第九話 知らなかったでは済まない
「人間が扱えば、こうなる」
その声を、俺は知っていた。
記録室で聞いた男の声。
姿を見せないまま、俺たちを地下へ誘った男だ。
そして、その男の隣にはラグナ城主が立っていた。
両手を前で縛られている。
上着には泥がこびりつき、額には汗が浮いていた。
「城主!」
盾守が身を起こした。
城主も目を見開く。
「……お前も連れてこられたのか」
「私は別口です」
盾守は立ち上がろうとして、右腕を押さえた。
俺が金属棒を打ち込んで仮固定した制御桿。
視界を向ける。
《仮固定――継続》
《推定保持時間――残り十四分》
短い。
点検廊にはヴェイド。
配管脇にはミレア。
セラは剣を構えたまま。
マレクは俺と盾守の前へ立っている。
そんな部屋へ、城主を連れた男が入ってきた。
ミレアがそちらを見た。
「遅かったね、ユーリク」
ユーリク。
記録室の男の名前らしい。
城主が縛られた両手を上げた。
「もう十分だろう。これを外せ」
ユーリクは腰から小刀を抜く。
マレクがわずかに盾を上げた。
刃が縄を切る。
城主は自由になった手首を押さえた。
赤く擦れている。
そして視線だけが、部屋の壁を走る太い管へ向いた。
城主が一度、両目を強く閉じる。
「……ここへ来る途中に、計器が並んだ部屋があった」
絞り出すような声だった。
ユーリクが口を開いた。
「外周導流室だ」
盾守が一瞬だけ彼を見る。
「外周導入室か」
城主が続ける。
「壁に、ラグナの外の地名が並んでいた」
北西の村。
西丘。
南部農地。
もっと遠い集落まで。
「数字が動いていた」
城主は自分の手を見る。
「水だと言われた」
声が少し遅れる。
「魔力。それから、土地から取ったもの」
盾守の表情が硬くなる。
「家畜からも」
城主の指が握られる。
「……人間からも」
精気。
俺たちが旧記録で知ったものだ。
城主は今日まで知らなかった。
「北西の井戸が浅くなったのは三年前だ」
誰に聞かせるでもなく、城主が呟く。
「去年は西丘の葡萄が枯れた」
次。
「南では家畜の子が育たないという報告が増えた」
過去の報告と、
地下で見たものを、
一つずつ無理やり繋げているようだった。
「雨不足だと思っていた」
城主が言う。
「病害だと。土地が痩せたのだと」
ユーリクが静かに尋ねた。
「今もそう思うか」
城主は答えなかった。
数秒。
「……分からん」
ユーリクの表情は変わらない。
「見ただろう」
その一言で、城主の顔が上がった。
「見たから何だ!」
声が円形の部屋に響いた。
「今日まで存在すら知らなかった場所へ連れてこられたんだぞ!」
城主はユーリクへ向き直る。
「誰が作った。いつから続いている。どれだけ取ってきた。誰が知っていた」
握った拳が震えている。
「私は何も知らん!」
ユーリクは黙って聞いている。
「それで、今すぐ何を答えろという」
「答えろとは言っていない」
城主の眉が跳ねた。
「なら、なぜ私を連れてきた」
ユーリクは少しだけ中枢へ目を向けた。
「知らないまま決め続けていたからだ」
「何を」
「盾の維持を」
城主の顔が止まる。
ユーリクは淡々と続けた。
「修繕する。維持する。街を守るために必要だと説明する」
「それが城主の仕事だ」
「そうだ」
否定しなかった。
「知らされていなければな」
城主は口を開いた。
だが、言葉にならない。
ユーリクの声が続く。
「反作用を知れば、人は使う時に迷う」
盾守がゆっくりと顔を上げた。
「犠牲が出ると知れば、反対する者も出る」
ほんの少し。
ユーリクの声にだけ、今までなかった硬さが混じった。
「だから、知らせない」
城主が何か言い返そうとする。
それでも言葉は出てこなかった。
盾守も黙っている。
ただ、ユーリクを見ていた。
「そこまでだ」
ヴェイドの声が、点検廊から落ちてきた。
短槍の先がセラへ向く。
「確認は取れた。回収する」
セラの剣先が上がる。
ユーリクはヴェイドを見上げた。
「まだ照合中だ」
「ここまで反応すれば十分だ」
「中枢が何を認識したか確認できていない」
ヴェイドは槍を下ろさない。
「それはお前の目的だ」
「そうだ」
「こちらの任務とは違う」
一瞬。
二人の間に、はっきりと線が見えた。
セラが低く言う。
「来るなら来い」
ヴェイドが踏み出しかける。
その瞬間だった。
ドン。
床が大きく揺れた。
城主がよろめく。
マレクが腕をつかんだ。
壁を走る管が一斉に震える。
盾守が操作盤を振り返った。
「圧が跳ねた!」
視界に赤い線が走った。
《第一流入管――圧力異常》
《固定具――破断進行》
《完全破断まで――残り八秒》
「右!」
俺は太い管を指した。
「上から二つ目! 八秒で金具が飛びます!」
