第十話 地下で目覚めたもの
一部名称を変更してます。
市長→城主
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ギィィィ――。
黒い円筒の内側から、硬いものが金属を引っ掻いた。
一度。
音が止む。
誰も動かなかった。
セラの右手だけが、ゆっくり剣の柄へ移る。
数秒後。
ギィ。
さっきとは違う位置。
さらに、
ギィィィィ――。
内側から、円筒の壁をなぞっている。
出口を探しているように。
「トーマ」
セラの声は低かった。
「見えるか」
「やってます」
《不具合鑑定》。
《対象名称――補助動力装置》
《外殻――正常範囲》
《内部――》
そこで文字が崩れた。
砂を散らしたように乱れ、
消える。
もう一度。
同じ。
「駄目です」
「何が起きている」
「分からない。中で何かは動いてる。でも、まだ壊れる経路として見えてない」
セラは円筒から目を離さない。
「魔物か」
「それも分かりません」
短い沈黙。
セラが半歩前へ出た。
俺と円筒の間に立つ。
「なら触るな」
「セラもですよ」
「ああ」
即答だった。
「分かるまで触らない。斬るのも最後だ」
いつもなら先に動くセラが、
剣を抜かなかった。
それだけで、
目の前のものが普通ではないと分かる。
ドクン。
床から、
重い振動が伝わった。
靴底を抜け、
腹の奥まで響く。
全員の動きが止まる。
機械の駆動音じゃない。
一定の間隔。
まるで。
心臓。
ラグナ城主が黒い円筒を睨んだ。
「盾守」
「はい」
「これは城護盾バスティオンの動作か」
「違います」
盾守は即答し、操作盤へ駆け寄った。
針を確認する。
一つ。
二つ。
三つ。
「少なくとも、私が教わった運用にはありません」
城主が聞く。
「この設備そのものは知っていたのか」
盾守の返事がわずかに遅れた。
「……存在だけは」
「存在だけ?」
「盾守の一族に、家伝されてきました」
城主の眉が寄る。
盾守は黒い円筒を見た。
「灰角王との戦いが終わった後、城護盾バスティオンを動かし続ける負担を軽くするため、後の盾守たちが別の補助系統を加えた、と」
「記録は」
「残されていません」
「動力源は」
「それも」
盾守が首を振る。
「伝わっているのは、ここに補助系統があることと、通常は触れてはならないということだけです」
「触れてはならない設備を、代々守ってきたのか」
城主の声が少し低くなった。
盾守は答えに詰まる。
「……はい」
城主はそれ以上責めなかった。
今は、
責任を問う順番じゃない。
ユーリクが黒い円筒を見る。
古い配管。
銀色の管。
壁へ埋め込まれた制御線。
順に目を走らせていく。
これまでとは違う。
さっきまでは、
迷うより先に手が動いていた。
ここでは、
一つ一つ確認している。
「私は知らない」
ユーリクが言った。
盾守が横目を向ける。
「この区画そのものを?」
「ああ」
それだけ。
盾守は何も聞き返さなかった。
だが。
その一瞬の視線だけで、
何かを引っかけたのが分かった。
ドクン。
二度目。
操作盤の針が、
一斉に跳ね上がった。
「何だ?」
盾守が身を乗り出す。
俺の視界にも表示が重なる。
《外部徴収量――上昇》
《水分徴収――増加》
《地脈魔力徴収――増加》
《生体魔力徴収――増加》
「待って」
セラが振り向く。
「どうした」
「流れが変わった」
俺は目で追う。
外から集められたものが、
城護盾バスティオンの中枢へ入ってくる。
そこまでは今までと同じ。
だが。
途中から逸れている。
防御系統に入らない。
補助動力区画へ。
さらに。
その奥へ。
《流入先――形成中》
形成中。
その言葉だけで、
嫌な汗が背中を伝った。
城主が俺を見る。
「何に使われている」
「まだ――」
ゴンッ!
床が跳ね上がった。
「下がれ!」
マレクに襟を掴まれた。
城主も腕を引かれる。
次の瞬間。
石床が割れた。
白いものが突き出す。
太い。
俺の胴より太い。
最初は柱に見えた。
違う。
節がある。
曲がる。
「……骨?」
一本。
二本。
床下から巨大な白骨が伸び、
暗い奥へ繋がっていく。
その表面へ。
赤黒い筋が生えた。
一本。
十本。
無数。
筋肉。
腱。
血管。
何もなかった場所に、
身体が組み上がっている。
《骨格形成――進行》
《筋組織――形成》
《生体情報――欠損多数》
「おそらく生物です」
自分の声が掠れた。
城主が一歩出る。
マレクが腕で止める。
「城主様」
「分かっている」
足は止めた。
だが目は逸らさない。
「我々は……何を地下に置いていた」
答えられる者はいなかった。
ユーリクが円筒へ近づく。
歩幅がわずかに狭い。
右脚の運びが遅れる。
右腕も、
身体の横で半端に曲がったままだ。
さっきから何度か見ている。
あれは疲労じゃない。
身体そのものが、
動くことを忘れ始めている。
盾守が言った。
「触るな」
「調べる」
「何に繋がっているか分からん」
「だからだ」
「《固定》すれば済むと思うな」
ユーリクの目だけが盾守へ動く。
「思っていない」
バキッ!
