第六十二話 三日目の鐘
翌朝、中庭へ出ると、射手役に選ばれた男たちはすでに集まっていた。
ベルーガへ向かったインクスがまだ戻っていないため銃はない。代わりに木の棒や金槌、革袋などをそれぞれ適当な場所へ持たせ、その中へ昨日サイラスが倉庫から出させた《標杭》を一本だけ混ぜている。
俺がやるのは、動き回る人間の中からそれを見つけ、射手へ伝えることだった。
「始めます」
声をかけると、男たちはすぐに中庭へ散っていった。真っ直ぐ歩いてくれる者はほとんどおらず、塀際へ寄ったり、途中で別の人間の背後へ入ったり、中には上着を脱いで腰に巻きながら持ち物の位置まで変える者もいる。
訓練なのだから当然なのだが、こちらに見つけさせる気のない動きをされると、思っていたより面倒だった。
《不具合鑑定》を使いながら一人ずつ目を追う。
腰へ差した金槌ではない。次の男が持っている革袋にも特に表示は出ない。三人目へ視線を移したところで、上着の内側から黒い先端が一瞬だけ見えた。
「右の、今――」
最後まで言えなかった。
男が前を歩いていた兵士の後ろへ入り、そのまま見えなくなったからだ。数歩してもう一度姿を現した時には立ち位置が入れ替わっていて、俺が「今の人です」と指を向けた頃には三人が同じ場所へ重なっていた。
木の棒を銃代わりに構えている男が、狙いをつけることも出来ずにこちらを見る。
「どれです?」
「真ん中……いや、今左へ出た人です」
「左の二人、どっちですか」
そこまで聞かれ、俺も答えに詰まった。
見つけたのは間違いない。ただ、見つけた時の位置を説明している間に本人がそこからいなくなる。
「たぶん、手前です」
男は棒を下ろした。
「それじゃ撃てませんよ」
言い方は責めるようなものではなかった。だから余計に何も返せなかった。
二回目はもう少し早く見つけたものの、結果はほとんど変わらない。三回目になると黒い先端を見つけること自体には慣れてきたが、「井戸の前にいる背の高い人」と説明している間に、その背の高い男は井戸から離れて別の二人とすれ違った。
四回目、また黒いものが視界へ入ったところで、今度は声を出さなかった。
射手役の男たちはしばらく構えたまま待っていたが、やがて一人が木の棒を肩から外した。
「少し休みます?」
「いえ。ちょっと待ってください」
俺はその場から動かず、中庭を見渡した。
目が追いついていないわけではない。鑑定も使えているし、黒杭を持っている人間を見つけるところまでは出来ていた。
問題はその先だった。
分かったことを全部伝えようとしている。
誰が持っている。
どこにいる。
どんな向きで動いている。
確実にしようとして情報を足すほど、相手はその場所からいなくなる。
前の仕事でも似たようなことがあった。
現場から電話が来て、「機械から変な音がしています」と言われる。どこの工程なのか、どの部位なのか、いつから鳴っているのかを一つずつ聞き返している間にも生産ラインは回り続け、実際にこちらが必要な情報へ辿り着く頃には、最初の連絡から何分も経っている。
それで報告の順番を決めた。
工程番号、部位、状態。
まず三つだけを同じ順番で言わせ、細かい説明はその後に回した。最初は現場から面倒だと言われたものの、二か月もすると聞き返す時間はかなり減った。
もっとも、それで事故までなくなったわけじゃない。
あの日にも、書式通りに書かれた紙は何枚もあった。
決まりを作ることと、その決まりで本当に止められることは、同じではなかった。
「すみません。一度止めてもらっていいですか」
男たちがそれぞれの場所で足を止めた。
俺は中庭へ降りると、井戸と炊事場、それから門までの位置を眺めた。
「人を説明するのをやめましょう。最初に場所を言えるようにした方がいいです」
射手役の一人が、何を始めるのか分からない顔でこちらを見る。
中庭だけなら、井戸と炊事場を使って大まかに四つへ分けられる。門側と奥側、それぞれを左右へ分ければ、人が動いても「どこにいるか」だけは短く言える。
「それで、何を伝えるんです?」
「最初は三つだけでいいと思います。場所と、色と、何をしたかです。黒杭だって確定してからだと遅いので、黒いものを出した時点で言います」
男が試すように、口の中で言葉を並べた。
「二番、黒、抜いた……みたいな?」
「そうです。杭の種類まで見えたら後から足します」
少し離れたところにいた別の男が、それを聞いて首を傾げた。
