第19話 勇者 vs 悪魔学者
各王国には自治権が保障されている。
その代わり、戦争や悪魔に関わる事態では、兵力も王族もすべてクラデイに向けられなければならない。
つまり、秩序と力の頂点に立つのはクラデイ帝国であり、その帝国の玉座は四つの王国すべてが欲しがるほどの地位だということだ。
* * *
『まずいな…』
店員が白い牛乳に浸かったシリアルを運んできた。
「ご注文のお料理です」
「あ、はい」
頭を下げて料理を受け取ったものの、肝心の食欲がない。
本来なら食事を抜くか、パンを数切れかじって済ませるところだが、そうもいかない理由があった。
「本当にそれだけでいいの?」
「ああ、これで十分だよ」
イベリアが俺の皿をちらりと見ながら言った。
ベルゼリアが消滅してから十日が過ぎた今。
俺は今日も王宮周辺で一番高いレストランで食事をしていた。
この十日間、いろいろなことがあった。中でも目に見えて変わったのは、この王女が積極的になったことだろうか。
いや、間違いなく積極的になった。
昼食も夕食もそうだし、朝になれば宿まで押しかけて手作りの弁当を持ってきて、高級店へと連れ回す。
まあ、イベリアが苦労したのも事実だし、わざわざ止めるつもりはない。
向こうから世話を焼いてくれるんだから、断る必要もないだろう。
「治癒魔法師は何て?」
「ん? ああ…」
イベリアは脇腹のあたりをそっと撫でながら答えた。
「うん。傷がかなり深かったから、傷痕は残るみたい」
「そうか。それでも、まだよかったな」
治癒魔法が存在する世界とはいえ、腹を貫かれた傷が傷痕だけで済んだなんて、奇跡も同然だ。
「うん。もう少し遅かったら、治療棟でお葬式をするところだったって」
何でもないことのように笑って食事を口に運ぶイベリアを見て、俺は黙って頷くだけだった。
「……」
今回の件で、骨身に染みて思い知った。
俺以外の誰にも、結末を任せてはいけない。
俺は『奴隷密売関係者の追放』というエンディングをイベリアに任せ、イベリアはベイルを追放することでハッピーエンドを作り出した。
そして、その結果リベリンに悪魔が現れ、イベリアは生きたまま吊るされた。
別に、この王女を心配しているという意味じゃない。
俺が後始末しなければならないことが増えるという意味だ。
固く決意しながら、目の前のシリアルを木のスプーンでかき回した。
「それにしても、これ高すぎないか? この値段なら何日分も食えるぞ」
「エレンにはお金を惜しむなって、陛下が直々におっしゃったの」
「…そうなのか?」
「足りなかったら、いくつか包んでもらおうか? サラと一緒に食べられるように」
この十日間、サラとも顔を合わせ続けたおかげで、二人はそれなりに親しくなっていた。
もちろん、イベリアの一方的な社交ではあるが。
「いや、いい。サラはこういうの嫌いだから」
「……」
…隣の席からサラの鋭い視線を感じる。
必死に無視して、料理をもぐもぐ食べているイベリアに尋ねた。
「王宮はどうなってる?」
「うん、大規模な修復工事の真っ最中。庭園側の外壁は建て直さなきゃいけないくらいだし、屋根も溶けちゃったし、防御魔法陣も全部壊れたから、しばらく離宮で暮らすことになったの」
俺はただ頷いた。
俺の表情を見たのか、イベリアが慌てて手を振る。
「違うの、あなたのせいだって言ってるんじゃないよ! どうせベローズ王国の頃から建ってる七百年以上前の建物なんだし、この機会に新しくすればいいんだから!」
「?」
当たり前だろ。
俺は自分のせいだなんて一度も思っていない。
ただ、高いわりにまずいシリアルに顔をしかめていただけだ。
* * *
食事を終えて外に出ると、アルカディアの市民たちが慌ただしく行き交っていた。
王宮周辺に住んでいるからか、中央市場の近くよりも上品で身なりの整った人々が多い。
『…勲章か』
俺はポケットの中の小さな金属片を指先で転がし、その感触を確かめていた。
簡単に言えば、今回の一件に対する報酬だ。
リベリン王室から授与された最高勲章。
国王アズバンの言葉が蘇る。
『そなたがいなければ、リベリンの歴史はあの夜に幕を閉じていただろう』
知らんぷりをしようにも、サラのときと違って目撃者が多すぎた。
現場を目撃した騎士や兵士たちの口から怪談のように各地へ広まり、ある者は英雄と呼び、またある者は白い悪魔と呼んでいるらしい。
おそらく俺の白い髪のせいだろう。
ともかく、そのせいか王宮内でも俺に対する態度が慎重になったのを感じるほどだった。
要するに、顔は知らなくてもエレンという名前だけは、リベリンで知らない者がいなくなったということだ。
もちろん、全員がそうというわけでもない。
