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最強女騎士は、あと百二十日で壊れる ~粗探ししかできないハズレスキル《不具合鑑定》の俺だけが、それに気づいた~  作者: 出水克幸
城護盾バスティオン編

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第四話 死んだことにされた少女

死んだことにされた少女へ、帰還命令が届いた。

夜明け前。

中継宿駅の屋根で、伝信鐘が三度鳴った。

短く二回。

間を空けて、長く一回。

食堂の隅で眠そうにスープを飲んでいたネネが、椅子を蹴るように立ち上がった。


「第四塔の呼出符号」


赤茶色の三つ編みを揺らし、食堂の出口へ走る。


「待て」


マレクの声が飛んだ。

ネネの足が、扉の前で止まる。


「でも、第四塔から――」


「だから一人で行くな」


マレクは食べかけの黒パンを皿へ置き、灰色の外套を羽織った。

俺も立ち上がろうとしたところで、皿の上からパンが消えた。

向かいに座っていたセラが、俺の分まで手に取っている。


「それは俺のです」


「伝信を見ている間に固くなる」


「最初から固いです」


「なら、今食べても同じだ」


「返してください」


「歩きながら食べる」


返す気はないらしい。

俺たちはネネを先頭に、宿駅の裏手へ向かった。

伝信室は、厩舎と事務所の間に建つ小さな石造りの部屋だった。

屋根の受信板が外から届いた魔力信号を受け、室内の金属片へ伝える。

壁には細長い金属片が、縦横に何列も並んでいた。

ネネが机へ紙を広げる。

一列目が青く光った。

続いて二列目。

三列目。

光る位置と長さを、ネネが紙へ書き取っていく。

さっきまで眠そうだった少女の顔から、疲れが消えていた。

光。

間隔。

列。

一つも見逃さないように、緑褐色の目が金属片を追う。

俺には不規則な明滅にしか見えない。

だが、ネネには言葉として視えているのだろう。

最後の金属片が消灯した。

伝信室へ静けさが戻る。


「内容は?」


マレクが尋ねた。

ネネは紙を見たまま答えない。


「ネネ」


「第四伝信塔、異常なし」


低い声だった。


「昨日、一時的に魔物が街道へ侵入したが、すでに排除。境界石の故障も復旧した」


昨日の境界石は、上半分が崩れ落ちた。

一晩で直せる状態ではない。


「続きは」


マレクが促す。

ネネの指が、記録紙の端を強くつかんだ。


「逃走した見習い伝信士ネネ・アシュは、魔物の襲撃を受けて死亡したと判断する」


伝信室の空気が止まった。

セラが、手に持った黒パンをかじりながらネネを見る。


「生きているな」


「見れば分かるでしょ!」


「確認しただけだ」


「そんな確認はいらない!」


怒鳴る声とは反対に、ネネの手は震えていた。

自分がここにいるのに、公式の信号では死者として扱われている。

その意味を、十五歳の少女は理解していた。


「まだあります」


ネネは一度息を吸い、続きを読み上げた。


「王命調査団は、街道上の危険増大により、直ちに西へ進路を変更。王都へ帰還せよ」


「発信元は本当に第四塔か」


俺が尋ねた。


「違う」


ネネは迷わず答えた。

紙に書いた三列目の記録を指で叩く。


「第四塔なら、ここが半呼吸遅れる」


「送信板の不具合か」


マレクが聞く。


「癖」


「故障との違いは?」


セラが尋ねた。


「ある!」


ネネが振り返る。


「三列目を支える軸が少し歪んでるの。でも、軸だけ交換しても直らない。塔の基礎そのものが傾いてるから、必ず同じ場所で遅れる」


「直せないのか」


「大工事になる。だから塔長は、その遅れも含めて第四塔の署名だって言ってた」


ネネは記録紙へ視線を戻した。


「今の信号は、符号だけなら正しい。でも三列目の遅れがない。第四塔から送った信号じゃない」


「昨日、灰色の外套を着た者たちは、符号台帳の入った箱を開けていた」


マレクが言った。


「盗んだ符号を、別の場所から使ったと考えるべきだな」


