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最強女騎士は、あと百二十日で壊れる ~粗探ししかできないハズレスキル《不具合鑑定》の俺だけが、それに気づいた~  作者: 出水克幸
勝利譌�ヴィクトル編

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第五十一話 出がらしの茶

ソフィアと別れてから、まだそれほど経っていなかった。


中庭には昼の光が薄く残っている。


セラが左肩を回していた。


少し歩いて止まり、今度は右脚へ体重を乗せる。


治ったところを確かめるような動きを、さっきから何度か繰り返している。


俺は少し離れたところから見ていた。


その時、鐘が鳴った。


一度。


間を置かず、もう一度。


中庭の空気が変わった。


灰色の服を着た男が、抱えていた木箱をその場へ下ろした。


炊事場から誰かが飛び出してくる。


「担架、あと二つ!」


「東の倉庫へ回せ!」


門から駆け込んできた警備兵と、外へ出ようとする灰色の服がぶつかりそうになった。


「屋根にもいる! ヴェスパルだ!」


「警備隊は?」


「もう向かっている!」


声があちこちで重なる。


壁際に積んであった槍がまとめて持ち出され、治療所から包帯を抱えた女が走っていった。


今朝と同じ魔獣だった。


セラの手がウツロイへ伸びる。


俺の頭には、ついさっきのソフィアの声が残っていた。


今日、あの子を戦わせないで。


「セラ――」


呼んだ時には走り出していた。


俺も追う。


カイが少し遅れて続いた。


インクスはヴィクトルの前でしゃがんでいたが、鐘と俺たちを交互に見て立ち上がった。


「また蜂?」


「多分!」


「この街、剣を見る時間がないよ」


何が不満なのかは分かった。


分かりたくなかったけど。


―――


東倉庫へ着いた時には、ほとんど終わっていた。


最後の一体が屋根から落ちるところだった。


槍が腹へ入り、その横から剣が翼を断つ。


地面へ転がったヴェスパルへ、警備兵が数人まとめて飛びかかった。


少し離れたところでは、灰色の服の男たちが倒れた人間を引っ張り出している。


路上に三体。


屋根の端に一体。


もう動いているものはいない。


セラはウツロイの柄へ手を掛けたまま止まった。


抜く必要はなかった。


すぐ横を担架が通る。


「すみません、そこ!」


俺たちは道を空けた。


少し向こうで、男が槍を地面へ立てて息を整えている。


エーリヒだった。


額から汗が流れている。


服は汚れているが、怪我はなさそうだ。


「エーリヒさん」


俺に気づいた。


「ああ」


まだ息が整っていない。


片手だけ上げる。


そこで、俺は腰元を見た。


剣がない。


代わりに持っている槍には、警備隊の印が入っている。


あの剣は。


修理工房の帳面が頭に浮かんだ。


三度。


聞こうとしたところへ、担架を持った二人が間を抜けていく。


エーリヒもすぐ、倒れたヴェスパルの方へ戻っていった。


今じゃない。


俺もそのまま見送った。


セラはまだ戦場を見ていた。


少し遅れてカイが来る。


倒れたヴェスパルの周りに、若い警備兵が三人集まっていた。


一人が後脚を掴んで引こうとする。


死骸の腹が、びくりと縮んだ。


カイの足がそちらへ向いた。


「そこ、触らない方がいいですよ」


警備兵の手が止まる。


「え?」


カイはヴェスパルの後ろへ回らず、横からしゃがみ込んだ。


落ちていた槍の柄で腹部を軽く押す。


もう一度、尾の先が動いた。


細い針が土を掻いた。


「こうゆう毒を武器にする魔獣は死んでもしばらくその部位は動きます。先に針を落としてから運んでください」


「これ、まだ刺すんですか」


「腹が縮めば出ます」


若い警備兵たちは顔を見合わせた。


どうやら誰も慣れていないらしい。


カイが槍を返す。


「上から押さえてください。手は近づけないで。根元を切れば大丈夫です」


一人が言われた通り腹を押さえる。


もう一人が慎重に刃を入れた。


カイはそのまま隣の死骸へ歩いていく。


誰かに頼まれたわけでもない。


インクスがその背中を眺めた。


「ケケ。君、頼まれる前から働くんだね」


カイは聞こえていたはずだが、返事はしなかった。


もう次の警備兵に何か説明している。


俺たちはもう少し奥へ進んだ。


倒れた荷車の脇にサイラスがいた。


戦ってはいなかったらしい。


周りに何人も集め、壊れた車軸を指さしている。


「荷は一度全部降ろしてください。これはこのまま動かさない方がいい」


灰色の服の男が荷台へ上がる。


別のところから声が飛ぶ。


サイラスはそちらへ顔だけ向けた。


「屋根は後で構いません。雨も来ませんから。先に倉庫の入口を開けてください」


声を荒げているわけではない。


それでも、言われた方はすぐ動いた。


俺たちに気づいたのは、そのあとだった。


「また来てくださったんですね」


「何もしてませんけど」


実際、着いた時には終わっていた。


サイラスは倒れたヴェスパルを一度見た。


「それでも、ありがとうございます」


それからセラへ目を向ける。


左肩から右脚まで、軽く視線が動いた。


「もう大丈夫なんですね」


セラが左肩を一度回す。


「今のところは」


サイラスが頷いた。


セラがそのまま口を開く。


「聞きたいことがある」


「僕にですか?」


「空座について」


俺は思わず周りを見た。


担架が横を通り、向こうでは荷車を起こそうとしている。


屋根の上から割れた瓦まで落ちてきた。


今?


