↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最強女騎士は、あと百二十日で壊れる ~粗探ししかできないハズレスキル《不具合鑑定》の俺だけが、それに気づいた~  作者: 出水克幸
武具の街 ベルーガ編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
47/68

第四十七話 見えなかったもの

――数日前。


トーマたちが、まだベルーガへ辿り着く少し前。


ローデン王国、ジェノベック。


空座《第三支部》


奥まった会議室で、シオン・フレークは椅子へ浅く腰掛けていた。


紅色の髪は相変わらず好き勝手な方向へ跳ねている。


暗灰色のコートは背もたれへ掛けられ、机の上には何枚かの報告書が広がっていた。


その一歩後ろ。


ノア・ヴェイドが立っている。


淡い灰色の髪を黒い紐でまとめ、手には薄い記録帳。


向かいにはサイラスが座っていた。


黒髪。


黒い瞳。


黒い手袋をした両手を、卓の上でゆるく組んでいる。


シオンが報告書を一枚めくった。


「バスティオンとアレーテイア。両方まとめたよ。まあ、見えてないところもかなりあるけど」


サイラスは紙へ手を伸ばさなかった。


「神造兵器は、どうなりました?」


シオンの指が止まる。


「そこから?」


少しだけ笑い、それから紙を戻した。


「城護盾《バスティオン》は一時停止した。都市そのものは残ってる」


「運用は?」


「途中で変わってる」


シオンは後ろを振り向かなかった。


「ノア」


「城壁外から観測しました」


後ろから声がした。


「当初、城外へ向いていた徴収が、途中から魔物へ切り替わりました」


サイラスの目がわずかに細くなる。


「切り替えた人物は?」


「見ていません」


ノアは余計な言葉を足さない。


「対象が市内へ入った後、魔物では障壁を越えられませんでした」


シオンが机に肘をついた。


「だから、城護盾の動きは見えていた。でも、誰が何を触ったのかは見えてない」


サイラスは少し考えた。


「最後は?」


「地下で大きな反応」


シオンが答える。


「震動が三回。その後、青白い雷みたいなものが出た。周りの生き物がまとめて動けなくなって、ノアの観測もそこで終わり」


「城護盾は、その後停止し、再度稼働しております」


ノアが補う。


「再度稼働?」


サイラスは表情変えずに聞いた。


「はい。バスティオンは今も稼働しています。しかし、稼働――」


シオンは右手を上げてノアの報告を止めた。


「稼働している。街の連中に確認したところ、運用が変わったみたいだ。制限が―発動条件が変わったらしい。今回のような大規模にわたる場合は複数人の許可が必要になったらしい」