「携帯送信機でも、別の塔でも送れる」


ネネは早口になった。


「第四塔を占拠して送信板ごと交換した可能性もあるけど、それなら塔の基礎の遅れは残る。だから違う」


現時点で考えられる原因は一つ。

第四塔を襲った者たちが、盗んだ符号を使っている。

城護盾バスティオンの異常とは、まだつながらない。

見つけた異常を、すべて同じ原因へ押し込むのは危険だ。

説明は簡単になる。

だが、説明から外れたものが見えなくなる。


「目的は二つだ」


マレクが記録紙を受け取った。


「俺たちを王都へ戻すこと。そして、ネネを死者にすること」


「どうして、わざわざ私を死んだことにするの」


「生存者がいなくなれば、襲撃を証言する者もいなくなる」


俺は言った。


第四塔、異常なし。

境界石、復旧済み。

ネネ・アシュ、死亡。

記録の上では、昨日の出来事がすべて片づいている。


前世でも、似た紙を見たことがあった。


夜勤中、成形機の安全扉が開いたまま設備が動いた。


若い作業員が非常停止を押したため、怪我人は出なかった。


俺は報告書へ書いた。


安全装置の接触不良。


稼働停止、十七分。


翌朝、管理者から返された報告書では、原因も時間も変わっていた。


作業者の確認不足。


稼働停止、五分。


機械の異常は消えた。


停止した時間も短くなった。


作業員の名前だけが残った。


記録を書き換えたところで、起きたことは消えない。


消えるのは、次の人間が危険を知る機会だ。


「この信号を王都へ送ります」


俺は言った。


「ネネが生きていることと、第四塔が襲撃されたことも」


「伝信は使うな」


マレクが即座に答えた。


「相手が正式符号を持っている。どの塔が信用できるか分からん」


宿駅長が不安そうに手を上げる。


「では、どうやって」


「紙で送る。西行きの公用便を二つ使え」


「同じ報告書を二通ですか」


「別々の道で運ばせろ。一通を消されても、もう一通が残る」


マレクは偽信号の記録を折り畳んだ。


「封印は三重。受取人は、王宮記録局のリゼット・クロウを指定する」


リゼットなら、受け取った記録を読まずに棚へ入れることはない。

どこか一行でも矛盾していれば、眠そうな顔のまま最後まで追うだろう。


「ネネ・アシュ」


マレクが呼ぶ。

ネネの背筋が伸びた。


「はい」


「ラグナまで同行させる」


緑褐色の目が大きく開く。


「本当に?」


「今の偽信号を、ここにいる者の中でお前だけが判別した」


マレクは記録紙を示した。


「符号の内容だけではなく、誰が送ったかを判断できる人間が必要だ」


「じゃあ、兄も捜しても――」


「兄を捜すためではない」


ネネの表情が止まる。


「お前の任務は、ラグナ側の伝信記録を確認し、偽信号を見破ることだ。単独行動は禁止。戦闘時は指示された場所から動くな」


「分かってる」


「返事は」


「分かりました、隊長」


「兄を心配するなとは言わん」


マレクは声を少しだけ落とした。


「だが、兄一人を捜すために、全員の退路を捨てる行動は認めない」


ネネは唇を引き結んだ。

それから、ふざけずに頷く。


「はい」





―――


カイは宿駅へ残ることになった。

治療師によれば、折れた肋骨が肺へ触れない状態で固定されるまで、最低でも三日は必要らしい。

出発前に治療室へ顔を出すと、カイは寝台の上で上半身を起こそうとしていた。


「動かないでください」


俺が言う。


「見送りくらいは、立ってしたいでしょう」


「昨日、十秒後に倒れた人が言うことではありません」


「倒れることは予定どおりでした」


「予定へ入れないでください」


カイは諦めて枕へ頭を戻した。

日に焼けた顔には、まだ血の気が足りない。

それでも、跳ねた前髪と琥珀色の目はいつもどおりだった。


ネネが寝台の横へ立つ。


「昨日は、助けてくれて――」


「謝罪なら受け取りません」


「お礼を言おうとしたの」


「それなら先払いで受け取ります」


「何、それ」