「でも、それ中庭でしか使えないですよね」
俺はそちらを見た。
「三日後は通りへ出るんでしょう。ここなら二番で分かるけど、場所が変わったらまた決め直しじゃないですか」
その通りだった。
作ってから五分も経っていないのに、もう使えないところが見つかった。
何を基準にすれば場所が変わっても通じるのか考えていると、後ろからセラの声がした。
「第三支部を基準にすればいい」
振り返ると、いつ来たのか、セラが門の近くに立っていた。
俺たちの間へ入ってくることはせず、第三支部の建物と外の通りを一度見比べてから続ける。
「北、東、西、南。その後に必要なら建物や柱を足せばいい。全部を先に決めて覚えさせるより、その方が間違えにくい」
射手の一人が「四つだけで足りますか」と尋ねたが、セラはすぐには答えず、中庭にいる人間の距離を目で追った。
「遠ければ後から足せばいい。近くに何人もいるなら、長く説明している方が遅い」
それだけ言うと、セラはもう口を挟まなかった。
俺も元の位置へ戻ろうとして、まだ一つ伝えていないことに気づいた。
「あと、俺が何も言わなかった時ですけど、安全って意味にはしないでください。見えてないだけかもしれないし、人の後ろへ入られたら鑑定も切れます。だから、俺から何も言われてないから撃たなくていい、とは考えないでください」
今度は誰も返事をしなかった。
木の棒を持っていた男が構え直し、それを見た他の者も散っていく。
訓練が再開すると、さっきまでのように全員が俺の声を待つことはなくなった。
それで合っている。
少し寂しい気もしたが、その方がいい。
―――
昼を過ぎても、インクスはベルーガから戻らなかった。
《最短路》を固定している部屋には見張りが二人ついていて、前を通った時に何となく様子を聞いてみると、朝に一度だけインクスが顔を出したらしい。
「何かあったわけじゃないですよね」
「たぶん大丈夫ですよ。朝に一回だけ出てきて、『あと二軒』って言って、また戻りましたから」
「何の二軒なんです?」
「こっちも聞いたんですけどね。聞き終わる前には向こうへ戻ってました」
それなら心配する必要はなさそうだった。
夕方になると、《最短路》の向こう側から何か重いものを引きずるような音が聞こえ始め、しばらくして大きな木箱が一つ押し出されてきた。その後にも別の箱と細長い革袋が続き、最後にインクス本人が両脇へ銃を抱えたまま現れた。
「悪いけど、そっち持ってくれない?」
誰に言ったのか分からず、近くにいた三人が同時に手を伸ばした。
インクスは荷物の方を任せると、自分は銃を作業台へ並べていく。
ベルーガから集めてきたものは型が揃っておらず、銃身の長さも木部の色もばらばらで、使い込まれた傷の位置まで一本ごとに違っていた。
「これ、全部そのまま使えるんですか?」
「そのままでいいなら、僕を呼ぶ意味ないだろ」
インクスはそう言いながら一本を手に取って撃発部を何度か動かし、耳元へ近づけてから俺へ突き出した。
「ほら。見て」
「どこをです?」
「悪いところ全部」
相変わらず注文が雑だった。
仕方なく鑑定を使う。
《撃発部――接触位置偏位》
《銃身固定部――緩み》
《薬室――異常なし》
「撃発部が少しずれてます。それと銃身の固定も緩いです」
「どこ?」
位置を示すと、インクスは工具箱から薄い金属片を取り出し、端を少し削ってから撃発部へ差し込んだ。固定具も締め直し、何度か動きを確かめたところで、また銃をこちらへ差し出してくる。
「もう一回」
表示は薄くなったものの、《接触位置偏位・軽微》がまだ残っている。
それを伝えると、インクスは金具を少し押した。
「こっち?」
「……今、悪くなりました」
手が止まった。
「どっちへ?」
「さっきより右です」
インクスは俺の顔ではなく銃を見たまま、小さく「右ね」と呟き、今度は反対側から金具を叩いた。
もう一度見ると、表示が消えている。
「そこは大丈夫です」
「じゃあ次」
直ったこと自体にはほとんど興味がないらしく、すぐ別の一本が目の前へ出された。
次は銃身軸の僅かなずれ、その次は撃針の摩耗。別の銃では一か所を直したことで別の部位へ負荷が寄り、俺が「今度はこっちに出ました」と言うと、インクスは嫌がるどころか少し嬉しそうに工具を持ち替えた。
「ケケケ。触るたび別のところが壊れるね」
「笑うところですか」
「直すところが増えたんだから、まだ触れるだろ」