「なるほど」


「これ以上はわからない。」


「そうですか。ありがとうございます」


それ以上、バスティオンの神器については聞かなかった。


「では、アレーテイアは?」


シオンが別の紙を引き寄せる。


「こっちはもっと見えない」


紙の端を指で弄りながら続けた。


「裁定院の地下で旧い刑執行系統が動いた。外壁から街路の下まで光が走って、最後は地面から鎖」


「真実鎖《アレーティア》」


サイラスが言った。


シオンは少しだけ彼を見る。


「そう」


「ノアの使ってた獣も鎖で地面に固定されて、そのまま接続が切れた」


「その後の運用は?」


「分からない」


シオンはあっさり言った。


「誰を拘束したのか。誰が解除したのか。最終的にどんな形で止まったのか。そこは取れてない」


サイラスの指が手袋の上をゆっくり撫でた。


「二つとも、セラが近づいた後に古い機構が動いている」


「三つ」


シオンが訂正した。


「断界剣《アーク》を入れるならね。ただし、あれは継承の儀そのものをノアは見てない。だから同じ条件で三件確認、とは僕は書かないよ」


「ええ」


サイラスは特に反論しなかった。


少し間を置いてから。


「セラさんは?」


シオンが目を上げた。


「何が?」


「どうしていました?」


「もうちょっと絞ってよ」


サイラスは一度、視線を下げた。


「神造兵器が動くたびに、彼女自身はどう見えましたか」


シオンはそこで初めて後ろを見た。


ノアと目が合う。


「そこ、君の方がいいね」


ノアは少しだけ間を置いた。


「感情、反応は分かりません」


サイラスは振り返らせるようなことはせず、そのまま聞く。


「見えた範囲で構いません」


「ラグナでは、障壁が開くと知って触れたようには見えませんでした」


ノアが答えた。


「驚いていましたか?」


「大きな反応はありません」


少し考える。


「ただ、開いたことを当然と思っていたようにも見えませんでした」


サイラスは黙って聞いている。


それを見ながら、シオンは机の紙を一枚ずらした。


「あと、これも面白い」


「面白い?」


「言葉の選び方間違えたかな。まあいいや」


シオンは気にせず続ける。


「街道で岩牙猪が逃げた時、追ってない。古代守護機兵が出た時も、壊さず止めてる」


サイラスがシオンを見る。


「破壊できなかった可能性は?」


「低いです」


答えたのはノアだった。


「戦闘能力から見て、破壊は可能だったと思います」


シオンが肩をすくめる。


「壊せるから壊す、って感じじゃないみたいだね」


サイラスはその言葉には答えなかった。


「アレーテイアでは?」


ノアの指が記録帳の端へ移る。


「王都へ戻った後、一度高級治癒士のく治療を受けています。左肩の固定と右脚の庇いは消えました」


「治った?」


「完全かは判断できません。上着へ腕を通す時、左肩が一度止まりました」


「その後の様子を」


ノアは少し考えた。


「以前より、トーマ・リードとの間に距離がありました」


シオンが机に置いていた指を止める。


「そこ、断定はしない方がいいよ」


「距離があったことだけです」


ノアは言い直さなかった。


「理由は分かりません」


サイラスがわずかに目を伏せる。


「他には?」


シオンが今度は報告書を指で叩いた。


「他にはね…」


「火災の時は?」


「現場へ走っています」


ノアの返事はすぐだった。


「火が消えた後、トーマ・リードが焼けた建物を見ている間、対象は斜め後ろに立っていました」


「何か話した?」


「聞こえていません」


また空白。


サイラスはその度に埋めようとはしなかった。


少しして。


「ラグナを出る時」


ノアが自分から言った。


サイラスが目を向ける。


「一度だけ、城壁を振り返っています」


シオンも後ろを見る。


それは報告書に書いてあった。


「何か言った?」


「いいえ」


ノアはそこで口を閉じた。


サイラスはしばらく何も言わなかった。


「……そうですか」


それ以上、セラの感情については聞かなかった。


シオンが紙をめくる。


「次は?」


「ユーリクさんを」