「痛みは後払いできますからねえ」


ネネの口元が少しだけ緩む。

カイはそれを確認してから、俺へ視線を向けた。


「トーマさん」


「何ですか」


「次に《後払い》を使ったら、また数えてください」


「使わないで済むようにしてください」


「もちろん、そのつもりです」


軽い口調。

だが、目は笑っていなかった。

傷が来るまでの十秒間。

カイは自分の身体がどこまで壊れたのか分からない。

痛みが来ることだけを知って、動き続ける。


「次は、傷を受けた瞬間に声を出してください」


俺は言った。


「八秒目からでは遅い」


「自分でも数えていますよ」


「一人で確認しないでください」


「二人なら、少し安くなりますかねえ」


「傷は借金ではありません」


「後からまとめて来るところは似ています」


マレクが治療室の扉を開けた。


「三日後、治療師が許可した場合だけ後続便で追え」


「はい、隊長」


「それまでは宿駅から出るな」


「厩舎までは?」


「駄目だ」


「食堂は?」


「治療師に聞け」


「窓から――」


「塞ぐぞ」


「冗談です」


カイは両手を上げようとして、胸の痛みに顔をしかめた。

俺たちが部屋を出る直前、背後から声が届いた。


「追いつきますよ」


振り返ると、カイは寝台へ横たわったまま、左手だけを上げていた。


「十秒あれば、一人くらいには」


冗談の続きのような言葉だった。

俺は返事をせず、扉を閉じた。





―――


宿駅を出て二時間。

街道沿いの景色が、少しずつ変わり始めた。

昨日までは、道の両側に膝ほどの草が生えていた。

今は土が白く乾き、馬車の車輪が通るたび細かな砂が舞い上がる。

春の終わり。

本来なら、畑には若い麦が伸びている時期だ。

だが、街道沿いの麦は黄色く変色し、葉の先が内側へ丸まっていた。

水路には、湿った泥さえ残っていない。

セラが馬車の窓から外を見る。


「雨が少なかったのか」


「先月は多かった」


ネネが答えた。


「第四塔の近くでは、川があふれそうになってた」


「では、この辺りだけ乾いている」


「ラグナに近づくほど、ひどくなってると思う」


街道の向こうから、三台の荷車が近づいてきた。

どの荷車にも、大きな樽が積まれている。

馬は痩せ、荷車の横を歩く男たちの服には乾いた泥がこびりついていた。

マレクが手を上げ、こちらの馬車を止める。


「ラグナ方面からか」


先頭の男が警戒するように俺たちを見る。

三十代半ばほど。

日に焼けた額へ布を巻き、頬はこけていた。

マレクが王命書を見せると、男の肩から少しだけ力が抜けた。


「北の村へ水を運んでる」


「水源は?」


「この先の湧き井戸だ。まだ完全には枯れてない」


「村の井戸は」


「昨日までに三つ枯れた」


男は荷車の樽を振り返る。


「川も減った。先週までは腰まであったのに、今朝は足首だ」


「いつからだ」


「ラグナの障壁が閉じた頃からだよ」


ネネが顔を上げる。


「城護盾バスティオンが展開した日?」


「ああ」


男は北東の空を見た。

まだ都市は見えない。

だが、雲の下が淡く青く染まっている。


「中の連中は無事なんだろ」


声に、隠しきれない棘が混じった。


「市場も井戸も動いてるって話だ。外の村には、門一枚開けないのにな」


「市内から連絡は?」


「何もない。近づけば障壁に弾かれる」


男の怒りは、俺たちへ向けるものではない。

それでも、吐き出す相手がほかにいないのだろう。

俺は馬車を降りた。


「水路を確認してもいいですか」


「見ても水は出ないぞ」


「それでも確認します」


街道脇の水路へしゃがむ。

石で固められた底は乾き、細かな亀裂が走っている。

手を近づけ、《不具合鑑定》を意識する。

表面に水はない。

だが、その下には細い赤線が残っていた。


《対象名称――ベルク支線水路》


《状態――表層給水停止》


《地下水流――残存》


《流路変更――外部干渉》


《流出方向――北東》


《干渉元――確認範囲外》


