デスゲーム
6月下旬。春の日差しに強いものが混ざり、日差し対策が意識され始める頃。
朝っぱらから気の早いヒグラシがカタカタとその身を震わせていたとある火曜日。
ダンジョン管理庁に怒号が飛び交っていた。
【息吹】は基本的に毎日20時には強制退去を行っている。
そして翌8時にまたゲートは開放され、手続きを済ませた者が転移を開始する。それが時に融通が利かないと揶揄される国営ガーデンの不変のルーチンだ。
その日は、ラブロフ外相の視察が予定されていた事や、一般開放していたら出来ない実験が溜まっていた事などから、朝8時になってもゲートが一般開放される事はなく、来場者は東ロシア連合の一団だけの予定で、朝から緩んだ空気が流れていた。
VIPが来るといってもそれだけである。
いつも通りの設定をした上で一般ゲートを封鎖する。外務省に個別ゲートをつなげる。ただそれだけの事だ。そこから先はダンジョン管理庁の管轄ではない。
今日は珍しく早上がりして飲みに行こうみたいな会話がそこかしこでなされ、たまにはこんな息抜きがあってもいいさと室長も見て見ぬふりだ。
そんな空気に水を差したのは、とある冒険者学校からの1本の電話だった。
――――生徒たちが息吹に入ってしまった
そんな馬鹿な。
一報を受けた係長は一笑に付した。そんな事はありえなかったからだ。
【息吹】のシステムは冒険者ギルドのガーデン管理システム『バベル』で統括管理されているもので、権限認証にはIDやパスコードといったものではなく、概念認証という非科学的な技術が用いられている。
それは冒険者たちから観念的に委譲される階層権限を正しく認証するためのダンジョン特有のルールで、権限者以外が設定を変更するのは不可能となっている。
そしてルールに組み込まれた設定変更要件は想像を絶するほど煩雑であり、情報公開の対象として指定されている。ダンジョン管理庁の権限で日常的にできる事は、ゲートの閉鎖と個別ゲートの開放、そして強制退去くらいで、一度閉鎖したゲートは翌8時になるまで開くことはない。これは憲法や法を変えたら出来るという話ではなく、息吹が既にそういうルールに設定されているのだ。
ゲートを閉めたのはこの目で確認した。だから絶対に翌8時までは開かない。それが事実だ。それがルールなのだ。
係長は耳クソをほじりながら「確認して折り返します」の一言だけを発し、電話を切った。
何もあるはずはない。とはいえ何も対応しなかったでは後々面倒くさい。
部下にゲート設定の確認をさせ、『異常なし』の報告を聞くと、それ見た事かと今日行く予定の飲み屋を検索し始める。
現場が不穏な空気が漂い始めたのはそれから一時間が経ったころであった。
誰それが息吹に行ったきり戻ってこない。そんな報告が散発的に入り始めたのだ。
何か異常が起きたのかもしれないと外務省に注意喚起を促す。すると帰ってきた返事は「視察団と連絡が取れなくなった」という驚くべき内容。これが決定的となった。
そこからは右に左に大騒ぎだ。
情報収集を開始するも、めぼしい情報が入ってこない。ならば直接現地にと人を送り込んでも連絡が途絶える。
何が起きているのかさっぱりわからない。対策本部を立ち上げるべきとの声もあるが、現状が把握できないまま話を通すための材料も足りない。運用始まって以来の出来事で対応マニュアルすら無い。
そうしてただ無為に時間だけが過ぎ、さらに一時間が経過した時だった。
「大変です室長!! これを見てください!」
若手の職員がノートパソコン片手に会議室に飛び込んでくる。
通常ではあり得ない不躾な行為だが、今それを咎める者はいない。会議に参加する多くの職員がPCをのぞき込む。画面に映っていたのは聖職者のような笑みを浮かべる一人の男。
男が話す言語は日本語で、英語とロシア語の字幕が表示されている。
そして映像を見た職員たちの顔から、見る間に血の気が失せていった。
「こ、これは……」
「【赤の騎士団】を名乗る勢力の犯行声明です! 東ロシア軍の即時撤退と、東ロシア連合に対する日本の経済的援助の凍結を要求、30分ほど前にUPされています!」
「西ロシア…… モスクワと関わり合いのある勢力か……? ラブロフ外相との関連性を洗え、公安に協力要請だ! 急げ!」
室長の怒声に、一人の職員が会議室を飛び出す。
室長は苦し気に目をつむり、こめかみを抑えた。
「この映像が表に流れ始めるまでどれくらいだ」
「今この瞬間に流れてもおかしくないかと……」
「ならばすぐに省庁間会合の手はずを整えろ、内務省の横やりが入る前にだ」
「室長、それだけじゃないんです…… これを見てください……」
「なんだ、他にもまだ何か―――― これはまさか……ッ」
PCを操作していた職員が、動画の投稿者コメントに記載されたURLをクリックすると、9つの映像がリアルタイムに流れ続けているページに飛んだ。
