第五十九話 話をつけに来た
同じ紋章をつけた者たちが、向かい合っていた。
ヴィクトルを背にして立つ第三支部の人間と、門側に残ったオズワルドの一行。
誰も剣を抜いてはいない。
けれど、さっきまで患者や荷物が行き来していた中庭の中央だけが妙に広く空いていた。誰かがそこへ足を出せば、そのまま何かが始まりそうで、救護所から人が出てくるたびに遠回りして通っていく。
壁際に、運び出した寝台の横へ置かれた木椅子が一脚残っていた。
オズワルドはそれを見つけると、自分で引いた。
座った。
サイラスは立ったままだった。
門側の何人かが一瞬だけ目を動かしたが、オズワルド本人は気にしていない。膝の上へ左手を置き、こちらを見上げている。
立っているサイラスの方が高い位置にいるのに、不思議とそうは見えなかった。
俺は昨日から残っていたことを思い出した。
ここでまた流されたら、次があるか分からない。
「サイラスさん」
呼ぶと、サイラスがこちらを見る。
「あの人へだけ届いた光。昨日のあれが起きる可能性は、前から知っていたんですか」
今度は、別の声に遮られる前に聞いた。
サイラスはすぐには答えず、ヴィクトルへ目を向けた。白い光は今も救護所の辺りへ薄く満ちている。昨日、瓦礫を縫って一人へ伸びた細い光とはまるで違う。
「可能性だけです」
「可能性?」
「セラさんが、それまで触れられなかった機能か、何かの接続を開くかもしれない。そうなった場合、ヴィクトルの恩恵が周囲へ広がるだけではなく、特定の場所へ届く形が出る可能性も考えていました」
「昨日みたいに、一本だけ?」
「そこまでは知りませんでした」
サイラスは首を振った。
「どういう形になるのかも、距離も、昨日の状況で起こることも。僕が知っていたのは、本当にそこまでです」
一度、手袋をした自分の手を見る。
「それと、昨日のあれに《最短路》は使っていません」
俺は少し遅れて頷いた。
やっと、昨日から引っかかっていたところまで答えが来た。
全部を知っていたわけじゃない。
けれど、あの光が変わる可能性自体は考えていた。
「そこまで出たなら、私は十分だと思いますけどね」
椅子に座ったまま、オズワルドが口を挟んだ。
声は穏やかだった。
「ヴィクトルは、今日は動かしません」
サイラスがそちらを見る。
「……いいんですか」
「患者さんがおられるでしょう。こちらの固定具を近づけただけで状態を落とした方までいる。その理由も切れていないのに、本体を運ぶ意味は薄い」
オズワルドは地面へ視線を落とした。
黒い固定具が数本、ヴィクトルの周囲へ残っている。
「この道具も、いったん使わない方がよさそうだ」
俺も少し意外だった。
あれだけヴィクトルを調べたがっていた男が、必要がないと見れば簡単に引く。
サイラスも同じだったらしい。
「それなら、昨日の現象を整理した上で、まず第一席へ――」
「報告はしてくだせ」
オズワルドは、最後まで聞いてから頷いた。
第一席。
八人いる《座主》の中でも、筆頭に置かれる席。
座主同士は軍隊みたいな上下関係では動かないと聞いていた。それでも、その名が出た途端、門側にいた年嵩の男が僅かに姿勢を正した。
「第一席が慎重に進めたいのも知っています。何も分からんものへ勝手に触って、戻せんようになったら困る。観る。待つ。確度を上げる。そこは私も間違いだったとは思っていません」
「なら――」
「バスティオンまでは、です」
サイラスが口を閉じた。
オズワルドは椅子の背へ少し体重を預ける。
「一度なら偶然でもいい。アレーテイアでも説明しづらいものは出たが、バスティオンと同じ現象とは言えなかった。だから、あそこでも待った」
セラが少しだけ顔を上げた。
オズワルドはまだセラを見ない。
「それで今度はヴィクトルです」
「三つとも条件、恩恵が違います」
「ええ」
「セラさんがその場にいた。その共通点だけで、一つの原因へまとめるべきではありません」
「まとめていませんよ」
オズワルドは小さく笑った。
「だから調べたいんです」
「こちらから条件を変えるのと、起きたものを観察するのは違います」
「それも分かっています」
また否定しない。
だから話が終わらない。
サイラスの理屈を聞いて、分かると言う。そのうえで、オズワルドは自分の位置を一歩も動かさなかった。
「第一席が待てと言った頃は、鍵なのかどうかも怪しかった。何に反応するかも分からない。今は違うでしょう」