水が消えたわけではない。

本来とは違う方向へ流されている。

北東。

ラグナと同じ方角だ。

だが、ここからでは原因までは見えない。

城護盾かもしれない。

別の魔導設備かもしれない。

誰かが地下水門を切り替えた可能性もある。


「水は地中に残っています」


俺は男へ言った。


「ただ、本来と違う方向へ流れを変えられています」


「どこへ」


「北東です」


「ラグナじゃないか」


男の声が大きくなる。


「バスティオンが何かやってるんだろ!」


「可能性はあります」


「可能性で、こっちは何日待てばいい!」


男が一歩近づく。


「子どもに飲ませる水まで減らしてるんだぞ!」


慎重な言葉は、責任逃れに聞こえることがある。

だが、ここで断定すれば、別の原因を見落とす。

分からないものを、分かるとは言えない。

セラが俺の隣へ立った。

剣へ手をかけたわけではない。

男をにらんでもいない。

ただ半歩、俺の前へ出ただけだった。

それだけで、男の足が止まる。


「トーマは、分からないことを分かるとは言わない」


セラが言った。


「だが、見つけた異常を隠しもしない」


「それで水が戻るのか」


「戻らない」


セラは即答した。

男の顔が歪む。


「だから、戻す方法を探しに行く」


慰めでも、成功の約束でもなかった。

できるか分からないことを、セラはできるとは言わない。

それでも、男はしばらくして拳を下ろした。


「村の名前を教えてください」


俺は黒い記録帳を開いた。


「枯れた井戸の数と、住民の数も」


「記録して、どうなる」


「今すぐ水は出ません」


俺は答えた。


「でも、誰が、いつ、どれだけ失ったのかを残さなければ、後で被害そのものがなかったことにされます」


男は俺の帳面を見た。


「ベルク村」


やがて、低い声で答える。


「百六十二人。子どもは三十八人。枯れた井戸は三つだ」


俺は書き留めた。


「家畜は?」


「馬が十二。牛が二十七。羊が昨日三頭死んだ」


それも記録する。


マレクが宿駅までの道を説明し、王命調査団の名で予備水を受け取れるよう書付を渡した。


「全部の村には足りない」


男が言う。


「分かっている」


マレクは答えた。


「だから、ほかの村の人口と井戸の状態も集めてくれ。人数が分からなければ、必要な荷車の数も決められん」


男は書付を受け取った。

礼は言わなかった。

言う必要もない。

荷車が西へ去っていく。

乾いた車輪の音が、長く街道へ残った。




―――


昼を過ぎた頃、街道は狭い谷へ入った。

両側には切り立った岩壁。

谷底には古い石造りの水路があり、街道と並んで北東へ伸びている。

水路は完全に干上がっていた。


「ここを越えれば、ラグナ盆地の外縁だ」


マレクが言った。

前方に、崩れかけた検問所が見える。

屋根は半分落ち、門扉もない。

何十年も使われていないように見えた。

その手前で、セラが馬車の壁を二度叩いた。


「止めろ」


御者が手綱を引く。


「何かいますか」


「地面の音が違う」


セラは馬車を降りた。

俺には風の音しか聞こえない。

マレクも丸盾へ腕を通す。


「ネネは馬車から出るな」


「まだ何も――」


「持ち場を守れ」


ネネは言い返しかけ、口を閉じた。


「分かりました」


セラが街道の中央へ進む。


「そこにいるもの。出てこい」


返事はなかった。

代わりに、地面の下から石を擦る音が響いた。

検問所の両脇に立つ石柱へ、青い光が走る。

街道の中央が割れた。

黒い金属の腕が地面を突き破る。

続いて、巨大な長方形の盾。

土と石を押しのけて現れたのは、高さ三メートルほどの人型機兵だった。

身体は黒い金属と灰色の石材で作られている。


左腕に大盾。


右手には、刃のない平たい長槍。


兜に顔はなく、中央に一本の青い光が灯っていた。


《対象名称――古代外縁守護機兵》


《個体識別――路守アグロス》


《状態――非常防衛稼働中》


《主命令――外部接近者の排除》


《命令供給元――北東地下設備》


