第6話 西壁村の奴隷売買 (2)
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身長百九十センチは超えていそうな巨体に、錆びついた鉄製の鎧。
男は俺の肩に肘を乗せ、肘掛け代わりにしながら嘲笑い始めた。
「Fランク? Fランクが依頼だと? 珍しい病気にでもかかってんなら、家に帰って……」
そこで言葉を止めた男は、隣に立つサラへと視線を向けた。
黒い布を一枚まとっただけのサラを上から下まで眺めると、口元をにやりと歪め、俺を突き飛ばして彼女の頭を撫で始めた。
「Fランクのくせに、なかなかいい女を連れてるじゃねえか。どうだ? 俺たちのパーティーに来るなら、特別に飯も寝床も用意してやるぜ?」
大男の手が動くたび、サラの短い黒髪がぴょこぴょこと揺れる。
「……臭い」
うつむいていたサラが、ぽつりと呟いた。
「あん? ああ、そうだろ? この前、高い金を出して特製の香水を買ったんだ。気になるなら、もっと近くで嗅いでみるか?」
いやらしい目つきでサラを見つめながら、男はさらに乱暴に頭を撫で回す。
俺は小さくため息をつき、視線を動かして《スキップ》に文字を書き込んだ。
《スキップ:制圧》
ガクン――。
視界がひっくり返り、ドンッ! という音が響き渡った。
視線を下ろすと、俺は身長百九十センチを超える大男の頭を、右足で踏みつけていた。
男は目を見開いたまま、頭を床に押しつけられた姿勢でぶるぶると震えている。
「ぐはっ! な……何だ、こりゃ!」
ギルドの中央ホールは、一瞬にして静まり返った。
冒険者たちは口をぽかんと開けてこちらを見つめ、目の前の受付嬢でさえペンを落としたまま固まっている。
サラをちらりと見ると、俺を見つめながら口をきゅっと結び、こくりと頷いた。
「…………」
物語全体をスキップしたわけじゃない。
俺とこの大男の間で起こる結果だけを書き換えたスキップだ。
ただし、俺にとって《スキップ》は文字どおり結果だけが現れる能力で、その過程で何が起きたのかはわからない。
「なあ、サラ。俺がどう動いたか、見えたか?」
サラは首をぶんぶんと横に振った。
霊物にも過程は見えないのか……。
どうやら俺が描いたスキップの過程は、一つ上の次元に属する概念なのかもしれない。
ガタンッ!
大男が俺の足を払いのけ、慌てて立ち上がった。
「ひ……卑怯な野郎だな!」
何が?
「Fランクなんざいらねえ! もう一度聞くぞ。俺たちのパーティーに入れ!」
大男は俺から顔を背け、舌打ちすると、またサラの頭を撫で始めた。
……こいつ、頭が足りないのか?
自分がどうして床に押さえつけられていたのか、気にもならないらしい。
「…………」
サラは鎧姿の大男の手を軽く払いのけ、無表情のまま見上げた。
思ったより強く弾かれたことに男は一瞬驚いたが、すぐに顔を歪めた。
「このイカれた女が! 人間扱いしてやったら調子に乗りやがって!」
大男はそのままサラの頭を殴りつけた。
バシャッ――。
だが、聞こえたのは鈍い打撃音ではなく、液体が飛び散る音だった。
ギルドにいた数十人の自称冒険者たちと受付嬢が、再び凍りつく。
サラは口元に飛んだ血を拭い、虫でも見るような目で大男を見つめていた。
「え……? あ……あああああっ!!」
さっき払いのけられた男の手首から、血が噴き出していた。
吹き飛ばされた手は受付カウンターの上に落ち、血を滴らせている。
男は斜めに切断された手首を押さえてその場に崩れ落ち、悲鳴を上げた末に気絶した。
静寂の中、仲間らしき女魔法使いだけが駆け寄ってきた。
彼女は慌てて男の手首に回復魔法をかけながら、サラに詰め寄った。
「何てことするのよ!」
サラは魔法使いを横目で見たあと、じっと俺を見つめてきた。
……何だよ。俺にどうしろっていうんだ。
俺は顔を背け、治療を受けている大男を見下ろした。
……少々やりすぎた感はあるが、先に喧嘩を売ってきたのは向こうだ。
こういうときは、受付嬢に聞くのが一番だろう。
できる限り礼儀正しく。
「あの、えっと……こういう場合、どうすればいいんでしょうか?」
「ま、まだ早い時間ですので! ここから少し西へ進めば、人材派遣所の馬車が待機しているはずです!」
俺が尋ねると、受付嬢は大慌てで依頼用紙に許可証を発行し、受付の奥にある『関係者以外立入禁止』の扉へと逃げ込んだ。
俺はサラの手首を掴んで急いでギルドを出ると、集合場所へ向かいながら霊物に人間社会の常識を教え始めた。
「サラ、もう少し気をつけてくれ。今回は目撃者もいるし、一方的に俺たちが悪いとは言われないだろうけど、これから街で暮らしていくには――」
「うん」
話が終わる前に、即座に頷かれた。
本当にわかってるのか?
