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最強女騎士は、あと百二十日で壊れる ~粗探ししかできないハズレスキル《不具合鑑定》の俺だけが、それに気づいた~  作者: 出水克幸
勝利譌�ヴィクトル編

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第六十話 この街で生きてきた

オズワルドたちが去った翌朝も、第三支部は普段どおりには戻らなかった。


救護所には南荷揚げ場の事故で運び込まれた人間が残り、中庭では昨日の騒ぎで倒れた箱や椅子が片づけられている。血は夜のうちに洗われたらしいが、石の継ぎ目にはまだ薄く色が残っていて、その上を誰かが通るたびに靴底の水気で滲んだ。


俺は朝から救護所にいた。


ソフィアに頼まれて水桶を運んでいると、横から手が伸びてきた。


「それ、持ちますよ」


カイだった。


「肩は?」


「もう動きます」


「昨日もそう言って怒られてませんでした?」


「昨日は昨日です」


カイは桶を受け取ろうとしたが、少し離れたところで記録をつけていたソフィアが顔を上げた。


「カイ」


名前だけだった。


カイの手が止まる。


「……別に持ち上げるくらいなら」


ソフィアは何も言わない。


「何と戦ってるんですか、俺は」


「知らない」


カイは桶を諦めた。


昨日、肩を治療してもらったあとも帰らず、事故で運び込まれた負傷者の手当てをずっと手伝っていた。治療はできないから、担架を運び、水を替え、血のついた布を集める。今朝もその続きだった。