店を出るとき、俺に気づいた何人かの視線を感じた。
貴族の服装をした男たち。
入団試験にもいなかった貴族たちだ。
「庭園には精鋭騎士が何十人もいたそうじゃないか。それなのに、Fランクが悪魔を倒したんだと?」
「それにしたって最高勲章はやりすぎでは?」
「次は貴族の爵位でも授けるおつもりかね」
「それより、本当に快楽の悪魔なんて存在したのか?」
貴族たちはちらちらこちらを見ながら、わざと聞こえるように話していたが、俺はまったく気にしなかった。
むしろ好都合だ。
ああいう反応こそ、この世界が俺を主人公として認めていない証拠。
俺がどれだけ暴れ回ろうと、エレンにスポットライトが当たることはない。
ならば俺の行動にも制約がない、ということに…なればいいんだが。
そう簡単に安心するわけにもいかないだろう。
本来なら物語の境界線でエンディングだけを書き換え、あとは舞台裏に引っ込むつもりだった俺の計画は、ベルゼリアの登場で粉々になった。
つまり、目立ちすぎたのだ。
こうなれば大なり小なり、俺の影は本舞台に姿を現してしまったはずだ。
「はあー」
「気にしないで。どうせ辺境に住んでる貴族たちが噂を聞いて見物に来たんだよ。顔は覚えたから、私が別に対処しておくね!」
イベリアが俺のため息に反応した。
…一体どう対処するつもりなんだ。
俺は首を横に振った。
「気にしてないよ。そんなことのために悪魔を倒したわけじゃないし」
自分の英雄譚を作るためにショック死まで耐えるほど、俺はイカれた野郎じゃない。
イベリアは遠くの時計塔を何度もちらちら見てから口を開いた。
「エレン。明日また来るね。聖痕執行官の件でサンクトゥス大聖堂に用事があって…」
「ああ、いや、無理しなくていいぞ」
「…明日また来るから」
有無を言わせぬ宣言に、俺は思わず頷いてしまった。
* * *
翌日。
王宮は相変わらず騒然としていた。
窓の向こうの庭園には崩れた石材や鉄骨が転がり、作業員たちが忙しなく動いている。
「陛下がお待ちです」
あちこちに仮設の魔法陣や修理の跡が残る建物の中。
侍従に案内されて執務室にたどり着くと、扉が開き、今では聞き慣れた声がした。
「来たか」
疲れた目元を見るに、ここ数日はほとんど眠れていないようだ。
「この場にはイベリアにも同席してほしかったのだが、あの子は内外の仕事で忙しくてな。今日はそなただけを呼んだ」
忙しい子?
今朝も弁当を持ってきた忙しい子のことを、しばし考えた。
王はすぐに本題へ入った。
「プラクシア王国から正式な連絡があった」
ずいぶん深刻そうな口ぶりのわりに、その声には妙な安堵が混じっていた。
「プラクシア第二商団の奴隷密売事件、そして我がリベリン国内で起きた一連の混乱について、正式な謝罪と感謝の意が伝えられた。商団の代表とプラクシアの貴族たちが自らリベリンを訪れ、礼を尽くして謝罪する予定だそうだ」
「それはよかったですね」
訪問の時期が少し早いが、ともかく原作どおりだ。
王は俺の目をまっすぐ見て尋ねた。
「そこで、もう一つ頼みを聞いてもらえぬか?」
俺は小さく頷いた。
「今回のプラクシア使節団が到着した際、代表として同席してもらえないだろうか。王室の礼遇としての公式な同席だ。もちろん強制ではない」
王の態度は非常に丁寧だった。
「イベリアはインセリウム訪問の件で席を外すことになるため、今回は直接対応できぬ。だが、悪魔を消滅させたそなたが同席してくれれば、リベリンの威信はもちろん、そなたの名誉にとっても決して小さくない利益となるだろう。はははー」
どこか誇らしげに笑っていた王は、やがて笑みを収めて本音を口にした。
「…もっとも、帝国の皇位が空席となっているこの時期に、プラクシアが謝罪だけのために訪れるはずもあるまい。近頃、あちらでは悪魔に関する噂が絶えぬと聞いている。謝罪と感謝は口実にすぎず…真の目的はエレン、そなたなのかもしれぬ」
なるほど、七百年を無駄に生きてきたわけじゃないんだな。
「日程はどうなっていますか?」
「使節団は数日前にすでにプラクシアの首都アスタビアを発ったそうだ。早ければ一週間ほどだろう。どうだ、頼みを聞いてもらえるか?」
…ふむ。
過程はどうあれ、原作どおりプラクシアは訪問する。
ならば、そう遠くないうちにあの勇者野郎も動き出すということだ。
俺がこのイベントを横取りするのも悪くない。
「はい。お役に立てるのであれば」
軽く頭を下げて答えると、王は穏やかに笑った。
「はははー、感謝する」
しばらくして王宮を出た俺は、サラが待っているギルド前の中央庭園、その噴水脇のベンチに腰を下ろした。
「ちょっと疲れたな」
「うん、疲れたね」
サラは蝶を目で追いながら、笑顔で答えた。
本当に疲れてるのか?
