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第3話 霊物とバタフライエフェクト (2)

.

 巨大な影。漆黒の鱗。大きな翼。そして、陽光を弾く銀色の瞳。


 あまりにも遠く、高い場所にいるせいではっきりとは見えない。なのに、なぜかこちらを見ている気がした。


 俺の予想が正しければ、あれは……。


 バチッ。


 突然、火花が散るような音とともに視界が暗転した。


――【危険を検知しました】

【視界遮断を検知】

【《イレギュラー》による再執筆】

【魔法《ブラックアウト》を遮断します】


「……っ!」


 座ったまま体がぐらついた。だが、ほどなくして目の前にイベリアの姿が戻ってきた。


 どうやら俺だけに発動したらしい。


 イベリアは隣の座席に置いてあった布鞄から万年筆を取り出しながら、相変わらずしゃべり続けていた。


「アルカディアに着いたら、特別に紹介状でも書いてあげようか?」

「いや、もういい加減――」


 ズウゥンッ!


「きゃああっ!」


 凄まじい地響きとともに馬車が急停止し、俺とイベリアの体が同時に跳ね上がった。


「何なの!? クリド! 何があったの!?」


 ギィッ。


 ザアアアアッ!


 慌てて馬車の外へ飛び出すと、もうもうと立ち込める土煙が一瞬で視界を覆った。


 やがて、その向こうから、さっき空で見た巨大な影がゆっくりと姿を現した。


「グルルルル……」


 ……ドラゴン。


 広大な草原を貫く、たった一本の未舗装路。そのど真ん中に、竜が降り立っていた。


「……なんで今、ここにいるんだよ」


 ドラゴンが登場するのは物語の終盤のはずだ。


 記憶違いのはずがない。


 ドラゴンは霊物として扱われている。それに何より、この世界で『竜』と呼べる存在は、目の前のこいつ一体しかいないのだから。


 考え終わるより早く、黒いドラゴンが大きく翼を打った。首を突き出し、大気を引き裂くように咆哮する。


「■■■■■───!!」


 一秒後。


 空気が揺らぎ、猛烈な突風が襲いかかった。何台かの馬車が横転し、馬は逃げ出すか、その場で気絶した。


「ド、ドラゴン!?」

「れ、霊物がどうしてここに!」

「本当に実在したのか!?」


 ドォンッ!


 ドラゴンは大きく羽ばたいて再び飛び上がり、百人を超える兵士たちの頭上を旋回し始めた。


 兵士たちはその場で凍りつき、一部は完全に混乱している。


「――――!!」


 草原のはるか向こうでは、ほかの魔物まで恐怖に悲鳴を上げているようだった。


 俺は両手で顔を覆い、どうにか風圧に耐えた。


 今の俺に何ができる?


 物語に無理やり割り込んだ反動が、もう現れたというわけか。


 素早く視線を動かし、使用不能になっている《スキップ》を見つめる。だが、やはり耳障りな警告音が鳴るだけで、何も起こらない。


「…………」


 となると、今この瞬間の俺は。


「……ただの村人じゃねえか」


 文字どおり、物語の背景と化した俺の前にクリドが現れた。


 彼も動揺していたが、一瞬で上級騎士の顔に戻り、戦場の指揮を執り始めた。


「戦列を展開! 魔法使いは魔力障壁を張れ! 騎士団はA型陣形で後衛を守れ!」


 Fランクだと俺を見下していたクリドが、恐怖を顔ににじませながらも、戦場全体に響く声で命令を飛ばしていた。


「第一隊は左翼を警戒! 第三隊は後方の守備に専念しろ! 補給班は馬車を三角陣形に組み、後退の準備だ!」


 次々と指示が飛ぶ。


 一度や二度、修羅場をくぐった程度の手際じゃない。


 そのわずかな号令で兵士たちの目つきが変わり、百人を超える部隊が戦闘態勢を整えていく。


「最優先はイベリア様の安全だ!」

「はっ!!」

「イベリア様を馬車へ!」

「…………あ、うん」


 イベリアは馬車に戻りながらも、怯えきった様子で何かをぶつぶつ呟いていた。


 それを見届けたクリドは鞘から剣を抜き、いよいよ攻撃を開始した。


「放て――!」


 号令と同時に、魔法使いたちが一斉にローブを翻した。


 色とりどりの魔法陣が宙に浮かび、その上から炎、氷、雷をまとった魔力の塊が砲撃のように降り注ぐ。


 赤い矢のような軌跡を描いて飛ぶ炎の槍。


 それを追うように氷塊と青い稲妻が連なり、ドラゴンの翼へと殺到した。


――ドドドドォンッ!!