動画のタグにはすべて「Ibuki Live」の文字。
「……そうです。現在の息吹の映像です」
流れる映像は目まぐるしく向きや焦点が変えられ、まるで誰かの視覚映像をそのまま見せられている様な印象を受ける。いや、「様な」ではなく、そうなのだろう。ガーデンの設定次第でそれは可能だ。
映像に映る少年少女たちは、広場に固まり、恐怖一色で染められた顔をとある一点に向けている。誰かの視点を借りたカメラがゆっくりと少年少女達が視線を向ける方向に向く。
そこにいたのは――――
「ドラゴンだとッ! 息吹になぜ火竜がいるんだ! あれは20階層で中級冒険者100人がかりで挑む大規模戦闘フィールドのボスだぞ!! 設定上そんなのは不可能だ!!」
感情に任せた拳が机に叩き付けられ、ビクリと職員たちが怯む。
誰もが知っていることだ。息吹の設定が書き換えられる事など理論上あり得ない。
しかし、目の前ではあり得ないことが起きている。入場者視点のカメラ映像もそうだし、火竜の存在も勿論そうだ。
だがそれでも職員たちの間では、息吹は訓練用ダンジョンであるという頭があった。
最悪死んでも生き返れる。そもそもそれ以前に緊急離脱がある。その二つの余裕が、このような非常事態になってもなお彼らの平静さを奪わない。
だからこそ、会議室内は次の一言で凍り付いた。
「室長…… 死に戻り機能が……解除されています……」
「なんだと……っ!?」
「ゲートも一方通行……入場制限は11レベル以上、緊急離脱も、ログアウトすら出来ないようになっています……」
誰もが絶句した。もしそれが事実だとすれば、そこはもう5階層までを想定した訓練用ダンジョンなどではない。ダンジョンに潜ったことも無いような雛鳥が放り込まれたのは、上級冒険者ですら単騎では乗り込まない致死の領域20階層。
誰も、助からない。
誰一人身じろぎもしない室内に、室長の乾いた声が響いた。
「デス、ゲーム……だと……」
―――――――――――
『はじめまして。そしてさようなら。デスゲームにようこそ』
そんな意味不明なセリフが鼓膜を揺らす。
口の動きと聞こえる言葉が合っていないところを見ると、何らかの翻訳機能を介しているのだろう。
男は俺たちの反応が見えているのか、満足げに頷いた後、パンと手を打った。
『といっても何も説明なしではさすがに可哀想だ。そろそろ我々の声明も流される頃。簡単に説明をしましょう』
歳は40前後だろうか。
高い鼻とくぼんだ眼。清潔感のある髪は色の薄い金髪で、きれいに6:4で分けられている。
厳つい印象もなければ、逆に優男といった風貌でもない。
強いて言うならば、人の好さそうなスラブ人だ。
昼は仕事、夜は家族と団欒。休日に子供と遊び、近所の公園で犬の散歩をする。そんな日常間の溢れる普通の男。
空が砂嵐に覆われ、ドラゴンが現れ、天空のスクリーンで男が安心感すら感じる笑みを浮かべている。
酷く非現実的な光景だった。
『あなたたちは人質です。我々【赤の騎士団】の要求を通すためのね。今、ここの光景は全世界に中継されている。見世物としてせいぜい足掻いてもらいましょうか』
ラノベやアニメで腐るほど見た事のあるシチュエーション。
こんな状況、作中では喚き出すモブがいたりするが、あれはウソだ。
人はあまりに突拍子もない出来事に巻き込まれた時、ただ呆然と立ちすくむことしか出来ない。
今、目の前に広がっている光景がまさにそれだった。
誰もがポカンと口を開き、無防備に突っ立って空を見上げている。中にはまるで授業みたいに体育座りで男のセリフを待っている者さえいる。
そんな何が何だがわからない状況の中、はっきりと意思を持って動いている二人の人物がいた。
「もも! まだ来てない生徒は見つかりましたか!?」
「2組発見、すぐにこっちにくるよ! だけどカノンちゃんのチームがまだ見つからないの! もしかしたら集合地点に向かってなかったのかも…… クリスちゃんどうしよう……っ」
言わずもがな、担任のクリスティナ先生と戦闘実習担当のもも先生だ。
まだここに来ていない生徒の捜索に向かっていたもも先生が凄まじいスピードで駆けてくる。その後ろを隊列もクソもない全力疾走でついてくる生徒達の顔は一人残らず引き攣っていた。
「あなたが泣き言言ってどうするのです! 体制を整えてから捜索を出します! もも、今はまだ状況が見えません。ここで生徒たちを守りますよ!」
涙目のもも先生を叱責したクリスティナ先生が、近くにいたクラス委員長の東雲に指示を飛ばす。
「東雲君、生徒を集めて点呼を! 終わり次第森に移動を開始します!」
「わかりました。みんな! 点呼をとるぞ、集まってくれッ!」
東雲はなぜこの底辺高校にやってきたのかわからない3人のうちの一人である。
実力もさることながら、面倒見が良く人望も厚い。暑苦しいほど真っすぐな青春バカであることが玉にキズだが、男子も女子も、「東雲が言うんだから言う通りにしようぜ」と思わせるだけの力がある。
