第2話 霊物とバタフライエフェクト
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何食わぬ顔で目だけを動かしてみる。
俺がいるのは、相変わらず馬車の中だった。
向かいに座るエルフは、もう話すことはないとでもいうように窓の外を眺めている。
俺も外に目を向けた。いつの間にか森を抜け、見渡す限りの草原が広がっていた。
「…………」
しばしの沈黙。
揺れる馬車の中でぼんやり景色を眺めながら、俺は考えを巡らせた。
この世界、ラングエスダル大陸には、クラデイ帝国を中心に四つの王国が存在する。
東のリベリン、西のノースレム。
南のインセリウム、北のフラクシア。
数百年に及ぶ長い戦争の末、クラデイ帝国に屈した四王国は、現在も連合体制を維持している。
もちろん、帝国に国家として認められていない小国や、滅亡した王国もある。
少なくとも、このあたりの事情は俺がエレンになった今も変わっていないはずだ。
さて……。
帝国が圧倒的な力を持っているのは間違いない。
だが、物語が動き始めるのはここからだ。
皇帝の座が空位になった。
そこで帝国は、帝国法に名を連ねる四王国の王族から次の皇帝を選ぶことにした。
通称、『皇選』。
理由は確か……皇室に正統な継承者がもう残っていなかったから、だったか。
ともあれ、誰が次の玉座に就くかで大陸の行く末は変わる。つまり、四王国の運命も変わるというわけだ。
そんな不安定な情勢の中、ひときわ注目を集めていた人物がいる。
霊獣に運ばれてきた、リベリンの王女。
……イベリア。
そのイベリアは、本来なら今日、境界の森で死ぬはずだった。
要するに、俺がこのエルフを助けたのはまったくの偶然だが、その瞬間から物語の本筋に足を踏み入れてしまったということだ。
イベリアが窓からこちらへ顔を向けた。
「リベリンの国民だっていうのに、どうして領有権のない境界の森にいたの? 見たところ、冒険者でもなさそうだけど」
また始まった。
疑うのも無理はない。境界の森は魔物がうようよいる危険地帯だ。
こればかりは、納得してもらえる説明なんて思いつかない。
「……ちょっと個人的な事情があってさ」
窓の外を見たまま適当にごまかすと、イベリアは長いため息をついた。
「はぁ……。私だって、あなたを困らせたいわけじゃないの」
「それなら助かるけど」
「でも、命の恩人だからって、身元も分からない人をアルカディアのお城に入れてもらえると思う?」
返す言葉がなかった。
俺は所属も何もないまま退場させられた村人だ。身元を証明できるものなんて、一つもない。
横目でシステム画面を確認すると、《スキップ》は使用不可になっていた。
使ったらクールタイムが発生するのか?
「とりあえず着いてから説明するっていうのは――」
ガタンッ。
言い終わる前に、馬車が急停止した。
「まだ着くには早いのに……。クリード、どうしたの?」
俺は馬車の窓に目を向けた。
扉が開き、さっき会った男が頭を下げて何やら報告している。
あの男が……クリード。
騎士団長みたいな立場のやつだ。
うーん。まったく聞き覚えがないな。
まあ、拓也は主要人物でもない限り、わざわざ名前をつけるようなやつじゃなかったし。
ひょっとすると、あのクリードというモブに名前がついたのも、俺が物語に干渉した影響なのかもしれない。
「ごめん、ちょっと待ってて」
そう言い残して、イベリアは馬車を降りた。
俺も馬車に揺られたせいか、無理して平静を装っていたせいか、少し頭がくらくらしていた。
「……ちょっと外に出るか」
ギィ……。
そっと扉を押して降りると、足の裏に土と草の感触が伝わってきた。
窓越しに見るよりも、草原はずっと広かった。
エレンとして目を覚ました境界の森は、もう影も形も見えない。目の前には、ドキュメンタリーでしか見たことのない果てしない草原が広がっている。
きらり、と何かが光った。
目を細めると、遠くに陽光を反射する小さな池が見えた。そよ風が吹くたびに草が右へ左へと波打っている。
家に引きこもってばかりいた俺には、あまりにも現実離れした光景だった。
あいつの小説じゃ、こんな細かい描写なんて一度もなかったくせに……。
すぅ……。なんか無性に腹立ってきた。
「んんーっ……」
伸びをしながら先頭の馬車を見ると、イベリアとクリードが話し込んでいた。その周囲では、騎士や兵士たちが思い思いに地面へ腰を下ろして休んでいる。
「聞いたか? トラニスカの死体、魔力を使った痕跡がまったくなかったらしいぞ」
「そんな馬鹿な。あれだけ派手に吹っ飛んでたのに?」
「俺たちが団長と一緒に倒したトラニスカとは、傷のつき方がまるで違うよな」
兵士たちの話が耳に入ったが、あまり関わりたくはない。
俺の目的には、まったく必要のない連中だ。
顔を上げ、あたりをぐるりと見渡す。
それにしても、すごい数だな……。
乗り込むときは気づかなかったが、かなりの大所帯だ。
ざっと百人は超えているだろう。
他国へ出かけるとなると、これくらい必要なのか?