今度はシオンの動きが少し鈍った。


「ああ」


紙を探さず、椅子へ背を預ける。


「どうなったかは分からない」


サイラスは待つ。


「でも、ノアがユーリク本人から事前に聞いてた範囲ならあるよ」


シオンは後ろへ目をやった。


ノアが答える。


「《固定》による非常展開を三日間維持すること。二人が自分から中枢へ向かうようにすること」


「二人というのは」


「セラ・ヴァルクとトーマ・リードです」


「その通りに?」


ノアは答えなかった。


代わりにシオンが片手を上げた。


「そこから先が見えてない」


サイラスがシオンを見る。


「市内へ入った後、ノアの観測は城外まで。ユーリクが実際に二人をどう誘導したかは取れてない」


「それと、それを最後までユーリク一人が維持してた、とは言えない。途中で運用が変わってるからね」


「最後に確認したのは?」


「ラグナに入る前」


ノアが答えた。


「それ以降、ユーリク本人は一度も確認していません」


「退出も?」


「ありません」


「遺体も?」


「見ていません」


シオンが紙の端を指で弾く。


「なので、生死も含めて未確認」


サイラスの目は紙ではなく、シオンへ向いていた。


「ノアさん」


突然名を呼ばれ、ノアが顔を上げる。


「ユーリクさんと最後に話した時、何か変わったところは?」


ノアはすぐには答えなかった。


「変わった、とは?」


「迷っていたとか。焦っていたとか」


ノアは記憶を探る。


「判断できません」


少し間を置く。


「ただ」


シオンが横目で見る。


「以前、本人たちに選ばせると言っていました」


サイラスは黙ったまま聞く。


「私は聞きました。その選択が、私たちの望むものと違っても認めるのか、と」


「ユーリクさんは?」


「答えませんでした」


部屋に短い沈黙が落ちた。


シオンがそこを埋めなかった。


サイラスも。


やがて彼が手袋をした手を組み直す。


「ゼインさんは?」


シオンが小さく息を吐いた。


「そっちは、もっと面倒」


「どう動いた?」


「裁定院の中が見えない」


シオンは机に置かれたアレーテイアの記録を引き寄せた。


「ノアはセラを追ってる。ゼインを専属で追ってたわけじゃない」


ノアが後ろから補う。


「しかし、処刑所に移動したのですがそこでの状況は途中まででしたら視てました」


「途中?」


「はい、セラが必殺技を放った時、その技の影響で使役していた鼠の魔物は潰れてしまいました」


「終始彼女がゼインによる攻撃を受けていた。それ以上のことは分かりません」


サイラスは息を吐いた。


「そうですか」


「その後のゼインの動きは?」


「ゼインは死んだよ」


シオンが目を伏せながら言った。


「死んだ?」


「ああ、どうやら崩落したらしく、その崩落に巻き込まれて下敷きになった」


サイラスは少し眉を動かした。


「それは残念ですね…。ゼインとはウマが合いませんでしたが、惜しい人材です」


一度上を見あげ、目頭を抑えるような動きをした。


シオンは紙を一枚持ち上げる。


「裁定院を出た後の動きは追えてる。でも、その前にゼインと何を話したかが抜けてる。だから、進路とゼインの会話を勝手には繋げてない」


サイラスは指先を少し動かした。


「なるほど」


そこで初めて、シオンがサイラスをじっと見た。


「ずいぶんそこ気にするね」


「どこを?」


「ユーリクとゼイン」


「同じ仲間でしょう」


「それだけ?」


サイラスはすぐには答えなかった。


シオンも急かさない。


少しして。


「どう選んだのかが気になっただけです」


サイラスが言った。


シオンは一度だけ鼻から息を抜いた。


納得したのか。


していないのか。


分からない。


「じゃあ今のところは、こう」


シオンは二つの報告書を重ねた。


「神造兵器は二つとも動いた。バスティオンは運用が途中で変わった。アレーテイアは旧系統が起動したところまで」


もう一枚重ねる。


「セラは、それを自分から望んで動かしてるようには見えない。ただ、神造兵器が動いても、その場で立ち止まって全部投げ出す感じでもない」


ノアの方は見なかった。