ここにきて呆然とするだけの生徒たちがハッと我に返り、東雲の周りに集まり始める。
点呼を終わると、やはりカノンチーム――――ドリルチームの4人が見当たらない。チラリと尼子屋の顔を伺うと、幾分顔を青ざめさせ、拳を震わせていた。やはり心配なのだろう。
そして再びもも先生が泣きそうな顔になるが、彼女だって子供ではない。今優先すべき順序というものがある。
俺たちはダンジョン5階層相当の訓練用ダンジョンで四苦八苦する程度の存在、それが中級冒険者の壁とされる20階層のレイドボスをどうにかできるはずがなかった。
先生がどんな作戦を考えているのかは知らないが、俺たちが足手まといであることだけは確かだ。空を飛ぶドラゴン相手に、自分の身も守れないひよっこ共が広場で固まっていたら狙ってくださいと言っているようなものである。
今俺たちがすべきことは、速やかに身を隠すことだ。
その間、スクリーンに映る男は、日本が東ロシアにどうだのラブロフ外相がうんたらだの、やたら小難しい話を小難しい言葉で話していたが、正直誰も聞いていなかった。
普通なら涙目になって悔しがる所だと思うのだが、そもそも俺たちに聞いてほしいわけでもないのだろう。
そして点呼も終わり、森へと移動を開始しようとした時、喧騒の合間を縫うタイミングで男―――【J
】の声が響き渡った。
『それではルールを説明しましょう。先に言っておきますが息吹の設定権限は我々が掌握しました。帰還ゲート全てを排除。死に戻り機能の停止。そして火竜の召喚。この意味、おわかりになりますかね?』
男が笑みを深め、三日月形に歪んだ目元からドロリと濁った瞳が顔を出す。
『死んだら死ぬ。そして君たちに逃げ場はない』
死に戻りの機能は、訓練ガーデンが訓練ガーデンであるための必須機能だ。それがなければ、高々5階層程度の難易度とはいえ、命を危険に晒して潜るような奴は自殺志願者かキチガイだ。
それなのにその命綱が失われ、逃げ道を断たれた挙句に火竜がいる。
絶望以外の何物でもない。
クラスメイトがざわつく中、尼子屋が呻くように呟いた。
「ダンジョン・ハック…… 嘘でしょ……」
「ゲートの強制消失に火竜だ。認めるしかないだろ」
ダンジョン・ハック。
それは多くの映画や小説で題材とされ、ながら、現実世界で起きたことは一度もない最悪のテロだ。
もしかしたらあったのかもしれないが、少なくとも表向きは存在しない事になっている上に、技術的に不可能とされている空想のお話。
で、あったはずなのだ
それが今、目の前で現実として起きている。起きてしまっている。
誰もが言葉を失い、中には声を上げて泣き出す子もいる。当然である。俺だって周りに誰もいなかったら大声で喚き散らしていたに違いない。現に俺の膝は笑いっぱなしで、意識していなければ真っすぐ歩くことだって難しい。
「アーニャ、お前、火竜倒せるか?」
お偉いさん達は俺たちと共に行動することを選んだらしい。
すぐ後ろをついてくるアーニャを振り返ることなくボソリと呟く。
「腕輪を外して本気出せば…… いけるでござる」
「化けモンかお前」
「失敬でござる! 拙者はか弱い乙女でござるぞ!」
ゴソゴソと腕輪を外そうとするアーニャに、驚きを通り越して呆れてしまう。
だが少しだけ安心した。自力で何もできないのは悔しいが、最悪でも死ぬことは免れそうだ。
「いざとなったら頼―――――」
『そうそう。忘れていました。羊に狼が紛れ込んでいても困る。万が一がありますからねえ……。レベル20を超える者の滞在を拒絶する』
「な――ッ!」
半ば腕輪を外しかけた体制で固まるアーニャ。
驚く間もなく、【J】がパチンと指を鳴らすと、護衛の一人が驚きに目を見開いたまま光の粒子となって消えた。外に転送されたのだ。
一番小柄で目立たない中年だったが、高ランクの冒険者だったらしい。
「アーニャ待て! 外すな! 転送されたら終わりだ!」
自動なのか手動なのかわからないが、それでも今、レベル27のアーニャが転送されたら俺たちはもう終わりだ。
レベル10の制限がかかっていたとしても、彼女の技術と経験は、この場を生き延びるために絶対に必要だ。
そしてハッとなって先生を見ると、制限ギリギリだったのか、ほっと胸をなでおろすクリスティナ先生がいる。もも先生はレベル19だったはずだ。なんとか首の皮一枚繋がったということか。
だが絶対的窮地であることに変化はない。
『猶予は24時間。フィールドを24に分け、1時間ごとにブレスで灰にしていきます。なに、心配することはありませんよ。ゲームを終わらせるための条件は3つ。両国が我々の要求を飲むか、火竜を倒すか、それとも……』
男の顔がぐにゃりと醜悪に歪む。瞳の奥に潜むどす黒い炎が爆ぜた。
『……全滅するか。さあ、ゲームを始めましょう』