「馬車だけでも五台はあるな。兵士に騎士、従者……あのローブ姿は、魔法使いか?」
この世界には当然、魔法使いも魔導書も存在する。数は少ないが、魔力を操る魔剣士だっている。
ただし、武器に魔力をまとわせず、純粋に魔法だけを使う本物の魔法使いはそう多くない。
その中でも、下級魔法使いが六、中級が三、上級が一、といった割合だ。
上級魔法使いともなれば、王国の兵士が数百人がかりでようやく築ける戦線を、たった一人で作り上げられる。
そのためか、魔法使いの大半は冒険者ではなく、王宮や魔塔、サンクトゥス大聖堂に所属している。
もちろん、同じ階級でも実力差はある。
だが、この世界にはよくある『クラス』や『サークル』のような明確な指標がない。結局のところ、ものをいうのは名声だった。
「ごめん、待たせちゃったね」
ぼうっと眺めていると、背後からイベリアに声をかけられた。
振り向くと、イベリアとクリードが並んで立っている。
クリードが一歩前に出た。
「招待しておいて申し訳ないが、やはり素性の知れない男を王都まで連れていくのは難しくてな」
勝手な話だな、おい。
「そこでだ。簡単な鑑定を受けてもらいたいのだが……構わないか?」
イベリアも横から口を挟んだ。
「ちょっと、シュッとしてシュッとするだけで終わるから! 本当よ!」
うーん。実のところ、俺も少し気になる。
小説の設定どおり、本当にFランクと出るのかどうか。
クリードが隣に立つ黒いローブの魔法使いを示した。
「ヴェイルはフラクシア王国の出身だが、ずいぶん前にリベリン王国へ帰附した鑑定士だ。その腕を買われて帰附を許された人物だから、信用していい」
「まあ、断る理由もないし。やってもらおうかな」
俺が答えると、イベリアはクリードを見てにっこり笑った。
俺を説得できると自信満々だったらしい。
「ではヴェイル、鑑定を頼む」
「リベリン王国の宮廷魔法使い兼鑑定士、ヴェイルと申します」
「……あ、はい。よろしくお願いします」
フードの奥に、白い髪と光のない灰色の瞳が見えた。
「それでは、失礼いたします」
ふぅぅん……。
軽く頭を下げたヴェイルが、左手に持つ自分の背丈ほどもある杖を俺のみぞおちに向ける。
すると、杖の周囲を青い光が包み始めた。
――【危険を検知しました】
【精神干渉を検知】
【《イレギュラー》により再執筆】
【魔法《鑑定》を遮断します】
「……?」
突然、頭の中に機械的な声が響いた。
システム画面にも表示されないスキル、《イレギュラー》。俺が唯一知らない情報だ。
……鑑定が遮断されたら、どうなるんだ?
そう考えていると、鑑定士ヴェイルの目が大きく見開かれた。
「F……」
「ん?」
「ランクFと鑑定されました」
原因は少し違う気もするが、やっぱりそうなるのか。
休憩しながらおしゃべりしていた兵士たちの視線が集まる。
興味がないふりをして、しっかり見てたんだな。
「はぁ……」
分かってはいたが、思わずため息が漏れた。
俺を高ランクだと思い込んでいたクリードも、驚いた様子だった。
「Fランクだったのか? どうやら、我々は買いかぶりすぎていたようだな」
「クリード! それでもエレンは命の恩人なのよ」
「イベリア様、何かの見間違いでしょう」
「……」
「私もランクだけで人を判断したくはありません。ですが、Fランクとなると話は別です。Dランクのスライムすら倒せない等級ですからな。私も実際に見るのは初めてです」
「でも……」
「スプーンを持ち始めたばかりの子供でも倒せるスライムに、あの男は殺されかねません」
そこまでなのか?