「何が違うんです」
「アーク。バスティオン。アレーテイア。ヴィクトル」
オズワルドは指を折って数えたりはしなかった。
ただ名前だけを並べる。
「同じものだとは言いません。でも、何も無いとももう言えない」
そこで、ようやく椅子から立った。
「次に偶然、五つ目の神器がこちらへ来るまで待ちますか」
「必要なら」
「その次は?」
「結果を見て決めます」
「そうですか」
オズワルドの口元だけが、ほんの少し歪む。
「私は、もうそこまで待たなくていいと思っています」
セラを見る。
「ヴィクトルは置いていく。その代わり、あなたには来てもらいたい」
セラはしばらく黙っていた。
「行かない」
「でしょうね」
オズワルドは残念そうにも見えなかった。
「なら、来てもらえる理由を作りますわ」
サイラスの表情が変わった。
「オズワルドさん」
「縄で縛って運ぶつもりはありませんよ」
オズワルドの目が俺へ動いた。
その瞬間、少し離れた場所にいたセラの右手が腰へ寄った。
まだウツロイには触れていない。
けれど、あと少しで届く。
「本人が自分で来た方が、こちらとしても都合がいい。理由が必要なら作ればいいでしょう」
「何をするつもりです」
「そこの坊主をこちらで預かる。第三支部を一度締める。道を使えなくする。それで足りなければ別のものを一つ」
俺の喉が乾いた。
声の調子が変わらない。
だから、余計に冗談には聞こえなかった。
「それで最後に本人が歩けば、本人が選んだことになると?」
サイラスが前へ出る。
「そんな言い方はしませんよ」
「なら、何だと言うんです」
「手段です」
オズワルドは俺からサイラスへ目を戻した。
「良いことだとも思っていない。必要なら使う。それだけです」
「選ばなければ誰かに害が出る状態を作っておいて、最後の一歩だけ本人に歩かせる。あなたは――」
その途中だった。
門側にいた奉徒が一人、中庭へ入ってきた。
こちらへ来る。
俺の方へ。
いや。
よく見れば、俺のすぐ横へ置いてある道具箱へ向かっていた。
たぶん、それだけだった。
だが直前の会話を聞いていた第三支部の男には違って見えた。
「そいつに近づくな!」
肩からぶつかった。
奉徒がよろめき、道具箱へ片手をつく。
「何をして――」
振り払われた腕が、第三支部の男の胸へ当たった。
それで切れたのか。
最初からぎりぎりだったのか。
拳が出た。
頬へ入った。
乾いた音が、中庭の壁へ返る。
次の瞬間には、もう二人だけの話じゃなくなっていた。
オズワルド側から人が出る。
第三支部からも飛び込む。
止めようとした腕が胸倉を掴む形になり、振りほどいた肘が別の男へ当たる。肩から石床へ落ちた男を避けた一人が別の人間へぶつかって、そこでも怒鳴り声が上がった。
誰が止めに入ったのか。
誰が殴りに入ったのか。
途中から分からない。
鞘が石床を擦った。
刃が半分出る。
「抜かないでください!」
サイラスの声がした。
次に見た時には、彼が剣を抜きかけた男の横にいた。
途中がなかった。
さっきまで離れた場所にいたはずなのに、俺が瞬きをしたわけでもないのに、そこだけが抜け落ちたみたいに位置が変わっている。
サイラスが柄を上から押さえる。
「戻してください」
男の荒い呼吸が一度止まった。
刃が鞘へ戻る。
その反対側で、拳がもう一発入った。
鼻から赤いものが落ちる。
「止めなさい」
オズワルドの声。
大きくなかった。
それでも、彼の側の人間は止まった。
振り上げた拳を途中で下ろした男までいる。
第三支部側だけが勢いを殺しきれず、一人がまだ相手の胸倉を掴んでいた。隣の男が腕を外し、ようやく離れる。
呼吸の音。
靴が擦れる音。
石床へ血が落ちる音。
同じ紋章を胸につけた男が、二人、血を流していた。
オズワルドは鼻を押さえる自分の部下を見てから、最初に殴った第三支部の男を見る。
「サイラス」
「はい」
「最初に殴ったのは、そちらですね」
数秒。
サイラスが答えた。
「……はい」
「こちらが先に拳を出したわけではない」
「はい」
その時。
最初に殴った男が顔を上げた。
「俺がやりました」
声が震えている。
怒っているのか、怖いのか、自分でも分かっていないような顔だった。
「俺が勝手に――」
「黙っていてください」
サイラスは振り返らなかった。
男の口が止まる。