こいつは本当に、わかるようでわからないな…。
俺は顔を上げ、空を見つめた。
ベルゼリアが消滅したときに聞こえた機械音。
システムウィンドウには見慣れないものがいくつも増えていた。
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〈システムウィンドウ〉
【ハッピーエンド】
名前— エレン【観測者】
ランク— F
職業— 村人 《魔王因子 10%》
【スキル一覧】
《スキップ》 - (使用可能)
《ドラゴン》
《契約収納》
《主役》
【一時スキル】
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「ふむ…契約収納?」
視線を動かしてスキルを発動すると、【対象個体を指定してください。】という警告音が鳴った。
俺はサラの手首をつかみ、もう一度《契約収納》を発動した。
すると、隣で蝶を眺めていたサラがパッと一瞬で消え、《ドラゴン》の詳細情報が変化した。
=====================
《ドラゴン》
【ランク:S】
【名前:サラ】
【人間形態固定】
【性別なし】
【ペナルティ:魔法に弱い、魔法使用不可】
【休息状態:5%】
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「休息状態、5%?」
契約してから一度も収納したことがなかったし、疲れたというのは本当だったらしい。
俺はほかのスキルも確認した。
パッシブスキルだからか? 《快楽》はシステムウィンドウに表示されていない。
…まあ、快楽の悪魔のことを考えると、アクティブだったとしても使うのは気が引けそうだが。
そして次は《主役》。
これは時間があるときに試してみよう。
正体もわからないスキルをむやみに使うには、人目が多すぎる。
俺はシステムウィンドウをゆっくり眺めた。
「じゃあ、最後に残ったのは」
《魔王因子 10%》。
「魔王因子か…」
悪魔を倒すことが魔王覚醒の条件だとは知っていた。
そうでなければ、勇者のスキルに《浄化》があるはずがない。
断言できる。勇者は魔王には勝てない。
魔王の誕生を阻止することこそ、この世界で勇者が存在する理由なのだ。
だから、この世界は魔王の覚醒を阻止できなかった勇者を許さないだろう。
「……」
わかっている。全部わかっている。
…全部わかってはいたが、俺はできることなら別の方法でハッピーエンドを見つけたかった。
それも、なるべく悪魔に会わない方向で。
魔王になりたくないから?
悪役になりたくないから?