「……はあ。まあ、いいか」
そもそも喧嘩を売ってきたほうが悪い。
第一、一度契約してしまった以上、解除することもできないんだから。
そんなことを考えながら歩いていると、道端に馬車が一台停まっていた。
すでに二、三人の冒険者が乗り込んでいる。
* * *
作業員たちでごった返す西の城壁前。
崩れた石壁の前では、年配の作業員たちが汗だくになりながら、金槌で釘を打ち、縄で石材を縛って固定していた。
「おい! そっちに置けって言っただろ!」
「何だよ、もう少し言い方ってもんがあるだろうが!」
……人間のやることは、どこの世界でも同じだな。
顔を上げて城壁を見渡す。
やはり昨夜、南のエルトン関門で見たとおり、それほど高くはなかった。
それでも……。
俺は城壁に手を当てた。
確か、この世界では城壁の高さはさほど重要ではなかったはずだ。
たしか……街と外の世界を区切る境界線の役割を果たしているんだったか?
そう考えると、この依頼は一見地味でも、王国にとっては最も重要な仕事の一つというわけだ。
……もちろん、俺にとっては報酬のほうが大事だけど。
ぼんやりと作業を眺めていると、ヘルメットすら被っていないおっさんが近づいてきた。
「ああ、あんたか。向こうに人がいるだろ? あそこで作業してくれ」
「あ、はい」
……。
……。
「これを人力で運ぶんですか?」
今、俺は自分の身長ほどもある石を抱えていた。
いや、抱えているというより、必死にしがみついてもぞもぞしているだけだ。
腰が折れるかと思った。
「あ~あ。だから経験者を雇えって言ったんだよ。見ろよ、あのままじゃ石の子供でも産みそうだぜ」
じわじわと嫌味を言ってくるその顔を、一発殴りたくなった。
遠くを見ると、サラは木陰に座って足をぶらぶらさせたまま、微動だにしていない。
こいつを当てにして肉体労働を選んだのに、まったく……。
「はあ……」
こんなことで《スキップ》を使うのも……ちょっとな。
ため息をついた、そのとき。
ふと、あることを思いついた。
本来、契約とは対等な関係で結ばれるものだ。
だが、強制契約だったせいか、現在の俺とサラの契約は主従関係になっている。
ということは、命令できるってことだ。
岩に腰掛け、足を揺らしながら木の葉を数えているサラを見つめた。
「サラ。命令だ」
「…………」
サラは『何を馬鹿なことを』とでも言いたげな呆れ顔で、俺を睨んできた。
その瞬間、システムウィンドウに赤い警告が灯った。
《契約違反を検知》
【主従関係の成立によるペナルティ発動】
「……っ!」
サラは木の葉を数えるのをやめ、身体を丸めてがたがたと震え始めた。
思ったとおりだ。
単なる衝撃ではない。
神経の一本一本を突き刺すような電流。
勇者がAランクの魔物を手懐けたときに見せた、契約のペナルティだ。
サラはしばらく息もできずに震え続けていたが、やがて日の当たる場所へ這い出してきた。
「…………」
そして、何も言わずに岩をずるずると引きずり始めた。
サラには悪いが、霊物を管理するにはこれくらいの枷が必要だ。
* * *
「みんな、お疲れさん!」
レンガを運び、木の板を打ちつけ、セメントらしき何かを塗りたくった末、日が沈む頃になってようやく今日の依頼が終わった。
「おい、この子は何者だ? 次からは一人でもいいから絶対に寄越してくれ! 仕事が二倍も早く終わったぞ!」