「でも、あいつらがトーマさんを連れていくって――」
「今は喋らないでください」
今度は少し強かった。
男は歯を噛み、俯いた。
拳だけは開かなかった。
オズワルドはそれを見ていた。
しばらくして、眼鏡の位置を直す。
「昔なら」
門側にいた年嵩の男が顔を上げた。
第三支部側でも、一人がオズワルドを見る。
「こういう時は、先に手を出した者を相手方へ預けた」
サイラスの眉が寄る。
「座主同士で頭を下げて、その人間の処分は相手へ任せる。それで手打ちにする。少なくとも、私が若い頃はそうでした」
「今はそんなことはしません」
サイラスが即座に返す。
「ええ」
オズワルドもすぐ認めた。
「私も、今さらそうしろとは言いません」
そこで二人の間に少し間ができた。
「だから聞いているんです」
オズワルドは血の跡へ目をやった。
「今は、どうやって収めるんです?」
誰も答えなかった。
第三支部にも。
門側にも。
昔のやり方へ戻れと言う人間はいない。
けれど、その代わりに何をすればいいかを口にする人間もいなかった。
「彼はこちらで処分します」
サイラスが言った。
「僕の指示ではありません。ただ、第三支部の人間が先に手を出した。その責任は僕が取ります」
「どうやって?」
サイラスの返事が一瞬遅れる。
「必要な処分と、負傷への補償を――」
「金が欲しいわけではありませんよ」
オズワルドは鼻を押さえている男を見る。
「これくらいで治療費をせびるほど困ってはいない」
「なら、何を求めているんです」
「次です」
サイラスの眉が寄る。
「今日、私が止めたらこちらは止まった。そちらは少し遅れた。次に同じことが起きた時も、話が気に入らなければ拳が出るんですか」
サイラスは少し黙ってから、オズワルドを見た。
「あなたの言葉も原因です」
オズワルドの眉が僅かに上がる。
「私の?」
「トーマさんを預かる。第三支部を締める。街道まで止める。そう言った直後に、あなたの部下がトーマさんの方へ動いた」
「箱を取りに行っただけです」
「分かっています」
サイラスは一度、俯いた男を見る。
「でも、彼にはそう見えなかった」
「それで殴った」
「殴っていいとは言っていません」
そこはすぐに返した。
「ただ、拳を出すまでは何もしていなかった、という話にもさせません」
オズワルドは黙る。
「人を連れていくと言う。支部を締めると言う。道を止めると言う。それで、実際に手が出た瞬間だけ切り取ってこちらに落とし前を求めるなら、僕は納得できません」
オズワルドはサイラスの顔をしばらく見ていた。
「なるほど」
それ以上は言い返さなかった。
「では、そのまま上げましょう」
「何をです」
「全部です。私が何を言ったか。こちらの人間がどこへ歩いたか。それを見て、そちらの人間がどう動いたか。誰が先に殴ったか。そのあと誰が剣を抜こうとしたか」
第一席へ、という意味だった。
「落とし前は、それまで預けます」
そこまで聞いて。
セラが動いた。
俺はその時になって、殴り合いが始まってから彼女が一言も喋っていなかったことに気づいた。
オズワルドが俺を「預かる」と言った時、腰へ寄った右手。
倒れた男。
石床の血。
ヴィクトル。
その周りへ差された黒い固定具。
順番に見ていた。
セラは一本の前で止まった。
「セラ?」
返事はない。
固定具を掴む。
引いた。
一度では抜けなかった。
手の位置を変え、足をずらして、もう一度力を掛ける。
根元の土が割れた。
金属の先端が抜ける。
門側の人間が身構える。
セラはそちらを見ない。
抜いた固定具を横へ投げた。
黒い棒は石床へ一度ぶつかり、鈍い音を立てながらオズワルドの足元まで滑っていった。
何人かの手が剣へ伸びる。
「抜かなくていいですよ」
オズワルドが言う。
まだ「私」の声だった。
セラはヴィクトルを見た。
次に救護所。
固定具が抜けた穴。
「これで何を見る」
「ヴィクトルと、あんたの関係です」
「どうやって」
「位置と魔力の流れを固定して、条件を――」
「ヴィクトルは動かすんだろう」
オズワルドが少し止まった。
「その予定でした」
「患者も」
「必要なら」
「治療する人間も変わる。これも増やす」
セラは足元へ転がる黒い棒を見た。
「昨日と違うことが起きたら、どれが原因だ」
オズワルドは答えなかった。
セラも急かさない。
少し考えてから、自分が立っている場所へ視線を落とした。