その時、奥の寝台で布の擦れる音がした。


ソフィアが先に反応した。


「エーリヒさん?」


俺たちもそちらを見る。


エーリヒ・シュタールが目を開けていた。


焦点が合うまで何度か瞬きをして、それから横へ目を向ける。


寝台の脇には妻がいた。


その隣で、小さな女の子が父親の手を握ったまま眠っている。


「……ここは」


掠れた声がした。


妻が立ち上がった。


「あなた」


椅子が後ろへずれ、その音で女の子も目を覚ました。


「お父さん?」


エーリヒの目がそちらへ動く。


「ベル」


女の子は返事をしなかった。


代わりに父親の手を両手で握り直した。


エーリヒも指を動かす。まだ力は入りきらないらしく、ベルの指へ触れる程度だった。


妻が顔を伏せた。


「何日寝てるつもりだったの」


声だけ聞けば怒っている。


エーリヒは困ったように眉を動かした。


「そんなに?」


「そんなに、じゃない」


水へ手を伸ばしかけた妻を、ソフィアが止める。


「まだ飲ませないで。口だけ湿らせます」


「はい」


ソフィアが濡らした布を唇へ当て、そのまま脈と瞳を確認した。エーリヒはされるがままになりながら、自分の胸や腹へ視線を落とす。


「傷は?」


「今回、倒れた時には大きな外傷はありませんでした」


「じゃあ、なんで」


ソフィアの手が一度止まった。


朝から何度も説明してきた声ではなく、少しゆっくりした。


「まだ分かりません。ただ、以前からヴィクトルで大きな損傷を何度も戻しているでしょう。それが今回の状態に関係している可能性はあります」


妻の顔が強張った。


ベルは母親を見上げた。


エーリヒだけはしばらく黙っていた。


「……ヴィクトルが?」


「可能性の話です。決めつけてはいません」


ソフィアは続ける。


「治療のあと十分休めていたか、仕事の負荷、睡眠、食事。見なければいけない所は他にもある。でも、また同じように意識を失う可能性は否定できない」


「次も起こるかもしれないんですか?」


「あります」


「次も起きたら」


そこから先をエーリヒは言わなかった。


ソフィアも先回りして答えなかった。


エーリヒは窓の向こうを見た。


中庭の先に、ヴィクトルの白い光が見える。


「それでもな」


妻が夫を見る。


「俺、ヴィクトルがなかった方が良かったとは思えないんだ」


「あなた」


「今回のことを軽く見てるわけじゃない」


エーリヒは息を整えた。


長く話すとまだ苦しいらしい。


「昔、大怪我した時。ヴィクトルがなかったら、仕事に戻れなかったかもしれない。足もどうなってたか分からん」


妻は黙っている。


エーリヒはベルの手を見る。


「それからずっと働くことができた。ベルが生まれて、この子が歩くようになって、喋るようになって。飯食わせて、服買って……まあ、十分じゃなかった時もあるけど」


「お父さん、服はお母さんが買ってたよ」


ベルが言った。


一瞬。


エーリヒが目を丸くした。


妻が鼻を啜りながら笑った。


「そこは言わなくていいの」


「だって」


エーリヒも笑いかけたが、咳が出た。


ソフィアに睨まれて、すぐやめる。


「……そういうのも全部です」


今度は妻を見る。


「俺が、お前とベルを支えてこられたのは、あの時ヴィクトルに戻してもらったからだと思ってる」


妻は返事をしなかった。


ベルの髪へ手を置く。


しばらくしてから、窓の外へ目をやった。


「私だって、ヴィクトルを恨んでない」


ソフィアが顔を上げる。


「この人が今回倒れた原因だったとしても、それで昔助けてもらったことまで無かったことにはできないです」


そこで夫へ向き直った。


「でも、また無茶していいって意味じゃないから」


「分かってる」


「分かってる顔じゃない」


ベルも父親を見た。


「仕事行くの?」


「今は行かない」


「今は?」


「……しばらくな」


妻が目を細めた。


エーリヒは窓へ逃げた。


俺はその横で、カイが黙ってヴィクトルを見ていることに気づいた。


自分の肩へ一度触れる。


昨日まで傷んでいた場所だった。


治してもらったあと、カイは事故の負傷者を何人も運んだ。


もし肩が使えなかったら。


同じ人数を運べたかは分からない。


カイは何も言わなかった。


ただ、その場を離れなかった。


――――


サイラスが救護所へ来たのは、昼を少し過ぎた頃だった。


事故で残っている患者を一人ずつ見て回り、最後にエーリヒの寝台へ寄った。


「目が覚めて良かったです」


「ご心配をおかけしました、サイラスさん」


「本当に心配しましたよ。しばらく仕事へ戻らないでください。勤務先には第三支部から話します」


エーリヒは少し苦笑した。


「今日、それを言われるの何人目でしょう」


「何人でも聞いてください」


サイラスも少し笑った。


そのまま終わるかと思った。


エーリヒの方が表情を変えた。


「サイラスさん」


「はい」


「三日後のこと、聞きました」


サイラスの笑みが消えた。


妻の手がベルの肩へ置かれる。


「オズワルドが、また来るって」


「ええ」


「どうするんですか」


サイラスはすぐに答えなかった。


窓の向こうを見た。


ヴィクトル。


その向こうに街がある。


しばらくして、こちらへ戻る。


「ヴィクトルは渡しません」


エーリヒが顔を上げた。


「危険があるなら調べます。今までと同じ使い方が出来ないなら、変えなければならない。でも、ヴィクトルを検証のために持ち出していいとは思っていません」


サイラスは窓を見たまま続ける。


「この街には、ヴィクトルが必要な人がいますから」


それからセラを見る。


「もちろんセラさんも渡しません」


セラは何も言わなかった。


サイラス自身が、一度口を閉じる。


「……いや」


少し首を振った。


「僕がそう言うのは違いますね」


セラの青灰色の目が動く。


「僕には、あなたを誰かへ渡す権利がありません。あなたが行かないと決めている。それを、街のためだからと僕が覆すこともしません」


昨日、オズワルドの前で言えなかった言葉を、今は最後まで言った。


「三日後も要求が同じなら、断ります」


エーリヒは黙って聞いていた。


サイラスの手がゆっくり握られる。


「ただ」


その先はすぐには出なかった。


「僕が断れば、タダでは済まないかもしれません」


妻がベルを引き寄せる。