「あー、はい」
こいつが一人で来るわけないだろ。
それよりも。
銀貨五枚と、石みたいに硬いパンが半分ずつ二つ。
そして、壊れかけの腰。
「ちっ。二度とやりたくねえな」
俺は銀貨をローブのポケットに突っ込み、パンを一つかじりながら腰を伸ばした。
早く帰って休みたいところだが、中心部のアルカディア広場から西の城壁まではかなり距離がある。
わざわざ来ようと思わない限り、もう来ることもないだろう。
「せっかくだし、少し散歩してから帰るか?」
「うん」
マントについた埃を払いながら小さく頷くサラとともに、俺は西の城壁に沿って歩き始めた。
城壁の近くにある西壁村は、一目見ただけでも古びた集落だった。
舗装されていない土の道には、俺の膝ほどまで伸びた雑草が生い茂っている。
長い間、誰も通っていないように見えた。
道沿いには崩れかけた石垣や古い藁葺きの家が並び、屋根瓦が割れて落ちた家屋も見える。
チリン、チリン――。
夕風がそよぐたび、どこかの軒先に吊るされた鈴の音だけが耳に届いた。
日も暮れかけているし、何だか薄気味悪い。
「……ここはやめとこう。帰るぞ」
ホラー映画じゃあるまいし、これ以上奥へ進めば、絶対に何かに巻き込まれる。
俺が今やっているのは、レベル上げのためのゲームじゃない。
こんな些細なテンプレ展開にまで首を突っ込む理由も、余裕もないのだ。
そう決めて踵を返し、来た道を戻ろうとした、そのとき。
ギィィ――。
……ガシャンッ!
俺とサラ以外に誰もいない静かな路地で、鉄が石畳を擦るような音が背後から響いた。
「…………?」
振り返って音のしたほうを見ると、小さな看板が目に入った。
〈西壁村慈善孤児院〉
「……孤児院?」
孤児院は、リベリンの平和さを強調するための舞台装置として、原作に何度も登場していた。
だから忘れるはずがない。
ちなみに、この世界でリベリンは最も平和な王国というイメージで描かれている。
城壁は低く、王宮もそれほど壮大ではない。
目を閉じればすぐに思い浮かぶような、いかにも中世ファンタジーらしい建築様式を最も忠実に再現した王国だ。
道を歩けば人々が笑顔で挨拶を交わし、賑やかな市場では言い争いも笑い声も絶えない。
そんな『平和』という看板を掲げている場所こそ、このリベリンだった。
何より、王女に家族のように接する人々を、俺はこの目で実際に見ている。
だから、このアルカディアに子供たちのための孤児院があること自体は、何もおかしくない。
だが、本来アルカディアの中心部にあるはずの孤児院が。
中心街とは正反対の方角。
行政地図さえ途切れる街外れ。
一度雨が降れば泥沼になりそうな土の道。
そして、古い木の柵と崩れかけた藁葺きの家がぽつぽつと並ぶ、この西壁村の近くに。
ここに孤児院があるのは、あまりにもおかしい。
いや。
あってはならないはずだ。
「…………」
建物自体は周囲の家々と大差なかったが、この一帯にだけ妙に人の気配が残っていた。
「…………」
ギィィ――。
看板を見つめている俺をちらりと見たサラが、扉を開けて中へ入っていった。
「おい、ちょっと待て……」
先に入ってしまったサラを追いかけ、俺も仕方なく孤児院の中へ足を踏み入れた。
「……誰かいませんか?」
がらんとした一階。
埃っぽい臭いと、埃をかぶった棚。
その前には古びた机がいくつか置かれ、壊れたおもちゃが散らばっていた。
