ってるとお仕置きですよ~っ!」
「これでも全力で走ってますよっ!!」
そう言って背後を振り返ると、目に入るのはするすると空を駆け上がる幾筋もの光。
それらの光は空に緩い弧を描くと、突然弾けてあたりに強烈な光を巻き散らす。西郷寺カノンの光源魔法だ。
そして、夜空に煌めく魔導の光を浴びて、闇夜に子鬼のようなシルエットを浮かび上がらせているのは、俺たちを追走しているモモ先生である。
「だったら先生先行してくださいよっ! あいつらもうキレまくってますよっ!!」
「うまく説明する自信ないもんっ!」
「威張んなっ!!」
本来ならば、こういう場合はクリス先生の方が適任なのだろうが、それよりも、今にも森に飛び込みそうなクラスメイトに事情を説明する人が必要だ。論理建てて説明するとか、冷静に生徒をなだめるとか、モモ先生はそういった事に絶望的なほど向いていない。
「うわっ…… と!」
「ミナト集中! よそ見してると転んじゃうよ!」
「わかってるっての!」
集合場所――――キャンプファイヤーをしていた広場周辺は、この山岳フィールドの中でも比較的平地だ。薄暗くても致命的な崖を気にしなくて良いのは不幸中の幸いか。
しかし光源魔法のおかげで足元が見えないといった事も無いので滑落するような事は無いとしても、気が散った状態で全速力を維持できるほど平穏な地形でもない。
俺たちは木々の間を縫うようにして、目的地へと急ぐ。
するとその時、風とは別種の衝撃波が森を吹き抜けた。間違いない。闘気の余波だ。
「くそっ もうおっ始まってやがる! それに近い! 全然逃げてねえじゃねえかっ!」
「焦って連れ去ったけど、その後の事考えてなかったんだよ! ミスター弦月は基本何にも考えてないから!」
「知りたくねえ事実だなオイ!」
そう毒づくと、間髪入れずに凄まじい轟音と共に火柱が屹立する。そしてその火柱は半円を描いて地面に叩きつけられた。まるで紅炎だ。
「ちょ、あれ中位魔法だよ! 先行してるのジュリエッタちゃんでしょ!? なんであのレベルの人が落校で燻ってるの!?」
「何やっても火が出る上に日本語出来なくて座学が壊滅なんだとよ!」
「日本の試験制度は間違ってるよ!」
「耳が痛ぇよ!」
「そんな事よりミナト、森が切れる!」
視線の向こう、聞きなれた仲間たちの怒号が聞こえた。戦場はもう目の前だ。
森に飛び込む前、アーニャは言った。弦月さん―――弦月巌さんは、荒々しい風貌に似合わず、非常に穏やかな気性の持ち主であると。何を間違えても、数十段も格下の学生相手に間違いを起こすような人物ではないのだと。
だからこそ俺はわからなくなる。ストーカー騒ぎに始まったこの出来事は、一体どこに着地点を見出すのかを。
弦月。珍しい苗字だ。クラスに一人はいるとか、そんな有り触れた苗字ではない事だけは確かだ。
しかし、まさかそんな事はあるはずがないと最初からその可能性を除外していた。日本が誇る伝説の存在が、あの火竜戦で颯爽と現れて事件を解決に導いた憧れのヒーローが、
まさか弦月奏の父親だったなんて―――っ
「下手な事やらかすんじゃねえぞ! あの人は俺たちの英雄だ!」
「ミナト、あの人はそんな人じゃないよ! 倒したモンスターより飲み屋で触ったお尻の数の方が多いってタバサが行ってたっ!」
「知らなきゃよかったよ!!」
そう叫びながら俺は戦場に躍り出たその瞬間、天を劈く凄まじい悲鳴が大気を震わせた。
――――やめてぇぇ~~~っっッ!!
