第15話 王宮襲撃 (2)
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「……」
庭園を覆い尽くす霧の中から、城を見上げた。
三階建てでしかない城は、一階ごとの天井が高いせいか、十階建て近くあるように見える。
『イベリアの部屋ってどこだ?』
王女の部屋の場所なんて、俺が知るはずもない。
とにかく城へ駆け込もうとした、そのとき。背後から妙な音が聞こえた。
振り返ると、緑色の霧の中で黒い影が揺らめいている。
一人、二人、十人、二十人…。
やがて数十人の姿がはっきりと浮かび上がった。
体はふらつき、腕は不自然な方向に折れ曲がっている。
「…死んでなかったのか?」
目の前にいるのは、地下牢に転がっているはずの死体だった。
いや、間違いなく死んでいた。
よく見れば、心臓に穴が開いている奴もいれば、頭が半分吹き飛んでいる奴もいる。
サラの爪痕もくっきり残っていた。
「……ああ」
「…ぐああー」
血の混じったしゃがれ声でうめきながら、あちこちをさまよっている。
生き返ったというより、無理やり動かされている感じだ。
『…面倒なことになったな』
今、あんなゾンビみたいな連中に構っている暇はない。
俺は焦りながら足を小刻みに揺らした。
『……そろそろのはずなんだが』
気味の悪い連中が数十人、庭園の地面を足を引きずって歩いては止まることを繰り返している。
しばらくすると、ばらばらの方向を向いていたゾンビたちのうち、サラに頭を半分吹き飛ばされた貴族服の男が、残った片目で俺を見た。
そして、口の端を裂けんばかりに吊り上げた。
「――見つけた」
その言葉と同時に、数十人の群れが一斉に襲いかかってきた。
「ぐああ――」
「がるるー」
「く、くそっ! すーっ! はーっ! すーっ! はーっ!」
俺は迫り来る群れを見ながら、狂ったように毒霧を吸い込んだ。
『早く…早く…!』
「すーっ、はーっ! すーっ、はーっ! いったいいつ発動するんだよ!」
叫んだ瞬間、再執筆を告げる音が響いた。
—【危険を感知しました。】
【同一魔法による継続的な攻撃を感知】
【《イレギュラー》による再執筆】
【持続魔法『毒霧』を破壊します。】
【魔法『毒霧』を一時保存します。】
――パリン!
庭園に広がっていた緑色の霧が、ガラスのように砕け散り、庭園のあちこちで空中へと消えていった。
俺はすぐさま振り返り、王宮を見上げて叫んだ。
「――サラ!!!」
ガシャアアン――!
《イレギュラー》の音とは違う、本物のガラスが割れる音。
遠くの二階の窓を突き破り、サラが俺の頭上を飛び越えた。
ドンッ!
短い髪をなびかせ、俺の目の前に着地する。
サッ。
サラは蒸発していく毒霧の欠片の間で、黒い布を体にまといながら俺を見た。
「…うん」
「サラ! 説明してる時間はない。庭園はお前に任せた!」
サラは頷くと地面を蹴り、ゾンビたちに向かって突進した。俺は一階の回廊を抜け、王宮へ駆け込んだ。
* * *
城内に飛び込み、慌ただしく周囲を見回した。
床には衛兵たちがあちこちに倒れており、全員が目や口から血を流して意識を失っていた。
毒霧の影響か…。
「クリド! エルノ!」
切羽詰まった声で叫んだが、城壁に反響して自分の声だけが返ってくる。
『こういうときにどこ行ってんだよ、幹部連中は』
一階から二階へ続く階段を一気に駆け上がった。
階段にも廊下にも、倒れた使用人や兵士があふれている。
廊下の柱に灯された蝋燭と、窓から差し込む月明かりだけを頼りに走り続けた。
『あのハーフエルフ、いったいどこで寝てるんだよ!』
さっき庭園にいたとき、部屋がどこか聞いておけばよかった!
…そんなこと聞いたら追い出されてたかもしれないけど。
それでも聞かなかった自分を罵りながら走っていると、奇妙な音が聞こえてきた。
――シュウウウン。
『これは…魔法陣の音だ』
急いで二階の廊下の角を曲がると、金髪のエルフの後ろ姿と、その向こうで光の魔法陣を展開するベイルが目に入った。
あれ、このエルフ。
庭園にいなかった、まだ治療中だというセリスだ。
「駄目だ!」
考えるより先に体を投げ出し、ベイルとエルフの間に割って入った。
ベイルの顔が歪んだ。
「愚かなFランクが! どけ!」
ドカンッ!
