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最強女騎士は、あと百二十日で壊れる ~粗探ししかできないハズレスキル《不具合鑑定》の俺だけが、それに気づいた~  作者: 出水克幸
城護盾バスティオン編

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2/35

第二話 嘘をつくには、彼女は近すぎた

嘘をつくのは苦手だ。


だから俺は、事実を一つだけ言わないことにした。


言わなかっただけで、嘘はついていない。


そんな言い訳が通用しないことくらい、分かっている。


「では、最初から確認します」


向かいに座る少女が、銀色の小缶を開けた。


中から琥珀色の粒を一つ取り出し、口へ入れる。


蜂蜜と柑橘の皮を煮詰めた、王宮医官の薬飴(くすりあめ)らしい。


事情聴取が始まってから、これで四粒目だった。


「あなたが断界剣(だんかいけん)の異常に気づいたのは、ギデオン(きょう)(つか)へ触れる前ですね」


「はい」


断界剣アークが折れてから、およそ二時間。


俺は王城西棟の記録室にいた。


壁一面を、革張りの記録簿が埋め尽くしている。


天井近くまで並んだ棚。


積み上げられた書類。


乾いた紙とインクの臭い。


窓からは、半壊した大広間の一部が見えた。


切断された柱。


板で塞がれた窓。


床を覆う白い瓦礫(がれき)