盾守がそちらを見る。
「そこが抜けたら中央へ一気に来る!」
セラが動こうとする。
それより先に、ユーリクが壁へ手をついた。
「ここか」
「そこです!」
空気がわずかに歪む。
広がりかけた亀裂が止まった。
噴き出しかけた水。
剥がれかけた金具。
落ちる寸前の破片まで。
全部がその場に縫いつけられたように静止する。
《破断進行――停止》
《外部干渉――固定》
これが、
ユーリクの異能。
「次は?」
ユーリクが管を見たまま聞いた。
「え?」
「ここだけか」
見る。
違う。
止めた分だけ、圧力が別の場所へ逃げている。
《第二流量弁――過負荷》
《亀裂発生まで――残り六秒》
「左から三本目!」
ユーリクが視線を走らせる。
俺はさらに指を伸ばした。
「下から二番目の継ぎ目です!」
ユーリクが移動する。
手を触れる。
赤線が止まった。
「次」
敵だ。
こいつは俺たちを地下へ誘導した。
城主まで脅して連れてきた。
それなのに今、
俺は敵へ壊れる場所を教えている。
考えている暇はない。
「中央の盤! 下側です!」
ユーリクが走った。
その横で、ミレアが黒杭を腰へ戻す。
マレクがそれを見逃さなかった。
「賢明だな」
ミレアが肩をすくめる。
「ここが落ちたら私も困るから」
ヴェイドだけは槍を下ろしていない。
セラも同じだ。
ユーリクが壁に手をついたままヴェイドを見る。
「今、彼女を動かすな」
「命令するな」
ヴェイドの返事は短い。
「固定を一つ外すことになる」
ヴェイドの目が細くなった。
数秒。
槍先が、わずかに下がる。
セラも剣を収めない。
戦闘をやめたんじゃない。
後回しにしただけだ。
「補流路を絞る!」
盾守が操作盤へ手を伸ばした。
ほぼ同時に、ユーリクが別の弁を指す。
「副流路からだ」
盾守の手が一瞬だけ止まった。
「……そっちを先に落とすか」
「二本残せば固定が足りない」
盾守は返事をせず、ユーリクが指した弁を閉じた。
視界から赤線が一本消える。
「第三弁を開ける」
盾守が言った。
俺は流れを見る。
「まだです」
圧力が上がる。
「まだ」
赤線が太くなる。
「今!」
盾守が弁を回した。
轟音。
一気に流れが移る。
「右の接続部!」
俺が叫ぶ。
ユーリクが手をつく。
亀裂が止まった。
「次!」
俺が壊れる場所を見る。
盾守が流れを変える。
ユーリクが破断寸前で固定する。
三人の役割が、
嫌になるくらい噛み合っていた。
やがて。
《中枢流入圧――一時安定》
赤線が細くなる。
ユーリクが手を離す。
止まっていた水滴が一斉に床へ落ちた。
ぽたぽたと小さな音が響く。
―――
地上。
誰も触れていない第二受信卓の針が動いた。
ネネは反射的に顔を上げた。
カタ。
カタカタ。
紙帯へ符号が刻まれていく。
受信鐘は鳴っていない。
アルトも気づいた。
「鐘が鳴ってない」
ネネは答えず、卓へ駆け寄った。
針を見る。
第一列。
第二列。
第三列。
三本が同じ速さで動いている。
「……違う」
ネネの声が落ちた。
第四塔から来た通信なら、
第三列だけが、
ほんの半拍遅れる。
今では第四塔の癖になっている。
だが、
今の信号にはそれがない。
三本とも完全に揃っていた。
「外から来てない」
ネネが卓の下へ潜る。
背面板を外した。
本来なら空いている保守端子。
そこへ、
細い導線が一本差し込まれている。
床下へ消えていた。
アルトがしゃがむ。
「これか」
ネネが頷く。
「中から流し込んでる」
二人は導線を追った。
受信室の奥。
物置。
そのさらに裏。
狭い保守通路。
半開きの扉から、青白い灯りが漏れている。
アルトが剣の柄へ手を置く。
ネネが隙間から中を覗いた。
人がいる。
若い男。
受信員の制服。
だが、
ネネはその顔を知らない。
床には小型の中継器。
中央には四角い金属盤が差し込まれている。
伝信局長の認証盤。
その横には、
本来の受信担当者の登録札。
男がつまみを回した。
紙帯が送り出される。
『西側防衛線――後退――』
ネネの顔色が変わった。
西側。
今、避難民を守っている防衛線だ。
そこを下げれば、
迫っている魔物と人の間が開く。
アルトが一歩出る。
ネネが袖をつかんだ。
「待って」
アルトが振り返る。
「先に送信を止める」
「捕まえれば止まる」
「逃げられたら?」
「追う」
「その間に命令が届く!」
一瞬。
兄妹の目が合った。
その声で、
男が顔を上げた。
視線がぶつかる。
迷いはなかった。
男は認証盤を引き抜く。
「兄さん!」
アルトが飛び込んだ。
男は奥の扉へ逃げる。
「追う!」
「お願い!」
足音が遠ざかる。
ネネは中継器へ飛びついた。
偽命令はまだ送信中。
『西側防衛線――後退――』