「セラ、今は――」


言いかけたところで、サイラスが先に周囲を見渡した。


警戒したようには見えなかった。


ただ、今この場で話す余裕がないことは本人が一番分かっているらしい。


「構いません。ですけど――」


泥のついた手袋を少し持ち上げる。


「見ての通り、今ちょっと手一杯でして。あとでもいいですか?」


セラは俺を見なかった。


「いつならいい」


「夕方には戻れると思んいます」


また向こうから呼ばれる。


サイラスはそちらへ返事をしてから、


「第三支部に来ていただけますか。お二人が来られることは、僕から伝えておきます」


と言った。


もう次の荷車へ向かっている。


俺も、それ以上セラには何も言わなかった。


第三支部へ戻ってからも、カイは来なかった。


警備隊の方で、まだ死骸の処理やら何やらを手伝っているらしい。


インクスも途中で消えた。


最後に見た時には、壊れた荷車の金具を裏返していた。


工具まで出していたから、当分戻ってこないと思う。


俺とセラは第三支部の中庭で待った。


座っているだけだと、今まで見えていなかったものが目に入る。


灰色の服ではない人間が、思ったより多い。


薪を割っている男。


食事を運んでいる女。


壊れた椅子へ新しい脚をつけている老人。


荷箱の数を帳面へ書いている若い男。


胸に空座の紋はない。


作業が終わると、灰色の服の世話役が帳面を確認し、銅貨を渡している。


別の男は、銅貨ではなく食事を受け取って帰っていった。


全員が空座の人間というわけでもないらしい。


日が傾いてから、サイラスが戻ってきた。


昼に見た時より、さらにひどい格好だった。


裾は泥を吸って重くなり、片膝から脛《すね》にかけて茶色く汚れている。


袖は肘まで黒ずみ、乾いた泥の上からまた濡れた泥がついていた。


手袋の縫い目にも土が入り込んでいる。


髪には細かな埃まで残っていた。


どこかで一度、荷車の下にでも潜ったんじゃないかと思う。


本人はあまり気にしていないらしい。


「お待たせしました」


俺たちを見る。


「お二人だけですか」


「カイさんはまだ向こうです」


「なるほど」


「インクスさんは……」


少し考える。


「多分まだ何か触ってます」


サイラスは一度黙った。


「では、そのうち戻ってくるでしょう」


探しに行こうとは言わなかった。


建物の奥へ案内される。


突き当たりの扉を開けた。


「こちらにどうぞ。一応、応接室として使っているんですが」


中を見る。


木の机。


椅子が四脚。


壁際に棚が一つ。


小さな窓。


それだけだった。


絵もない。


花もない。


床も廊下と同じ石張りだ。


一応、という言葉がよく分かった。


サイラスは棚から茶器を出した。


手袋を外すかと思ったが、汚れている外側だけを布で拭って、そのまま湯を入れる。


俺とセラの前へ杯が置かれた。


俺は中を見た。


色が、かなり薄い。


多分、顔に出た。


サイラスが俺を見て、それから自分の杯を覗く。


「ああ、すいません」


少し笑った。


「出がらしです。今日は何度も淹れてしまって」


自分の分はそのまま飲む。


セラは杯を一度見ただけだった。


手を伸ばさない。


俺もまだ飲まなかった。


サイラスは泥のついた袖が机へ触れないよう、少し身体を引いて座った。


「空座について、でしたね」


セラが頷く。


「空座について、特に隠し立てすることはないのですが」


俺たちを見比べる。


「どこから話しましょうか」


俺が先に口を開いた。


「そもそも、空座って宗教なんですか?」


「そう思われることは多いですね」


「実際は?」


「宗教ではありません」


サイラスは茶器を置いた。


「特定の神を奉ったり、その神の教えに従うことを求めたりする集まりではないんです」


少し考えてから続ける。


「祈る人はいます。祈らない人もいます。それは、その人自身のものですから」


俺は外の炊事場へ一度目をやった。


「じゃあ、何の集まりなんです?」


「元々は、行き場を失った人間《ひと》が集まって、互いに助け合うための集まりでした」


「でした?」


サイラスが少し笑った。


「空座を立ち上げて、運営していくうちに人が増えました」


窓の外へ目を向ける。


「人が増えれば、一つの場所では面倒を見きれません。いくつかのまとまりを作って、それが少しずつ大きくなり、今の支部として機能するようになりました」