サイラスはそれを見た。


「第三支部の周りには家も店もある。道も人も使っている。オズワルドさんが人を連れてきて、こちらも止めれば……昨日のようには終わらないでしょう」


声が少し遅くなる。


「家が壊れるかもしれない。大怪我をする人も出る」


そこで一度、言葉を飲んだ。


「死ぬ人も、出るかもしれません」


救護所の外から、誰かが物を置く音がした。


サイラスはそちらを見なかった。


「僕が退けば、それを避けられるかもしれない。それでも退かないと決めるなら、その結果を払うのは僕だけじゃない」


俯いた。


「そこが……怖いんです」


エーリヒが少し身体を起こそうとした。


ソフィアの手がすぐ肩へ乗る。


「まだ起きないで」


「大丈夫です。ちょっと話したいだけです」


「寝たまま話せる」


エーリヒは大人しく枕へ戻った。


「サイラスさん」


「はい」


「何かあったら俺も戦います」


妻が立ち上がった。


「あなた!」


ソフィアも間を置かなかった。


「駄目です」


エーリヒは二人を順に見る。


「ヴィクトルを使えば、多少の怪我は無かったことになります」


「さっき何を聞いてたの」


「聞いてたよ」


「あなたが倒れた原因に、過去の治療が関係している可能性がある。もう一度使ったらどうなるか分からない」


「そうだな」


「また意識を失うかもしれない。もっと悪くなる可能性だってある」


「それも」


妻が夫の手を掴んだ。


「じゃあ何でそんなこと言うの」


エーリヒは妻を見た。


ベルもいる。


すぐには答えなかった。


「……俺はヴィクトルに、生きる時間を貰ったと思ってる」


サイラスが目を上げた。


「何年だったのかは分からない。これからどれだけ残ってるかも。でも、あの時大怪我したままだったら、今みたいには暮らせなかった」


ベルが父親の指を握り直す。


「こいつが大きくなるのを見られた。妻と飯食って、仕事して、帰って。また次の日も働いた」


少し息を整える。


「もし今回のことが本当にヴィクトルのせいだったとしても、俺はそれを全部間違いだったとは思えません」


サイラスを見る。


「だから、三日後」


エーリヒの声に、少し力が戻った。


「俺を戦わせてください」


「エーリヒさん」


「また倒れることになってもです」


妻の顔が強張る。


「今度は俺が、サイラスさんと、この街を守りたい」


しばらく誰も喋らなかった。


妻が顔を伏せた。


「私は賛成してないからね」


「ああ」


「絶対に」


「分かってる」


「ベルを置いていくことになるかもしれないんだよ」


エーリヒの返事が止まった。


ベルも父親を見たまま何も言わない。


そこだけは、覚悟だとか恩返しだとかで簡単に越えられないらしい。


長い間があった。


ソフィアが息を吐いた。


「三日後に診断するわ」


エーリヒが顔を上げる。


「その時の脈、呼吸、反応を見ます。立てるか、走れるかも確認します」


「じゃあ――」


「でも戦っていいとは言ってない」


明るくなりかけた顔が戻った。


「立っていいかどうかを診るだけ。それ以上でもないわ」


「……はい」


その時だった。


開けたままの扉の向こうで、靴が動いた。


ソフィアが振り返る。


「さっきから何人いるの」


返事がない。


カイが扉の横から顔を出した。


「……結構いますね」


通路に何人かの兵士がいた。


昨日の事故で治療を受けた者もいる。第三支部の警備に回っていた者もいる。


その中に。


昨日、オズワルドの配下を最初に殴った男がいた。


唇の端はまだ腫れている。


拳にも布が巻かれていた。


ソフィアが全員を見る。


「患者は寝床へ。そうじゃない人は仕事に戻って」


誰も動かなかった。


昨日殴った男が一歩だけ前へ出る。


「俺も、お願いします」


「何を」


「三日後です。必要なら、俺も戦わせて下さい」


ソフィアの眉間に皺が寄った。


「昨日は勝手に殴って、今日は戦わせてくれ?」


男は黙った。


後ろの兵士も視線を落とす。


しばらくして、男は包帯の巻かれた拳を見た。


「……昨日は俺が悪かったです」


サイラスへ向き直る。


「向こうの人間がトーマさんの方へ来たのを見て、連れていかれると思った。サイラスさんが何も言ってないのに、つい、勝手に手が出てしまいました」


サイラスは庇わなかった。


「はい」


男の顔が少し硬くなった。


それでも続ける。


「次は、勝手にやりません」


拳を握りかけて。


途中で開いた。


「止まれって言われたら止まります。下がれって言われたら下がる。昨日みたいなことはしません」


顔を上げる。


「だから必要なら、今度は命令してください」


サイラスの返事が止まった。


昨日。


自分の判断で先に拳を出した男だった。


今は、動く前に命令を求めている。


その後ろで別の兵士が頭を下げた。


「俺もお願いします」


もう一人も続く。


「自分も」


ソフィアが額へ手をやった。


「あなたは昨日、肋骨を戻したばかり」


一人を見る。


「あなたはまだ熱がある」


次。


「その腕、指先の感覚が戻ってないって朝言ったでしょう」


「でも、動きます」


「動くかどうかの話をしてない」


声が強くなる。


「傷が塞がってるからって、身体の中まで全部元どおりだと思わないで。昨日治した人を、三日後また同じ寝台に寝かせるために診てるんじゃない」


誰も帰らなかった。


男たちも反論しない。


ただ、一番後ろにいた兵士が頭を下げたまま言った。


「……すみません」


少し置いて。


「それでも、お願いします」


ソフィアは口を開きかけて、やめた。


カイが自分の肩へ触れた。


「私も昨日、ここで治してもらいました」


ソフィアがそちらを見る。


「カイまで何」


「いや、戦わせてくれって話じゃないですよ」


「まだ何も言ってない」


「言いそうな顔だったんです」


「どんな顔ですか、」


「それ聞かれると困りますけど」


少しだけ。


張っていた空気が緩んだ。


カイはすぐ真面目な顔へ戻った。


「でも、この肩が使えなかったら、昨日の事故で負傷者を運ぶのも手伝えなかったと思うんです」


肩から手を離す。


「ヴィクトルに何かあるなら、調べた方がいい。それはそうです。でも、危ないかもしれないって分かったからって、治してもらったことまで間違いだったことには出来ないでしょう」