魔法陣からまばゆい光球が放たれた。
それほど速くはなかったが、背後にエルフがいる以上、避けられない。
『少し…少しだけ耐えればいい』
身構えた瞬間、光球がそのまま俺の胸に突き刺さった。
「がああっ…!」
だが、痛みは終わらなかった。
ジジジジッ――。
球体は体にめり込んだまま消えず、俺の体を焼き続けた。
「ぐっ…! ああ! なんだ…これ、ああああ!」
焼夷弾でも食らったように火花を散らしながら、肋骨まで焼けていく。
—【危険を感知しました】
【同一魔法による継続的な攻撃を感知しました】
【《イレギュラー》による再執筆】
【持続魔法『火炎光』を破壊します】
【魔法『火炎光』を一時保存します】
――パリン。
食い込んでいた光が砕け、焼け焦げた皮膚と肉が急速に再執筆されていく。
『…はあ、…持続魔法だったのか?』
見ていたベイルの眉がぴくりと動いた。
「火炎光を相殺しただと? あいつが!?」
顔を上げると、ベイルは疑問に満ちた表情をしていた。
「はあっ…はあ…気になるか?」
実は俺が一番気になっている。
「火炎光もそうだが、先ほどの毒霧も、耐性など存在しない魔法だ。お前、本当にFランクなのか?」
「お前が鑑定したんだろ。なんならもう一度鑑定してみろよ」
「いや、その必要はない。私の鑑定は一度たりとも間違ったことがない」
実力だけでリベリンに帰化したというのは、本当らしい。
「…あ、あの」
背後のセリスが俺の服の裾を引っ張った。
「…すごく! すごく綺麗な人が、イベリア様を…!」
「綺麗な人?」
「黙れ、エルフ! 奴隷の分際で誰の前で口を利いている!」
『うわ、びっくりした…』
ベイルが雷のような怒鳴り声を上げたせいで、俺まで驚いてしまった。
「お前さ、悪いことをしたなら大人しく罰を受けて終わりにしろよ。みっともなく何やってんだ」
「Fランクごときが、この私に…」
くだらない説教に腹を立てたベイルが何かを呟くと、正面に三つの魔法陣が現れ始めた。
――ブウウン。
「ならば、これも防いでみろ」
ドカン! ドカン!
三つの火炎光が光を放ちながら正面から飛んできた。
最初の火炎光を食らったときにわかった。
あれは障害物を焼きながら、ただ前へと押し進む。
わかっていてわざわざ食らって耐えるなんて、正気の沙汰じゃない。
「セリス! 伏せろ!」
「えっ!?」
おろおろするエルフを無理やり押し倒したところで、火炎光の一つが肩に命中した。
「ぐああああっ!」
一時保存を告げる機械音とともに、肩にめり込んだ火炎光が蒸発した。
「避けただと? B級魔法を?」
「……見りゃわかるだろ。一発食らったっての」
全部食らうには痛すぎるんだよ…。
ひどく単純な魔法に見えるが、そもそも一発食らえば死ぬから誰も避けられなかったんだと思う。
それより、俺には今の鑑定士の行動が理解できなかった。
奴隷密売は王宮によって壊滅させられた。しかもリベリンは、ベイルを投獄するのではなく追放するだけで済ませた。
国民を殺し、売り飛ばした奴にしては、これ以上ないほど軽い刑だと思う。
なのに、どうしてわざわざ王宮に乗り込む危険まで冒して、こんな真似をするんだ?
「そこまでしてバッドエンドにしたいのか?」
「バッドエンド? 何を言っている。私はあの方の命令に従っているだけだ。あのエルフさえ検問に引っかからなければ、私がこんなことまでする必要はなかったのに! 役立たずのエルフ女め!」
あの方…?
「あの方って誰――」
「早く王女を始末しなければ…そうしなければ…!」
俺の言葉など聞かず、叫びながら二階の廊下を埋め尽くすほどの魔法陣を一瞬で展開した。
さっきの毒霧や、軽く放ってきた火炎光。
孤児院の地下牢で見た下級魔法陣とは格が違う。
さすがは中位魔法使い、といったところか。
ヒュウン――。
ベイルが手を振り下ろすと、光の魔法が狂ったように降り注ぎ、俺とエルフの頭上を襲った。
「くそっ」
反射的にエルフの方へ飛び込んだ。
ドドドドドドドカァン――!