第三支部。


名前の意味が、少し違って聞こえた。


「食事を出すだけでも決めることが増えます。施療《せりょう》も、寝床も、仕事の紹介もそうです」


サイラスが自分の泥だらけの手袋を見る。


「何百、何千という人が関われば、誰が判断して、誰が動くのかを決めないと回らなくなる」


そこで少し言葉を切った。


「本当は、序列なんてつけるべきではないんでしょう」


声が少し低くなる。


「でも、組織として大きくなりました。ですから、統率を取るために役目を分けています」


「どういう役目なんです?」


「座主、導師、奉徒《ほうと》、祈徒《きと》。大きく分ければ、その四つです」


サイラスは順番に説明した。


座主は全体の方針や大きな判断に関わる。


導師は支部や人をまとめる。


奉徒は各地へ出たり、現場で動くことが多い。


祈徒は空座の活動に参加している人たちで、炊き出しや配給、施療所の手伝いに入る者もいる。


「祈徒って、宗教っぽい名前ですよね」


俺が言う。


「そこは僕も否定できません」


少しだけ笑った。


「古くから残っている呼び方なんです。祈徒になったからといって、何かを信仰しなければならないわけではありませんよ」


セラが聞いた。


「座主というのは?」


「一番上の役目です」


サイラスは少し姿勢を正した。


「僕も末席ながら、座主の一人として席を預からせてもらっています」


「何人いる」


「八人です」


セラはそれだけ聞いて、何も続けなかった。


俺も名前までは聞かなかった。


代わりに、中庭で気になっていたことを聞く。


「ここで働いてた人たちも、祈徒なんですか?」


サイラスが窓の外を見る。


「ああ、いえ。全員ではありません」


「空座と関係ない人もいるんです?」


「半分くらいはそうですよ」


少し身を乗り出した。


「仕事がない方へ、こちらの仕事を回すことがあります」


俺も外を見る。


昼間、薪を運んでいた男はもういない。


「炊き出しも、清掃も、荷運びも、基本は善意で手伝っていただいています。無償の方も多いです」


「それだけで回るんですか」


「回らない日があります」


返事が早かった。


「そういう時は仕事として人を入れます。依頼する側が払えるだけ払って、足りない分はこちらの寄付金から補う」


「働く人には?」


「相場から大きく外れないようにはしています」


そこでサイラスが少し声を落とした。


秘密でも話すように俺へ顔を寄せる。


「その方が、仕事がない人を減らせますから」


少しだけ、得意そうだった。


「施しを受け取り続けるのを嫌がる人もいますしね」


それ以上は説明しなかった。


外では、作業を終えた男が世話役から銅貨とパンを受け取っている。


空座は人を集めている。


そこは変わらない。


でも、集まった人間へ仕事まで作っているとは思っていなかった。


セラも窓の外を見ていた。


何を考えているのかは分からない。


俺は別のことを思い出した。


「ソフィアさんは?」


サイラスの顔が少し変わった。


嫌そうではない。


困っている。


「空座の人じゃないんですよね」


「ええ」


やっぱり。


治療衣に紋がなかった。


「何度も、こちらに籍を置いていただけないかお願いしているんですが」


「断られてるんですか?」


「毎回です」


「何て?」


サイラスは少し遠くを見るような顔になった。


「必要なら来る。それなら所属する必要はないでしょう。それに、時が来れば私はまた別の場所へ行くから――だいたい、そんなことを言われます」


「今回もですか」


「今回もです」


サイラスは茶を飲んだ。


「最高峰の大賢者ですから。僕としては、何度断られてもお願いしたいんですが」


俺はそこで引っかかった。


「でも、ヴィクトルがあるんですよね」


「ええ」


「だったら、治療だけなら――」


「あれとソフィアさんは、できることが違います」


返事は早かった。


「ヴィクトルは、大勢の負傷者をまとめて助けることに向いています。今朝のような状況なら、あれほど頼りになるものはありません」


一度、セラを見る。


「でも、一人の身体を細かく診て、どこを、どこまで治すか決めることはできない」


俺は治療室を思い出した。


肩。


脚。


奥へ入った光。


「ヴィクトルは傷を見つければ再生させます。でも、その人が今どこまで治療に耐えられるのか、そこで止めるべきなのか、別の異常が混じっていないか。そこまでは見てくれません」