 旋回していた竜の鱗が破片のように飛び散り、耳をつんざく絶叫が響き渡った。


「やったか!?」


 兵士の一人が、よりにもよってその台詞を口にした。


 ……あの野郎。


 バサッ。


 見事なまでの死亡フラグが立った途端、ドラゴンは空中の粉塵を吹き飛ばして大きく翼を広げ、再び兵士たちへ向かって急降下を始めた。


 クリドはそれを見るなり叫び、抜き身の剣を高々と掲げる。


「三重防壁を準備! 破壊された場合は順次、次の障壁に切り替えろ!」


 剣先から淡い青色のマナが流れ出し、空を縦に切り裂くような斬撃が放たれた。


 ……は? あのモブ野郎、魔剣士だったのか?


 だが。


 キィンッ。


 派手な動きとは裏腹に、上級騎士の斬撃はいともあっさり弾き返された。


「……何だ、あれは」


 クリドは狼狽し、後方に陣取る魔法使いたちへ怒鳴った。


「魔法障壁を展開しろ!!」


 命令と同時に、数十人の魔法使いが魔力の膜を広げ、防御呪文を唱え始める。


「武器をしっかり構えろ! 陣形が崩れたら終わりだぞ!」


 緊張と恐怖の入り交じった怒号の中、兵士たちは盾を握り締め、身を縮めた。


 ヒュオオッ――。


 青白く輝く魔力障壁へ、全長三十メートルの漆黒のドラゴンが突っ込んだ、その瞬間。


「――逃げろ!!」


 無理だと悟った魔法使いの何人かが障壁を解き、悲鳴を上げた。


 ドガァンッ!


 数メートルもある翼が一瞬で地面を薙ぎ払い、土煙と火花が舞い上がる。陣形は完全に崩壊した。


「うわあああっ!」

「ああああっ!」


 兵士たちは弾き飛ばされ、魔法使いたちは衝撃で気を失って倒れた。


 ちなみに、今の光景は真っ先に吹っ飛ばされて地面に転がった俺が眺めていたものだ。


 本当に、何もできない。


「げほっ……!」


 クリドが手で土埃を払いながら起き上がると、まだ意識のある騎士が駆け寄って報告した。


「中央突破を阻止! 騎士団は前列に密集! クリド様、包囲網の維持は不可能です!」


 クリドは下唇を強く噛み、白く煙る土埃の向こうをじっと見つめた。


 やがて揺らめく黒い影が見えると、再び剣を構え、青いマナをまとわせる。


「意識のある者は全員撤退しろ! 生き延びることだけを考えろ!」


 大声で叫びながら、剣先を左へ振った。


「第二隊! 残った魔法使いを守りながら南の森へ撤退! 煙幕魔法で霊物の視界を遮れ! 第三隊の騎士は俺とともに正面で牽制する!」


 兵士も騎士も、震える足で必死に命令に従った。


「クリド様! 相手は霊物です! 我々だけの戦力では到底太刀打ちできません!」

「わかっている!」


 クリドは歯を食いしばって叫ぶ。


「それでも食い止めるんだ! 俺たちが止めなければ、後ろにいるイベリア様が死ぬ! そうなればリベリン王国もここで終わりだ!」


 ウウウン――。


 青いマナが剣を伝い、クリドの全身を包み込んだ。


 彼は咆哮するように命じる。


「動ける盾兵は前列を死守! 槍兵は霊物の前脚だけを狙え! 倒そうとするな、動きを封じるだけでいい!」

「はっ!」

「今は一人でも多く生きて帰すために――」


 バチッ。


 クリドが言い終わるより先に、再び視界が暗転した。


 ……あ、まただ。


――【危険を検知しました】

【視界遮断を検知】

【《イレギュラー》による再執筆】

【魔法《ブラックアウト》を遮断します】


「うわあああっ!」

「あああっ! 目が、目が見えない!」


 目をこすって前を見ると、手当たり次第に剣を振り回すクリドと、地面を這いながら手探りする騎士たちの姿があった。


「今度は全体攻撃か……?」


 俺はゆっくり立ち上がり、考えた。


 もし、ここで俺が死んだらどうなる? この先の物語は?