エーリヒを見る。


妻。


ベル。


「俺は、あの時治してもらってよかったです」


誰かへ同意を求めたわけではなかった。


自分で確かめるように言って、それで終わった。


セラが壁から離れた。


俺はそちらを見る。


セラはまず、昨日殴った男を見た。


その後ろで頭を下げている兵士たち。


次にエーリヒ。


妻の横にいるベル。


誰も、セラへ何かしてくれとは頼んでいない。


むしろ。


セラを渡さないために、自分たちが残ると言っている。


サイラスもそれに気づいたらしい。


「セラさん」


セラはウツロイの柄へ手を置いた。


「私は昨日、自分のことなら自分で決めると言った」


「はい」


「今も変わらない」


そこで兵士たちの方へ視線を戻す。


「でも、こいつらまで私のために頭を下げるのは違う」


昨日殴った男が顔を上げた。


セラはそちらへ何か言うでもなく、サイラスを見る。


「お前がこの街を守るなら」


少し間があった。


「私もそっちに立つ」


サイラスの目が僅かに動いた。


「力を貸そう」


昨日、オズワルドへ「やってみろ」と言った時とは違う。


相手へ向けた言葉ではない。


サイラスへ渡した言葉だった。


サイラスはすぐには答えなかった。


窓の向こうを見る。


第三支部の外には、何も知らず店を開けている人間もいる。荷車も通っている。


「……まず、戦う人を決める前に」


扉の兵士たちが姿勢を正した。


「住民を逃がします」


誰かが顔を上げる。


「第三支部の周囲だけでは足りない。オズワルドさんたちが入ってきそうな道沿い、倉庫、その近くの家もです。患者と子ども、自力で遠くへ動けない人から先に」


ベルへ一度視線が行った。


「戦わずに済めば、それが一番いい。でも三日後に何か起きてから逃がすのでは遅い」


昨日殴った男が頷く。


「はい、サイラスさん」


「倉庫にある荷車の数を確認してください。人を集める時も、三日後に戦うからとは言わないで。避難の準備だと伝えてください」


「分かりました」


男はもう走り出しかけた。


「まだ」


サイラスが止める。


男が振り返る。


「一人で決めないでください。担当を決めます」


男は少し気まずそうに頭を掻いた。


「……はい」


それを見ていたソフィアが、今度はサイラスを呼んだ。


「サイラス」


「はい?」


「避難先だけ決めて終わらないで」


サイラスが振り向く。


「怪我人をどこから入れるか。第三支部の正面が塞がった時に、どの道から運ぶか。搬送路を最低でももう一本決めて」


サイラスの顔つきが変わる。


「分かりました」


「水も布も足りない。昨日のでかなり使った。今日中に補充。治療できる人間も集めて」


そこで少し離れたヴィクトルへ目を向ける。


「ヴィクトルを使った人は、動けても可能な限り一度こっちへ来てもらいます。本人が大丈夫って言っても帰さない」


エーリヒが苦笑した。


「聞こえてますよ」


「あなたに聞かせてるの」


妻が初めて少し笑った。


ベルもつられて笑う。


ソフィアは別に笑わなかった。


「戦うかどうかは、治療が終わってから決めて。負傷した人間を数に入れた状態で作戦を組まないで」


サイラスは今度はすぐに頷いた。


「はい」


「三日あるなら、三日で準備する」


「分かりました」


サイラスは救護所の中を見回した。


エーリヒと妻。


ベル。


扉の兵士たち。


カイ。


セラ。


そして俺。


怖さがなくなった顔には見えなかった。


誰が傷つくのか。


誰が死ぬかもしれないのか。


たぶん、さっきより具体的に見えている。


それでも。


「三日で出来ることを、全部やります」


ソフィアはもう次の患者の記録へ目を戻していた。


「なら、まず搬送路」


「……はい」


カイが小さく笑った。


サイラスも少しだけ困ったように笑った。


その日の午後から。


第三支部は、三日後に戦うためではなく。


三日後、戦いになっても出来るだけ誰も死なせないために動き始めた。

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