第9話 西壁村の奴隷売買 (5)
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俺の声を聞いた貴族風の男が、驚愕の表情で叫んだ。
「何を言って……阻止しろ!! 女から殺せ!!」
男の命令が下るや否や、地下広場に数十もの魔法陣が浮かび上がった。
炎と雷が絡み合う中、通路の両側から剣を手にした連中がサラに襲いかかる。
俺はすぐさま駆け出した。
サラではなく、魔法使いたちの方へ。
魔法陣を調整していたローブ姿の魔法使いたちが、こちらへ走ってくる俺を見て面食らう。
武器も持たず、走る速さも一般人並み。
魔法使いたちは鼻で笑うと、数十もの魔法を俺に浴びせかけた。
――ドドドドォンッ!
地下牢そのものが崩れるんじゃないかと思うほどの轟音。巻き上がった土埃で前が見えなくなる。
男はそれを見て、痛快そうに笑った。
「はは……どこの所属か知らんが、大口を叩くのも――」
その言葉は最後まで続かなかった。
男の頭が斜めに切り裂かれ、地面に落ちたのだ。
ドォン――!!
同時に、轟音とともにサラの輪郭がぼやけ、消えた。
輝く銀色の瞳だけが残像を残し、疾走する。
ザシュッ――
「――ぎゃあっ!」
「うあああっ!」
「ぐああああっ!」
その軌跡にいた剣士たちが血を噴き上げ、体を真っ二つにされる。それを見て初めて、サラが通り過ぎたのだとわかった。
光景を目にした連中は、慌てて剣を捨て、逃げ始めた。
「あ……あれは何だ!」
「逃げろ……逃げろぉ!」
粉塵の中で銀色の瞳が閃くたび、引き裂かれた手足が四方へ飛んでいく。
「うあああっ!」
「ぎゃあっ!」
悲鳴が飛び交う広場。
通路の入口に、遅れて駆けつけた仲間らしい男が一人、足を踏み入れた。
「何だ、この騒ぎは……」
ドンッ!! ドォンッ!!
その瞬間、目にも映らない銀色の残像に腹を殴りつけられ、壁を突き破ってめり込み、血を吐いた。
ガシャン、ギィン、ガキィン――
サラは止まらず、そのまま通路を駆け抜けながら鉄格子を破壊していった。
俺の命令を聞いてから、一度もこちらを振り返っていない。
まるで俺が魔法使いたちに勝つのは当然だとでもいうように、俺を置き去りにして鉄格子を壊しながら視界から消えていった。
『さ、さすがSランク……』
サラが消え、頭の中で狂ったように鳴り響く機械音を聞きながら、俺は再び正面を向いた。
「死ぬって、マジで……」
粉塵の中からふらつきながら歩いて出てきた俺を見て、魔法使いたちがたじろぐ。
彼らはぶつぶつと呟きながら、もう一度手を突き出した。
「……生きてるだと?」
「外したのか……?」
その顔には恐怖が浮かんでいた。
――ヴゥゥン!
地下広場全体が震えるほどの音とともに、再び数十の魔法陣が浮かび上がる。
ドガァァァン――!
目眩がする。
視界は真っ白で、耳はまともに聞こえない。
頭の中では機械音が立て続けに鳴り響き、全身が悲鳴を上げていた。
「はぁっ……」
小さく呻きながら、俺はまた土埃の中を歩いて出た。
「な、何だよ……」
「どうして無傷なんだ!」
「魔法陣を維持しろ! 一点に集中砲火だ!」
「全部焼き尽くせ!」
無傷なわけがない。
下級魔法とはいえ、普通の人間なら死ぬほどの威力だ。
俺だって死ぬほど痛い。
魔法使いたちがどよめき、驚愕しながら再び魔法陣を展開したとき、今度は機械音が先に響いた。
――【危険を感知しました】
【同一魔法による継続的な攻撃を感知しました】
【《イレギュラー》により再執筆】
【魔法《破砕弾》を一時保存します】
【魔法《暗爆》を一時保存します】
【魔法《光流槍》を一時保存します】
【魔法《浄化光》を一時保存します】
【魔法《拘束陣天》を一時保存します】
【魔法《停止場》を一時保存します】
【魔法――】
――パリンッ!