『外部接近者を確認』


石室で鐘を鳴らしたような声が、谷へ響く。


『管理領域は非常封鎖中。退去せよ』


マレクが王命書を掲げる。


「王命調査団だ! ラグナの異常を確認するため、通行を要求する!」


機兵の青い光が、王命書をなぞる。


『現行統治機構の命令権限――不受理』


「今の王命は通じないらしいな」


マレクが盾を構えた。

路守アグロスが長槍を持ち上げる。

セラはすでに鉄剣を抜いていた。

ただし、その構えには余裕がある。

機兵の強さを測っているように見えた。


『退去せよ』


「通してもらう」


『要求――拒否』


長槍が突き出された。

セラは半歩だけ横へ動く。

槍先が脇を通過した。


すれ違いざま、鉄剣を機兵の肘へ当てる。


金属音。


路守の右腕が大きく跳ねた。

セラが本気で斬れば、関節ごと落とせる。

そう見えた。

だが、剣が触れた瞬間、機兵の足元から赤い線が地面へ走った。


石畳へ亀裂が入る。


「待ってください!」


俺が叫ぶ。

セラは追撃を止め、迫る大盾を受け流して距離を取った。


《受圧転送機構――作動》


《機体損傷負荷――周辺地盤へ分散》


《強制破壊時――街道基礎崩落》


《地下水路への影響――大》


「攻撃した力が、地面へ流れています!」


「壊せば道が落ちるのか」


「それだけではありません。下の水路まで崩れます」


「今は水がない」


「水が戻った時に使えなくなります」


「なら、壊さない」


決断が早い。

路守アグロスが再び突進する。

セラは盾の縁へ剣を添え、押し返さずに軌道だけを変えた。

巨大な盾が岩壁を削る。

機兵を倒すこと自体は難しくない。

だが、倒した時に何が壊れるか分からない相手へ、力任せに剣を振るうことはできなかった。

路守へ向けた衝撃は、足元から街道へ流れている。

守護機兵を頑丈にするのではなく、機兵が受けるはずの損傷を周囲の構造物へ肩代わりさせる仕組み。

北東で起きている異常と同じ構造かは、まだ分からない。

それでも、誰かを守るための負担が、別の場所へ押しつけられている。

偶然とは思えなかった。


「トーマ」


セラが槍を避けながら呼ぶ。


「壊さずに止められるか」


「探します!」


兵器である以上、整備する者がいる。

整備するなら、駆動を止める手段も必要になる。

破壊した時に壊れる場所ではなく、人間が触れることを前提にした経路を探す。


俺は機兵の全身へ視線を走らせた。


盾。


長槍。


胸部。


脚部。


地面へ伸びる太い赤線を避け、別の細い経路を追う。


機兵の背中。

首の付け根近くに、小さな金属環が見えた。


《手動点検環》


《九十度回転時――駆動待機》


《戦闘中使用――想定外》


「背中に停止用の金属環があります!」


「どこだ」


「首の付け根から、手のひら一つ下!」


路守の槍が横薙ぎに振られる。

セラは身を沈め、槍の下へ入った。

そのまま機兵の懐へ踏み込み、膝の内側を蹴る。

倒すためではない。

片足をわずかに浮かせ、姿勢だけを崩す。

機兵の盾が下がった。


セラはその縁を踏み台にして、肩へ跳び乗る。


「右寄りです!」


セラの左手が背面装甲を探る。


「これか」


「輪なら、それです! 右へ九十度!」


路守の巨大な手が背中へ回る。

セラは鉄剣の柄頭を環へ差し込み、身体をひねった。

環は動かない。

長年使われず、錆びついている。

機兵の指がセラの外套をつかんだ。

留め具が外れ、紺色の布だけが巨大な手に残る。

セラは機兵の背へ片膝をつき、剣を握り直した。

金属環が軋む。


三十度。


六十度。


九十度。


路守アグロスの青い光が消えた。

長槍が地面へ落ちる。

巨大な身体が、片膝をついた状態で停止した。

街道へ伸びていた赤い線も薄くなる。


「停止しました」


俺が告げる。

セラは機兵の肩から飛び降りた。


「最初から止める方法はあった」


「整備する人間は必要ですから」


「外からは見えない場所にある」


「管理する者だけが知っていればいい、という設計でしょう」


