第7話 西壁村の奴隷売買 (3)
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コツ、コツ――。
壁にところどころ取り付けられた錆びたランプの明かりを頼りに、暗い階段を延々と下りていく。
カビ臭さと、湿った石壁。
階段を下りきると、広い地下広場が現れた。そこからは何本もの長い通路が枝分かれしており、両側には牢獄のような鉄格子がずらりと並んでいた。
「何だよ、これ……?」
腐った食べ物のような臭いが鼻を突く。
コツ、コツ――。
俺とサラの足音が地下広場に反響した。
……リベリン王国に、こんな場所があったのか?
それも首都アルカディアに。
俺は広場を横切り、いくつもある通路の一つへ向かった。
別に選んだ理由はない。ただ、今いる場所から一番近かっただけだ。
「……これは」
通路に入って鉄格子の中を覗くと、人がいた。
一人、二人、三人……この通路だけでも数十人はいる。
ほかの通路にも、何十と並ぶ檻のそれぞれに人が閉じ込められていた。
全員が破れた服をまとい、裸足で、首には壁から伸びる鎖が繋がれている。
がたがたと震えている者もいれば、正気を失ったように目が虚ろな者もいた。
「……これが孤児院?」
平和なリベリンにこんな場所があるなんて、想像もしていなかった。
彼らは俺がいることにも気づかないのか、床や虚空をぼんやり見つめ、何かをぶつぶつ呟くだけだった。
……誰がこんなことを?
原作でも見たことのない光景に、必死で記憶を辿っていると。
ギィィ――。
……ガシャンッ!
広場の向こう、石段の上で扉が開く音が地下に響き渡った。
……誰か来る。
俺はサラの手首を掴み、慌てて通路脇の柱の陰に身を隠した。
コツ、コツ――。
やがて地下牢に足音が響き、石段のほうから二人分の影が松明に照らされて長く伸びた。
「……です」
「……もちろんですとも」
遠くから聞こえていた会話が、次第にはっきりしてくる。
「明け方、フラクシア第二商団を通じて入ってくる奴隷はエルフです」
「エルフ? 滅多にお目にかかれないものを、どこで手に入れた?」
「はは……それは商売上の秘密ですよ」
「私には関係ないが、リベリンの王女もハーフエルフだったはずだ。問題ないのか?」
「最近は帝国の皇位問題でお忙しいようですからね。こんなことまでいちいち気にかけてはいられないでしょう」
「……そうか。とにかく、見つからないように動け。商団から、インセリウムの警戒が強化されたとの報告が来ている」
「はい。こちらはすべて片づいております。状態のいい連中は上に移しました」
「死んだ奴ら以外は全員焼き払え。時間がない」
まるで何度もここへ来たことがあるかのような慣れた足取りに眉をひそめ、俺は二人の会話を反芻した。
……フラクシア第二商団? 奴隷売買?
話の内容からすると、一人は商人、もう一人は他国の貴族らしい。
服装を見る限り……さっぱりわからん。
あの落ち着いた高級そうな服が、伯爵なのか男爵なのか侯爵なのか。
……俺にわかるわけないだろ。
領地経営ものが好きでもない俺にとっては、ただの動きにくそうな服でしかない。
小さく息を吐いたのが見えたのか、サラが耳元で囁いた。
「殺す?」
「え?」
ぎょっとしてサラを見たが、その目は本気だった。
「……我慢しろ」
サラなら一瞬で片づけられるだろうが、商団の名前まで出てきた以上、さらに上に黒幕がいるということだ。
こんな状況で下手に動けば、ハッピーエンドを作ることがほぼ不可能になるかもしれない。
そう考えながら会話に耳を澄ませていると、身分の高そうな男が小瓶を取り出して言った。
「おい、全員揃っているな?」
「はい!」
数十人分の返事が聞こえた。
「……?」
何だ、二人じゃなかったのか?