これはシオン自身の整理だ。


「ユーリクの最後は見えてない。ゼインの会話も見えてない」


そこで紙を閉じる。


「以上。見えてないところを埋めるなら、別の情報源が必要」


サイラスは少し考えた。


「十分です」


「そう?」


シオンは椅子を揺らした。


「僕は全然足りないけどね」


その言葉に、ノアの視線が僅かに下がった。


サイラスは報告書へ手を伸ばした。


そこでシオンが、


「ああ、もう一つ」


と思い出したように言った。


「ノアの契約を切った件」


サイラスの手が止まる。


「セラさんですね」


「切ったのはね」


シオンは後ろを親指で示した。


「見つけたのはトーマ・リード」


ノアは黙っている。


「鳥にも枝にも当てず、結節点だけ。二回目は同じやり方で近づけない」


サイラスは少しだけ目を細めた。


「彼は、そこまで見える」


「少なくとも一回はね」


シオンはすぐに言い換えた。


「一回見つけたから、何でも見えることにはしないよ」


「ええ」


サイラスは報告書を受け取る。


「今後は?」


「セラは追う。トーマも見る」


シオンが答えた。


「ああ、あと今のところ、一行はベルーガ方面へ向かってる」


報告書の端を叩く。


「まだ街へ入ったって連絡はない」


この会議が開かれた時。


トーマたちは、まだベルーガへ辿り着いていなかった。


サイラスは少し考えたあと、手袋の指先を整えた。


「もし、こちらへ来ることがあれば」


シオンが眉を上げる。


「ジェノベックへ?」


「可能性の話です」


「何か聞いてる?」


「いいえ」


シオンは数秒サイラスを見る。


それから、


「じゃあ、来た時に考えればいいか」


と椅子へ戻った。


サイラスは小さく頷いた。


「怪我をしているようなら、まず治療を」


「話より先に?」


「怪我をしたまま話す必要もないでしょう」


シオンは返事をせず、報告書をまとめ始めた。


ノアはその後ろから一枚だけ上下の逆になった紙を抜き、正しい向きへ戻した。


サイラスはそれを見ていたが、何も言わなかった。


会議はそこで終わった。


―――

インクスの工房では、出発するはずの荷車がまだ動けずにいた。


「これ抜こう」


セラが荷台の奥を指した。


インクスが覗き込む。


「それは駄目」


「三本ある」


「三本とも違うよ」


革包みから少しだけ覗いているのは、どう見ても金槌だった。


俺には三本とも同じに見える。


セラも同じだったらしい。


一本を抜いてインクスへ渡し、空いたところへ木箱を横向きに押し込んだ。


「……入ったね」


インクスは金槌と木箱を交互に見た。


セラはもう聞いていない。


荷台から降り、《ウツロイ》の鞘を腰の後ろへずらしていた。


俺が最後の縄を掛けようとしたところで、道の向こうからカイが戻ってきた。


荷物は小さい。


ベルーガへ残ると言っていた時より、顔は少し疲れて見えた。


「終わった?」


俺が聞くと、カイは首を横へ振った。


「終わるわけないですね。向こうも人は足りてるんで」


言いながら荷車の横へ回り、俺がまだ結んでいない縄を引いた。


端が抜けた。


「……これで出るのですか?」


「今やってたところです」


インクスが工房の奥から顔だけ出した。


「さっきより良くなったよ。セラが一本捨てたから」


「捨ててない」


セラが言った。


足元には例の金槌が転がっている。


カイがそれを拾った。


セラへ渡そうとして、少し手を伸ばす。


セラは荷車の反対側へ回り、別の箱を押した。


宙に残った金槌を、カイがそのままインクスへ投げた。


「おい」


インクスが受け止め損ね、革の前掛けに当たった。


「道具は投げるなよ」


カイはもう聞いていなかった。


「南へ行くんだろ」


俺が頷いた。


セラは縄の結び目を一つ締め直していた。


カイがそちらを見る。


何か言いかけたようだったが、やめた。


セラも顔を上げなかった。


結局、そのまま出発した。


南へ下る街道は、ベルーガへ来た時より荷が多かった。


ジェノベックへ向かうものばかりではないらしいが、穀物に布、鉄材、酒樽と、すれ違う荷車の中身はばらばらだった。


