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最強女騎士は、あと百二十日で壊れる ~粗探ししかできないハズレスキル《不具合鑑定》の俺だけが、それに気づいた~  作者: 出水克幸
勝利譌�ヴィクトル編

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第五十五話 待てない者

診療所を出たあとも、娘の声が耳に残っていた。


――じゃあ起きる?


廊下を曲がる。


外へ出るところで、セラが一度だけ後ろを見た。


扉はもう閉まっている。


俺も止まらなかった。


カイは肩をもう一度診てもらうと言って、診療所に残った。


インクスは、昨日持ち帰ったヴェスパルの翅(はね)を一枚抱えて工房へ引っ込んでいる。


帰りの荷馬車でも、何度も日に透かしていた。


薄さや形だけを見ていたわけじゃない。


どこから魔力が入り、翅の中をどう巡って、どこで外へ逃がしているのか。


あれだけ重い身体を浮かせるのに、翅と魔力がどう噛み合っているのか。


途中からずっと、そればかり考えていた。


ヴィクトルもまだ弄り足りないらしく、


「蜂が終わったら、あっちももう一度見たいな」


と言っていた。


たぶん今頃、翅を切る前に魔力を流せないか試して、工房の誰かに嫌な顔をされている。


サイラスは、俺たちより少し後ろを歩いていた。


外へ出たところで職員に呼び止められる。


差し出された紙へ目を通した。


「エーリヒさんが入っていた護衛は外してください」


「今日の南便もですか?」


「ええ」


「代わりがまだ見つかっていません」


サイラスが紙から目を上げる。


「昨日より人数を減らしたまま出す方が危ないでしょう」


職員が黙った。


「便を分けてください。一度に運ぶ荷を減らしても構いません」


「それだと、東の街への到着が――」


「遅れますね」


サイラスは否定しなかった。


紙の予定時刻を指でなぞる。


「急ぐ薬と食料を先に。残りは次便へ回してください」


「分かりました」


「護衛が揃わないまま、積めるだけ積んで出すのはやめましょう」


職員が紙を抱えて走っていく。


入れ替わるように、今度は二人来た。


境界石の修繕予定。


北側の人員がどうとか、石材が足りないとか。


サイラスは立ったまま聞いていた。


俺は待ちながら鞄へ手を入れた。


布包みが指に当たる。


昨日、統率蜂の腹から抜いたもの。


エーリヒのことで、すっかり後回しになっていた。


「サイラスさん」


呼ぶと、話の途中だったサイラスがこちらを見る。


「すみません。これ、後で見てもらえますか」


布を少し開いた。


黒い粉が指へ付く。


その中から、細長い黒い異物が覗いた。


サイラスの目が止まった。


ほんの一瞬だった。


けれど、それまで職員へ向けていた顔とは明らかに違った。


「……どこで、それを」


「昨日のヴェスパルからです」


職員の一人が口を開きかける。


サイラスが片手を上げた。


「すみません。その件、少し待ってください」


「ですが、午後から石工が――」


「南側の人員だけ押さえておいてください。残りは後で僕が見ます」


視線は俺の手元から動かない。


「少し急用ができました」


二人の職員が顔を見合わせた。


それ以上は何も聞かず、離れていった。


サイラスはすぐ歩き出した。


「こちらへ」


いつもより速い。


通されたのは、第三支部の二階にあるサイラスの執務室だった。


机の上には開いたままの帳面。


壁にはジェノベック周辺の地図。


扉を閉める。


鍵までは掛けなかった。


俺は机の端へ布を広げた。


黒い粉。


その中央に、昨日抜き取った異物。


サイラスは椅子にも座らず、手袋をしたまま摘み上げた。


先端を見る。


崩れた側面。


断面。


指先で軽く擦ると、また黒い粉が落ちた。


何も言わない。


だから俺から話した。


「統率蜂の腹に入ってました」


「一匹だけじゃない」


セラが横から続ける。


「確認した統率蜂には、全部入っていた」


「兵隊蜂にはありませんでした。少なくとも、俺たちが見た範囲では」


サイラスの指が止まる。


顔は上げない。


「鑑定もしました」


俺は続けた。


「《命令保持部――破損》」


「《保持可能情報量――極小》」


「《複雑命令――保持不能》」


「そこで切れました」


サイラスはまだ黙っている。


俺はそのまま言った。


「複雑な命令は入らない。だから、たぶん単純なものだけです。街道へ行けとか、荷馬車を襲えとか」


「それで足りる」


セラが言った。


「統率蜂が動けば、兵隊蜂はついてくる」