一時保存を告げる機械音の順番どおりに、魔法陣が空中で光を散らしながら粉々に砕けていく。
サラの威圧のときは当たり前のように受け流していたが、《イレギュラー》は危険要素をそのまま放置しないらしい。
俺に対する継続的な危険は、継続的な再執筆と同じこと。
書き直しが好きな作家なんているはずがない。
この世界だって同じなのだろう。
漫画で描くのが面倒な場面を丸ごと消してしまうように、その要素を破壊し、俺に一時保存させる。
まるで、俺自身の手で消せと言わんばかりに。
俺は片手を横に伸ばし、システムウィンドウに浮かんだ数十の一時スキルへ視線を走らせた。
《暗爆・発動》
《光流槍・発動》
《浄化光・発動》
《拘束陣天・発動》
《火地掌・発動》
…………
……
――ヴゥゥゥゥン。
果てしなく響く神秘的な音とともに、俺の頭上と背後に数十もの魔法陣が描かれていく。
その輝きは、魔法使いたちが放った魔法の倍にも達し、地下広場を埋め尽くした。
魔法使いたちは信じられないといった顔で、眼前に広がる魔法陣を呆然と見上げた。
「ま、魔法陣……?」
「な……何だよ、あれ。複数属性だと!?」
「高位魔法使いだったのか!?」
「いくら高位魔法使いでも、あんなのは……」
「結界を張れ!」
慌てて魔法で対抗しようとしたが、再執筆の対象となった魔法陣は、生まれたそばから光を散らして砕けていった。
ヒュッ――
俺は魔法使いたちに向けて伸ばしていた手を、勢いよく振り下ろした。
「お前らも食らってみろよ」
クソほど痛いんだからな。
――ドドドドォンッ!
すべての魔法陣が一斉に輝き、数十人の魔法使いたちへありとあらゆる魔法を叩き込んだ。
最後まで一人ずつ確認している暇はない。
舞い上がる埃を手でぱたぱたと払いながら、俺はすぐにサラが向かった通路へ走り出した。
* * *
地下牢全体が大混乱に陥っていた。
通路の両側にあった鉄格子はすべて粉々になり、中に閉じ込められていた人々は互いに押し合いながら出口を探して走り回っている。
「出口はどこだ!」
「助かった……本当に助かったんだ!」
「王国から来たのか?」
「こっちだ!」
その中にはリベリン王国の衛兵たちもいて、人々を出口へ誘導していた。
『兵士? 先に逃げた人たちを見て入ってきたのか……?』
出口へ走っていく人々を背に、俺はサラを探して走り続けた。
タッ、タッ、タッ――
通路の奥、人混みをかき分け、体を包む黒いマントを翻しながら裸足で走ってくるサラが見えた。
「サラ――!」
目が合うと、サラの口元がほんの少し上がった。
たった数分で、俺が見て回ることすらできなかった地下牢のすべてを破壊したサラは、俺の目の前にぴたりと立ち止まった。
そして短い一言。
「全部壊した」
命令をやり遂げたとでもいうように、どこか誇らしげな表情をしていた。
犬か、お前は。
「とにかく、よくやった。俺たちも上に行こう」
人々と一緒に通路を走り、最初に下りてきた石階段を上って孤児院から出ると、日はすっかり暮れていた。
「あっちだ!」
地下での騒ぎが大きかったのか、衝撃は地上にまで伝わっていたらしい。
本来なら人影もまばらなはずの王都郊外の村。古びた孤児院の前、西壁村の通りは人で溢れていた。
俺たちとすれ違いながら孤児院へ入っていく兵士たち。脱出した人々を治療する宮廷の支援魔法使いたち。通りを封鎖する騎士たち。旗を掲げた指揮官たち。
そして、その中心に。
報告を受けながら何かを指示している二人がいた。
クリドとイベリアだ。
見覚えのある銀髪のエルフが、冷ややかな眼差しで状況報告を受けていた。
仕事中の管理者の顔だ。
『ふむ……さすが帝国の皇位候補か』
「イベリ――」
「貴様、なぜそこから出てくる?」
クリドが俺の言葉を遮り、鋭い声で割り込んだ。
それを聞いた周囲の兵士たちも武器を握り直し、俺を警戒する。
「…………」
隣のサラが反応し、首をこきりと傾けながら一歩踏み出した。
「サラ、待て」
ここでサラがあと一歩でも動けば、全面戦争だ。
『それだけじゃない。そうなったら俺、完全に悪役じゃねえか……』
それに、Fランクだからと見下していたのなら、こいつも下に閉じ込められていたんだな、くらいに考えればいいものを。融通の利かない奴だ。
俺はしばらくクリドを見つめ、それからイベリアへ視線を移した。
小便を漏らすような奴に説明してやる気はない。
「イベリア!」
突然の俺の声に、イベリアがびくりと肩を震わせた。
「えっ……! うん!」
戸惑い混じりの短い返事。
この反応を見る限り……。
状況を完全には把握していないが、少なくとも何かが起きたことは理解しているようだ。
とはいえ、周囲の目が多すぎる。
王国内部に関係者がいるかもしれないなんて話を、ここでするわけにはいかない。
今、伝えるべきことは――。
『明け方、プラクシア第二商団を通じて入ってくる奴隷はエルフです』
頭の中で反芻していた、商人と男の会話を口にした。
「明け方にエルフの奴隷が運び込まれるらしい」
「……!」
ハーフエルフであるイベリアの目が大きく見開かれた。
「武器を下ろして」
カチャッ――