騎士と使用人たちは、今も後始末に追われている。


あれだけの事故で、死者は出なかった。


重傷者も、命に関わる者はいないと聞いている。


喜ぶべきことだ。


ただ、断界剣アークがあと数秒長く暴走していたら、結果はまったく違っていた。


「具体的には、どの時点ですか」


少女が羽根ペンを構える。


黒い髪を一本の三つ編みにまとめ、灰色の制服を着ている。


年齢は俺と大きく変わらないように見えた。


小柄で、声も穏やかだ。


ただし、眠そうな灰色の瞳だけは、俺の言葉を一つも見逃す気がない。


「セラ・ヴァルクが大広間へ入った直後です」


羽根ペンの動きが止まった。


口にした後で、余計な情報だったと気づく。


少女が顔を上げる。


「ヴァルク卿の入室と、断界剣アークの異常に関係があるのですか」


「分かりません」


「分からないのに、入室直後だと覚えている」


「そのとき、台座から音がしました」


「どのような音ですか」


「錠が外れるような音です」


「ほかに聞いた者は?」


「確認していません。ただ、反応した人はいませんでした」


「分かりました」


少女は余計な感想を口にせず、記録帳へ書き込んだ。


先ほどから、俺の言葉を勝手に言い換えることはしない。


言ったこと。


言わなかったこと。


自分で確認したこと。


推測したこと。


それぞれを、別の欄に分けているようだった。


「紹介が遅れたな」


部屋の奥にいた男が、低い声で言った。


グレイヴ・ハルフォード。


五十八歳。


国王の右腕として、王国の政務を取り仕切る宰相(さいしょう)だ。


断界剣の事件後、国王への報告から負傷者の手配まで、すべてを指揮している。


深く刻まれた眉間のしわは、今日一日でできたものではなさそうだった。


「その娘は、王室記録官のリゼット・クロウだ」


「リゼットです」


少女が小さく頭を下げた。


「証言を記録し、事実と推測を分けるのが私の仕事です」


ずいぶん普通の紹介だった。


先ほどまで警戒していた自分が、少し恥ずかしくなる。


「ただし、証言に隠し事があれば、個人用の調査記録には残します」


前言を撤回する。


「表情だけで分かるのですか」


「表情だけでは分かりません」


リゼットは即答した。


「言葉の順番、答えるまでの時間、視線、前後の証言との違いを見ます。それでも分かるのは、何かを隠しているところまでです」


「何を隠しているかまでは?」


「証拠がなければ推測です」


その線引きは、信用できる。


少なくとも、本人の勘だけで人を罪人扱いする人間ではないらしい。


「続けます」


リゼットが銀の小缶を閉じた。


小さな金属音が、話の区切りのように鳴る。


「断界剣アークには、三つの封印があった」


「はい」


「第一は王家の血。第二は一定以上の魔力。第三は、管理権限との接続」


「そう表示されました」


「第一と第二はギデオン卿が満たした。第三の封印は、ヴァルク卿が入室した直後に解除された」


「時刻は一致しています」


「接続先は確認できましたか」


来た。


最も答えたくない質問だった。


脳裏に、セラの胸元へ浮かんだ文字が蘇る。


《分類――神造兵器・第九号》


《機能――統制鍵》


《完全破損まで――推定百二十日》


あれを報告すれば、どうなる。


セラは王国最強の騎士ではなく、国が管理すべき兵器として扱われるかもしれない。


拘束される。


身体を調べられる。


危険と判断されれば、封印される可能性もある。


だが、俺自身も表示の意味を完全には理解できていない。


人間と同じ姿をしている。


人間と同じように話し、考え、笑っている。


それなのに、俺の能力は彼女を神造兵器と判定した。


なぜなのか。


百二十日後に何が起きるのか。


分からないことばかりだ。


確証のない報告で、彼女の人生を壊すわけにはいかなかった。


「接続先までは確認できませんでした」


俺は答えた。


リゼットの羽根ペンが止まる。


彼女は俺を見た。


「もう一度、同じ質問をします」


「答えは変わりません」


「そうですか」


追及されると思った。


だが、リゼットは記録帳へ視線を戻した。


「証言欄には、接続先は確認できなかったと記載します」


「信じるんですか」


「信じるかどうかは、記録官の仕事ではありません」


リゼットの声は静かだった。


「ただし、あなたが何かを伏せている可能性は、私の調査記録へ残します」


「推測なのに?」


「推測だから、公式記録には書きません」


明確だった。


この少女は、何でも疑う。


だが、疑いを事実として扱わない。


その一点だけで、俺は少し肩の力を抜いた。


「次の質問です」


リゼットが言った。


「断界剣アークが折れた直後、七本の光が別々の方向へ飛んだ」


「はい」


「《不具合鑑定》には、何と表示されましたか」


「代替起動信号、送信完了。接続対象は七です」


グレイヴ宰相が、組んでいた腕をほどいた。


「やはり、残る神造兵器へ送られた信号と考えるべきか」


「数は一致します。ただ、断定はできません」


「世界で確認されている神造兵器は、断界剣アークを含めて八つだ」


グレイヴ宰相が、机に置かれた古い革表紙の本へ手を置いた。


「そのすべてを、我が国が保有しているわけではない。この国にあると確認できているのは、断界剣と城護盾(じょうごじゅん)バスティオンの二つだけだ」


「残りは、外国に?」


「ああ」


宰相は机の上へ地図を広げた。


中央に、この国の領土。


その周囲には、複数の国と海が描かれている。


北東には、広大な領土を持つ軍事国家。


南には、商業都市を中心とする国々。


西の海の向こうには、大きな教国があるという。


地図の各地には、形の違う印がつけられていた。


「神造兵器は単なる宝物ではない」


グレイヴ宰相が言った。


「保有しているだけで、他国に軍を動かすことをためらわせる力がある」


「抑止力ですか」


「そうだ。相手がどのような力を隠し持っているか分からなければ、王も将軍も簡単には戦争を始められん」


その言葉で、断界剣アークが三百年以上も大切に保管されていた理由が、少しだけ分かった。


実際に使えなくてもよかったのだ。


山を切り裂いた。


十万の魔物を一夜で葬った。


その伝説が国外へ広まっている限り、断界剣アークには兵器としての価値があった。


「でも、断界剣アークは三百十二年間、誰にも抜けなかった」


俺は言った。


「外国も、それを知っているのでは?」


「抜かれていないことは知られている」


グレイヴ宰相が答える。


「だが、抜けないのか、王家が抜かないのかまでは知られていない」


「王国としては、使おうと思えば使えると?」


「真の継承者が現れるまで、王家が使用を禁じている。国外にはそう説明してきた」


「実際には、王国にも使い方が分からなかった」


「言い方には気をつけろ」


宰相の眉間のしわが深くなる。


「間違ってはいないが、外交の場で口にすれば国が傾く」


断界剣アークの本当の力を、現代の人間は誰も知らなかった。


山を断ったという話も、残っているのは古い記録と伝承だけだ。


本当に山を切ったのか。


どこまで届くのか。


何を代償にするのか。


誰にも分からない。


だからこそ、外国にとっては不気味だった。


正体の分からない兵器は、能力が判明している兵器より恐ろしいことがある。


「今日の事件は、どこまで公表されるのですか」


俺が尋ねた。


大広間には多くの貴族がいた。


完全に隠すことは不可能だろう。


「継承の儀は、断界剣の不調により中断。ギデオン卿と騎士団が被害を抑えた」


グレイヴ宰相は淡々と答えた。


「お前とセラの名は出さない」


「剣が折れたことは?」


「国外には、まだ知らせない」


「隠すのですか」


「隠す」


宰相は即答した。


「断界剣アークが失われたと知られれば、我が国の軍事力を試そうとする者が出る。国境へ兵を動かされれば、魔物の多い地域から討伐隊を引き上げなければならなくなる可能性もある」