「群れ全部へ刺す必要がない」


「数匹でいい」


俺は昨日の空を思い出していた。


百を越えていたかもしれない黒い群れ。


あれ全部に一本ずつ仕込むのは、現実的じゃない。


「それと」


セラが異物を見下ろす。


「小さすぎる」


サイラスがようやく顔を上げた。


「以前見たものは、もっと大きかった」


セラが言う。


「これは腹の奥まで探さないと出てこない」


「昨日、普通に死骸を片づけていたら気づいてません」


俺が続けた。


「見つけてほしくなかったんだと思います」


そこまで言って、止まった。


サイラスが俺たちを見ていた。


黒い異物を摘まんだまま、少しの間、動かなかった。


「……ほとんど合っています」


ようやく言った。


椅子の背へ片手を置く。


「一つだけ違うのは、順番です」


「順番?」


「これは、小さく作られたものではありません」


サイラスは異物を机へ戻した。


「小さく作り直されたものです」


俺とセラが同時に見る。


「これは操獣杭(そうじゅうくい)と呼ばれているものです」


サイラスが言った。


「獣を操ると書いて、操獣杭」


黒い異物を指す。


「空座が保有している黒杭の一つです」


部屋が静かになった。


セラの姿勢が少し前へ傾く。


サイラスはそれを見ていた。


「先に言っておきます」


一度、息を吐いた。


「信じてもらえないと思いますが、これを使ったのは僕ではありません」


セラは返事をしなかった。


俺もだった。


サイラスが小さく頷く。


「そうなりますよね」


言い訳は続けなかった。


代わりに、机の上の異物をもう一度指した。


「操獣杭は、本来これの三倍くらいの大きさです」


指で長さを示す。


「命令を保持する部分と、魔獣の身体へ固定する部分。その両方が必要ですから」


「これは?」


「保持部だけ残して、あとを削ってあります」


サイラスは断面を示した。


「固定も最低限。抜けない程度に留めてある」


「抜けたら?」


「命令は切れるでしょうね」


あっさり言った。


「その危険を承知で、見つからない方を取っている」


俺はもう一度異物を見た。


さっきまでと同じものなのに、少し違って見えた。


「誰が作り直せるんです」


サイラスはすぐには答えなかった。


椅子を引く。


座らず、背に手を置いたままだった。


「オズワルド・クレイン」


名前が出た。


「座主の一人です」


「座主って、八人の」


「ええ」


サイラスは頷いた。


「黒杭の管理は、彼のところで見ています。用途ごとに形を変えるのも、彼の仕事です」


セラが聞く。


「そいつが昨日の街道にいたのか」


「いいえ」


返事は早かった。


「彼は現場に出ません」


「なぜ言い切れる」


「出たことがないからです」


それ以上は説明しなかった。


説明する気もなさそうだった。


「なら誰だ」


セラが言う。


サイラスは黙った。


机の黒い異物を見ている。


長かった。


「サイラスさん」


俺が呼ぶ。


「隠し立てはしないって、言いましたよね」


サイラスが目を上げた。


少し困ったような顔だった。


「言いました」


もう一度、異物へ視線を落とす。


「ただ、今からするのは仲間を疑う話です」


「それは分かってます」


「ええ」


サイラスは椅子の背から手を離した。


「オズワルドの考え方に近い者が、何人かいます」


「何人か、じゃ分からない」


セラが言った。


また少し間が空いた。


「マーク」


一つだけ出した。


「名前は、今はそこまでにさせてください」


セラの目が細くなる。


「庇うのか」


「違います」


はっきり否定した。


「僕がまだ確かめていないだけです」


「確かめてどうする」


「確かめてから話します」


セラはしばらくサイラスを見ていた。


それ以上は追わなかった。


俺は話を戻した。


「なぜ、ヴェスパルなんです」


サイラスが顔を向ける。


「操獣杭は、どんな魔獣にも効くわけではありません」


指先で異物の端へ触れた。


「知能が低いものほど、強く行動を曲げられます」


「高いと?」


「拒むものもいます」


サイラスは窓の方へ一度目をやった。


「自我が強ければ、杭の命令より自分の判断を通す」


「じゃあ、群れは」


「群れは別です」


そこで少し声が変わった。


「群れを作る魔獣には、長へ従う性質がある。逆に言えば、下の一匹を操っても誰もついてこない」


セラが言った。


「統率蜂なら違う」


「ええ」


「元から、兵隊蜂がついてくる」


サイラスが頷いた。


「頭だけ押さえれば済む。複雑な命令も要らない」


俺の中で、昨日の鑑定結果と繋がった。