黒い円筒へ亀裂が走った。
表示が変わる。
《外殻破断――進行》
《完全破断まで――残り五秒》
「右上!」
俺が叫ぶ。
「継ぎ目から二つ下!」
ユーリクが右腕を上げる。
止まった。
肩が上がらない。
一秒。
左手で右肘を押す。
無理やり持ち上げる。
掌が亀裂に届いた。
「《固定》」
四秒。
三秒。
亀裂が止まった。
《破断進行――停止》
だが。
ドクン。
内部は止まらない。
「ユーリク!」
「分かっている」
手を離す。
右腕だけが、
円筒へ触れていた角度のまま残る。
一拍。
二拍。
ユーリクは左手で肘を押し下げた。
曲がった指も戻らない。
一本ずつ、
左手で伸ばす。
俺が見ていたことに気づいた。
「トーマ」
「はい」
「今見るべきは私ではない」
「……分かってます」
視線を戻す。
赤い流れが、
さらに太くなった。
「盾守さん」
「何だ」
「身体が作られるほど、外から吸う量が増えてる」
「まさか」
ドクン。
白骨を肉が覆う。
同時に。
《外部徴収量――上昇》
「今もです」
盾守の顔色が変わる。
城主が俺を見る。
「外では、どうなる」
北西の井戸。
西丘の葡萄畑。
南の家畜。
ここへ来るまでに聞いた異常が、
頭をよぎる。
「分かりません」
嘘はつけない。
「でも、この速度で吸い続けて、安全だとは言えません」
城主の拳が握られる。
「止めろ」
盾守が振り向いた。
「城主様。補助系統を不用意に切れば、城護盾バスティオンそのものへ影響する可能性があります」
「分かっている!」
声が地下に響いた。
城主はそこで言葉を切る。
一度、
目を閉じた。
「……分かっている」
今度は低い。
「だから探せ」
盾守へ。
俺へ。
視線を向ける。
「城外を殺して、ラグナだけを残す方法以外を」
ユーリクが城主を見た。
一瞬だけ。
何かを確かめるように。
その時だった。
ドォンッ!!
奥壁が吹き飛んだ。
「伏せろ!」
マレクの盾の後ろへ押し込まれる。
石片。
鉄片。
折れた配管。
頭上を飛ぶ。
煙。
粉塵。
咳き込みながら顔を上げる。
壁の向こうに。
巨大な暗闇が口を開けていた。
地下空洞。
補助動力区画は、
その縁へ張りつくように造られていたらしい。
底が見えない。
天井も煙の向こう。
そして。
その闇の中に。
さっきの白骨が繋がっていた。
「……大きすぎる」
四本の脚。
巨大な胴。
首。
でも。
まともな生き物じゃない。
右前脚だけが、
異常に太い。
左前脚は長すぎる。
骨が皮膚を突き破りかけている。
片方の後脚は短く、
四足で立ちながら身体全体が傾いていた。
肋骨の何本かは塞がらず、
息をするたび、
白い骨が見える。
それでも。
巨大だった。
完全に立ってすらいないのに、
城の一棟が身じろぎしているように見える。
首から肩へ。
銀灰色の毛が生えていく。
獅子のたてがみ。
一瞬そう思った。
だが。
右側だけが異常に厚い。
左側は大きく抜け落ち、
黒い皮膚と骨が剥き出しになっている。
セラが低く言った。
「……ひどい姿だ」
《不具合鑑定》。
《再構築――不完全》
《欠損情報――多数》
《構造補完――不整合》
「本来の姿じゃありません」
セラが聞く。
「分かるのか」
「戻ってるんじゃない」
歪んだ脚。
塞がらない胸。
異常に肥大した肩。
「足りない部分を、残ってる情報だけで無理に埋めてる」
「なら」
セラの目が細くなる。
「これは不完全か?」
「少なくとも、まともには」
言い切る前に。
バチッ。
銀灰色のたてがみが、
青白く光った。
セラの声が飛ぶ。
「伏せろ!」
バァンッ!!