人間同士が争えば、その隙を魔物が襲う。


単純に一つの武器が減ったという話ではないらしい。


「事実を隠して、別の問題が起きませんか」


「起きるだろうな」


グレイヴ宰相は疲れた目で俺を見た。


「政治とは、問題をなくす仕事ではない。今すぐ人が死ぬ問題から順に選ぶ仕事だ」


その答えを、俺は好きにはなれなかった。


だが、理解できないわけでもなかった。


「城護盾バスティオンは、断界剣アークとは違う」


グレイヴ宰相が、地図の北東を指す。


「バスティオンは六十八年前、正式に封印を解かれている」


「使われたことがあるのですか」


「ある」


答えたのは、扉の近くから聞こえた別の声だった。


灰角王(かいかくおう)の襲来だ」


いつからいたのか。


扉にもたれたセラが、腕を組んでこちらを見ている。


「事情聴取は終わったのですか」


「私は質問を三つで打ち切られた」


「ヴァルク卿は、質問しても答えたいことしか答えませんから」


リゼットが言った。


「お前には言われたくない」


「私は質問されたことには答えています」


「答えたくないことを、質問されないようにしているだけだろう」


「それも記録官の技術です」


言い合っているようで、二人とも本気で怒ってはいない。


以前から面識があるらしい。


「座れ、セラ」


グレイヴ宰相が言う。


セラは空いている椅子を一つ見た。


それから、なぜか俺の隣へ座る。


ほかにも椅子はある。


「なぜ、そこに座るんです」


「地図が見やすい」


「反対側からでも見えます」


「ここに座ると、何か困るのか」


「困りませんが」


肩が触れそうな距離が、少し気になるだけだ。


口にする必要はない。


セラは地図へ顔を向けた。


「灰角王ヴァルガルド」


その名前は、俺も知っている。


子どもを早く寝かせるための昔話にも登場する、伝説の魔物だ。


夜更かしをする子どもは、灰色の角に連れ去られる。


食事を残すと、灰角王が窓からのぞいている。


子どもの頃、エルシアに何度も聞かされた。


ただし、姉が話す灰角王は途中から王国の税制度を批判し始めるため、あまり怖くなかった。


「灰角王は実在した」


グレイヴ宰相が言った。


「六十八年前、北東山脈から現れ、無数の魔物を従えてラグナへ押し寄せた」


「どのような魔物だったのですか」


「記録では、四足で歩き、城門を越えるほど巨大な角を持っていた。歩くたびに大地が揺れ、咆哮(ほうこう)だけで馬が逃げ出したとある」


この世界には、人間以外の脅威がいる。


大地を流れる魔力が淀み、濃い魔瘴(ましょう)となる場所がある。


魔瘴に長く触れた獣や植物は、姿と性質を変える。


異常に巨大化するもの。


牙や爪が金属のように硬くなるもの。


火や毒を吐くもの。


そうした異形を、人々はまとめて魔物と呼んでいた。


小型の魔物なら、猟師や数人の兵士でも倒せる。


だが、群れを作るもの。


城壁を破壊するもの。


ほかの魔物を従えるものもいる。


一国の軍隊だけでは止められない個体は、災厄種(さいやくしゅ)と呼ばれていた。


灰角王ヴァルガルドは、その一体だ。


「灰角王は、周囲の魔物を支配する力を持っていた」


グレイヴ宰相が続ける。


「狼型、鳥型、地中を進むものまで、数万の魔物がラグナへ押し寄せた。通常の軍では止められなかった」


「そこで城護盾バスティオンを解放した」


俺が言う。


「ああ。当時の盾守(たてもり)がバスティオンを起動し、ラグナ全体を障壁で覆った」


障壁は七日間、灰角王と魔物の大群を防いだ。


その間に、王国内の騎士団と周辺国の援軍が集結。


灰角王は討伐され、魔物の群れも散った。


少なくとも、歴史書にはそう記されている。


「だから、バスティオンの力は知られているのですね」


「都市全体を覆う障壁」


グレイヴ宰相がうなずく。


「武器による攻撃、攻撃魔法、魔物の侵入を防ぐ。歴代の盾守が管理し、必要な範囲だけを展開できる」


「断界剣アークとは違って、今も使える」


「正確には、封印解除済みで、通常は休眠状態にある」


グレイヴ宰相は地図上のラグナを指で押さえた。


「盾守が起動を承認すれば、外壁の一部だけを守ることも、都市全体を覆うこともできる。城門や伝信塔(でんしんとう)だけを障壁の対象から外すことも可能だ」