まあ、唯一のFランクだったエレンは、森に放り出されたまま出番が終わったんだ。俺が知るはずもない。
それにしても笑えるのは、初めて見るはずのFランクに対して、真っ先に出てくるのが悪口だってことだ。
高かろうが低かろうが、珍しい等級が出たなら、まずは魔力学会にでも報告するべきじゃないのか?
「そんな男がトラニスカを倒したなど、あり得ません。なぜ境界の森にいたのかは疑問ですが、Fランクの者に問いただす価値もありませんな」
「でも、クリード。先に招いたのは私たちでしょう? そんな扱いはよくないと思う」
「申し訳ありません、イベリア様。ですが、Fランクと判明した以上、王宮へお招きするわけにはまいりません。アルカディアまでの同行だけ、お許しいただければと」
「……分かったわ」
「――出発するぞ!」
クリードは虫でも見るような目を俺に向けると、休憩中の者たちに号令をかけ、そのまま姿を消した。
俺の意見など一度も聞かれないまま、話は終わってしまった。
こうして馬車は再び走り出した。
互いに無言だった。
イベリアがこちらを見ているのは相変わらずだが、その表情は好奇心から哀れみと同情に変わっていた。
「……何か言いたいことでも?」
「……うん。魔物って、たまに原因不明で死ぬことがあるんだって」
「それが?」
「トラニスカも、実はそうだったんじゃないかなって……」
「…………」
いや、何言ってんだ。
俺は額をぺしっと叩き、Fランクとして生きるということを痛感した。
扱いが変わった。向けられる目まで変わった。
さっきまで俺の正体を知りたがっていた人と、本当に同一人物か?
「今日は怖い思いをしたよね? ごめんね、私たち、問い詰めすぎちゃったみたい。アルカディアに着いたら、おいしいものをいっぱい食べて、ちゃんと体を洗って……あっ、お金は持ってる?」
はっと口元を押さえたかと思うと、イベリアは慌ててポケットを探り始めた。
しかも、さっきより哀れみのこもった目で見てくる。
『お人よしを通り越して愚直なハーフエルフ』という設定のキャラだから、大げさになるのも分かる。
分かるが、実際にやられると結構腹が立つ。
ハッピーエンドも何も、今だけは本気でどうでもよくなった。
そんなわけで、嘲笑や侮蔑ではなく、ひたすら哀れみと同情を浴びながら、馬車に揺られ続けた。
しばらくして、イベリアがポケットから何かを取り出して差し出してきた。
ちゃりん。
「本当に困ったら、せめてこれを見せて。ご飯くらいは食べさせてもらえると思うから」
銀貨二枚と、手のひらほどの青い円形の魔法印章だった。
銀貨はともかく、この印章は何だ……?
通行手形のような印章をあちこち傾けてみると、光の加減で色が変わる。表面には蓮の花をかたどった細い紋様も刻まれていた。
この世界の大筋は知っていても、こういう道具の一つ一つまで把握しているわけじゃない。
かといって、今は聞く気にもなれなかった。
「今まで大変だったでしょう。そもそも、どうしてあんな森に行ったの? まさか、自殺しようとしたの!? 駄目よ、生活が苦しくても、ほかの仕事を探さなきゃ!」
「……はぁ」
終わりの見えない同情を聞き流しながら、俺は馬車の窓の外を眺めた。
まあ、重要なのは、システム画面にまだ【ハッピーエンド】と表示されていることだ。
ちらちらとシステム画面を確認し、なるべく前向きに考えていた、そのとき。
どこまでも続く草原の上。青い空のはるか高みに、黒い点が一つ横切るのが見えた。
……飛行機? いや、あるわけないか。
このタイミングで帝国の浮遊船が通るはずもない。
俺は目を細め、揺れる窓の向こうをじっと見つめた。
黒い点はどんどん高度を上げ、やがて視界から消えた。
「……?」
しばらくすると、雲が引き裂かれるように左右へ割れ、その隙間から巨大な何かが姿を現した。
シュッ――。
そいつは一度、大きく身を翻した。
そして翼を畳むと、こちらに向かって真っ逆さまに急降下してきた。