激しい光の魔法が連続して突き刺さり、轟音とともに二階の床が崩れ落ちた。狂ったように鳴り響く機械音の中、俺はエルフを抱きかかえたまま一階へ真っ逆さまに落ちた。
ドン! ドカン! ドン!
「がはっ――」
背中から床に叩きつけられ、肺の空気がすべて吐き出された。
粉塵の中、エルフを抱いて床に倒れた俺に向かって、二階からベイルの嘲笑が聞こえた。
「本当に守れると思ったのか! 思い上がった奴め」
勝利を確信したように背を向け、その影が消えた。
当然、俺が死んだと思ったんだろうな…。
俺は気絶したエルフを壁際にそっと寝かせた。
「はあ…結局、これが痛みの対価ってわけか」
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【スキル一覧】
《スキップ》―(使用不可)
【一時スキル】
《毒霧》【残り:1】
《火炎光》【残り:2】
《落光》【残り:12】
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視線を移し、システムウィンドウに表示された《落光》【残り:12】をすべて発動した。
《落光:12 発動》
――ブウウン。
前方に手を伸ばすと、床一面に無数の光の魔法陣が広がり、粉塵を吹き飛ばした。
突然再び明るくなった城内で、二階の向こうからベイルの動揺した声が聞こえた。
「…な、何だこれは」
伸ばした手を上へと跳ね上げると――。
ドドドドカァン――!
ドカン! ドンドン!
下から撃ち上げられた光の爆発とともに二階の床が崩れた。
ベイルは避ける間もなく一階へ転がり落ちた。
「…がはっ、…がはっ」
白く煙る埃の中、黒い影が床に倒れ、咳き込みながら叫んだ。
「いったい何者なんだ貴様!! どうしてこんな魔法を…ゴホッ!」
自分の魔法を食らったとは、夢にも思っていないらしい。
「ゴホッ…ゴホッ…」
しばらく動かなかったベイルが、何かに気づいたように口を開いた。
「そうだ、火炎光…! 貴様はあれを避けた! 狂ったように撃ち込んでやる。魔力が尽きるまで、原形もわからなくなるまでな!」
またあれを撃つ気か? 冗談じゃない。もう避けられる自信がない。
タッ。
俺はすぐさま、倒れたベイルに向かって駆け出した。
――シュウウウン。
魔法陣が埃を吹き飛ばしながら浮かび上がった瞬間。
「んぐっ…!!」
横になったまま詠唱するベイルの口を塞いだ。
「正直に言うよ」
「んっ、んんっ!」
口を塞がれたベイルは恐怖に目を見開き、俺を睨みつける。
同時に、俺へ向けて浮かんでいた魔法陣が力なく消えた。
「これ、三発は食らえそうにないんだわ」
そのまま火炎光を一つ発動した。
《火炎光:1 発動》
押さえつけたベイルの顔がまばゆく輝き始め、光の魔法をその口の中へ押し込んだ。
「んっ…! んんっ…!」
ごくん。
「がああああああっ――!」
――ブシュッ。
ベイルは奇怪な悲鳴を上げ、全身を焼かれながら何かが弾けるような音とともに血を吐いた。
人間とは思えないほど凄惨な姿に、俺も思わず顔をしかめた。
ベイルが死んだのを確かめ、壁際に寝かせたエルフを背負って、再びイベリアを探しに走った。
* * *
タッ、タッ、タッ――。
「はあ…はあ…」
意識のない人間を背負うというのは、想像以上に重かった。
しばらく走り回ったあと、一階のロビーでエルフを一度下ろし、柱にもたれて息を整えた。
「はあ、くそ重いな」
頭脳を除けば、村人であるエレンの体力はあまりにも初期値のままだ。
それだけじゃない。筋力も持久力も、すべてが平凡すぎる。
「エルフ一人背負えない俺に、いったい何ができるってんだ…」
ドン、ドカン! ドン!
遠く、一階の外にある庭園からは、何かが壊れる音が絶えず響いていた。
「はあ、派手にやってんな」
庭園はサラに任せたんだ。俺も自分の仕事をしないと。
ベイルを倒しても、システムウィンドウには相変わらず【バッドエンド】が表示されている。
「イベリアを見つけないと終わらないってことか」
エルフをずっと背負っているわけにもいかないし…。
どこに寝かせておこう?