断界剣アークは、誰にも使い方が分からない。


未知の力と伝説そのものが抑止力になっていた。


城護盾バスティオンは違う。


実際に都市を七日間守った。


その実績と、現在も起動できるという事実が、敵国と魔物への抑止力になっている。


「つまり、同じ神造兵器でも立場が違う」


俺は言った。


「断界剣アークは、何が起きるか分からないから恐れられていた。城護盾バスティオンは、何ができるか分かっているから恐れられている」


「そういうことだ」


グレイヴ宰相は古い記録書へ手を置いた。


「残る神造兵器も、他国で同じような役割を担っている。王家が所有するもの。教会が聖遺物として管理するもの。都市国家の守りに使われるもの」


「壊せば、国同士の均衡が変わる」


「ようやく話が早くなってきたな」


「嫌な話だから、理解したくなかっただけです」


神造兵器の欠陥を止める。


それだけでは済まない。


一つ止めるたびに、一つの国が守りを失う。


その隙を他国が狙う。


あるいは、魔物が人里へ押し寄せる。


正しいことをすれば、すべてが良い方向へ進む。


そのような単純な世界ではないらしい。


リゼットが羽根ペンを置いた。


「最後の質問です」


「まだ続くのですか」


「事情聴取の途中で、宰相閣下が説明を始めただけです」


「必要な説明だ」


グレイヴ宰相が言う。


「必要ですが、私の質問ではありません」


リゼットは俺を見る。


「あなたは、自分の能力を信用していますか」


予想していなかった質問だった。


「信用しているから、断界剣アークを止めたのでは?」


「見えたものを、すべて正しいと決めつけたことはありません」


「なぜですか」


「俺に見えるのは未来ではありません。壊れる条件と、そこへ至る道筋です」


条件が揃わなければ壊れない。


対策をすれば、事故を防ぐこともできる。


《不具合鑑定》が見せるのは、決められた運命ではない。


「人間に使った場合は?」


リゼットが尋ねた。


「何が分かりますか」


「性格や考えていることは分かりません」


俺は答えた。


「身体や魔力回路に異常があれば、どのような条件で傷つくかが見えることはあります。呪いや契約が身体を壊そうとしている場合も」


「病名や寿命は?」


「普通の人間なら、見ただけで分かるものではありません。近くで集中するか、触れて調べなければ見えない異常もあります」


「便利ではありますが、万能ではない」


「壊れ方が見えるだけです。治し方までは教えてくれません」


リゼットは、その説明を正確に記録した。


「可能性を見て、人を止めるのですね」


「事故が起きてからでは遅いので」


「間違っていたら、嫌われます」


前世で、何度も言われた。


心配しすぎだ。


問題ばかり探すな。


納期に間に合わなくなる。


今まで事故は起きていない。


最後に聞いたのは、金属の折れる音だった。


「嫌われることと、人が死ぬことなら、嫌われる方を選びます」


リゼットは、すぐには書かなかった。


一度だけ目を伏せ、それから記録帳へ短く書き込む。


「何と書いたんですか」


「事故を止めるためなら、自分が悪者になることを受け入れる」


「少し大げさでは?」


「本人が思っているより、扱いにくい性格とも書きました」


「後半は必要ですか」


「必要です」


リゼットは真顔だった。


「扱いやすい人間だけで組織を作ると、全員で同じ間違いをします」


グレイヴ宰相がため息をつく。


「リゼット。本人の性格評は、公式記録から外せ」


「理由は?」


「これから王命を与える人間が、任命前から扱いにくいと記録されていては、私の見る目が疑われる」


「実際、扱いにくいのでは?」


「それでも任命しなければならないから困っている」


本人の前で話さないでほしい。


グレイヴ宰相が、別の地図を机へ広げた。


王都から北東へ伸びる街道。


山脈の手前に、黒い線で囲まれた都市がある。


「要塞都市ラグナから、非常符号が届いた」


宰相が、薄い木札を地図の上へ置く。


魔力で焼きつけられた文字が、三行だけ並んでいた。


『障壁、命令なく展開』


『城門、開放不能』


『次報、送信不能』


「これだけですか」


俺が尋ねる。


「これだけだ」


王都とラグナの間には、軍用の伝信塔が設けられている。


