第三十一話 止めるために切る
「一回もな」
ゼインの声が、旧刑執行場に残った。
セラは剣を向けたまま動かない。
「鎖が正しかったかどうかなど聞いていない」
「せやったな」
「私が聞いたのは、貴様がここで人を殺していたのかだ」
ゼインは中央の石台を見る。
「殺したで」
あっさりしていた。
「何人も」
証拠保全官の表情が硬くなる。
セラだけは変わらない。
「命令でか」
「そうや」
「後悔しているのか」
ゼインの目がセラへ戻った。
「さあな。それより今の話せんか?」
剣先が、わずかに上がる。
「ここで何をする」
「何もせえへん」
「では、なぜいる」
「見に来た」
「何を」
ゼインは答えなかった。
俺は床を見ていた。
《執行接続端――有効》
《司法制御――優先》
《非常時執行路――待機》
裁定院は《保全停止》を決めた。
俺たちは、そのためにここまで来た。
でも、通常停止では止まらなかった。
何かが足りない。
俺は石台の周囲を歩く。
「トーマ」
セラの声。
「前へ出るなと言った」
「ゼインからは離れてます」
「そういう問題ではない」
「もう少しだけ」
床を走る溝。
中央へ集まる古い経路。
その上に重なる、新しい系統。
古い線が消えたわけじゃない。
上から新しい線を重ねている。
現在経路と旧経路。
その境目。
一箇所だけ、表示が違った。
《司法制御接続――固定》
《旧系統接続――継続》
「……ここだ」
しゃがむ。
石床の端に、細長い金属板が埋め込まれている。
現在の停止装置から来た経路が、ここで旧系統の上へ乗っていた。
「何が見えた」
証拠保全官が聞く。
「司法制御と旧系統の接続点です」
「切り離せるのか」
「切る場所は分かります」
俺は表示を見る。
「でも、その後が分かりません」
セラが横へ来る。
「説明しろ」
「今は司法制御が旧系統より優先されてます」
床を指す。
「だから旧系統は《待機》になってる」
「司法制御を切れば」
「司法側は止まります」
そこまでは見える。
問題はその下だ。
《旧系統接続――継続》
「旧系統そのものは切れません」
「切った後どうなる」
「分かりません」
そこで。
「旧系統に負荷が回る」
ゼインが言った。
俺は顔を上げる。
答えた。
初めて、まともに。
背中が冷たくなった。
こいつが答えるということは。
答えても困らないということだ。
「他には」
「言うたら止めるやろ」
「止めます」
「せやから言わへん」
セラの目が細くなる。
「都合のいいところだけ話すのか」
「便利やろ」
「便利だな」
セラは否定しなかった。
俺は床へ視線を戻す。
もう一つ。
聞いておかなければならないことがある。
「切ったら、あなたに何か得がありますか」
ゼインは少し考えた。
「あるで」
また答えた。
「何です」
「それも言わへん」
「なら聞き方を変えます」
俺は言った。
「切らなかったら、あなたは困りますか」
ゼインの口元が止まる。
ほんの一瞬。
「……今すぐは困らへんな」
本当かどうかは分からない。
でも。
「今すぐは」だけが引っかかった。
もし今の答えが本当なら。
ゼインは待てる。
俺たちに今すぐ切らせるため、何かをする必要もない。
「セラ」
「言え」
「たぶん、罠です」
「そうか」
驚かない。
「たぶん、俺たちが切るのを待ってます」
ゼインが笑った。
「勝手につなぐんやな」
「まだ仮説です」
「ほんま真面目やなあ」
俺は無視して、床を追った。
上流。
分岐。
迂回路。
現在経路をたどる。
司法制御から旧系統へ乗る場所が、他にないか探す。
一本。
二本。
全部、ここへ集まっている。
「……ない」
「何がだ」
「別の場所で切る方法です」
俺は立ち上がった。
「旧図と、今見えてる接続を照らし合わせました。司法制御から旧系統へ入る接続点は、確認できる範囲だとここだけです」
ゼインは何も言わなかった。
俺が経路を探している間も、止めようとはしなかった。
「時間は」
セラが聞く。
「分かりません」
俺は答えた。
「今、記録院の壁がどうなってるか、ここからは見えません」
「見に行くか」
「戻ったら、時間を無駄にします」
その間も。
たぶん、変質は進んでいる。
たぶん。
それすら確かめられない。
見える能力を持っているのに。
見えない場所のことを、想像で決めるしかない。
一番やってはいけないことだ。
「証拠保全官さん」
「何だ」
「今の命令だけで、ここを切れますか」
男はすぐに首を振った。
「無理だ。停止手順の実施命令であって、設備の物理切断までは含まれていない」
「確認を取れるまで、どれくらいですか」
「往復すればそう長くはかからない」
「お願いします」
男が通路へ向かう。
ゼインは止めない。
セラが言った。
「不都合か」
「別に」
「では黙っていろ」
「冷たいな」
「貴様に温かくする理由がない」
足音が遠ざかっていく。