そういう意味らしい。
しばらくして、撃針がかなり摩耗している一本が見つかった。
交換した方が早いと判断したインクスは、今度は銃身の状態が悪い別の銃を引き寄せ、その中から使えそうな部品を外し始める。
「二本を一本にするんですか」
「両方駄目なところが違うんだから、使えるところを合わせれば一本にはなる」
「持ち主に返す時どうするんです?」
「返すよ。ちゃんと撃てるようにして」
少し考えてから付け足す。
「元と同じ形かは知らないけど」
持ち主がそこを気にする可能性は、あまり考えていないらしい。
俺が異常を見つけ、インクスが触り、また鑑定する。調整したせいで別の場所に表示が出れば戻し、消えれば次へ移る。
試し撃ちは一度もしなかった。
火薬も弾薬も箱から出していない。
実際に撃たなければ分からない不具合が残る可能性はある。それでも、街の近くで何度も銃声を鳴らし、こちらが銃を集めていることを自分から知らせるよりはましだった。
「撃たなくても大丈夫なんですか」
何本目かを確認したところで聞くと、インクスは銃床を肩へ当て、狙いをつけるように銃身の先を見てから下ろした。
「大丈夫かどうかなんて、撃たないと分からないよ。でも今ここで撃ったら、銃より別のものが寄ってくるかもしれないんだろ?」
「オズワルド側に知られるかもしれないって話ですか」
「うん。それ」
政治的な事情を深く考えていたわけではなさそうだが、銃を触れなくなる方が困るらしい。
日が落ちる頃になると、調整を終えた銃とまだ手を入れていないものが作業台の左右へ分かれていた。
その頃、第三支部の古参が一人、中庭へ木箱を取りに来た。
昨日も水桶や荷車の位置を確認していた男だった。
「終わった分、運んでおきます?」
インクスは工具を片づけながら、首だけを振った。
「まだ混ぜないで。分からなくなるから」
「なら印をつけましょうか」
男は倉庫から細い紐を持ってくると、インクスが終わったと言った銃の銃床にだけ結び始めた。
作業そのものにおかしなところはなかった。
「これ、誰が持つかは決まってます?」
「サイラスさんが決めると思います」
俺が答えると、男は「じゃあ明日聞きます」とだけ言い、空いた箱を抱えて倉庫へ戻っていった。
この三日、第三支部では誰もが普段と違う仕事をしている。
だから、その男が銃の本数と置き場所を知ったことも、その時の俺には特に引っかからなかった。
―――
二日目の訓練では、銃声を一度も鳴らさなかった。
そもそも射手役に選ばれているのは銃を扱った経験のある者たちなので、短い期間で撃ち方を覚えさせる必要はない。俺との連携だけ確かめられればよく、弾薬箱は倉庫へ置いたまま、銃も空の状態で使うことにした。
場所も中庭から倉庫の奥へ移した。
保存食や古い家具を端へ寄せると、人が二人通れる程度の細い通路がいくつか出来る。箱や棚の陰へ入られれば視界は切れ、人同士が重なれば鑑定もしづらくなるので、中庭より俺には厄介だった。
「北、黒。出した」
声を出すと、二人の射手が同時に銃を向けたが、一人は違う男を狙っていた。
「そっちじゃありません。もう少し奥の――」
言いかけてやめる。
また同じことをしている。
「棚の右です。走ってる方」
今度は二人とも同じ相手を追った。
黒く塗った木片を持った男が棚の裏へ消え、別の通路から出てくる。俺が一瞬見失った間にも、一人の射手は自分の判断で銃口を動かしていた。
昨日なら、俺が何か言うまで待っていたはずだ。
それでいい。
途中、カイが水を持ってきた。
倉庫の入口から中を覗き、「こんな暗いところでやってるんですか」と言うので、俺が「外では出来ないでしょう」と返すと、しばらく訓練を眺めていた。
射手の一人が、ちょうど手の空いているカイを見つけた。
「カイさん、あそこ立ってもらえません?」
「嫌ですよ」
「撃ちませんって」
「空でも向けられるのは気分悪いでしょう」
そう言いながら、結局は邪魔になっていた棚を動かすところだけ手伝い、水桶を置いて出ていった。
訓練は昼前には終わらせた。
長くやれば、それだけ誰かの目に留まりやすい。
銃は一本ずつ布へ包み、外から形が分からないようにして倉庫へ戻す。その途中で、昨日インクスの作業を手伝っていた古参と廊下ですれ違った。
男は俺が持っている包みを見てから、腰に下げていた倉庫の鍵を指した。
「終わりました?」
「一応は」