塔の頂上にある魔石の光を、街道沿いの次の塔へ送る。


会話はできない。


長い文章も送れない。


敵軍接近。


増援要請。


城門閉鎖。


あらかじめ決められた短い符号を、馬より早く届けるための設備だ。


詳しい事情は、騎馬伝令が運ぶしかない。


「断界剣アークが壊れてから、およそ四十分後に最初の符号が届いた」


グレイヴ宰相が説明する。


「その後、ラグナの伝信塔は一度も応答していない」


「命令なく、ということは」


俺は木札を見る。


「盾守が起動したのではない?」


「少なくとも、正式な手順は踏まれていない」


「通常なら?」


「盾守が城主と守備隊長の承認を受け、展開範囲と持続時間を伝信塔から報告する」


「今回は、その報告より先に障壁が出た」


「そうだ」


城護盾バスティオンの能力自体は知られている。


都市全体を覆う障壁。


攻撃魔法と物理攻撃を防ぎ、魔物の侵入を拒む。


だが、本来は人間が制御する兵器だ。


すべての城門を閉ざし、内側からの連絡まで遮断するような使い方はされない。


「敵国の攻撃を受けている可能性は?」


セラが尋ねる。


「否定できん」


「魔物の群れは?」


「それも分からん」


グレイヴ宰相は、地図上の北東山脈へ目を向けた。


「灰角王は六十八年前に討伐された。だが、あの山脈から災厄種が現れたのは一度だけではない」


「別の伝説級の魔物が現れた可能性もある?」


俺が聞く。


「今は何も判断できん」


グレイヴ宰相は首を横へ振った。


「伝信塔から届いたのは、あの三行だけだ。情報が足りないからといって、都合のよい想像で空白を埋めるな」


その言葉は、記録官のリゼットが言いそうなものだった。


彼女を見ると、わずかに不満そうな顔をしている。


先に言われたのが気に入らなかったらしい。


「分からんことを確かめるために、お前たちを行かせる」


グレイヴ宰相が言った。


「明朝、ラグナへ出発してもらう」


「通常なら、何日ですか」


「馬車で七日。街道沿いの宿駅(しゅくえき)で馬を交換する急行馬車なら、三日だ」


「夜も走るのですか」


「平地ではな。山道を夜間に走らせれば、人間より先に車軸が壊れる」


急げと命じる立場でありながら、道具と人間の限界を無視しない。


グレイヴ宰相は、結果のためなら何でも切り捨てる人間ではないらしい。


「護衛騎士を二名つける」


「私がいる」


セラが言う。


「お前は護衛であると同時に、調査対象でもある」


セラの目が細くなった。


「どういう意味だ」


グレイヴ宰相が俺を見る。


説明しろということだろう。


「断界剣アークの第三封印が解除された時刻と、セラが大広間へ入った時刻が一致しています」


「私が剣を起動させたのか」


「可能性はあります」


「可能性ではなく、お前が分かっていることを言え」


セラの声から、軽さが消えた。


何も話さなければ、かえって疑われる。


すべてを話せば、彼女の立場を壊す。


なら、確認できた事実だけを話すしかない。


「断界剣アークから伸びた魔力経路が、あなたへ接続していました」


部屋の空気が、わずかに変わった。


セラは驚かなかった。


ただ、組んでいた腕をほどく。


「私の《完全適合》が、断界剣アークに反応したということか」


「その可能性が最も高いと思っています」


これは嘘ではない。


《完全適合》と神造兵器に関係があることは間違いない。


ただし、原因と結果が逆だった。


セラがあらゆる武器へ適合するのではない。


彼女自身が神造兵器の統制鍵だから、あらゆる武器が彼女を受け入れている。


「断界剣が壊れた後も、接続の痕跡が残っています」


「身体に異常は?」


「今すぐ命に関わる損傷は見えていません」


「今すぐ、か」


セラは、その言葉を聞き逃さなかった。


「人間の身体は、道具ほど単純ではありません」


俺は言葉を選ぶ。


「魔力回路の形にも個人差があります。あなたの場合は《完全適合》という特殊な能力もある。何が正常で、何が異常なのか、比較する材料が足りません」


「だから城護盾バスティオンを見たい?」


「はい」


俺はうなずいた。


「断界剣だけを見ても、神造兵器に共通する構造なのか、断界剣だけの異常なのか判断できません。城護盾を直接鑑定すれば、あなたとの接続についても何か分かるかもしれません」