インクスは最初こそ御者台へ座ったものの、馬に話し

かけながら脇道へ入りかけたところで交代させた。


本人は「馬がそっちを見た」と言い張った。


今は荷台で《ウツロイ》を見ている。


正確には、それを腰に下げて歩くセラを見ていた。


「さっきから何だ」


さすがに気づいたらしい。


「昨日さ、大剣になった後、持ち方変えたよね」


セラは返事をしなかった。


「ここ」


インクスが自分の手で柄を握る真似をする。


「最初はこうだったのに、途中から――」


セラが《ウツロイ》へ手を置いた。


少し握り直す。


インクスが前へ出る。


荷台の端で膝をぶつけた。


「それ。それだよ。なんで?」


セラは自分の手を見る。


そのまま歩いた。


「セラ?」


「……知らん」


インクスの顔が妙なところで明るくなった。


「知らないの?」


セラはもう答えない。


「ケケ」


小さく笑ってから、インクスは自分の指を何度も組み替え始めた。


しばらく静かになる。


馬の蹄と車輪の音だけが続いた。


前を歩いていたセラが、低い枝を避けた。


その時、左腕の上がり方が途中で少し鈍った。


ほんの一瞬だった。


セラ自身も止まらない。


俺も声をかけなかった。


手綱を持つ指に力が入った。


七十九。


九十五。


勝手に数字が浮かんできて、腹が立った。


今は見えもしないくせに。


セラがこちらを見た。


「何だ」


「前見てて」


セラは眉を寄せたが、それ以上は聞かなかった。


昼前には街道が林沿いへ入った。


そこで前の馬車が詰まっていた。


一台の荷車が斜めになり、外れた車輪が道端へ転がっている。


荷主らしい男と、護衛らしい男が車軸を持ち上げようとしていた。


脇を抜ける幅はある。


けれどカイがもう降りていた。


セラも道へ落ちていた麻袋を拾う。


俺は仕方なく馬を止めた。


護衛らしい男がこちらへ顔を向けた。


灰褐色の短髪。


鼻筋が少し曲がっている。


三十を少し越えたくらいに見えた。


「悪いな。通れるなら先行ってくれ」


そう言いながら、自分は車軸の下へ手を入れている。


カイが反対側へしゃがんだ。


「上げるぞ」


「いや、いいって」


言葉とは逆に、男は手を離さなかった。


二人で持ち上げる。


俺も車輪を寄せた。


セラは黙って麻袋を戻している。


インクスも遅れて荷車を降りた。


最初はちゃんと車輪を見ていた。


途中から違った。


「ちょっと待って」


誰も待たない。


インクスは男の腰へ視線を落としている。


剣だった。


使い込まれた革鞘に、色の違う金具が混じっている。


「これ、誰が直したの?」


車軸を持ち上げていた男が顔をしかめた。


「今か?」


「今見えたから」


カイが息を吐いた。


「インクス」


「持ってるよ」


片手は一応、車軸に掛かっていた。


役に立っているかは怪しい。


どうにか車輪を戻し、応急で固定する。


男が手についた土を払った。


その間にもインクスは剣を見ている。


「鍔も替えてる?」


「知らん」


「知らない?」


「支給品だ。修理は詰所がまとめて出す」


「ああ」


インクスは納得したような、していないような声を出した。


男が腰を伸ばす。


「見るなら見るで離れろ。近い」


「あ、ごめん」


インクスが半歩だけ下がった。


ほとんど変わっていない。


もう一人の男が荷台から縄を放った。


「エーリヒ、そっち頼む」


「ああ」


エーリヒと呼ばれた男が振り向き、縄を拾う。


荷袋の口から紙包みが落ちた。


地面へ当たって、中で何か硬いものが鳴る。


エーリヒがすぐ拾った。


「またそれか」


荷主が笑った。


「うるさい」


「娘、虫歯になるぞ」


「まだなってない」


紙包みを袋の奥へ押し込む。


「奥さんのは?」


エーリヒの手が一度止まった。


「……街で買う」


「忘れるなよ」


返事はない。


荷袋を肩へ掛けた時、外套が持ち上がった。


右脇腹だけ、革鎧の色が違う。


大きな継ぎ革が当ててあった。


インクスがそちらを見る。


「そこも直した?」


「今度は鎧か」