 深く考えるまでもない。答えは簡単だ。


 境界の森で死ぬはずだった連中が、草原で死ぬだけ。


 ……《イレギュラー》。


 説明書もない、この能力。


 トラニスカに右腕を引きちぎられたとき。低ランクの《鑑定》が《イレギュラー》そのものに触れたとき。《ブラックアウト》で視界を奪われたとき。


 なんとなく、わかってきた。


 《イレギュラー》は、唯一結末が描かれていなかったエレンを、この小説の『外部の人間』として認識している。


 つまり、小説の外から来た俺に危険が迫ったと判断すれば、それが良い方向に働こうが悪い方向に働こうが、物語の外側から書き換えてしまう。


 理由はわからない。


 天才だったエレンがその事実に気づいて第四の壁を破ってしまったのか。それが原因で俺がエレンとして目覚めたのか。


 今わかるのは、俺が危険にさらされると勝手に発動する、クソみたいな能力だってことだけだ。


 ……はあ。


 どうも理不尽な戦いを始めちまったらしい。


「■■■■■───!!」


――【危険を検知しました】

【精神崩壊を検知】

【《イレギュラー》による再執筆】

【魔法《威圧》を遮断します】


 ドラゴンはそんな俺を見て咆哮した。


 《威圧》の魔法を受け、残っていた騎士たちも気絶したり、恐怖で動けなくなったりしている。


 逃げることも考えた。だが、システム画面にはまだ【ハッピーエンド】の文字が表示されている。


 俺は前へ歩き出した。


 《イレギュラー》が《威圧》を遮断してくれたおかげか、まったく震えない。


 精神安定剤でも一握り飲み込んだみたいに、むしろ妙に落ち着いていた。


 遠くには、壊れた馬車のそばで倒れているイベリアの姿も見える。


 だが、今は目の前のドラゴンが先だ。


「……だ、誰だ! Fランクか? Fランクだな!?」


 《ブラックアウト》のせいだろう。クリドは見当違いの方向を向いたまま、俺に呼びかけてきた。


「そこにいるなら逃げろ! イベリア様を連れて遠くへ!」

「……?」


 Fランクだと相手にもしていなかったくせに、俺にどうやって逃げろっていうんだ。


「聞こえているのか!!」


 無視して歩き続けた。


「おい、Fランク!! 聞こえているのかと聞いている!」


 パンッ。


 手探りで伸ばしてきたクリドの手を払いのけ、そのまま前へ進む。


「■■■■■───!!」


 咆哮が繰り返されるたび、すでに壊滅した戦場がさらに引っかき回された。


――【危険を検知しました】

【精神崩壊を検知】

【《イレギュラー》による再執筆】

【魔法《威圧》を遮断します】


 後ろのクリドも《威圧》には耐えられなかったらしく、とうとうその場にへたり込んだ。


「身の程を知れ――! お前ごときに何ができる!」


 俺の姿も見えないくせに、目を真っ赤にして虚空に怒鳴り散らしている。


 ようやく本性を現したな。


 やはり無視して歩きながら、拓也と交わした会話を思い出した。


 俺がエレンとして目覚める前、拓也が魔物の設定について熱弁を振るったことがあった。


 * * *


『なあ、ファンタジーで大作家になる方法を教えてやるよ』

『また始まった。何だよ』

『まずは魔物のランク分けが重要なんだ』

『例えば?』

『うーん……Aランクならパーティーが一つ二つじゃ足りなくて、王国が大規模な討伐隊を編成しなきゃいけないレベル、とか。どうだ、もっともらしいだろ?』


 思ったより真面目に設定を練っているらしい。こいつなりに作品への愛着はあるんだな。


『じゃあ、Aより上はないのか?』


 俺の質問に、拓也はきっぱり答えた。


『当然。Aより上なんてない』


 そして急に格好をつけて、こう言った。


『Aランクを超える存在を目撃して、生きて帰った奴は一人もいないからな』

『うるせえ』


 * * *


 短い回想を終え、俺は小さくため息をついて振り返った。


「……はあ」


 クリドはまだ座り込んだまま、何もない空間に向かって叫んでいる。


「お前には絶対に敵わん! あの竜はAランク……いや、Sランク! そうだ、Sランクだ! お前のようなFランクが相手にできる存在ではない!」

「…………」


 ……この世界にSランクなんて概念はないはずだけど。


 モブによる設定無視。


 こういう逸脱を見ていると、物語の裏側ではモブたちも自分たちなりの物語を紡いでいるんじゃないかと思えてくる。


 俺はSランクを観測してしまったモブに告げた。


「そうか。じゃあ、お前はここで死ぬんだな」


 その言葉で、ようやく騎士団長の口がぴたりと閉じた。


 整った顔をぐしゃりと歪め、頭を抱えたかと思うと、じわりと股間を濡らして、そのまま気絶した。


 ドサッ。


「……言いすぎたか?」


 そうして騎士団長を背に、俺は再び前を向いた。


「■■■■■───!!」


――【危険を検知しました】

【精神崩壊を検知】

【《イレギュラー》による再執筆】

【魔法《威圧》を遮断します】


 霊物に向かって、ただひたすら前へ。


 そして、ついに真正面へ。


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