セラはしばらく黙っていた。


完全には納得していない。


だが、話の筋は通っていると判断したらしい。


「一つ確認する」


「何ですか」


「お前が隠しているのは、私が今すぐ死ぬような話ではないな」


胸元に、表示が浮かんでいる。


《完全破損まで――推定百二十日》


今すぐではない。


少なくとも、今日ではない。


「はい。今すぐ命に関わる状態ではありません」


今度は、彼女の目を見て答えた。


セラはゆっくりとうなずく。


「なら、ラグナまでは待つ」


「信じるんですか」


「全部は信じていない」


セラは俺へ人差し指を向けた。


「だが、お前が何も考えずに黙っているわけではないことは分かった」


「ありがとうございます」


「礼を言うな。期限を与えただけだ」


「期限?」


「ラグナで城護盾を調べたら、分かったことを私にも話せ」


「確認できた範囲なら」


「また逃げ道を作ったな」


「確認できていないことは話せません」


「いいだろう」


セラは指を下ろした。


「ただし、私に関係することを、私より先にほかの人間へ話すな」


「約束します」


グレイヴ宰相が、二人のやり取りが終わるのを待って口を開いた。


「本日付で、トーマ・リードを王命調査官へ正式に任命する」


宰相が、一枚の書状を差し出した。


「大広間で国王陛下から言われた時点で、決まっていたのでは?」


「あれは口頭命令だ。これは任命状だ」


「書面になったことで、逃げられなくなった気がします」


「気のせいではない」


「拒否すれば?」


「王命拒否として拘束する。その後、護送馬車でラグナへ運ぶ」


「結局、行くんですね」


「理解が早くて助かる」


俺は任命状を受け取った。


選択肢は最初からなかったらしい。


「諦めろ、トーマ」


セラが肩を叩く。


「あなたは楽しそうですね」


「旅は嫌いではない」


「原因不明の異常を調べに行くんですよ」


「途中で食べたことのない料理があるかもしれない」


「食事が目的になっていませんか」


「食べなければ戦えない」


冗談のように言っているが、セラは本気だった。


この人は、食事と戦闘を同じくらい重要なものとして考えているらしい。


記録室を出て、長い廊下を進む。


半分ほど歩いたところで、後ろから呼び止められた。


「トーマ・リード」


振り返ると、リゼットが立っていた。


手には、黒い表紙の小さな帳面がある。


「王命調査官用の記録帳です」


受け取る。


見た目より重い。


「確認した異常、能力を使用した対象、負傷者、破壊した物を記録してください」


「破壊することが前提なのですか」


「ヴァルク卿と同行しますので、念のためです」


「否定できません」


リゼットは帳面を渡した後も、その場を動かなかった。


「まだ何かありますか」


「第三封印の接続先は、ヴァルク卿ですね」


心臓が大きく鳴った。


リゼットは俺の顔を見て、小さく息を吐く。


「今の反応で、可能性が高くなりました」


「鎌をかけたのですか」


「はい」


「記録官が、そのようなことをしてよいのですか」


「公式記録には書きません」


「なぜ?」


「証拠がないからです」


リゼットは銀の小缶を取り出した。


だが、蓋を開けただけで、飴は取らなかった。


「推測だけで報告すれば、ヴァルク卿は拘束される可能性があります」


「分かっているんですね」


「王宮の過去の記録を読んでいますから」


リゼットの声が、少しだけ低くなる。


「人間は、理解できないものを恐れます。恐れたものを、まず閉じ込めます」


「それでも、報告するのが仕事では?」


「事実なら報告します。推測ではしません」


彼女は俺を見る。


「ただし、あなたが隠したことでヴァルク卿が危険になった場合は、今日の証言をすべて提出します」


「脅しですか」


「警告です」


リゼットは、銀の小缶の蓋を閉じた。


「私は、誰かが記録の中だけに残るのを見たくありません」


先ほどまでより、意味が分かりやすかった。


そして、その分だけ重かった。


「死なせません」


俺は答えた。


「できますか」


「できる方法を探します」


リゼットは、しばらく俺を見つめた。


それから、小さくうなずく。


「その言葉は、記録しておきます」


「公式記録へ?」


「いいえ。私の記録です」


彼女は背を向けた。


その背中が、初めて年齢相応に小さく見えた。


王宮倉庫管理局の宿直室へ戻ると、セラが先に来ていた。


「なぜ俺の部屋にいるんです」


「護衛だからだ」


「出発は明朝です」


「今夜逃げられると困る」


「逃げません」


「王命を断れるか聞いていた」


「確認しただけです」


「私には同じに聞こえる」


宿直室には、ベッドと机、小さな棚しかない。


着替えを鞄へ詰める。