俺は床から目を離さなかった。
切れば、司法制御は止まる。
裁定院の目的とは一致する。
火災現場へ流れているかもしれない負荷も、条件を一つ外せる。
でも、その下にはまだ生きているものがある。
そして。
それを待っている可能性がある男が、目の前に立っている。
―――
地上。
証拠保全官の報告を受けた裁定官は、すぐには命令を出さなかった。
机上には、地下から届いた略図が置かれている。
司法制御。
旧系統。
接続点。
その横に、観察結果。
《司法制御接続――固定》
《旧系統接続――継続》
「もう一点あります」
報告に来た証拠保全官が続けた。
「地下で、技術観察者がゼイン本人へ、切断によって利益があるのか確認しています」
裁定官が顔を上げる。
「回答は」
「『ある』と」
法廷が静まった。
「内容は」
「回答を拒否しました」
リゼットの筆が止まる。
「技術観察者の見解は」
「切断を待っている可能性が高い、と」
カルドが口を開いた。
「つまり、罠である可能性がある」
「はい」
「それを承知で、切断を申し立てるのか」
リゼットはすぐには答えなかった。
「いいえ」
カルドの眉がわずかに動く。
「私は切断を申し立てていません」
「では何をしている」
「通常停止が成立しないこと。証拠の変質が続いている可能性があること。切断後の安全が確認できていないこと」
一度、区切る。
「そして、ゼイン本人が『切断によって自分に利益がある』と回答したこと」
リゼットは裁定官を見た。
「全部を含めて、判断してください」
カルドの親指が、ゆっくり回っている。
「都合がいいな」
「何がですか」
「危険な判断だけ他人へ渡せる」
法廷の空気が張った。
リゼットはすぐには答えなかった。
「そう見えるかもしれません」
「違うと?」
「私は弁論補佐人です」
静かな声。
「私が執行判断へ入り込まないことも、この手続きの一部です」
カルドが黙る。
「ただ、情報を隠すつもりもありません」
リゼットは記録を見る。
「切断すれば、被告人に有利な結果が出るかもしれない」
「逆もある」
「はい」
「もっと悪い事態になるかもしれない」
「否定できません」
「それでも?」
「どの結果でも」
リゼットは答えた。
「記録します」
親指が。
一度だけ、逆へ回った。
裁定官が立つ。
「命令を追加する」
―――
命令が地下へ届くまで、思っていたより早かった。
証拠保全官が戻ってくる。
紙を開き、読み上げた。
「証拠保全のため、旧刑執行場の接続点に限り物理的切離を許可する」
セラが顔を上げる。
「神造兵器本体への損傷は禁止。旧系統そのものへの操作も禁止。異常な系統稼働を確認した場合は作業を中止し、人員の安全確保を優先する」
短い。
必要なことしか書かれていない。
証拠保全官が命令書を閉じた。
「切断作業に必要な者以外は、旧刑執行場の外へ退避する」
それからゼインを見る。
「お前もだ」
「ええで」
あまりにも簡単に答えた。
ゼインは中央の石台から降りた。
セラが剣を下げないまま、その動きを追う。
「通路へ出ろ」
「分かっとる」
ゼインは開いた石扉を越えた。
旧刑執行場の外。
こちらから姿を確認できる位置まで下がると、通路の壁へ背を預けた。
セラの眉がわずかに動く。
「随分素直だな」
「切るんやろ?」
「だから何だ」
「今は邪魔する理由ないしな」
それきり、何も言わなかった。
証拠保全官が俺を見る。
「残るのは三人だ。私と、切断を行う騎士。それから接続箇所を確認するお前」
「分かりました」
「異常を確認した時点で中止する」
「はい」
「場所は」
セラが俺を見る。
俺は中央の石台から少し離れた床を指した。
「ここです」
石の隙間。
その中を走る司法制御線。
その下に旧系統。
「深さは」
「表面から二指くらいです。それより深いと旧系統まで切ります」
「浅ければ」
「司法制御が残ります」
セラが剣を合わせる。
刃を接続部へ置いた。
そして。
そのまま止まった。
「トーマ」
「はい」
「私は、お前が止めろと言えば止める」
一呼吸。
「だから、罠だと思うなら今言え」
俺は言えなかった。
罠だと思う。
それでも切るしかない。
両方本当だ。
でも。
そう言えば、セラは俺の判断ごと引き受けることになる。
「……切ってください」
「理由は」
「他に方法がないからです」
「それは理由か」
セラは目を逸らさない。
「今は、それしかありません」
言い切った。
胃が重い。
セラはしばらく俺を見ていた。
やがて、剣の位置を戻す。
「分かった」
石扉の向こうから、ゼインの声が届いた。
「ほんまに切るんや」
セラが横目で見る。
「不満か」
「逆や」
静かだった。
「見たかった」
「何をだ」
ゼインは俺じゃなく、セラを見る。
「決めるとこ」
セラの手は止まらない。
「命令が出たから切るんやろ?」
ゼインが聞く。
「なら、お前は何も決めてへんな」