全部の線を切れば止まる。
簡単だ。
でも、
地下への伝声連絡。
城壁同士の通信。
外への警告。
全部死ぬ。
「どれ……!」
配線へ手を入れる。
熱い。
「っ!」
指先に痛みが走る。
それでも抜かない。
第四塔の第三列。
半拍の遅れ。
外部から来る信号と、
内部から押し込まれた偽信号。
違いはそこだ。
ネネの指が一本の細線をつまんだ。
「これ!」
引き抜く。
火花が散った。
受信針が跳ねる。
紙帯が止まった。
『西側防衛線――後退――』
終端符号がない。
命令として成立していない。
ネネは床へ尻をついた。
右手の指が二本、赤くなっている。
「……止まった」
息を吐く。
その横。
床に小さな金属片が落ちていた。
逃げた男が落としたらしい。
登録札の留め具。
裏返す。
灰色の円が九つ。
一つだけ、
空いている。
ネネの顔から表情が消えた。
第四塔。
黒杭。
同じ印だった。
敵は外から通信を壊しているんじゃない。
もう、
中にいる。
―――
地下。
俺は流量計を見た。
「まだ高い」
盾守も表示を確認する。
「落ちきっていないな」
城主が近づいた。
「これが、外から取っている量なのか」
盾守の返事がわずかに遅れた。
「……そうです」
「今だけか」
盾守は答えなかった。
城主の表情が変わる。
「今だけではないんだな」
「今と同じ量ではありません」
「では、普段も取っていた」
今度は質問ではなかった。
盾守は小さく頷く。
城主は何も言わない。
怒鳴りもしなかった。
ただ、
さっき地下で見たものを、
もう一度頭の中で並べ直している。
俺は流れを見る。
《外部徴収量――増加》
《中枢流入量――増加》
その先。
《流入先――対象範囲外》
「維持って、こんなに必要なんですか」
盾守が首を横に振った。
「多すぎる」
「魔物が近づいてる分を入れても?」
「それでもだ」
「じゃあ増えた分はどこへ?」
盾守は中枢を見た。
「分からん」
ユーリクが口を挟む。
「蓄流環を越えれば、防御層へ分かれるはずだ」
盾守が同じ方向を見る。
「蓄力環の先なら、そうなる」
何かが引っかかった。
この二人の会話に、小さな違和感がある。
俺は中枢扉へ視線を戻した。
カチ。
照合灯が一つ増える。
ユーリクが見た。
「あと一つだ」
カチ。
最後の灯り。
《第二照合――完了》
続いて、
《上位認証――受理》
セラが眉をひそめる。
「また私か」
「たぶん」
「そこはまだ分からないのか」
「はい」
中枢最終門の奥から、
重い機械音が響いた。
巨大な扉が左右へ動き始める。
冷たい空気が流れ込んできた。
その先を見て、
盾守が姿勢を正した。
俺も目を見開く。
銀色の配管。
太い導線。
黒い金属で覆われた巨大な円筒。
古い中枢へ、
後から別の設備を継ぎ足したように見える。
ユーリクが、
初めて動きを止めた。
ここまで。
通路も。
弁も。
管も。
誰より先に理解していた男が。
何も言わない。
盾守が中へ目を向けた。
「補助動力区画だ」
ユーリクの目が動く。
「……補助動力?」
盾守がそちらを見る。
「どうした」
ユーリクは答えず、
巨大な円筒から伸びる配管を追った。
「これは、いつ増設された」
「六十一年前だ」
盾守の答えに、
ユーリクの表情がわずかに止まった。
「六十一年前……」
俺にはただの数字だ。
でも、
ユーリクには違うらしい。
ヴェイドが点検廊から降りた。
「照合は終わった」
短槍を構える。
「回収する」
ユーリクは巨大な円筒を見たまま答えた。
「待て」
ヴェイドの足が止まる。
「またか」
「この系統を確認する」
「こちらには関係ない」
「異常な流入がここへ繋がっている」
ユーリクが初めて、
知らない設備を指した。
「確認するまでセラを動かすな」
「それはお前の都合だ」
ヴェイドの視線はセラ。
ユーリクの視線は円筒。
二人が見ているものが、
完全に分かれた。
その時だった。
ドクン。
巨大な円筒の中から、
低い音がした。
全員が止まる。
俺の視界に文字が走る。
《外部徴収量――急上昇》
「増えた」
盾守が表示を見る。
「どれくらいだ」
「さっきの倍近い」
城主が息をのんだ。
壁の計器が次々跳ね上がる。
水。
魔力。
地力。
精気。
あらゆる数値が上がっていく。
そして全部、
巨大な円筒の方向へ流れていた。
ドクン。
二度目。
ミレアから笑みが消える。
「ユーリク」
ユーリクは答えない。
ミレアが円筒を見たまま尋ねた。
「これも知ってた?」
長い沈黙。
「……いや」
初めてだった。
ユーリクが、
城護盾バスティオンについて知らないと言ったのは。
三度目。
ドクン。
黒い円筒の内側から、
硬い何かが、
ゆっくりと金属を引っ掻いた。