「じゃあ鍵、戻しておきますね」
俺から受け取ると、そのまま倉庫の方へ歩いていった。
呼び止める理由もなかった。
―――
午後、エーリヒが中庭へ出てきた。
武装はしておらず、代わりに何枚もの避難者名簿を抱えている。
「戦うって言ってませんでした?」
俺が聞くと、エーリヒは少し不満そうに紙を持ち直した。
「言いましたよ。先生に却下されました」
ちょうどその時、治療所の窓が開いた。
「聞こえてるからね」
ソフィアの声が飛んでくる。
エーリヒは口を閉じ、窓が閉まるのを待ってから、名簿へ目を戻した。
「……まあ、これも仕事です」
名簿には、一軒ごとの人数と、子供や老人、自分で歩けない者が書かれていた。
エーリヒは自分で一通り数え終わると、それを隣にいた奉徒へ渡す。受け取った男は前の数字を見ず、一番上からもう一度数え始めた。
「それ、誰かに言われたんですか」
「何がです?」
「二人で数えてるやつです」
「ああ」
エーリヒは次の紙を取りながら、何でもないことのように答えた。
「一人で数えたら、自分の間違いには気づかないでしょう」
それ以上は何も言わなかった。
昔、俺も同じ数を二人へ別々に数えさせたことがある。
一人目と二人目で結果が違えば、どちらかが見落としている。簡単なやり方だったし、何度もそれで小さな間違いを拾った。
それでも、あの日は止められなかった。
南の吊り場で一人足りなかったことを、エーリヒは覚えている。
俺も覚えていた。
―――
その日の夕方、水桶を運ぶのを手伝って第三支部の門の外へ出ると、入口の脇には、ジェノベックへ来た日に見かけた老婆が座って籠を編んでいた。
「最近、ばたばたしてるねえ」
手を止めないまま言われた。
「そうですね」
「怪我人が多いんだろ」
「ええ」
嘘ではない。
老婆は編みかけの籠から一本だけ蔓を抜き、別のものへ替えた。
「ここは、うるさいくらいでいいんだよ。急に静かになる方が、私は嫌だねえ」
何と返せばいいか分からず、俺は水桶を持ち直して門の中へ戻った。
一度振り返ったが、老婆はまだ同じ場所で籠を編んでいた。
明日起きることを、当然ながら何も知らない。
―――
三日目の朝も、街そのものはいつもと変わらなかった。
パン屋が店を開け、市場では野菜が並び、昨夜遅くまで水桶を運んでいた男が何も知らない客に果物を売っている。子供たちもいつものように通りを走っていて、第三支部の中にいる人間だけが、普段の仕事をしながら何度も時計や北門の方を気にしていた。
味方を見分けるための白布はまだ箱の中にあり、銃も布で包んだまま置かれている。
住民への説明もしていない。
オズワルドが来なければ、そのまま何も起こらず一日が終わる可能性も、まだなくなったわけではなかった。
昼前、俺は二階で射手役の一人と実際の配置を確認していた。
窓は開けず、板の隙間から通りを見て、どの辺りまでなら鑑定が届くのかだけを確かめる。
その時、階段を駆け上がってくる足音が聞こえ、途中で誰かが壁へ身体をぶつけた。
「サイラスさん!」
返事を待つ間もなく会議室の扉が開く。
俺が後を追って入ると、サイラスは地図の前に立っていて、セラも同じ部屋にいた。
伝令は息を整えるより先に告げた。
「北門です。来ました」
サイラスが地図から顔を上げる。
「人数は分かりますか?」
「全部は見えてません。先頭だけで十人以上、その後ろにも続いてます」
「オズワルドさんは?」
「います」
サイラスはすぐに机の上の紙を取り、近くにいた古参へ渡そうとした。
「避難を始めて――」
そこで、別の足音が階段から上がってきた。
今度の男は部屋へ入るなり壁へ手をつき、何度か大きく息を吸ってからサイラスを見る。
「《最短路》が開きません」
サイラスが紙を渡す手を止めた。
「今朝は確認していますね?」
「はい。俺が一度向こうへ出て戻ってます。その時は問題ありませんでした」
「こちら側の標点には?」
「誰も触ってません」
紙が机へ戻された。
サイラスはそれ以上その場で質問せず、《最短路》を固定している部屋へ向かった。
俺とセラも後を追う。
部屋にはすでに数人集まっていたが、扉も鍵も壊されておらず、床へ置かれたこちら側の標点にも、見ただけで分かるような変化はない。
サイラスが膝をついて魔力を流した。
昨日なら、その先に採石場側の景色が見えたはずだった。
今日は何も起こらない。
もう一度試してから、サイラスは床から手を離した。