《複雑命令――保持不能》。


保持できないんじゃない。


保持する必要がなかった。


「それと」


サイラスが続ける。


「この辺りの林には、元からヴェスパルの巣があります」


指で地図の東側をなぞった。


「そこにいて当然の魔獣が、たまたま荷馬車を襲った」


「……そう見える」


俺が言うと、サイラスは否定しなかった。


セラが黒い異物へ視線を落とした。


しばらくして、


「そこまでして」


と口にした。


サイラスが見る。


「なぜ、こんな手間を掛ける」


声は低かった。


俺も同じことを考えていた。


セラを殺したいなら、もっと直接やればいい。


薬を運ぶ荷馬車ごと襲わせる必要もない。


サイラスはすぐには答えなかった。


窓へ歩いた。


外にはジェノベックの街。


荷車。


人。


第三支部の旗。


「殺すことが目的なら」


こちらを見ないまま言う。


「もっと確実な手段を選ぶと思います」


セラの顔がわずかに動いた。


「では何だ」


「自然に見せたかった」


サイラスが答えた。


俺は眉を寄せた。


「自然に?」


「昨日の街道に、空座の人間が直接現れたらどうなります」


俺は少し考えた。


「警戒します」


「セラさんも」


「当然だ」


セラが答える。


サイラスが頷いた。


「相手に意図があると分かっていれば、選ぶ行動も変わる」


窓から机へ戻る。


「ですが、そこに元からいる魔獣が襲ってきたら」


返事はなかった。


昨日。


セラは迷わず剣を抜いた。


薬を待つ村があった。


荷馬車を守る人間がいた。


だから戦った。


サイラスは黒い異物の上へ視線を落とす。


「作り物だと知らない危機の中で、セラさんが何をするのか」


言葉を切った。


「それを見たかったのだとすれば、筋は通ります」


俺の背中が冷えた。


「……戦わせるため?」


サイラスは答えなかった。


代わりに、俺の腰の辺りへ目を向けた。


いや。


その隣。


セラのウツロイ。


セラも気づいた。


「剣を使わせるためか」


「可能性はあります」


セラは何も言わなかった。


ただ、腰の剣帯へ一度指を掛けて、すぐ離した。


サイラスが椅子を引いた。


今度は座る。


「この話を続けるなら、もう一つ知ってもらう必要があります」


俺は顔を上げた。


「空座には、今、大きく二つの寄り方があります」


「寄り方?」


「正式な派閥名があるわけではありません」


サイラスは机の端へ異物を寄せた。


「分からないものは、分かるまで見る。静観寄り」


少し間を空ける。


「待っていて進まないなら、こちらから条件を作る。介入寄り」


セラが言う。


「オズワルドは後者か」


「ええ」


サイラスは頷いた。


「その中でも、かなり強硬な方です」


「あなたは」


セラの問いに、サイラスはすぐ答えなかった。


「本来なら、静観寄りです」


本来なら。


その言葉が引っかかった。


けれど、サイラスは先へ進んだ。


「なぜ、そこまでして反応を見ようとするのか」


異物へ視線を落とす。


「それを説明するには、セラさん自身の話になります」


セラは何も言わない。


サイラスの視線が俺にも向いた。


「聞けば、知らなかった頃には戻れません」


少し間があった。


「覚悟はありますか」


セラはしばらくサイラスを見ていた。


それから椅子を一つ引いた。


座る。


腰のウツロイを邪魔にならない位置へずらした。


「続けろ」


サイラスが小さく頷いた。


「僕たちは、神造兵器の力を《恩恵》と呼んでいます」


「神造兵器は全部で八つあります」


サイラスの指が机をゆっくりなぞる。


「敵を断つ力を持つ、断界剣(アーク)」


一つ。


「攻撃を退け、人を守る、城護盾(バスティオン)」


もう一つ。


「真実を残し、嘘を抑止へ変える、真実鎖(アレーテイア)」


一度、指が止まる。


「そして、人を死の手前から引き戻す、勝利旗(ヴィクトル)」


サイラスの声が、そこで少しだけ遅れた。


今朝、寝台に横たわっていたエーリヒが浮かぶ。


人を死の手前から引き戻す。


傷が消えたあとに倒れた男を見たばかりだと、その言葉は前ほど簡単には聞こえなかった。


「ほかにも四つあります」


サイラスは続ける。


「八つは本来、国ごとに奪い合うためのものではなかったとされています」


セラが黙って聞いている。


「必要な恩恵を、必要な場所へ。それぞれの力を補い合わせて、世界全体の均衡を保つ」


窓の外へ目を向けた。


「戦を止める力が必要な場所にはアーク。守るべき場所にはバスティオン。嘘が争いを生む場所にはアレーテイア。傷ついた人の多い場所にはヴィクトル」


