第18話 章の主役 (3)
* * *
噴水のところで身を起こし、燃え上がる城の外壁を見つめた。
落ちたときは死んだと思ったが……。
とりあえず生きている。
「ご無事ですか!」
聞き覚えのある声に横を見ると、誰かが黒煙と炎を突き抜けて駆け寄ってきた。
「エルノ!」
今エルノが庭園にいるってことは、城内はおおむね片づいたってことだろう。
「イベリアは! イベリアは無事なのか!」
今度は回廊のほうから誰かが慌てて走ってきた。
アズバン・リ……。
まあ、とにかく国王だ。
まだ息を整えている最中なのに質問が続いて、少し頭がくらくらした。
国王の顔を見ると、初めて会ったときの威厳はどこへやら。そこにいるのは娘を失いかけた父親だった。
イベリア……そうだ、支援魔法使い。
サラが向かったんだから、あの爆発の中でもイベリアは無事なはずだ。
「エルノ! 治癒魔法の準備をして! サラがイベリアを連れてくる!」
「治癒……? 承知しました」
エルノはその場を離れながら兵士たちに指示を飛ばした。
「今すぐ動ける支援魔法使いを全員集めろ!」
タッ、タッ――。
燃え上がる城の外壁。俺が飛び降りた二階の窓を見上げた。
「悪魔だ! 悪魔がいたんだ!!」
なんだ?
突然の騒ぎに振り向くと、クリドが両腕を振り回して大騒ぎしていた。
「ちっ」
どうしてあんなのが魔剣士なんだ。
今はあんな奴に構っている余裕はない。
それでもクリドが正気に戻っているところを見ると、ベルゼリアもあの爆発で無事では済まなかったんだろう。
庭園を見渡すと、数十人いたゾンビもどきも人形のようにその場に倒れ伏していた。
ドォン――!!
ベルゼリアか!
振り向くと、サラが黒煙を突き抜けて庭園に降り立っていた。
その腕には血まみれのイベリアが抱かれている。
息は……まだある。
だが。
『どうやってここまで持ちこたえたんだ?』
《イレギュラー》の再執筆で生き延びてきた俺から見ても、今すぐ死んでもおかしくないほどイベリアの容体は深刻だった。
「イベリア!!」
国王が震えながら駆け寄り、ほどなく戻ってきたエルノが支援魔法使いたちとともに彼女を庭園の端へ運び、治癒魔法をかけ始めた。
少し心配ではあるが、仮にも王宮に仕える宮廷魔法使いたちだ。
あれくらいは任せてもいいだろう。
俺はサラと並んで燃える城の外壁を見上げ、話しかけた。
「…悪魔?」
やっぱり知っているらしい。
「ああ。このまま終わってくれればいいんだけど……」
百年前、サラが境界の森の上空からエルフの村を襲ったのも、悪魔と契約するエルフたちを目撃したからだった。
「サラ。百年前にお前が見た悪魔も、あいつだったの?」
「知らない」
「……」
……まあ、相手が誰かなんて確かめもせず、いきなり突っ込んだんだろうな。
ろくな情報も得られないまま、憂鬱な気分で城を見上げていると、サラが続けた。
「…初めて見た」
「ん?」
「悪魔があんなふうに暴れるところ」
俺は悪魔の告白を断っただけなんだが。
サラがわずかに口角を上げた。
「気に入られたみたい」
「……」
……こいつ、思ったより言うじゃないか。
コツン――。
コツン――。
「この音は……ベルゼリア」
今のサラは魔法に弱い。ここにいたところで足手まといになるだけだ。
「サラ、エルノたちのところでイベリアを頼む」
サラは頷くと、庭園にいた国王をひょいと担ぎ、エルノのほうへ走っていった。
「痛いわ……」
頭の中に突き刺さる声。
顔を上げると、俺が飛び降りた二階の部屋からベルゼリアが姿を現した。
身体にぴったり張りついた黒いレースはところどころ焼け、美しかった顔も火傷を負ったのか、左半分が黒く焦げていた。
俺は庭園の兵士たちに叫んだ。
「あの悪魔の目を見るな!」
だが、悪魔の目を見ても兵士たちは平然としていた。
エルノも、国王も、兵士たちも、サラも。
『……なんだ?』
「興味ないの。あなた以外には」
よく見ると、ベルゼリアの赤い瞳は俺だけを見つめていた。
ほかの人間など眼中にない。
「…でもね、あなた」
火傷で焦げた顔を撫でながら、無表情で言った。
「手癖が悪いのね」
そう言うと、二階から軽やかに飛び降りた。
コツン――。