◇ ◇ ◇ ◇
尼子屋の信号弾を目指して、森の切れ間に飛び込んだ旨鹿たちの目に飛び込んできたのは、弦月奏の口を塞ぎ、焦ったようにキョロキョロと周囲を見回す大男の姿だった。
千切れ飛んだはずの覆面を装着しているところを見ると、入念にも予備を準備していたらしい。旨鹿は思わず舌打ちをした。
覆面男の正面に立つ旨鹿の横に、冒険科の仲間たちが次々と姿を現す。
迫撃の鬼、神城葵。自在の短槍使い比佐山郁美。結界師の指揮官小森胡桃と、万能戦士多々羅ナナ。
そして彼らの後ろから失礼しますとばかり姿を表したのは、数少ない発現系魔法使いである神楽耶ジュリエッタだ。
「……変態は殺す。ミナトに褒めてもらう」
「この私が成敗してあげるわ! あ、尼子屋どこ!? ちゃんと見てるんでしょうね!?」
「結界で監禁…… やったことないです。実験台に丁度いいですね」
「カメラで撮ってぇUPだょねぇ~! アクセス数命だょ~!」
欲望剥き出しの若者に、焦った大男が叫ぶ。
「ま、待てっ 誤解だっ!」
「誤解もクソもねえんだよ! ケツの穴ぁ増やしたいんだろボケが!」
旨鹿の怒気に、ふざけた台詞を吐いていた少女たちの目が据わる。軽口を叩いていてもハラの中は煮えくり返っているのだ。
少しだけ怯んだ大男が、大事そうに弦月を背後に下ろすと距離を置いて追跡者達と向き合った。
当の弦月はまるで魚のようにパクパクと口を開け、絶句しながら男の背を見ている。
誰か一人でも冷静ならば、その所作に感じる者があっただろうが、残念ながらこの場に冷静な物など一人もいない。
当たり前だ。己が欲望の為に、力にまかせてか弱き女子を攫う下種を前に、年若き彼らがどうやって理性的な判断を下せるというのか。
「みんな! オレは大丈夫だから待ってくれっ! この人は―――っ」
「危害を加えるつもりは無ぇンだ! ちょっと時間があればちゃんと帰すと約束―――」
「死にやがれクソ野郎! 多々羅! 援護しろっ!」
「あいさー! 弐式展開! いくょっ!」
戦いの火ぶたはあまりに唐突に切って落とされた。
ガチャリという金属音と共に可変式武装、迅雷βを弓形態に変形させた多々羅が無差別掃射を開始。大男が雨あられと降り注ぐ魔導の矢を腕を交差してガードする。下手すれば、大男の背後の弦月すら巻き込みかねない攻撃だというのに多々羅に迷いは無い。
「今だょっ!」
そして3つの人影が大男を挟み込むようにして展開。彼らが測っているのは大男の呼吸、息を吐き切る寸前で影がうねる。
初手は葵。オークすら一撃で煎餅にする一撃を携え、限界まで巨大槌を振りかぶる。
「……鉄槌」
――――ズドンッ
「……躱すの!?」
葵が眉を跳ね上げる、だが動揺は一瞬だけ。
地面にぽっかりと開いた大穴を一瞥する男に渾身の横薙ぎを叩き込む。しかし―――
「……うそ!?」
「あぶねっ! だから待てって嬢ちゃん! 俺は絶対に手は出さねえっ!」
当たり前のように左手一本だけで大槌が受け止められ、押すにも引くにもビクともしない。
撲殺天使の顔が屈辱に歪む、それは決闘ならば致命的な隙だがこれは何でもアリだ。
「……今っ!」
「もらったわッ!!」
直後、男の死角から疾風の如く突き出された短槍。
攻撃手は比佐山郁美、冒険科女子随一の突破力を誇る槍使いが会心の一撃だ。
鈍い手ごたえ。確かに肉に届いたという確信の笑み。だがそれは一瞬で脆くも崩れ去る。
「そ、そんな……っ」
男は比佐山全力の攻撃を視線すら向けずに、軽く右手で摘み取っていた。
さらに男は優しさすら滲ませる声音で言うのだ。
「落ち着け、俺は何もしない」
「巫山戯ろッ!」
突貫。
憤怒の形相は旨鹿龍之介。
「疾ィッッ―――」
塞がった両の手。正面からの刺突、渾身の突き、防ぎ様のない一撃、のはず。しかし―――
「だがおめぇは別だクソガキィィッッ!!」
――――パンッ
それは破裂音。空気が弾ける乾いた音。
旨鹿の剣が男の喉元に届く寸前、見えない何かが旨鹿を跳ね飛ばす。
気の遠くなるほど長い僅か数秒ののち、旨鹿は錐揉みしながら地面に激突した。