いや、理由は一つ。
『……悪魔ってクソ強えんだよ』
そもそも、あいつらの実物と対面すること自体、ハードルが高すぎる。
「はあー」
どれだけため息をついたところで、もう引き返すには遅すぎた。
俺はシステムウィンドウに浮かぶ《魔王因子 10%》をぼんやりと見つめた。
一体につき10%なのか、それとも快楽の悪魔が10%だったのかはわからない。
ただ、一つだけ確信できることがある。
主人公である勇者と、忘れ去られた悪魔学者。
どちらがより多く、より早く悪魔を倒すかを競う、理不尽なゲームが始まったということだ。
* * *
ギルドの隣にある、古びた宿屋。
「ふああ…」
大きなベッドの端に腰掛け、思わずあくびが漏れた。
二日。
スキルの説明すらない不親切なシステムのおかげで、俺はこの二日間、仮眠を繰り返しながら《契約収納》を研究していた。
サラは重要な戦力だけに、詳しく把握しておく必要があった。
そうしてわかったことは、たった三つ。
一つ目。休息状態は収納から二十四時間が経過した時点で30%回復し、収納できるのは対象に触れているときだけ。
二つ目。休息状態が60%以上のときにしか召喚できない。
三つ目。食事や睡眠などは一時的に現状を維持するだけで、休息状態を上昇させることはない。
それから、初めてサラを収納したときに表示された警告文。
休息状態が0%になれば契約は即座に破棄される、という物騒な一文だ。
俺は隣のベッドに座ってうとうとしているサラを見た。
【休息状態:55%】
今収納すれば5%足りなくて召喚できず、二十四時間後に85%になってからでないと呼び出せないということだ。
「そもそも食事で回復するわけでもないのに、なんであんなに食べるんだよ」
俺の独り言に、サラがそっと目を開いて答えた。
「おいしい」
「おいしいから?」
「うん」
食費を節約しようとしていた俺は、言葉を失った。
おいしいという理由は、俺を納得させるには十分すぎる欲望だったからだ。
俺は頷いて立ち上がった。
「サラ、行くぞ」
* * *
今日は俺宛てに指名依頼があるというので、ギルドを訪れた。
「人が多いな…」
朝からギルドの掲示板前は騒がしかった。
新しく貼られた数枚の依頼書に、自称冒険者たちがわらわらと群がっている。
「今週の目玉依頼は何だ?」
「馬車の護衛と山賊討伐。それからあれだ、王宮の修理」
「まあ、王宮があんなことになったからな」
「やめとけ、別のにしろ。聞いてないのか? 貴族に一言失礼なことを言って、一家が没落したらしいぞ」
「でも報酬はいいんだろ?」
「金は欲しいが、俺は貴族の顔も見たくねえよ」
その意見には俺も同感だ。
何度か頷きながら、ギルドの中へ入った。
ギイッ――
「あっ! エレン様、いらっしゃいましたか! 少々お掛けになってお待ちください!」
「あ、はい」
中央ホールのソファに腰を下ろし、王との会話を思い返した。
『プラクシアの訪問か…』
ドラゴン、奴隷、悪魔…。
憑依して早々、地雷ばかり踏み抜いてきたが、プラクシアがリベリンに来るということは、結局ストーリーの進行が大きく変わってはいないということだ。
「すみません、お待たせしました。最近、処理しなければならないことが多すぎて」
「お疲れさまです」
「はは…それでは、奥へご案内しますね」
そりゃそうだろう。
数百年間、研究対象として語られるだけだった悪魔が、姿を現すのと消滅するのを同時に経験した場所なのだから。
受付の青年は疲れた顔で、二階の客室へと案内してくれた。
俺はサラと一緒に高級そうなソファに身を預けた。
「それで、指名依頼というのは…?」
「実は、エレン様宛てというよりは…」
受付係は言葉を濁しながら、白い封筒に『アスタビア聖堂』と記された依頼書を差し出した。
「聖堂?」
悪魔がいる世界なのだから、当然聖騎士もいるし、彼らなりの複雑な政治闘争もあったのだが。
神政王国インセリウムを除けば、プラクシアとリベリンの聖堂はそれほど重要な扱いを受けていなかった。
なぜなら、悪魔がいるんだから神を崇める者もいるだろうし、天使だっているんだろうなー、くらいのノリで置かれた、文字どおり聖堂のフィギュアみたいな舞台装置だったからだ。
じゃあ、なぜノスレムと帝国には聖堂がないのかと聞かれたら。
俺にもわからない。
俺が書いたわけじゃないからな。
ともかく、インセリウムのサンクトゥス大聖堂でもなく、大した出番のなかったプラクシアの首都アスタビアの聖堂から、俺宛てに依頼が届いたのだ。
「今回の悪魔事件を解決した方に、どうしても渡してほしいと。プラクシアの司教様のお名前で依頼書が届いたんです」
「どんな依頼なんでしょう?」
「こちらで勝手に依頼書を開封するわけにはいきませんので…。何しろ、疫病の悪魔以来、別の悪魔が完全に姿を現したのは数百年ぶりですから、それに関する内容ではないでしょうか?」
ふむ。状況からして、プラクシア使節団の到着に合わせた依頼だろう。
スルッ――
俺はすぐに依頼書の中身を確認した。