工具箱から、拡大鏡、測定糸、白墨(はくぼく)、細い針金、小型の金槌(かなづち)を選んだ。


セラが金槌を手に取る。


「軽いな」


「工具ですから」


「投げれば武器になる」


「投げないでください」


「敵が来たら?」


「腰の剣を使ってください」


「剣が折れたら?」


「逃げてください」


「お前は、よく逃げることを勧めるな」


「戦えない人間が無理をすれば、守る人間の負担が増えます」


セラは少し考え、金槌を工具箱へ戻した。


「その考え方は嫌いではない」


棚の奥から、古い木箱を取り出す。


中には数通の手紙が入っていた。


一番上の封筒には、見慣れた丸い文字で俺の名前が書かれている。


養姉(あね)エルシアから届いた手紙だ。


一週間前に受け取ったまま、まだ開けていなかった。


封を切る。


乾燥させた薬草の香りがした。


 トーマへ。


 王宮でのお仕事には慣れましたか。


 食事を抜いていませんか。


 あなたは集中すると、自分の身体を道具より後回しにします。


 壊れた道具より先に、自分が壊れないようにしてください。


 それから、壊れているものを見つけたら、誰がその壊れ方で得をしているかを考えなさい。


 欠陥は、いつも偶然に生まれるとは限りません。


 エルシア。


最後の二行を読み返す。


断界剣アーク。


英雄を選ぶと信じられていた剣。


実際には、三つの条件が揃った人間を使用者として登録する兵器だった。


逆向きに接続されていた制御環は、本当に間違いだったのか。


誰が、その壊れ方で得をする。


まだ答えは分からない。


だが、次に調べるべきことは見えた。


「姉からか」


セラが、俺の肩越しに手紙を見ていた。


「勝手に読まないでください」


「見える位置で読んでいた」


「見えても読まないのが礼儀です」


「私の家では、見える情報を見逃した者は叱られた」


「変わった家ですね」


「ヴァルク家では普通だ」


説明になっていない。


「エルシアというのか」


「養姉です」


「会ってみたい」


「やめた方がいいですよ」


「仲が悪いのか」


「逆です。とても優しい人です」


「なら、なぜ」


説明するのが難しい。


姉は怒鳴らない。


人を責めない。


誰かが失敗しても、穏やかに笑って許す。


ただし、同じ失敗を繰り返さないように、失敗そのものができない状況を作る。


本人がそれを望んでいるかどうかは、あまり気にしない。


「優しすぎるからです」


「優しいことが危険なのか」


「姉の場合は」


セラは、少し楽しそうに笑った。


「ますます会いたくなった」


「警告したつもりなのですが」


「聞いた上で言っている」


その胸元に、文字が浮かぶ。


《対象名称――セラ・ヴァルク》


《分類――神造兵器・第九号》


《破損進行率――七十二パーセント》


《完全破損まで――推定百二十日》


視線に気づいたセラが、俺を見る。


「また接続の跡を見ているのか」


「はい」


今度は、完全にごまかす必要がない。


「右手を出してください」


「今度は何を見る」


「断界剣アークとの接続痕です。魔力の流れが乱れていないか確認します」


セラは少し警戒した様子を見せたが、素直に右手を差し出した。


俺は手首へ指を当てる。


脈は正常。


体温にも異常はない。


魔力の流れも、今のところ乱れてはいない。


ただし、その奥には、人間のものとは異なる赤い回路が走っている。


それをセラへ伝えることはできなかった。


「痛む場所は?」


「ない」


「身体が重い、息苦しい、視界がおかしいなどは?」


「何もない」


「断界剣アークの魔力が残っている感覚は?」


「分からない。武器を使った後に、魔力の感覚だけが残ることはある」


《完全適合》の影響だと、本人は考えているらしい。


今は、その理解を否定できない。


「接続の跡はあります。ただ、広がってはいません」


「身体に悪いものか?」


「今のところは判断できません」


「便利な目の割に、分からないことが多いな」


「壊れる可能性が見えるだけです。原因や治し方が、自動的に表示されるわけではありません」


「では、何のために触っている」


「昨日より悪くなっていないことを確認するためです」


セラは、俺の手元を見る。


「心配しているように聞こえるな」


「調査対象を良好な状態に保つのも仕事です」


「そういうことにしておこう」


手を離そうとする。


だが、今度はセラが俺の手首をつかんだ。


「私に関係することなら、一人で結論を出すな」


「まだ結論は出していません」


「なら、出すときは私にも聞け」


正しい。


俺は彼女を守るつもりで、本人から選ぶ権利を奪おうとしていた。


「約束します」


「今度は信じる」


「先ほどは信じなかったのに?」


「今は、私を見て答えた」


セラは俺の手を離した。