そっと顔を出してみると、通路の向こうの地下広場では、数十人の密売人たちが頭を下げて返事をしていた。
「一瓶につき金貨三枚だ。自分の手で撒くところまでがお前たちの仕事だ」
男は小瓶を一つずつ配っていく。
密売人たちは無言で受け取ると、それぞれ自分が管理しているらしい奴隷の前へ歩いていき、瓶を振って中身を撒き散らした。
……何をしてるんだ?
あちこちから撒かれる香水のような匂いが、かすかに鼻をかすめる。
甘い香りに、一瞬頭がぼうっとした。
俺は素早く頭をぶんぶん振り、意識を引き締めて様子を窺った。
「あはっ……! ははははっ!!」
ガンッ、ガンッ、ガンッ!
突然の音に振り向くと、香りを強く吸い込んだ男が、嬉しそうに自分の額を何度も鉄格子に打ちつけていた。
「いい……ああっ!」
最初の鉄格子を叩く音を皮切りに、地下牢には悲鳴と笑い声、泣き声が入り交じり、地獄のような光景が広がり始めた。
爪で腕を引っかき、鉄格子や地面に頭を打ちつけ、指を噛みながら絶叫する。
だが、苦痛の叫びというには、彼らはあまりにも嬉しそうだった。
薬? 魔法?
この世界には、まだ麻薬という概念が存在しない。
可能性が高いとすれば幻覚魔法だが……。
あの魔法は高位の魔法使いでさえ扱いに苦労する魔力術式だ。
大量のマナと精密な制御を必要とする高難度の系統。
これほど大規模にばら撒くなんて、事実上不可能だ。
あえて可能性を挙げるなら、快楽の悪魔くらいか。
だが、あの悪魔はリベリンには登場しない。なら除外だ。
「サラ、何か心当たりはないか?」
もしかしたらと思って尋ねてみた。
サラは何も言わず、首をぶんぶん横に振った。
……知るわけないか。
人間の姿をしたドラゴンには、どうにも慣れない。
コツ、コツ――。
香水を撒いていた密売人たちが、こちらへ近づいてきた。
「来るぞ。こっちにも撒くつもりみたいだな」
俺は身を縮め、冷たい柱の内側にぴったりと張りついた。
自然と柱の隣の鉄格子へ目を向けると、ここにも人がいた。
「…………」
「…………」
しばらくすると俺の視線に気づいたのか、ぼんやりと濁っていた瞳に少しずつ焦点が戻り、目が合った。
……あ。
「……黙ってろ!」
静かにしろと手で合図したが、正気を取り戻した男には周囲が見えていなかった。
「た……助けてください! 助けてください!」
ああ、もう。
ガシャン、ガシャン――。
泣き叫ぶような声が、狭い通路から地下広場全体へと広がっていく。
鉄格子を掴んだ男の必死な叫びは、地下牢の隅々まで響くほどだった。
話していた二人の影が、こちらを振り向いたのがわかった。
「何だ? 誰か入ってきたのか?」
「あっちの奥から聞こえたぞ。誰かいるんじゃないか?」
「いるわけないだろ。ここは中央ギルドも王宮も知らない場所なんだぞ」
香水を撒いていた男が勢いよく振り向き、眉をひそめた。
「おい、誰だか知らねえが、そっちは俺の担当だ。お前は反対側へ行け」
「聞こえねえのか? 反対側へ行けって言ってんだよ!」
「助けてください! 助けてください!」
だが、悲鳴が続くと、貴族風の服を着た男が怒鳴った。
「無駄口を叩いていないで、さっさと確認してこい!」
しばらくして、ランプの明かりだけだった牢の内部がぱっと明るくなった。
魔法の照明球だ。
……はあ。何一つ簡単にいかないな。
俺は反射的にサラを振り返った。
だが、サラは俺の視線を見ることもなく口を開いた。
「……来る」
「何が?」
カン、カン、カン――。
放たれた魔法の照明球が床を跳ね、俺の目の前まで転がってきた。
そして、ピカッ!