ベルゼリアのハイヒールが庭園の芝生に触れた瞬間。
――シュウウウン。
王宮全体を呑み込むほど巨大な赤い魔法陣が地面に描かれた。
そして、その魔法陣から以前とは違う黒い薔薇の蔓が伸びてきた。
地面を這い、王宮の壁をよじ登り、城内へ入り込み、そびえ立つ城郭をすべて喰らい尽くすかのように、黒薔薇の蔓が猛烈な勢いであらゆるものに絡みついていく。
「ああっ――」
やがて庭園の地面まで黒薔薇に覆われ、その蔓が俺の足首をかすめた。
――【危険を感知しました。】
【権能『痛覚共有』を感知】
【固有スキルと確認。仮保存および破壊は不可能です】
《イレギュラー》が失敗した。
「権能、固有スキル……」
サラのブレスのときと同じ機械音。
少し違うのは、悪魔の権能は破壊すら不可能だと表示されていることだ。
『どうする』
考え込みながら地面を覆う蔓を見つめていると、顔に焼けつくような激痛が襲いかかった。
「あなた、私……すごく痛かったのよ」
ベルゼリアが自分の焦げた左頬を撫でながら囁いた。
その仕草に合わせて、煮えたぎる熱湯を延々と浴びせられているような灼熱感が俺の左頬を襲う。
「あ…あああっ!」
顔を引き剥がしたくなるほどの痛みに、意識が朦朧とした。
――【危険を感知しました。】
【顔面の灼熱痛を感知】
【《イレギュラー》により再執筆】
【灼熱痛を遮断します】
「はあ……もっと早く発動しろよ……」
機械音とともに痛みが引いたかと思えば、また左頬が燃えるような激痛に包まれた。
「ぐああ…ああっ!!」
なんだ? 灼熱痛は確かに再執筆されたはずだ。
俺の知る《イレギュラー》は、発動条件こそ不規則だが、一度再執筆したものを取り消すことは絶対にない。
なのに、すぐに襲ってくる同じ痛み。
これは……。
目の前で焦げた顔を撫でながら俺を見つめるベルゼリアに目を向けた。
……痛みが共有されている。
俺が《イレギュラー》で再執筆しても、ベルゼリアの顔が焼けただれたままである以上、痛みは何度でも共有される。
これがベルゼリアの権能『痛覚共有』。
「痛いでしょう、あなた」
ベルゼリアは火傷で半ば歪んだ顔に笑みを浮かべると、爪で自分の前腕を切り裂いた。
ザシュッ――。
「これで永遠に一緒ね」
ベルゼリアと同じ場所。灼熱感に顔を押さえていた俺の前腕からも、同時に血が噴き出した。
『はあ、はあ……』
待て。この悪魔の権能は単体対象じゃなかったはずだ。
朦朧とする意識の中、慌てて庭園の端へ視線を向けた。
だが予想に反して、黒薔薇の蔓に覆われた場所でもほかの連中は平然としていた。
ということは……。
「本当に俺しか見てないのかよ、このイカれ女……」
――【危険を感知しました。】
【灼熱痛、裂傷、刺傷を感知】
【《イレギュラー》により再執筆】
【痛みを遮断します】
だが回復した身体は、ほどなくベルゼリアの感じる痛みに再び引き戻された。
「あああ…あっ!!」
苦痛の中でベルゼリアを見ると、歪んだ顔も、今しがた傷つけた前腕も、ゆっくりではあるが再生していた。
庭園のゾンビどももそうだったし、基本的な自己再生能力はあるらしい。
痛覚を共有させ、自分だけは再生する。イカれた権能だ。
『誘惑しても駄目だから、力ずくってわけか』
「はああ……千年ぶりよ。この痛み、この快楽!」
ベルゼリアは蔓を引きちぎって自分の腕に巻きつけ、力任せに引っ張った。
刃のような薔薇の棘がベルゼリアの腕を裂き、血が四方に飛び散る。
もちろん、俺の腕からも。
「ああああっ!」
「痛い、あなた? これは? ここは?」
ベルゼリアの執着は次第に狂気へと変わり、手にした蔓を身体に絡めては何度も引き裂き始めた。
ギリギリ、ブチブチ――。
ザシュッ――。
俺とベルゼリアの同じ部位から、同時に血が噴き出す。
「あ…あああ!!!」
ベルゼリアが身体を引き裂くたび、全身を鋸でねじ切られるような痛みが走った。
「わ、我々はどうすればいい!」
遠くからエルノが狼狽した声を上げた。
すると隣にいたサラがエルノの口を塞いだ。
そうだ、よくやった。
今余計なことをして、痛覚共有を広範囲に広げられでもしたら終わりだ。
それにしても、口を塞ぐってことは、俺が本当に勝てると思っているのか?