世界が白くなった。
雷に似た魔力。
狙った攻撃じゃない。
漏れた。
ただそれだけ。
なのに。
地下空洞全体が震えた。
石壁が弾ける。
手すりが赤く焼ける。
床を青白い光が走る。
マレクが盾を立てた。
「ぐっ……!」
衝撃。
耳鳴り。
身体の奥まで痺れる。
数秒。
音が戻る。
「トーマ」
セラの声。
「……はい」
「怪我は」
腕。
脚。
動く。
「ありません」
セラは一度だけ頷いた。
「そこから動くな」
声に迷いはない。
視線も、
一度も巨獣から外れていない。
向こうでは。
ヴェイドがすでに出口を見ていた。
短槍は構えている。
だが、
セラには向けていない。
「撤収する」
ミレアが顔を上げる。
「回収は?」
「中止だ」
即答。
「状況が変わった」
「上は怒るよ」
「生きて戻れば聞ける」
ヴェイドは出口へ下がる。
当然だ。
正体不明の巨大生物が、
城護盾バスティオンの中枢で身体を作っている。
ここでセラを襲う理由はない。
ミレアも黒杭を一本抜き、
後退を始めた。
その時。
巨獣の頭が持ち上がった。
額から。
灰色の角が伸びる。
一本。
太い。
壁を押し割りながら成長していく。
人の背丈ほど。
その倍。
さらに。
岩を削り、
大きく湾曲する。
一本だけで、
城壁の一部みたいだった。
反対側にも角。
こちらは途中から歪んだ。
裂けるように二股へ分かれ、
半端なところで止まる。
左右が揃っていない。
盾守が息をのんだ。
「……灰」
城主が振り向く。
「何だ」
返事はない。
城主自身も、
その角を見上げていた。
やがて。
表情が変わる。
「待て」
一歩、
前へ出た。
「城主様?」
「大広間だ」
盾守の眉が寄る。
「何がです」
「戦勝画」
城主の声が掠れた。
ラグナ城の大広間。
六十八年前の戦いを描いた壁画。
巨大な城護盾バスティオン。
崩れた城壁。
その前へ倒れる、
灰色の大角を持つ災厄。
「子供の頃から……」
城主は巨獣を見上げる。
「何度見たと思っている」
肉が頭蓋を覆う。
獅子。
狼。
どちらにも似ている。
でも、
どちらでもない。
もっと古い獣。
黄色がかった白い眼球が生まれる。
瞼。
一度、
閉じる。
そして。
開いた。
盾守が呟いた。
「灰角王……」
城主が続ける。
「ヴァルガルド」
その名に。
巨獣の耳が動いた。
ユーリクが振り返る。
「……灰角王?」
明らかな動揺。
城主が答える。
「六十八年前、このラグナを襲った災厄だ」
「死んだはずだ」
「そう伝わっている」
盾守が言った。
「城護盾によって討ち取られ、ラグナは救われた。それが、盾守にも残る歴史です」
ユーリクの目が、
ゆっくり黒い円筒へ移る。
補助動力装置。
そこから伸びる銀管。
そして。
目の前で肉体を組み上げている、
六十八年前の災厄。
「……待て」
ユーリクの声が揺れた。
「なら」
その先が出ない。
盾守も円筒を見た。
城主も。
俺も。
誰かが口にするより先に、
全員が同じ可能性へ辿り着いていた。
盾守の唇が動く。
「まさか……」
黒い円筒を見る。
「ここに残されていたのは」
魔核。
誰も知らなかった。
盾守にすら。
六十八年前に倒した災厄の核を。
誰かが地下へ運び。
城護盾バスティオンを維持するための力として、
使っていた。
ドクン。
ヴァルガルドの身体が脈打つ。
欠けた脇腹に肉が増える。
でも。
綺麗には戻らない。
右肩だけが異様に膨れ、
背骨がさらに歪む。
《外部徴収量――急上昇》
「また増えた!」
城主が操作盤を見る。
「どれほどだ」
「さっきの、さらに倍です!」
ヴァルガルドが前脚を動かした。
ドン。
たった一歩。
床が沈む。
ヴェイドが即座に反応した。
「走れ!」
ミレアへ叫び、
横へ跳ぶ。
巨大な前脚が落ちる。
ドォン!!