「こちらではありません。向こう側で何か起きています」
古参の一人が採石場へ馬を出す話を始めたところへ、中庭から別の声が飛び込んできた。
朝の確認に出ていた奉徒だった。
「採石場から戻りました!」
男は布で包んだ細長いものを抱えており、部屋へ入ると床へ置いた。
布を開いた瞬間、全員の視線がそこへ集まる。
黒い杭だった。
配備帳で見たものより長く、土に入っていたらしい先端だけが汚れている。
「向こうの標点のすぐ近くに刺さってました」
サイラスが手を伸ばしかけたので、俺は先に止めた。
「待ってください。触る前に見ます」
鑑定を通す。
《接続対象――経路標点》
《流路固定――侵食》
《経路形成――阻害》
そこまで表示された後、少し間を置いて、もう一行だけ増えた。
《遮断進行――継続中》
「《封杭》ですか?」
サイラスは表示そのものを見ることは出来ないので、俺が読んだ内容を聞きながら杭の形を確かめていた。
しばらく見た後、首を振る。
「僕が知っている《封杭》とは違います。少なくとも、第三支部へ回ってくる型ではありません」
俺はもう一度、標点の方を見る。
「今朝は本当に開いたんですよね」
採石場から戻ってきた男が頷いた。
「俺が向こうへ出て、ここへ戻ってます」
なら、その時点では少なくとも今と同じ状態ではなかった。
いつ杭が刺されたのか。
誰が刺したのか。
鑑定表示だけではそこまでは分からない。
「向こう側の標点の場所って、誰が知ってるんです?」
俺が尋ねると、部屋の中で何人かの視線が動いた。
サイラスはすぐには答えず、思い出すように一度目を伏せた。
「設置した人だけではありません。荷物を運んだ人もいますし、向こうで作業した人もいます。場所そのものを外から見られていた可能性もあります」
扉のそばにいたセラが、サイラスではなく黒杭を見ながら聞いた。
「内部の人間の可能性は?」
少し間があった。
「それもあります」
そこで誰も続けなかった。
廊下では誰かが走っており、中庭からは荷物を運ぶ声が聞こえている。
昨日、銃を倉庫へ運んだ者。
避難名簿を配った者。
治療所へ薬や水を届けた者。
この三日間、必要だからという理由で多くの人間が普段なら知らないことまで見ている。
誰か一人を疑おうとすれば、いくらでも疑える。
サイラスは黒杭を布へ戻した。
「今ここで犯人探しはしません。本当に内部にいるなら、こちらが疑い始めたことを教えるだけになります」
誰かが何か言いかけたが、その声は外から飛び込んできた報告に消された。
「先頭、止まりました!」
少し遅れて、もう一度。
「オズワルドです!」
サイラスは立ち上がった。
鐘はまだ鳴っていない。
通りにいる住民も、何も知らないままだ。
「ソフィアさん」
廊下へ呼びかけると、治療所の扉が開いた。
「何?」
「昨日残した西の道、今から使えますか」
ソフィアは何の話かすぐ分かったらしく、治療所の中を一度振り返った。
「歩ける人なら使える。ただ、担架は厳しいわ。採石場へ抜くより時間もかかるし、途中で詰まったら動けなくなる」
「歩ける患者は住民と一緒に出します。担架が必要な人はここへ残したいです」
「ヴィクトルの近くへ?」
「はい。治療師も何人か残してください」
ソフィアは即答しなかった。
中にいる患者の数を考えているのか、しばらく扉の向こうを見ていた。
「……分かった。動かせる人から出す。残る人はこっちで決めるから、勝手に連れていかないで」
「お願いします」
サイラスは古参たちへ向き直った。
「避難先は変更しません。西へ回してください。市場側に先に誘導を出して、荷車は道を塞ぐようなら置いていって構いません。戦闘担当は予定の位置へ。ただし避難担当はそちらを優先してください」
人が一斉に動き出した。
セラももう廊下へ出ている。
サイラスはその後へ続こうとして、一度だけ窓の外へ目を向けた。
パン屋ではまだ客が袋を受け取っており、子供がその横を走っている。門の近くでは昨日の老婆が膝の上へ籠を置いていて、街はまだ数分前までと同じ時間の中にいた。
サイラスは古参へ視線を戻した。
「鐘を鳴らしてください」
男が階段を駆け下りる。
間もなく、街の上へ鐘の音が響いた。
最初の一打では、何人かが音のした方を見るだけだった。
二度目で、店先にいた人間が手を止める。
三度目が鳴り終わる頃には、通りにいる人々のほとんどが第三支部の方を見ていた。