あのイカれた悪魔を前に、血まみれの俺を見ても?
ベルゼリアはまるで気にする様子もなく、赤い瞳で俺だけを見つめ、自分の身体を薔薇の蔓で掻きむしった。
「あなた、あなた、これはどう? どれくらい痛い?」
ギリギリギリ――。
「あああああっ!!!」
「これは?」
「ぐああああっ!!」
「これは? これは?」
「あ…ああっ!!」
庭園が俺とベルゼリアの血に染まっていく。
一瞬めまいがしたかと思うと、意識がぼんやりし、視界が霞んだ。
――【危険を感知しました。】
【ショック状態を感知】
【《イレギュラー》により再執筆】
【ショック死を遮断します】
白目を剥きかけていた目が元に戻った。
「ありがとよ……助けてくれて」
死ぬことすらできないなんて。
『クソったれ』
ベルゼリアは、これほど血を流しても立っている俺が信じられないらしい。
さらに大きく笑い、ますます興奮し始めた。
「あはは! あはっ! 最高! こんな人間、本当に初めて!」
赤い瞳を大きく見開き、俺に向かって叫んだ。
「人間! 本当に私のものにならない? 本当に本当に本当に本当に、何でもあげる! 欲しいもの全部!!」
ベルゼリアの身体を見ると、傷はすでに消えていた。
どうやら権能のおかげで再生速度まで上がっている気がする。
はあ、打つ手がない。
これは勝てない。
勇者の野郎は知っているんだろうか。
自分の背後でエキストラが死にかけていることを。
――ザアアアア。
空を見上げると、ぽつぽつ降っていた雨が次第に激しくなり、全身の血を洗い流していった。
「……ベルゼリア」
「人間! 決めたの!? あなたは特別に私の恋人に――」
「やっぱり、お前は好みじゃない」
「……!!?」
三度振られた絶世の美女。
いや、絶世の悪魔。
雨に打たれたまま表情を凍らせるベルゼリアを無視して、地面を覆う黒薔薇の蔓をゆっくりと引きちぎった。
ブチッ――。
痛みを感じない人間なんていない。
つまり、死ぬほど痛い俺と痛覚を共有しているあの悪魔だって同じだ。
だったら、もうやけくそだ。
「どっちが先に死ぬか、勝負しようぜ」
手をがたがた震わせながら、刃のような薔薇の蔓で全身を引っ掻いた。
――ギリギリギリッ!!
「はあ…ああああっ!!」
――【危険を感知しました。】
【ショック状態を感知】
【《イレギュラー》により再執筆】
【ショック死を遮断します】
「は…ははっ、あははっ……!! 何なの、あなた!」
俺と同時に血を噴き出しながら、ベルゼリアが狂ったように笑い始めた。
「あなた、本当に人間なの!?」
そして手にした蔓で、自分の身体を引き裂いた。
――ギリギリッ!!
――【危険を感知しました。】
「は…はっ、あはは!!」
「あ…あああっ!!」
――ギリギリギリッ!!
――【危険を感知しました。】
――【危険を感知しました。】
――【危険を感知しました。】
――【危険を感知しました。】
夜明け前、激しい雨の中、俺と快楽の悪魔は互いの痛みを感じながら庭園を血で染め上げた。
* * *
――ギリギリギリッ!!
「はあ…ああっ!!」
――【危険を感知しました。】
――ギリギリッ!