サイラスは手元の杯を少し回した。


「ソフィアさんは、そこを診られる」


少し間が空いた。


「大勢を一度に助ける時はヴィクトルが必要です。一人をきちんと診なければならない時は、ソフィアさんが必要になる」


少し苦笑する。


「だから、こちらとしては諦めが悪くなるんですよ」


セラが聞いた。


「まだ誘うのか」


「次に会った時も、多分」


サイラスは普通に答えた。


セラは何も返さなかった。


机の上の茶にも、まだ触れていない。


俺は少しだけ、空座を見る目が変わっていることに気づいた。


警戒が消えたわけじゃない。


ユーリクも。


ゼインも。


なかったことにはならない。


でも、ここにある炊事場も、施療所も、今日泥の中で荷車を起こしていた人たちも、嘘ではない。


全部を同じものとして見る方が、少し難しくなっていた。


しばらく黙ったあと、一番聞きたかったことを口にする。


「ヴィクトル」


サイラスがこちらを見る。


「あれ、神造兵器ですよね」


間はなかった。


「そうですよ」


あまりにも普通に返ってきた。


俺は一瞬、次の言葉が出なかった。


「……普通に言うんですね」


「先ほど言ったでしょう。空座について、特に隠し立てすることはありません」


サイラスは自分の茶を飲む。


「もちろん、僕が知らないことまで答えるのは無理ですが」


「名前は?」


「勝利旗(ヴィクトル)と呼んでいます」


呼んでいる。


少し引っかかった。


「元からその名前だったんですか?」


「いえ」


サイラスはあっさり首を振った。


「名前らしいものは残っていませんでした」


「じゃあ、サイラスさんが?」


「勝利旗の方は、僕です」


「そっちは?」


「最初にあれを使った時、魔獣にやられた護衛隊が運び込まれてきましてね」


サイラスが杯を持ったまま、少し視線を落とす。


「ひどい有様でした。でも、全員帰れた」


指先で杯を回した。


「開いた姿も旗に見えましたし。それで《勝利旗》と」


分かりやすい。


「じゃあ、ヴィクトルは?」


そこで初めて、サイラスの手が止まった。


「……それが」


俺を見る。


少し困ったような顔だった。


「僕にも、よく分からないんです」


「分からない?」


「名前をつけようとした時には、ヴィクトルという音が頭にありました」


サイラス自身も変だと思っているらしい。


首を少し傾ける。


「意味も知りません。でも、別の名前を考えると、どうもしっくりこなくて」


俺は何も言わなかった。


どこかで似た話を聞いた。


次に使う材料。


叩く回数。


冷やす時間。


理由は分からないのに、手順だけが頭へ落ちてきた。


インクス。


一瞬だけ、あいつの顔が浮かんだ。


でも。


同じものなのかまでは分からない。


「それで、ヴィクトル」


「ええ」


サイラスはそれ以上、その名前について考える様子もなかった。


俺は別のことが気になった。


「でも、名前も分からなかったのに、神造兵器だっていうのは?」


「遺構に記録が残っていたんです」


今度はすぐ答えた。


「ほとんど壊れていましたけどね。読めたのは断片だけです」


「何が書いてあったんです?」


「神造兵器が保管されていた区画だったこと。その中に、あれが置かれていたこと」


サイラスは少し考える。


「そこまでは」


全部ではない。


でも、神造兵器だと判断するには十分だったのかもしれない。


「見つけたのもサイラスさん?」


「僕です」


「そこからここへ?」


「ええ」


「作ったわけではない?」


「残念ながら」


サイラスが泥の詰まった手袋を見る。


「そんな技術があれば、もう少し手入れも楽だったんでしょうけど」


それからヴィクトルの力についても聞いた。


傷を再生させる。


止血だけでなく、骨や筋肉、内臓にも届く。


ただし、一度に助けられる範囲と人数には限界があり、重傷者が多ければ一人へ回る力も弱くなるらしい。