「革、新しいだろ」


エーリヒは外套を引き下ろした。


荷主が横から笑う。

「そりゃ新しいだろ。槍で穴開いたんだから」


エーリヒが嫌そうにそちらを見る。


「言わなくていい」


「別に隠す話でもないだろ」


俺は思わず脇腹を見た。


エーリヒが気づいた。


「もう平気だ」


「いつの傷です?」


「いつだったか」


荷主の方を見る。


「二か月くらい前じゃなかったか?」


「ああ、そのくらい」


エーリヒはあまり興味がないらしい。


縄を引いて締める。


さっき車軸を持ち上げていた時も、脇腹を気にする様子はなかった。


カイが継ぎ革を見ている。


「深かったのか」


「そこそこ」


「そこそこじゃない。腹開いてただろ」


また荷主が余計なことを言う。


エーリヒは今度こそ無視した。


セラが最後の麻袋を荷台へ置いた。


エーリヒがそちらへ軽く頭を下げる。


「悪かったな」


セラは手の汚れを払っていた。


聞こえたのかどうか分からない。


俺はエーリヒへ視線を戻した。


「治癒士に?」


「ああ。途中で一回診てもらって、そのままジェノベックまで運ばれた」


「ジェノベック?」


「第三支部だよ」


答えたのは荷主だった。


エーリヒが縄を引き直す。


俺はその手元を見た。


空座。


その名前だけが、耳に引っかかった。


「ずいぶん綺麗に治るんですね」


エーリヒは俺の方を見た。


「見たいか?」


「え?」


外套を少し持ち上げかける。


「いや、いいです」


「なら聞くな」


怒ったわけではなさそうだった。


すぐに外套を戻す。


カイが少し笑った。


俺は聞かなかったことにしたかった。


荷主がまた口を挟む。


「でも、本当に傷なんかほとんど残ってないぞ。運び込んだ時は駄目だと思ったのにな」


「お前は何回それ言うんだ」


「だって次の朝歩いてたろ」


そこで俺はエーリヒを見た。


エーリヒは縄の余りを束ねている。


「歩いただけだ」


「前の日に腹へ槍食らった奴がな」


「便所くらい行く」


「そういう話じゃない」


エーリヒはもう相手にしなかった。


束ねた縄を荷台へ放る。


インクスは妙に静かだった。


てっきり傷の方へ食いつくと思ったが、見ていたのはまだ剣だった。


「その剣も、その時?」


エーリヒが顔を向ける。


「さあ」


「覚えてない?」


「死にかけてた時の剣まで覚えてるかよ」


「そっか」


インクスはしゃがみ込み、鞘口を横から見た。


エーリヒが一歩離れる。


「だから近いって」


「ごめんごめん」


笑いながら立ち上がった。


それ以上は聞かなかった。


荷車はどうにか動いた。


応急処置なので速度は遅い。


俺たちも同じ道を行くことになり、しばらく横に並んだ。


「第三支部の人なのか?」


カイが聞いた。


エーリヒは首を振る。


「違う」


少しして、


「世話にはなった」


と付け足した。


それだけだった。


荷主は何か言いたそうだったが、今度は口を挟まなかった。


エーリヒが肩の袋を持ち直す。


中で紙包みが鳴った。


話はそこで切れた。


夕方前。


道が分かれるところで、エーリヒたちは詰所へ向かう

ことになった。


「南門ならこっちを真っ直ぐだ」


エーリヒが指を差す。


インクスが荷台から覗く。


「僕の納品先も南側だよ」


「なら迷わん」


エーリヒはそれだけ言って歩き出した。


数歩行ってから、振り返る。


「そうだ」


俺たちを見る。


「怪我したら第三支部に行け。あそこは早い」


カイが何か聞こうとした時には、もうエーリヒは前を向いていた。


荷主と並んで歩いていく。


袋が肩で揺れる。


腰の剣も一緒に揺れた。


インクスは荷台に座ったまま、その剣を見ていた。


しばらくして、指先で荷台の板を擦った。


「鞘口は古いんだよなあ」


独り言だった。


俺は聞き返さなかった。


セラも何も言わない。


馬を進めると、車輪が一度だけ大きく軋んだ。


インクスはまだ後ろを見ていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。