「ぐ…ああっ!!」
――【危険を感知しました。】
「もうやめて!!」
どれほど時間が経ったのだろう。到底慣れることのない痛みの中、誰かが俺の腕を掴んだ。
全身をがたがた震わせ、開かない目をどうにかこじ開けると、雨はいつの間にかやんでいて、暗かった空も少し明るくなっていた。
「はあ…はあ……」
赤く染まった視界で前を見ると、ベルゼリアはすでに真っ赤な血の海に横たわり、動かなくなっていた。
数秒後、快楽の悪魔は苦しげに顔を上げて俺を見つめ、ぞっとするような笑みを浮かべると、蒸発するように消えた。地面を覆っていた蔓も一緒に消えていく。
……悪魔の権能が解けた。
遠くには呆れたようにこちらを見ているサラの姿もあった。その後ろにはクリドとエルノ、兵士や騎士たちが何とも言えない表情で立ち尽くしている。
じゃあ、俺の隣にいるのは。
「やめて…! もうやめて……」
泣いているイベリアだった。
痛いのは俺なんだけど。
それにしても、あの傷を治したなんて大したものだな、王宮の支援魔法使いたちは。
システムウィンドウを見ると、ハッピーエンドの文字が輝き、《スキップ》も有効になっていた。
血を流しすぎたせいか、頭がくらりとする。
「…ちょっと、めまいがするな」
再執筆されないってことは、もう休んでもいいってことか?
びしゃっ――。
鳴り響く機械音の中、俺も血だまりの上に倒れ込んだ。
ピロン――。
【魔王因子の覚醒率10%を確認】
【アクティブスキル『契約収納』を獲得しました】
【アクティブスキル『主役』を獲得しました】
【パッシブスキル『快楽』を獲得しました】
* * *
クラデイ帝国の帝都、ソリウム。
ソリウムの広大な大通りは四方に伸び、道路には馬車や兵士、市民たちが絶えず行き交っていた。
街を横切る巨大な大運河には魔法で動く交易船が行き交い、運河の下層には水路沿いに露店が立ち並び、上層には目抜き通りといくつものアーチ型の石橋が続いている。
その周囲には大小さまざまな石造りの建物が幾重にも建ち並んでいた。
さらに遠く、視界の果て。
帝都の郊外へと続く黒い線路を魔導列車アルカナムが駆け抜け、上空では帝国の技術力の象徴たる巨大な浮遊船が空を横切っていた。
その中心部、皇宮の最上階に設けられた執務室で、勇者、黒崎隼人は窓の外を見下ろしていた。
彼がこの世界に召喚されてから半年。
黒崎隼人はその間、この世界の資料を集めることに専念してきた。
そして、ようやく動き出そうとしていたところだった。
ところが。
「…快楽の悪魔が消滅しただと?」
高位魔法使いが慎重に頷いた。
「詳しくは調査しなければわかりませんが、リベリン王宮からの報告によれば、悪魔学界ではまだ存在が証明されていない快楽の悪魔と推定されるそうです。リベリンの王都アルカディアに姿を現してから、わずか数時間で消滅したと……」
隼人は視線を移し、自分のスキルで空中に小さな青い世界地図を広げた。
悪魔の位置を示すとされる印。
悪魔が活動を始めると地図上に赤い点が表示され、近距離にいる場合は警告音が鳴る。
ただし正確な座標を特定することは不可能で、そもそも悪魔の「活動」という基準自体が曖昧なため、盲目的に頼ることはできなかった。
「…どういうことだ」
「それが……噂では、悪魔を倒したのは『白い悪魔』だそうです」
「白い悪魔?」
「はい。リベリンの守備兵や騎士たちの目撃証言から生まれた、単なる異名だと思われます」
「白い悪魔……」
黒崎隼人は知っていた。
悪魔を消滅させれば魔王因子が覚醒するということを。
そして、その魔王因子を消し去れる唯一の力が、自分の持つスキル《浄化》であることも。
「真相を確かめてみるのも悪くないな」
隼人はもう一度窓の外を見下ろすと、扉の前に控えていた侍従を呼んだ。
「アルカディアへ向かう準備をしろ」
もし悪魔を消滅させたというのが事実なら、今後物事を進めるうえで障害になるのは間違いない。
「厄介なことになったな……」
隼人は剣を手に取り、扉の向こうへ歩き出した。