今朝見た光を思い出す。


広く伸びた光。


ソフィアさんの治療とは全然違った。


セラが続けた。


「今朝の道は《最短路》か」


その言葉を聞いて、今朝の景色が戻ってきた。


細い路地。


何度も曲がった角。


頭すれすれに垂れていた洗濯物。


白い壁。


その先に出た裏門。


普通に走ったなら、あんな早さで着くはずがなかった。


その途中。


サイラスは進む先とは別の壁へ、何気なく手を触れていた。


あれが。


サイラスが顔を上げる。


「ええ。僕の異能です」


俺も口を挟んだ。


「目的地までの距離を短くする?」


「そう考えていただいて構いません」


やっぱり少し妙な言い方だった。


「ヴィクトルの光も、それで?」


「少しだけなら」


「どうやってるんです」


サイラスは少し考えた。


「負傷者とヴィクトルの間を近づける、と説明するのが一番分かりやすいでしょうか」


「遠くても?」


「遠すぎれば無理です。人数が多くても難しい。長く維持することもできません」


聞いた範囲では筋が通っている。


だから余計に、どこを疑えばいいのか分からなくなる。


サイラスは俺の顔を見た。


「まだ警戒されていますね」


「まあ……それは」


「当然ですよ」


責める様子もなく、自分の茶を飲んだ。


セラの前の杯は、まだ一口も減っていない。


しばらくして。


今度はサイラスの方から話を切り出した。


「僕からも、一つ聞いていいですか」


俺とセラを見る。


「ユーリクは、最後どうなりました?」


「ユーリクさんですか?」


「ええ、ユーリク、ゼインは僕と同じ座主の一人です。彼と連絡がつかなくなったので」


サイラスの話を聞いた時に少し予想はついたが改めて聞くと胸がざわついた。


少し間を置き俺は知っていることだけ話した。


ユーリクが自分自身へ《固定》を完全に使ったこと。


身体だけではなく、意識も、動作も、変化そのものが止まったこと。


城護盾(バスティオン)と一体化したこと。


呼びかけても反応しなかったこと。


生きているのか。


死んでいるのか。


それすら俺には分からなかったこと。


最後に、


「あの人が残ったから、街は助かりました」


とだけ言った。


サイラスは、すぐには何も返さなかった。


目を閉じる。


一度息を吐いた。


そのあと、手袋をした指で目頭を押さえた。


「……失敬」


声が少し掠れている。


俺は黙る。


セラも何も言わない。


手を下ろした時には、目が赤かった。


涙が頬へ落ちる。


サイラスはすぐに拭った。


けれど、もう一筋落ちた。


「ユーリクは……」


そこで止まった。


しばらくして、


「自分が残れば済む、と考える人でした」


と言った。


口元が少し動く。


笑おうとしたらしい。


「何度止めても、聞かない」


それ以上は続けなかった。


もう一度目元を押さえる。


俺は初めて、サイラスが空座の座主だということと、ユーリク、ゼインが同じ座主で、仲間だったということを、別々に考えた。


やがてサイラスが顔を上げる。


「ゼインも」


まだ声が戻り切っていない。


「亡くなったと聞いています」


「俺は最後を見てません」


サイラスが俺を見る。


「あの時、途中で分断されてたので」


それ以上は言えない。


俺が着いた時には、もう終わったあとだった。


サイラスはしばらく黙っていた。


そのあと、セラを見る。


「……彼は最後に、何か言っていましたか」


セラもサイラスを見る。


二人の間に、手つかずの茶がある。


「あった」


サイラスは待った。


セラは続けない。


俺も知らない。


サイラスはやがて視線を落とした。


「そうですか」


それ以上は聞かなかった。


外から荷物を動かす音が聞こえていた。


サイラスは冷めた茶を飲む。


今度は何も言わない。


しばらくして、扉が叩かれた。


「失礼します」