「昨日、私はここにいた。次は私だけ離れる。それでヴィクトルが変わるか見ればいい」
ヴィクトルへ目をやる。
「変わらなければ、その時に別のものを動かせばいいだろう」
オズワルドを見る。
「私を調べたいんじゃないのか」
数秒。
オズワルドはセラを見ていた。
次にヴィクトル。
救護所。
足元の固定具。
「……なるほど」
小さく息を吐いた。
その息が、途中から笑いに変わった。
「はは……いや、これは参ったな」
眼鏡を外し、目頭を指で押さえる。
部下たちは誰も笑っていない。
「そりゃ、あんたの言う通りです」
オズワルドは固定具を拾った。
「私の方が余計なものを増やしていた」
後ろへ渡す。
「残りも抜いてください」
「よろしいんですか」
「ええ。ヴィクトルも今日は動かさない。患者さんも治療も、そのまま」
部下たちが動く。
一本ずつ固定具が抜かれていく。
オズワルドはその様子を見ながら、セラへ向き直った。
「おかげで、持って帰るものもはっきりしました」
セラは何も言わない。
「ヴィクトルではない」
視線がセラへ止まる。
「あんたです」
「行かない」
「ええ」
予想どおりという顔だった。
「三日待ちます」
サイラスが反応する。
「三日?」
「第一席へ報告を上げるのでしょう。私からも上げます。アーク。バスティオン、アレーテイア、ヴィクトル。それと、今日ここで起きたことも」
オズワルドは血のついた石床を見る。
「三日後、もう一度来ます」
「第一席が止めた場合は?」
「話は聞きますよ」
「従うとは言わないんですね」
「第一席は私の上司ではありませんから」
まだ穏やかだった。
「座主の筆頭として判断は尊重する。慎重に進めるという方針にも、これまで理由はあった。ただ、第一席に判断を聞くことと、自分で考えなくなることは別です」
サイラスが何か言う前に、オズワルドの視線が俺へ移った。
セラが先に気づいた。
「三日後も断ったら?」
「その時は、来てもらう方法を考えます」
「トーマを使うのか」
少し間があった。
「必要なら」
「支部も?」
「必要なら」
「街もか」
今度は。
オズワルドの口元が少し上がった。
相手の反応を見るために、わざと一歩踏み込むような顔だった。
「儂なら、あんたが歩く理由くらい作れると思うとるよ」
初めて、一人称が変わった。
セラの目が細くなる。
「なら、やってみろ」
サイラスが横を向いた。
「セラさん」
セラはそちらを見なかった。
「トーマに触る。ここを潰す。道を止める」
一つずつ。
今度はオズワルドがさっき言ったことを、セラが返していく。
「それで私が来ると思うなら、やればいい」
オズワルドの笑みが消えた。
「ただ」
セラの手がウツロイの柄へ乗る。
「お前が欲しい形で行くとは思うな」
門側で、鞘が小さく鳴った。
オズワルドが見もしないまま片手を上げる。
音が止んだ。
「脅しますね」
「先にやったのはお前だ」
セラはそれ以上言わなかった。
しばらく、誰も二人の間へ入れなかった。
やがてオズワルドが眼鏡を押し上げる。
「では、三日後に」
「三日もいらない」
その手が止まった。
セラが一歩出る。
「人もいる。私もいる」
親指で鍔を押した。
刃が僅かに覗く。
「今やればいい」
門側の男たちが、今度は指示される前に足場を変えた。
第三支部側も動く。
サイラスだけがその場に残る。
オズワルドはセラの手元を一度見た。
「今日はやりません」
「どうして」
「あなたを壊すために来たわけではないからです」
セラは少しだけ首を傾けた。
「怖いのか」
そこで。
オズワルドの顔から、最後まで残っていたものが消えた。
眉間へ深く皺が寄り、頬の筋が浮く。銀縁眼鏡の奥で目が細くなった。
「……ガタガタ抜かすな」
声は低い。
怒鳴ってはいない。
けれど、中庭の端にいた男まで口を閉じた。
「儂が怖がっとるように見えるんなら、そう思っとけばええ」
セラは剣を戻さない。
オズワルドが一歩近づく。
「今ここであんたを叩き伏せて、縄を掛けて運ぶ。それで済むんなら、とっくにやっとる」
左手の古い傷が見えた。
「欲しいんは死体でも、折れた鍵でもない」
目がセラから外れない。
「使える状態のあんたじゃ」
「なら取ってみろ」
「煽るのう」
「取れないなら帰れ」
後ろで誰かが息を呑んだ。
サイラスがようやく口を挟む。
「セラさん。もう十分です」