間が空く。


「昔は、それで平和を保とうとしていた」


「今は違うんですか」


俺が聞くと、サイラスの口元がわずかに歪んだ。


「今は、恩恵が国境を越えなくなりました」


声に、初めてはっきりと嫌悪が混じった。


「神器を持っている国が、自国の権力を守るために使う」


指が机を叩く。


「自分たちだけを豊かにするため」


もう一度。


「周りの街や国より有利に立つため」


サイラスは俺たちを見なかった。


「アークを持つ国は、それを自国の軍事力にする。バスティオンを持つ国は、その内側だけを守る」


指が止まる。


「一つの国が神器で栄えれば、隣の国はそれを恐れる」


少し息を吐く。


「なら自分たちも、自分たちの神器をもっと使う」


視線が壁の地図へ落ちた。


「平和のために残されたものが、そのまま争う理由になっている」


吐き出すようだった。


「……僕は、そんな世界を変えたいんです」


静かな声だった。


セラは椅子から立たなかった。


ただ、顔だけをサイラスへ向けた。


「貴様も同じじゃないのか」


サイラスの視線が上がる。


「ヴィクトルをここへ持ってきた」


セラは窓の外を見る。


「人を治した。働ける人間を増やした」


その先には街がある。


「この街は栄えた」


サイラスは答えない。


「この国も、ヴィクトルの恩恵を受けている」


セラの視線が戻る。


「何が違う」


部屋が静かになった。


俺にも答えが浮かばなかった。


さっきまでサイラスが嫌悪していたものと。


今、この街でやっていること。


境目が分からない。


サイラスは窓の外を見た。


すぐには喋らなかった。


「……違わない部分があります」


ようやく答えた。


セラは何も言わない。


「僕がヴィクトルを持ち込んだことで、ジェノベックは他の場所より救われた」


サイラスは机へ片手を置く。


「それは事実です」


「なら同じだ」


「ええ」


否定しなかった。


セラの眉が少し動いた。


「少なくとも、今は」


サイラスが続ける。


「僕も、恩恵を一つの街へ偏らせている」


セラはまだ見ている。


「それでも使うのか」


「使います」


今度は迷わなかった。


「目の前で助けられる人を、世界全部へ同時に届けられないからという理由で見殺しにはできません」


セラが少し息を吐いた。


「都合がいいな」


サイラスは返さなかった。


異物へ視線を落とす。


それから、


「だから、この状態を完成形だとも思っていません」


と言った。


「僕は、ここだけで終わらせるつもりはありません」


セラは窓の外を見た。


「今はここだけだ」


サイラスが黙った。


しばらくして、俺が聞いた。


「完成形って?」


サイラスは地図を見た。


「神器を持つ国だけが恩恵を独占する世界を終わらせる」


ゆっくり顔を上げる。


「八つの恩恵を、もう一度一つにする」


セラの目が少し細くなった。


「一つに?」


「それが、空座の上で共有されている目的です」


俺の中で、今までの話が少しずつ繋がる。


「それに、セラが必要なんですか」


サイラスは黙った。


一度だけ。


それから、セラを見た。


「空座では」


声が落ちた。


「セラさんを《鍵》だと考えています」


セラの顔は変わらなかった。


俺の方が、息を止めていた。


《機能――統制鍵》


あの表示を見たのは俺だ。


誰にも言えなかった。


ソフィアに話したのが、昨日。


それを今、サイラスが同じ言葉で言った。


「八つを繋ぐ鍵か」


セラが言った。


こちらを見ない。


サイラスは、


「その可能性が高い」


とだけ答えた。


「何をすれば繋がる」


「分かりません」


セラの眉がわずかに寄る。


「どうすれば鍵として反応するのか」


サイラスは自分の手元を見た。


「どの神器と、どう接続するのか」


そこで止める。


「その先で何が起こるのかも、まだ」


「なのに鍵だと考えているのか」


「集めた情報を並べると、そう読むほかありませんでした」


セラが椅子へ背を預けた。


「だから意見が割れた」


俺が言うと、サイラスが頷いた。


「ええ」


「静観寄りは、反応するまで待つ」


「そうです」


「介入寄りは」


その先は口にしなくても分かった。


机の端に、黒い異物がある。


セラもそちらを見た。


「反応しないなら、反応する状況を作る」


サイラスは否定しなかった。


オズワルド。


マーク。


ヴェスパル。


削られた操獣杭。


さっきの答えが、今度はもっと嫌な形で繋がった。


「昨日のことは」


俺が言いかける。


サイラスが顔を上げた。


「まだ断定はしません」