イベリアが兵士たちに手を上げると、兵士たちの剣が一斉に下ろされた。
イベリアは改めて俺を見つめ、尋ねた。
「どこで聞いた情報?」
「プラクシア商団の商人から。正確には……地下牢の責任者だったか? 詳しくは知らない。俺もたまたま耳にしただけだ」
「……プラクシア商団?」
「そう聞いた。俺の話が嘘だったとしても、調べる価値はあると思うけどな」
イベリアはしばらく黙って考え込み、それから騎士を一人呼んだ。
「エルノ」
「はい、イベリア様」
銀の鎧に青いマントをまとった騎士。クリドよりさらに堅物そうな男が答えた。
記憶が正しければ、こいつは副騎士団長だ。
団長よりもそれなりに出番が多かったので覚えている。
「今日、リベリンを通過する商団の予定は把握しているわよね?」
「確認いたします」
エルノはすぐに下がり、兵士に何かを指示した。
しばらくして、兵士たちの間を抜けてきた魔法通信兵がイベリアに耳打ちすると、彼女は小さく頷いた。
「今日の午前四時に、北の王都警備所を通過……」
イベリアは呟くと、クリドを見た。
「クリド、警備所から北のエルトン関門までは何時間かかる?」
「早ければ、今頃はすでに付近へ到着しているかと」
イベリアは短く息をついた。
「わかった。全兵力、待機。プラクシア商団が北のエルトン関門に入ったら、全面的な検査を実施して」
「……全面検査ですか? 一方的な全面検査となれば、プラクシア王国との政治問題に……」
「プラクシア商会は王国の名前を借りているだけで、商団主は個人だと聞いているけれど。それでも問題になる?」
「いえ……そういう問題ではなく、プラクシアに根を下ろした組織であることに変わりはな――」
「クリド」
「……はい」
「リベリンで奴隷の密売が行われていたの。犠牲者も出ているし、幼い子供たちまでいた」
イベリアは俺に聞かせるかのようにこちらを見て、言葉を続けた。
「そして私は、そのことを何一つ知らなかった」
クリドは口を閉ざした。
「リベリンに潜み、罪のない人々を売り飛ばす……それが事実なら、相手が誰であろうと許せない」
「…………」
「それに奴隷の密売は帝国法で禁止されているでしょう? 証拠さえ見つければ、向こうも何も言えないはずよ」
クリドは静かに頭を下げた。
あいつの性格なら、自分の落ち度が大きいと思っているんだろう。
『それにしても……仕事が早いな』
馬車で見た姿とはまるで別人だ。
ほどなくして、エルノの号令に兵士たちが一斉に動き始めた。
「騎兵隊は北のエルトン関門に伏兵として配置! 歩兵は西壁村の外縁で待機し、民間人の立ち入りを全面的に遮断する! 支援魔法使いたちは引き続き救護魔法を!」
「はっ!」
「はっ!」
命令に従って動く人々の中から、誰かが近づいてきた。
「お姉ちゃん!」
目元を真っ赤に腫らし、古く破れた服を着た、さっきの男の子だった。
サラが振り向くと、少年はそのマントをぎゅっと掴んで言った。
「外に出してくれて、ありがとう」
サラは掴まれた手を見下ろし、何も言わずにぱちぱちと瞬きをした。
「これ、お姉ちゃんにあげる!」
「あっ……こら、ポメール! すみません、お姉ちゃんが困ってるでしょう!」
おもちゃを渡すより先に、中年の女性が大慌てで駆け寄ってきた。
女性も粗末な服を着ていて、体のあちこちに傷があった。
子供を抱き寄せてサラから離すと、俺に向かって何度も頭を下げた。
「すみません。それから、助けてくださって……ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
そして子供の手を引き、兵士たちの方へ戻っていった。
「お兄ちゃん、またね!」
少年は振り返り、もう一度手を振った。
サラは無表情のまま、遠ざかる少年を見つめていた。
まんざらでもないらしい。
顔を上げると、イベリアが俺を見て静かに微笑んでいた。
「?」
「ううん、何でもない」
イベリアはぶんぶんと首を振り、エルノのもとへ駆けていった。
* * *
サラとエレンが暴れ回ったあとの地下牢。
コツン――
コツン――
まだ血も乾いていない地下広場に、ハイヒールの音が響いた。
壊された鉄格子。地下広場を埋め尽くす血。そして密売人たちの死体。
ハイヒールを履いた女は、その光景をゆっくりと眺めた。
「あら……」
口角が上がる。
「誰かしら? こんなに派手に私のおもちゃを壊してくれた、悪い子は」
コツ、コツ――
歩きながら、血に汚れた広場と死体、壊れた鉄格子を偵察するようにゆっくりと見渡していく。
コツン――
その途中、貴族風の男の死体のそばに落ちている何かを見つけた。
カチャリ――
薄く刻まれた蓮の花の模様。
エルフの王女の印章だ。
女はしばらくそれを見つめ、かすかに微笑んだ。
そして、パキッ、と指で軽く押し、魔法の印章を砕いてしまった。
「ふぅん――」
女は広場に立ったまま手を上げ、横たわる死体に向けて軽く指を弾いた。
パチン――
すると、艶めいた風が地下広場をそっと吹き抜けた。
コツ、コツ――
ハイヒールの音は次第に遠ざかり、女は背を向けたまま地下牢を後にした。