セラは少しして、ウツロイを鞘へ戻した。
金属が噛み合う音が一つ。
オズワルドも数秒動かなかった。
やがて眼鏡を外す。
白い布を出して、ゆっくりレンズを拭いた。
掛け直した時には、顔も声も戻っていた。
「今日は帰ります」
部下たちが荷をまとめ始める。
抜いた固定具。
道具箱。
鼻を殴られた男も荷物へ手を伸ばした。
その時、救護所の扉が開いた。
ソフィアが出てきた。
中庭の様子を一度見回す。
まず唇を切った第三支部の男の前へ行った。
「座って」
「いや、俺は大丈夫で――」
「口、開けて」
男は諦めて口を開いた。
頬の内側と歯を確かめる。
そのままソフィアは顔だけを門へ向けた。
鼻を押さえたまま帰ろうとしているオズワルド側の男がいる。
「そこの人」
男は振り返らなかった。
「あなた」
ようやく振り向く。
「手、どけて」
「これくらいなら」
「鼻、曲がってる」
男の顔が固まった。
ソフィアは空いている椅子を指した。
「座って」
男がオズワルドを見る。
オズワルドは顎で椅子を示した。
「行ってきなさい」
「……はい」
さっき殴り合った二人が、二席ほど間を空けて座った。
互いに顔を向けない。
ソフィアはどちらが先に殴ったのかも、何で揉めたのかも聞かなかった。
唇を切った男の顎を触り終えると、鼻の男へ移る。
「次に怪我人が出たら」
鼻へ指を添えながら言った。
オズワルドが門の手前で止まった。
「揉め事が終わるまで待たせないで。血が出た時点で連れてきて」
ソフィアは彼を見ていない。
「悪くなってから看せられる方が困る」
オズワルドは少しだけ黙った。
「……覚えておきます」
「上向いて」
もう返事を待っていない。
男の鼻へ手を掛ける。
「ちょっと痛いよ」
「え」
鈍い音と一緒に、男が呻いた。
ソフィアは何事もなかったように位置を確認している。
オズワルドはそれを最後まで見ず、門を出た。
―――
第三支部の建物が街並みに隠れる頃には、空がかなり赤くなっていた。
オズワルドは街道の途中で歩みを緩めた。
後ろには、今日中庭へ入った者と、外で待機していた者が混じっている。
しばらく誰も喋らなかった。
やがて、一人が横まで出てくる。
中庭で最後まで剣へ手を掛けなかった若い男だった。
「オズワルド様」
「何です」
口調は少し戻ってきた。
「本当に三日、待たれるんですか」
「待つわ」
「第一席の返答を?」
「それもあるの」
オズワルドは手袋についた土を払った。
「こちらも準備が要ります」
男は少し迷ってから、また聞いた。
「第一席から、中止するよう言われた場合は」
「話は聞く」
「それでも……行かれるおつもりですか」
オズワルドはすぐには答えなかった。
前を歩いていた者たちも、聞こえていないふりをして歩調を少し落としている。
「今日」
オズワルドが口を開いた。
「剣へ手を掛けた者は何人いた?」
男が記憶を辿る。
「こちらが……四人。第三支部側は、見えた範囲では三人です」
「先に拳を出したんは」
「第三支部です」
「サイラスは?」
「止めました」
「儂も止めた」
オズワルドは前を向いたまま歩く。
「それで今日は終わった」
男は返事をしない。
「三日後も、そうなると思うか」
今度は答えがなかった。
オズワルドも催促しない。
少し先に、今日中庭へ入らなかった者たちと荷車が待っている。
そこへ近づく前に、また口を開いた。
「武器は持って来いよ」
男の足が僅かに止まる。
「……武器を」
「おう」
「固定具もですか」
「全部持ってこい。じゃが、勝手に使わんでくれえや。今日みたいに、こっちから余計な条件を増やす気はないけえの」
男は頷いた。
それから声を落とす。
「第三支部が抵抗した場合は」
オズワルドが足を止めた。
振り返る。
「今日、向こうが先に手を出したでしょう」
口元は少し笑っていた。
「落とし前も、まだついとらん」
後ろにいた者たちが黙る。
「第一席には報告する。止めるいうなら理由も聞く。サイラスが退くなら、それでもええ。セラが自分から来るんなら、なおええ」
眼鏡を外した。
今度は布を出さない。
「じゃが、サイラスが退かん。セラも残る。第三支部も向こうにつく」
若い男が喉を鳴らした。
「その時は、もう話し合いじゃない」
少しして。
男が聞いた。
「……では、三日後は」
オズワルドはもう歩き出していた。
肩越しにだけ、返した。
「戦争じゃ」