「旨鹿ッ!」
「……馬鹿!」
「退避ぃっ! 神楽耶さんッ!!」
「torbellino de llama《炎蛇》」
―――轟
その高さ実に20m。それはまさに自然災害。
闇夜に突如として現れた火炎旋風は、まるで獲物に襲い掛かる蛇のように、全てを焼き尽くしながら男に向かって半円を描く。
男に着弾。
肺を焦がさんばかりの熱風が吹き荒れ炎が消失。そして―――
「うそ、でしょ……」
誰ともなく漏れた呻き。
戦闘開始より僅か20秒足らず。
この時、初めて全員が確信する。敵は超格上。凄まじい手練れ。下手な攻撃は通用しない。
そうして訪れた僅かな膠着状態。誰も一言も発せず、目くばせしながら突破口を探す。その時だった。
旨鹿がヨロリと立ち上がる。
何の前触れもなく、無防備に、不格好に。
全員の視線は自然と旨鹿へ。
旨鹿は数度咳込み、ゴボリと口から漏れたものが、制服を朱に染める。
「旨鹿君! 離脱して下さいっ!」
「うましかは馬鹿と読みますが逃げますでした!」
吐血。内臓の損傷だ。
たった一度。たった一撃である。
大男にとってはハエを払うような、その程度の攻撃で既に旨鹿は満身創痍。
クラスメイトの口から出るのは悲鳴。
だがしかし、旨鹿の目は死んでいない。その瞳に宿るのは獣が如き闘争心。
「小学校の、ゴホッ 頃、よぉ」
まるで幽鬼だ。
片足を引きずり、動かない左腕をダラリと垂らし、フラフラとよろめきながら、しかし一歩、また一歩。
あまりにも無残なその姿に弦月が口元を押さえて小さな悲鳴を上げる。
だが旨鹿の顔に浮かぶのは凄絶な笑み。その気迫に誰しもが口をつぐむ中、旨鹿は歩き出す。
そして血痰を吐き捨てると、カカッと嗤った。
「女の子を、泣かして…… かーちゃんに死ぬほどブン殴られてよぉ」
「手加減したんだ。大人しく寝てろクソガキ……っ」
「『男は女を守るもんだ!』だとよ。ゴホッ 冒険者なんてのが、出来て…… 女の方が強いって時代によ、時代遅れだっつーののによぉ……」
「寝てろ。死ぬぞ……」
「ははっ そんで、アル中の親父が『その通りっ!』つったら、かーちゃんにブン殴られてたわ。俺は思ったね『やっぱかあちゃんは正しい!」ってよ」
何を言っている。
血泡を吹きながら、焦点の定まらない瞳をグルグル彷徨わせながら。
なぜ立ち上がる。なぜ向かってくる。
関係ないだろう。たかだかクソガキの家庭事情が今、何に関係があるというのか
押したら倒れそうだ。引いたら崩れ落ちそうだ。弦月の制止の叫びすらもう耳に入ってはいないのだろう。
無様な敗者の戯言である。その姿は滑稽ですらあった。これ以上何を足掻こうというのか。無駄だ。勝てるはずが無いと誰しもが思う。
だがしかし、彼の歩みを止める者もまたいなかった。
「男女っつってもよぉ……ゴホッ 一応、ソイツは女、なんだわ~。ところでよぉ……」
右足が駄目なら左足で歩け。左腕が動かなければ右腕を振り上げろ。
だから旨鹿は叫ぶのだ。
揺ぎ無き信念だけを、その曇り無き双眸に秘めて。
「テメェなに女泣かせてんだクソッタレが――――ッ!!!」
人生最速。全身全霊の突進。悲鳴を上げる体など知った事か。
旨鹿は握りしめた拳を振り上げて走り出す。
武器は無い。素手だ。通じるはずが無い。
しかし、と旨鹿は思う。一体それがなんだというのか。
腕が動かないならば足だ。四肢が動かなければその咢で食いちぎれ。
「おおおおおぉぉォォォッッッ!!!」
「一撃で、終わらせてやるクソガキ……っ」
大男の右手に武威が収束していく。
武闘家として、旨鹿の意気に、敬意にも似た怒りを込めて。
淡い光を放つは破滅の勁。練り上げられるは末期の氣。
昏く明るい闇濁に交錯するのは両者の生き様。
青く拙い剥き出しの闘争本能と、修練と研鑽の果て、頂点に立つ者の『武』
奇しくも選択したのは、共に己が拳、ただ一つ。
そして――――
「やめてぇぇぇぇ~~~ッッッ!!!」
無垢なる少女の悲痛な叫びが、遠く夜空に木霊した。
戦闘、シリアス、これで終わり。