「親切ではないな」


「管理する側には親切です」


路守の胸部が、一度だけ弱く光った。


『上位照合――』


途切れた声。

青い光がセラへ伸びかけ、消える。

セラが顔を上げた。


「今のは何だ」


俺にも完全な表示は出ていなかった。


《照合対象――》


文字が途中で崩れる。


「何かを確認しようとしました」


「何を」


「まだ確認できません」


セラは俺を見る。

青灰色の瞳が、言葉の続きを待っていた。


「あなたに関係することなら、判明した時点で先に話します」


しばらくして、セラは黒い記録帳を指した。


「書け」


俺は帳面を開いた。

古代外縁守護機兵《路守アグロス》が、停止直前にセラ・ヴァルクへ不明な上位照合を実施。

内容は未確認。

判明後、本人へ報告する。

書いた内容をセラへ見せる。

彼女は一度読み、頷いた。


「行くぞ」


路守アグロスは破壊しなかった。

街道も、地下水路も残った。

だが、あの機兵がなぜ非常状態で動き、誰の命令を受けているのかは分からない。

第四塔を襲った集団が起動したのか。

北東の設備が、自動的に目覚めたのか。

二つの異常は、まだ一つの線にはならなかった。


―――




谷を抜け、長い坂道を上る。

夕方近く。

馬車が丘の頂上へ出たところで、御者が自ら手綱を引いた。

誰も止めろとは言わなかった。

目の前に広がる光景を見れば、進み続けることなどできなかった。

盆地の中央。

巨大な都市ラグナが、淡い青色の半球に覆われている。

城壁も。

塔も。

屋根も。

すべてが透明な障壁の内側にあった。

夕日を反射する障壁は、巨大な水晶の器のように輝いている。

内側の街路には灯りが見えた。

煙突から煙が上がっている。

人々が動いている。

都市は生きている。

完璧に守られている。

その外側は、別の季節だった。


畑は枯れ、川は細くなり、水車は止まっている。

村の井戸には桶を持った人々が並び、家財を荷車へ積んで西へ向かう家族の列が見えた。

空の水桶を抱えた子どもが、乾いた道へ座り込んでいる。


障壁の内側だけが春だった。


外側には、夏の終わりのような乾いた色が広がっている。

ネネが馬車から降りた。

遠くに見える城壁を探す。


「あの中に、兄がいる」


誰も答えられなかった。

俺は丘の端へ歩いた。

視界が赤く染まる。

意識して能力を使うより先に、無数の線が見えた。

村の井戸から。

畑から。

川から。

地面の奥から。

すべての赤線が、ラグナを覆う青い障壁へ吸い込まれている。

数が多すぎる。

頭の奥へ、熱した針を差し込まれたような痛みが走った。

膝が揺れる。

セラが俺の腕をつかむ。


「トーマ」


「大丈夫です」


「大丈夫な人間は、今のような顔をしない」


視界の中央へ、表示が浮かぶ。


《対象名称――城護盾バスティオン》


《稼働状態――最大防護》


《保護対象――ラグナ市内》


《外部資源徴収――継続》


《徴収対象――地下水》


次の文字が重なる。


《地脈魔力》


さらに。


《地盤安定力》


ベルク村の男が言ったことは正しかった。

水は消えたのではない。

ラグナへ集められている。

城護盾は命令を誤解しているわけではない。

外から奪うことまで含めて、正しく動いている。


「何が見える」


セラが尋ねた。

俺は青い障壁を見た。

内側では、街の灯りが一つずつ増えていく。

外側では、村の井戸から最後の水が吸い上げられていた。


「ラグナは守られています」


俺は答えた。


「一滴も失わないように」


セラの指へ力が入る。


「その代わりは」


赤い線の先を見る。

乾いた畑。

止まった水車。

西へ向かう荷車。

障壁の外へ置き去りにされた人々。


「守られていない側が、全部払っています」


城護盾バスティオンは壊れていなかった。

正しく動いているからこそ、外の村が死に始めていた。

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