灰色の服の男が入ってきた。


薄い板を何枚か抱えている。


サイラスの顔が仕事へ戻った。


まだ目元は赤い。


「どうしました?」


「明朝の東便なんですが、護衛が足りません」


板を差し出す。


サイラスが受け取る。


「何人出せます?」


「予定は六名でした。今動けるのは二名です」


「今朝の負傷者が?」


「それと、さっき東倉庫で二人」


サイラスが板へ目を落とした。


「行き先は?」


「ラズウェルです」


聞いたことのない街だった。


東へ、荷馬車でほぼ一日。


運ぶのは薬材、保存食、治療用の布。


向こうで不足しているものらしい。


「延期できるものは?」


「薬材が厳しいです」


サイラスは板を机へ置いた。


考える。


「……困りましたね」


男は黙って待っている。


「普段なら、二人でもそのまま出していたんですが」


サイラスが窓の外を見る。


「この辺りの街道は、そこまで危険ではありませんでしたから」


今朝。


そして昼。


続けてヴェスパルが出ている。


「しかし、ヴェスパルは自分からは襲うことは滅多にありません。この周辺で何か起きているかもしれません。この状況で危険がないということの判断はできません」


俺が聞く。


「サイラスさんは行けないんですか」


「明日は第三支部を空けられません」


板を指で押さえる。


「負傷者も残っていますし、今日止まった仕事もあります」


「《最短路》は?」


「ラズウェルまでは遠すぎます。それに荷馬車が四台ある」


少し首を振る。


「途中だけ近づけても、その先を護衛二人で行かせることになります」


灰色の服の男が板を戻してもらう。


「わかりました。もう少し探してみます」


部屋を出ようとした。


「私たちが行く」


セラだった。


男が止まる。


サイラスも顔を上げた。


俺は反射的にセラを見る。


「セラ」


その先が出なかった。


ソフィアの顔が浮かぶ。


再生余力がかなり少ない。


今日、あの子を戦わせないで。


セラはこちらを見た。


何も言わない。


机の上には、ラズウェルへ運ぶ物資の板がある。


薬材。


それを待っている人間がいる。


俺は口を開いた。


でも、何を言えばいいのか分からなかった。


サイラスが先に首を振る。


「いえ。そこまでお願いするつもりはありません」


セラはサイラスへ視線を戻した。


「護衛が必要なんだろう」


「必要ではあります。ただ、それはこちらの事情です」


セラは何も返さなかった。


サイラスが板を見る。


少し言いにくそうに続ける。


「それに、追加の護衛へ回せる報酬が残っていません。お願いするとしても、無償になってしまいます」


そこで初めて、セラが机の杯へ手を伸ばした。


ずっと放置されていた出がらしの茶。


もう冷めているはずだった。


セラは一息で飲み干した。


空になった杯を机へ戻す。


「報酬なら、もう貰った」


サイラスの目が杯へ落ちる。


俺も見た。


「……それですか?」


セラは答えなかった。


本気なのか。


冗談なのか。


多分、本人に聞いても同じ顔をする。


俺は止める言葉を探していたはずなのに、少しだけ口元が緩んだ。


サイラスも困ったように笑う。


でも、そのまま受ける気にはならなかったらしい。


「それ、出がらしですよ」


セラは空の杯を指で押した。


「足りる」


またソフィアの顔が浮かんだ。


笑っている場合じゃない。


明日、本当に戦うことになったら。


止めるのか。


どこまでなら許すのか。


まだ何も決まっていない。


サイラスは俺の方も見た。


今度は、俺が反対するか確かめているのが分かった。


結局、何も言えなかった。


サイラスは少しだけ迷ってから、頭を下げた。


「……ありがとうございます」


昼間より、その礼は深かった。

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