「それから、旅の間はヴァルク卿と呼ぶな」


「なぜです」


「長い」


「四文字しか変わりません」


「セラでいい」


本人が言うなら、拒む理由はない。


「分かりました、セラ」


名前を口にすると、思ったより近い響きがした。


セラは、わずかに目を細める。


「もう一度」


「呼びません」


「なぜだ」


「特に理由もなく呼ぶ方が不自然です」


セラは少し不満そうだった。


王国最強の騎士にも、子どものような顔ができるらしい。


翌朝。


空が白み始める前に、俺たちは王城の北門へ集まった。


用意されていたのは、王家の紋章を外した黒い急行馬車。


速度を優先した造りで、座席も荷台も狭い。


街道沿いの宿駅で馬を交換し、最低限の休息だけを取る。


それでもラグナまでは三日かかる。


同行する護衛騎士は二名。


御者(ぎょしゃ)を含め、六人での出発となった。


セラは、装飾のない鉄剣を腰へ下げている。


「もっと良い剣を借りなかったのですか」


「これでいい」


「王国最強の騎士が使う剣には見えません」


「普通の剣は、壊れるときに正直な音を出す」


セラが(さや)を軽く叩いた。


「伝説の剣より信用できる」


それには同意した。


王城の北門を出ると、街道脇に黒い石柱が並んでいた。


腰ほどの高さ。


表面には、魔物避けの術式が刻まれている。


境界石(きょうかいせき)


石から発せられる微弱な魔力と臭いを、多くの魔物が嫌う。


王都周辺で魔物を見ることが少ないのは、高い城壁と騎士団だけのおかげではない。


街道を守る境界石。


周辺を巡回する討伐隊。


定期的な魔瘴の調査。


そうした仕組みに守られているからだ。


王都から離れるほど、境界石の間隔は広くなる。


山や森の近くでは、魔物が街道まで出てくることもある。


同行する護衛騎士の一人が、馬車の屋根へ予備の弓を固定していた。


もう一人は、魔物の接近を知らせる警鈴(けいれい)を確認している。


俺がこれまで担当していた王宮倉庫にも、魔物の牙や皮を使った道具はいくつも保管されていた。


存在を知らなかったわけではない。


ただ、自分が魔物のいる土地へ向かうことになるとは思っていなかった。


「魔物と戦ったことは?」


馬車へ乗り込んだセラが尋ねた。


「ありません」


「一度も?」


「倉庫に入ってきた鼠なら、追い払ったことがあります」


「鼠型の魔物か」


「普通の鼠です」


「大きさは?」


「手のひらくらいです」


「では、練習にもならないな」


「俺を戦わせるつもりですか」


「戦わせないために、どの程度役に立たないか確認している」


「もう少し言い方があるでしょう」


「正確な方がいいだろう」


反論できなかった。


馬車へ乗り込む直前、グレイヴ宰相が俺たちを呼び止めた。


「一つだけ忘れるな」


宰相の視線は、俺へ向けられている。


「城護盾バスティオンは断界剣アークと違い、今もこの国を守っている」


「分かっています」


「異常を止めるためとはいえ、簡単に破壊するな。城護盾バスティオンを失えば、北東国境の均衡が崩れる」


「壊さずに止められる保証はありません」


「保証がないから、お前を行かせる」


理不尽な言い方だった。


だが、宰相もそれを分かっている顔をしていた。


「村一つと国一つを比べろとは言わん」


グレイヴ宰相は言った。


「だが、目の前の一人だけを見て、その後ろにいる一万人を忘れるな」


俺は返事をしなかった。


今は、まだ。


何を選ばされるのかさえ分からない。


「出発しろ」


御者が手綱(たづな)を鳴らす。


馬車が動き始めた。


王都を囲む城壁が、少しずつ遠ざかっていく。


その先には、俺の知らない街。


知らない国。


人を襲う魔物。


そして、神造兵器さえ必要とする伝説級の存在がいる。


六十八年前に討伐されたという、灰角王ヴァルガルド。


すでに死んだ魔物の話だ。


今のラグナの異常とは、関係がないはずだった。


このときの俺は、まだそう考えていた。


「トーマ」


隣に座るセラが、窓の外を見たまま言った。


「何ですか」


「三日もある」


「はい」


「その間に、私に何が見えているのか話す気になれ」


「命令ですか」


「お願いだ」


思わず、彼女を見る。


セラは窓の外を向いたままだった。


「あなたでも、お願いをするんですね」


「今ので気が変わった。命令にする」


「戻さないでください」


馬車は北東へ向かう。


二つ目の神造兵器が目を覚ました。


完全な盾に守られた街は、外の世界へ声を届けることすらできなくなっている。


そして俺は、その街へ向かいながら。


隣に座る少女が人間なのか兵器なのかさえ、まだ答えられずにいた。



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