「でも」


「疑う理由は、かなり増えました」


布の端へ触れる。


「危機を作り」


セラが呟く。


サイラスは黙っている。


「私をそこへ置く」


指が膝の上で一度動く。


「私が剣を使う」


また止まる。


「見る」


サイラスの返事はなかった。


その沈黙で十分だった。


外で鐘が鳴った。


一度。


部屋の中は動かない。


「以前は」


サイラスがようやく口を開いた。


「待つという意見の方が、もっと強かったんです」


俺は見る。


「長く観察しても、鍵は反応しなかった」


手袋の指先を擦る。


「ですが、最近になって大きな反応がありました」


ラグナが浮かんだ。


裁定院の地下も。


「止まっていた時計が、動き出したように見えたんでしょう」


セラが聞く。


「今は」


答えるまで少し掛かった。


「介入寄りが増えています」


「増えた?」


「ええ」


サイラスは俺たちを見る。


「反応を待つのではなく、与えるべきだと考える側が多い」


腹の奥が冷えた。


「あなたは」


セラが聞く。


「僕は静観寄りです」


そこだけは迷わなかった。


「何かを動かせば、そのぶん別の場所に歪みが出る」


壁の地図を見る。


「どこへどんな形で出るか分からない以上、僕は先に見ます」


セラはしばらくサイラスを見ていた。


「でも、止められてない」


「ええ」


サイラスは否定しなかった。


机の上の異物を布で包む。


「少なくとも誰かは、もう待つ必要がないと判断しています」


布の端を折った。


「次は何をしてくる」


俺が聞いた。


サイラスの手が止まる。


「分かりません」


「何も?」


「分からないからこそ、です」


俺は意味が分からず待った。


サイラスは布から手を離した。


「鍵の反応条件を、向こうも知らない」


セラの表情が少し変わる。


「だから、試すものが決まっていない」


「魔獣だけとは限らない」


サイラスは答えなかった。


窓の外へ目を向ける。


街。


道。


人。


「戦わせるかもしれない」


低い声だった。


「別の神器へ近づけるかもしれない」


間が空く。


「人を巻き込んで、セラさんが動かざるを得ない状況を作るかもしれない」


エーリヒの娘が浮かんだ。


ラズウェルの子どもたちも。


「そんなの」


言葉が止まった。


サイラスは俺を見ない。


「昨日の件を見る限り、僕も楽観はできません」


セラが立ち上がった。


引いた椅子へ手を掛ける。


戻しかけた手が、一度だけ止まった。


それでも何も言わず、椅子を机の下へ戻した。


「サイラス」


「はい」


「介入寄りの連中は」


机の黒い包みを見る。


「私を壊してもいいと思っているのか」


俺の足が止まった。


サイラスもすぐには答えなかった。


「全員が、ではありません」


セラの視線が上がる。


「いるんだな」


「……います」


それ以上は続かなかった。


サイラスが呼び鈴を鳴らす。


職員が入ってきた。


「南街道の護衛を増やしてください」


「今、人が足りないと――」


「便を分けた分を回します」


壁の地図を指した。


「境界石も南側から。北は一本遅らせてください」


職員が書き留める。


「昨日のヴェスパルは?」


「まだ処理中です」


「統率蜂は焼かないでください」


包んだ異物を見る。


「腹の中を確認して、同じものがあれば全部こちらへ」


「分かりました」


職員が出ていく。


俺は自分の分を包み直した。


「それは」


「欠片だけ頂けますか」


全部渡そうとして、やめた。


端の崩れた部分だけを少し分ける。


「インクスにも見せます」


「その方がいいでしょう」


サイラスは欠片を受け取った。


「彼なら、僕が見落とすところも見るかもしれませんから」


セラが先に扉へ向かった。


俺も後を追う。


扉へ手を掛けたところで、サイラスの声がした。


「セラさん」


セラは振り返らない。


「今日は、できれば第三支部の近くにいてください」


「私を隠すのか」


「いえ」


サイラスは少し考えた。


「何か起きた時、僕が届く場所にいてほしい」


セラは返事をしなかった。


扉を開ける。


廊下へ出た。


少し歩いたところで、腰の剣を直す。


いつもの動作だった。


昨日、鞘を一度外した指。


エーリヒの寝台。


娘が握っていた手。


そして今聞いた、鍵。


俺はまだ何も言っていない。


セラは前だけを見て歩いていた。


後ろで、執務室の扉が静かに閉まった。

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