セラの目が細くなった。
「違う」
「どう違う」
「命令がなければ、私は切らない」
「ほらな」
「だが」
セラは剣先を接続部へ戻した。
「命令が出たから、考えなくていいとも思っていない」
ゼインが黙る。
「切る場所はトーマが見た。危険も聞いた」
一呼吸。
「それでも実行すると決めたのは、私だ」
ゼインの表情が、わずかに変わった。
セラが言う。
「いくぞ」
「はい」
剣が落ちた。
鋭い音。
金属が切れる。
火花が散った。
一瞬、すべての音が消える。
俺はすぐに《不具合鑑定》を向けた。
《司法制御――切離》
止まった。
「切れました!」
証拠保全官が記録する。
その直後。
表示が、もう一つ変わった。
《非常時執行路――待機解除》
「……え」
床の奥で、何かが鳴った。
重い。
長い。
一つじゃない。
壁。
床。
天井。
処刑場に埋め込まれた古い鎖が、同時に震えた。
証拠保全官が後ろへ下がる。
「異常稼働を確認! 切断作業を中止する!」
作業そのものは、もう終わっている。
それでも命令通り、俺たちは接続部から離れた。
セラが俺の前へ入る。
床の溝に、淡い光が走った。
中央へ。
石台へ。
そこで止まると思った。
違った。
光が分かれる。
石台を越える。
処刑場の端まで走る。
さらに。
開いた石扉を越えた。
「……え」
光は通路へ伸びていく。
向かう先には。
ゼインがいる。
俺の視界に、新しい表示が出た。
《執行者接続――探索》
「執行者……?」
細い鎖が床を這う。
石扉を越え。
通路へ出る。
ゼインは逃げなかった。
自分へ近づいてくる鎖を、ただ見ている。
セラの表情が変わった。
「下がれ、ゼイン!」
「もう下がっとるやろ」
「もっとだ!」
ゼインは動かなかった。
そして。
初めて目を閉じた。
鎖が追いつく。
足首。
手首。
腰。
順番に触れていく。
攻撃じゃない。
まるで。
本人かどうかを確かめている。
《執行者接続――照合》
ゼインの袖がずれた。
手首に、古い傷がある。
鎖を巻かれ続けたような、何本もの痕。
「ゼイン!」
セラが石扉へ向かって踏み出す。
「待って!」
表示が変わった。
《執行者接続――成立》
その瞬間。
処刑場から通路まで伸びていた鎖が、すべて止まった。
静寂。
ゼインが目を開ける。
淡い灰色の瞳。
さっきまでと、何かが違う。
「……残っとったか」
小さく呟いた。
セラが剣を構える。
「何がだ」
「昔の仕事」
「説明しろ」
ゼインは自分の手首を見る。
「それは言わへん」
「なら拘束する」
セラが踏み込んだ。
右足。
半歩。
最適から外した入り方。
見せたことのない形。
ゼインは動かなかった。
読めないはずだった。
なのに。
床から鎖が跳ね上がる。
セラの右足へ。
「なっ――」
足首を巻いた。
踏み込みが止まる。
ゼインは一歩も動いていない。
俺は表示を見た。
《拘束条件――成立》
なんで。
セラは今までと違う動きをした。
ゼインが見た過去と、完全には同じじゃない。
でも。
最初の一歩。
右足へ体重を乗せ、腰を沈める。
攻撃へ移る直前の、あの始まりだけは何度も見せている。
ゼイン自身が避けるには、その先の動きまで読む必要があった。
鎖は違う。
記録された始動条件が成立した、その瞬間を拾えばいい。
ゼインが俺を見る。
「見たことは」
静かな声。
「証言になるって言うたやろ」
鎖がセラの足首を締める。
「ここやと」
ゼインは通路の壁へ背を預けたまま。
「証言したことを」
床の鎖が、さらに一本動く。
「鎖が聞いてくれる」
セラが剣で足元の鎖を弾いた。
火花。
一本が外れる。
その隙に距離を取った。
「トーマ」
「はい!」
「さっきまでの奴と違うぞ」
「はい」
ゼイン自身が避ける必要はない。
見た動き。
過去の事実。
それを条件にして、今度はアレーテイアが止める。
《証言》と、真実鎖。
別々だったものがつながった。
セラがゼインを睨む。
「神造兵器の旧機構を知り、それが起きるのを待っていた」
一度、俺を見る。
そして再びゼインへ。
「神造兵器を利用し、私たちの動きを探る」
剣先が上がる。
「貴様」
低い声。
「空座か」
ゼインの目が、ほんの少し細くなった。
今度は否定しない。
「気づくん遅いな」
「答えろ」
「せやで」
静かだった。
自慢もしない。
笑いもしない。
「空座九座環」
石扉の向こうで、止まったままの古い鎖に囲まれて、ゼインは言う。
「その一席におる」
俺の視界で、もう一つ表示が変わった。
《非常時執行路――接続復旧》
その下。
《局所執行系――稼働》
《執行者接続――成立》
今まではゼインがセラを見ていた。
今度は違う。
壁の鎖が動く。
床の鎖が動く。
天井の鎖まで、ゆっくりセラへ向きを変える。
ゼインは一本にも触れていない。
「ほな」
静かな声が落ちる。
「今度は」
鎖が鳴った。
「こっちの番や」