点検廊の一部が砕け飛んだ。
だが。
ヴェイドはそこにいない。
上階の手すりへ鎖を飛ばし、
反動で身体を引き上げている。
速い。
普通の兵なら、
今ので終わっていた。
「出口へ!」
ヴェイドが走る。
ヴァルガルドは追わない。
いや。
ヴェイドを見てすらいない。
その瞳は。
最初から。
セラだけを追っている。
「セラ」
「ああ」
短い返事。
セラも気づいていた。
ヴァルガルドのたてがみが、
ゆっくり逆立つ。
バチ。
青白い魔力。
ヴェイドが点検廊を走る。
バチバチッ。
今度は。
歪んだ灰角へ、
光が集まった。
「ヴェイド!」
ミレアが叫ぶ。
ヴェイドが振り返る。
すぐに鎖を捨てた。
金属から離れる。
床を蹴る。
速い。
判断も間違っていない。
でも。
雷は、
一本の線では来なかった。
巨獣の周囲一帯が。
白く染まる。
バァァァンッ!!
閃光。
一拍遅れて、
轟音。
点検廊が弾け飛んだ。
人影が宙を舞う。
ヴェイド。
壁へ叩きつけられる。
そのまま、
床へ落ちた。
短槍も遅れて転がる。
カラン。
ひどく軽い音だった。
「……ヴェイド?」
ミレアが呼ぶ。
返事はない。
煙が薄れる。
ヴェイドの全身は、
炭のように黒く焦げていた。
服は焼け落ち。
肌から、
細い煙が立っている。
焦げた臭いが遅れて届く。
俺は反射的に、
《不具合鑑定》を向けた。
何も出ない。
破損へ向かう線も。
これから壊れる条件も。
見えない。
俺はすぐに鑑定を切った。
「マレク」
呼ぶ前に、
マレクも分かっていた。
ヴェイドを一度見る。
動かない胸。
呼びかけにも反応しない身体。
それだけで十分だった。
マレクは首を横に振った。
ミレアの顔から、
笑みが完全に消えた。
「……嘘」
ヴァルガルドは。
ヴェイドを見ていない。
殺した相手にも、
一度も興味を向けなかった。
セラも黙っている。
黒焦げになったヴェイド。
歪んだ大角。
むき出しの骨。
不規則に弾ける雷。
その全部を、
静かに見ている。
表情は真剣だった。
今まで以上に。
ただ。
ほんの一瞬だけ。
口元が、
わずかに上がったように見えた。
見間違いかもしれない。
瞬きをした時には、
もう消えていた。
「トーマ」
いつもの低い声。
「はい」
「あれで、不完全なんだな」
もう一度見る。
《再構築――不完全》
《欠損情報――多数》
「間違いありません」
「そうか」
それだけ。
セラはヴァルガルドとの距離を測っている。
脚。
角。
たてがみ。
放電。
呼吸。
一つずつ。
「セラ」
「何だ」
「あいつ」
俺はヴァルガルドを見る。
「ヴェイドを殺したのに、一度も見てません」
セラの目が細くなる。
そう。
城主も。
盾守も。
ユーリクも。
ミレアも。
俺も。
ヴァルガルドにとっては、
最初からどうでもいい。
黄色い瞳は。
ずっと。
一人だけを追っている。
《対象認識――集中》
《認識対象――セラ・ヴァルク》
背筋が冷えた。
「最初から、セラだけです」
「ああ」
「心当たりは?」
「ない」
即答。
セラの声に迷いはない。
「でも、向こうにはあるみたいです」
「らしいな」
ヴァルガルドの喉が震えた。
「グ……」
低い音。
地下空洞そのものが唸る。
セラが剣を抜いた。
澄んだ金属音。
「トーマ」
「はい」
「下がれ」
「どこまで?」
ヴァルガルドを見たまま、
セラが答える。
「私が飛ばされても、お前を巻き込まないところまで」
冗談じゃない。
顔を見れば分かる。
俺も頷いた。
「分かりました」
「マレク」
「任せろ」
マレクが俺の前へ立つ。
数歩、
後ろへ。
それでも。
ヴァルガルドの大きさは、
ほとんど変わらない。
その時。
「ァ……」
ヴァルガルドの喉が動いた。
セラの剣先が、
わずかに下がる。
「今のは」
「聞こえました」
咆哮じゃない。
忘れた音を。
どこかから拾い集めている。
「……カ……」
たてがみから雷が弾ける。
「……ギ……」
空気が止まった。
ヴァルガルドは
セラを見たまま。
もう一度、
口を動かした。
「……カギ」
鍵。
セラの眉が寄った。
「トーマ」
「はい」
「私は、あれに会ったことがあるのか」
「あるはずがありません」
六十八年前の災厄。
十九歳のセラ。
会えるはずがない。
セラにも分かっている。
だから。
「なら」
灰角王のたてがみが、
ぞわりと逆立った。
青白い雷が、
歪んだ四肢から大角へ駆け上がる。
セラが剣を構える。
「なぜ、あいつは私を知っている」
答えられなかった。
六十八年前に死んだ王が。
壊れた身体で蘇って。
十九歳のセラだけを見て。
――鍵と呼んだ。