壁には、孤児院の子供たちが描いたと思われる絵が何枚も飾られている。
壁沿いに歩き、机の上に置かれた薄い帳簿を手に取ってみた。
どうやら昔の子供たちの食費を記録した会計帳簿らしい。
この様子だと……閉鎖されてから、かなり経っているみたいだな。
「サラ、出よう。俺の考えすぎだったみたいだ」
この世界に来てから、俺は原作にはなかったリアルな風景や人々、初めて見る依頼など、すでにいろいろなものを目にしている。
なら、こんな場所に『閉鎖された』孤児院が存在するくらい、十分あり得る設定だ。
そう結論づけた俺は帳簿を置き、外へ出ようとした。
だが、サラが近づいてきて、壁を見つめたまま立ち止まった。
「何だよ、今度は」
霊物の嗅覚か。
腐った食べ物の臭いでも嗅ぎつけたのかと思い、振り返って絵をよく見てみると……。
子供たちの顔が、少しおかしかった。
パン、パン――。
そのうちの一枚を、手の甲で軽く叩いて埃を払う。
すると、絵の中で笑っている子供の顔が、はっきりと浮かび上がった。
「…………何だ、これ?」
絵の中で笑っている子供には、目がなかった。
続けてほかの絵の埃もすべて払ってみたが、描かれた数十人の子供たちは、全員、白目しかなかった。
「こんなホラー展開まで生まれるのかよ……?」
いくら物語の裏側でさまざまな設定が自然に派生するといっても、こんなホラーじみたイベントまで発生するとは思えない。
奇妙な不快感を覚えながら絵を眺めていると、一人だけ笑っていない子供の絵が目に入った。
「…………」
違っていてくれと願いながら、俺は視線を動かして《スキップ》に文字を書き込んだ。
《スキップ:こんな場所に》
ガクン――。
視界がひっくり返った。
気がつくと、絵の隣にあった戸棚が開いており、その奥には地下へ続く石段が姿を現していた。
湿った臭いと少し冷たい空気が足元を這い上がってくる。
孤児院の中へ差し込む夕陽に照らされ、埃の粒が宙を舞っていた。
隣にいたサラは、何が起きたのかわからないといった様子で首をきょろきょろと動かしたあと、階段の下を見つめて顔をしかめた。
「よっぽどひどい臭いがするんだな……」
こいつの反応を見ると、ますます下りたくなくなってきた。
言い訳じゃないが、あらゆる事件に首を突っ込むのは非効率的だ。
一度足を踏み入れれば、大小を問わずイベントが発生する。
そして、そのイベントがメインストーリーに影響しない保証はどこにもない。
なら……見なかったことにしよう。
駄目なものは駄目だ。
「サラ、帰るぞ」
俺はサラの手首を掴み、踵を返した。
ピロン――。
――【バッドエンド】
その瞬間、システムウィンドウが光り、表示されていたハッピーエンドの文字がバッドエンドに変わった。
「え? バッドエンド……?」
振り返り、真っ暗な地下室をもう一度見下ろして考えた。
見つけることさえ難しい、この地下室が……?
作者が設定していない事件。
だからこそ、俺の記憶にも存在しないエピソード。
その目の前で、バッドエンドへと切り替わったシステムウィンドウ。
……この崩れかけた孤児院に足を踏み入れた時点で、何かはわからないが、もう始まってしまっていたということか。
「はあ……」
肉体労働の後遺症なのか、肩がずきずきと痛んだ。
「サラ、行くぞ」
俺は使えなくなった《スキップ》を見つめてから、未知の事件へと足を踏み入れた。