再び眩い光を放った。
「うわっ!」
目を刺すような光に思わず声を上げ、無意識に柱の外へ飛び出してしまった。
そして、目が合った。
二人……いや、全員と。
通路はもちろん、地下広場を埋め尽くす数十人の連中が、一斉にこちらを見ていた。
束の間の静寂。
「…………」
「…………」
「…………」
俺は素早く視線を動かし、システムウィンドウを確認した。
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〈システムウィンドウ〉
【バッドエンド】
名前――エレン【観測者】
ランク――F
職業――村人
【スキル一覧】
《スキップ》―(無効化)
《ドラゴン》
【一時スキル】
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バッドエンドのせいで《スキップ》は無効化されている。
「…………」
意気揚々と地下へ下りてきたものの、よく考えれば今の俺は、ただ密売の現場を目撃してしまった哀れな村人にすぎない。
「はあ――」
俺は長いため息をついた。
そして。
当然、逃げた。
「……走れっ!!」
* * *
タッ、タッ、タッ――。
言い終わるや否や、俺はサラと一緒に反対側の通路へ駆け出した。
鉄格子と鉄格子の間に立つ柱のランプに照らされ、俺たちの影が伸びたり縮んだりを繰り返す。
背後では何かが爆ぜる音と、鉄格子を掴んで泣き叫ぶ奴隷たちの悲鳴が入り交じっていた。
どんな魔法を使ったのか、拡声器もない地下牢全体に警報が響き渡る。
『侵入者だ!! 全員、武器を装備しろ!! 侵入者は女一人と男一人だ!!』
俺は隣を走るサラをちらりと見た。
……確かに、顔立ちは整ってるけどさ。
誤解を訂正している場合でもないので、俺たちは全速力で通路を駆け抜けた。
地下に響く足音。背後から追ってくる連中の罵声と怒号。
曲がり角のたびに誰かが飛び出してきそうで、心臓が狂ったように脈打った。
「はあ……はあ……死ぬ……」
肉体労働を終えて一時間も経たないうちに始まった全力疾走で、口の中に鉄の味が広がった。
エレンとしての体力の限界を試されている気分だ。
「はあっ――」
いったい何人閉じ込めてるんだよ。
通路は果てが見えないほど複雑に入り組み、走るたびに鉄格子の向こうから悲鳴と泣き声が飛んでくる。
「捕まえろ! 絶対に逃がすな!」
「どこへ行った!」
「奥の通路へ向かった! 各区画を封鎖しろ!」
「逃がしたら俺たちだけじゃ済まないぞ!」
追っ手は次第に俺たちを包囲するように動き始めた。
地下牢で予想外のパックマンをやらされながら、俺はひたすら走り続けた。
「た、助けてください! お願いです!」
「家に、家に! せめて家族に、私の消息だけでも!」
これだけの人間を、いったいどこから連れてきたんだ?
見る限り、全員がリベリンの国民というわけでもなさそうだ。周辺の無主地や、ほかの王国の人間も混じっているのだろう。
俺は鉄格子の中から聞こえる絶叫を背に走り抜けながら、ふと昼間に見たギルドの掲示板を思い出した。
破れていた依頼用紙。
『No.26 リベリン西壁村地域 行方不明……』
さっきは大して気にも留めなかったが……。
今いるのは、西の城壁近くの村。
蟻の巣のように果てしなく続く地下牢。
かなりの数の密売人と、その中に紛れ込んだ魔法使いたち。
そして、数え切れないほどの奴隷。
タッ、タッ、タッ――。
「どこだ!」
「C区画へ回ったようです!」
「早く行って探せ!」
通路の向こうから響く怒鳴り声を聞きながら、必死に頭を働かせた。
そして、一つの文章が浮かんだ。
「……まさか」
――リベリンは平和だ。
境界の森に囲まれ、文明的には最も遅れていながら、国民一人ひとりの幸福度は最も高い国。
だが、リベリンについての描写は、そこで終わっていなかった。
正確には、【その平和の裏側を知る者は誰もいなかった】という一文で締めくくられていたのだ。
それ以降、リベリンの裏側が小説で描かれることは一度もなかった。
「…………」
つまり、今俺が足を踏み入れているここは。
回収されなかった伏線だということだ。
「次から次へと……このイカれ野郎が」
ドォン――!