このエルフを背負って城内を歩き回るなんて、イベリアを探す気がないのと同じだ。
一人で走るだけでも精一杯なほど、俺の体力は貧弱なのだ。
ガチャ、ガチャ――。
そのとき、廊下の奥から鉄の鎧がぶつかり合う音とともに、誰かが駆けてくる足音が聞こえた。
銀色の鎧に青いマントをまとった騎士。
おっ! 西壁村で会った副騎士団長のエルノだ。
その後ろには兵士が数人見える。
さっきの毒霧を食らっていないところを見ると、おそらく後から到着した連中だろう。
「エルノ――!」
親しげに呼ぶと、エルノは兵士たちと一緒にロビーへ駆け込んできた。その後ろからも誰かがついてくる。
「あなたは西壁村でお会いした…あっ! 昨日お越しになったとは聞いております」
エルノの後ろにいるあの立派な体格は、アズバン・リ…何だっけ?
とにかく国王だ。
「後ろに…」
俺の言葉を遮り、エルノと国王が同時に口を開いた。
「申し訳ありませんが、長々と挨拶している時間がありません。イベリア様を見かけませんでしたか?」
「いったい何が起きたのだ。この倒れた兵士たちは何なのだ!」
なんで俺に聞くんだよ。
王宮の事情を、どうして部外者の俺に尋ねるんだ。
まあ、わざわざ隠す必要もない。
俺は知っていることを話した。
「ベイルが死んだ連中を生き返らせて、復讐にでも来たみたいだけど?」
「何だと…?」
国王は額に手を当て、嘆いた。
「私の失策だ。娘の言うとおり、帝国に引き渡して永久に隔離させるべきだった」
「……」
失策は失策として、まずは後始末だ。
でも、ちょうどいい。
サラが庭園を片づけて、イベリアの無事さえ確認できれば、それで終わりにできる。
「ベイルは俺が片づけた」
スッ。
柱から体を離して立ち上がる。
「エルフと倒れてる人たちを外に運んでくれ。イベリアは俺が探す。それと、片づいたら庭園の方にも行って手伝ってくれないか?」
サラ一人で十分だろうが、あのゾンビたちは地下で見たときと少し様子が違っていた。
俺が言い終わるや否や、エルノは背後の兵士たちに命じた。
「エルフおよび負傷者を搬送! まず生存者を確認し、直ちに一階の屋外へ避難させろ!」
「はっ!」
国王が驚いた目で見ているようだったが、時間がない。
早く見つけてサラに合流しないと。
「…娘を、どうか頼む」
素性もわからないFランクに王女を託すとは、この国王も相当焦っているらしい。
俺は後始末を任せ、再び二階へ駆け上がった。
* * *
エレンの後ろ姿が階段の向こうに消えると、ロビーには兵士たちが慌ただしく動き回る音が響いた。
まだ血も乾いていない白い大理石の床と、あちこちに倒れた兵士たち。
居場所すらわからない王女。
復讐に来たというベイル。
そして、その中心で当然のように騎士団と衛兵たちへ指示を出し、立ち去っていった一人の男。
クリドを相手にしていたときとは、また違う姿だった。
国王は今もエレンが消えた階段を見つめながら、エルノに声をかけた。
「エルノ」
「はい、陛下」
「エレン、あの男は…Fランクだと言っていなかったか? ならば上級騎士でも、高位魔法使いでもない。優秀な学者でも聖職者でもないはずだが…」
「…はい」
「それなのに魔剣士であるクリド団長を、さらには中位魔法使いのベイルまで倒したというのか? しかも今のあの態度…」
国王はしばらく階段の先を見つめてから、言葉を続けた。
「あれが本当にFランクなのか?」
「……」
魔物ではなく人間に与えられるランクは、この世界ではそれほど大きな意味を持たない。
あくまで生まれ持った体内の魔力量と潜在能力を基準に、誰にでもわかるよう整理した便宜上の指標にすぎなかったからだ。
…しかし。
Fランクは違う。
その便宜上の基準にすら届かない人間。
あまりに事例が少なく、研究価値もないため、魔力学界でも口頭で数回言及された程度のランク。
Fランクは体内に魔力がないという理由で、冒険者にも騎士にも魔法使いにもなれない、失敗した人間として分類される。
「……」
王宮の副騎士団長としてさまざまな人間を見てきたエルノも、その事実だけは誰よりよく知っていた。
だからこそ、今の状況が理解できなかった。
どうしてそんなFランクが、中位魔法使いであるベイルを倒せたのか。
そして、なぜ自分はそんなFランクの命令に従っているのか。




