第十八話 勝っていないものを、勝利と書くな
アルヴェリア王国の王都へ帰り着いて、俺たちが最初に向かったのは王宮ではなかった。
薬草と消毒薬の匂いが混じる、王宮北棟の治療院だった。
「次、カイ・ルーデンさん」
名を呼ばれたカイが長椅子から立ち上がろうとすると、受付にいた若い治癒士がすぐに手を上げた。
「そのままで。寝台を回します」
「ここからなら歩けますよ」
「歩けるかどうかではなく、歩かせていいかどうかを判断しています」
「三十歩もありませんけど」
「三十歩を歩いて悪化したら、私が上の治癒士に怒られます」
言い返す隙も与えず、奥から運ばれてきた寝台がカイの前へ止まった。
首から下げられた木札には、ラグナを発つ時から変わらない三つの文字が並んでいる。
移送可。
短距離歩行可。
戦闘不可。
最後だけ、やけに太く囲まれていた。
「トーマさん」
寝台へ横になりながら、カイが俺を見る。
「もし私が戻るまでに次の任務が決まっていたら、断っておいてください」
「珍しくまともですね」
「私抜きで出発する方をです」
「やっぱり駄目でした」
「聞こえていますよ」
寝台が扉の奥へ消えていく。
それを見送ったセラが、腕を組んだ。
「随分と大げさだな」
「右肺まで傷めた人に言う言葉じゃないでしょう」
「本人は歩けると言っていた」
「あなたも同類だから、かばわなくていいです」
セラがこちらを見る。
「私は何も言っていない」
「顔に書いてあります」
「リゼットのようなことを言うな」
俺は返事をせず、セラの左肩へ目を向けた。
ラグナを発つ時には固定されていた肩だ。ヴァルガルドとの戦いで鎧に亀裂が入り、最後の方は腕を持ち上げる動きにも明らかな遅れがあった。帰路では右脚をかばう場面もあったが、本人は一度として「痛い」とは言わなかった。
言わないだけで、治っているわけじゃない。
「何を見ている」
「肩です」
「もう動く」
「動くかどうかと、治ってるかどうかは別ですよ」
「同じだろう」
「全然違います」
言い合っている間にも、治療院には次々と負傷者が運び込まれてきた。
普通の治癒士なら何人もいる。切り傷へ魔力を流して血を止める者、腫れた足首を固定する者、火傷した兵士の皮膚を処置する者。
けれど、奥の治療室の前だけは列が動かない。
「まだですか?」
片腕を吊った兵士が受付に声をかけた。
「朝から待っているんですが」
「申し訳ありません。高位治癒士がまだ処置中です」
「ここは王宮の治療院だろう」
「だから一人は残っているんです」
受付の女性は、疲れた顔で書類をめくった。
「もう一人は北の軍営へ出ています。こちらも重傷者が続いていますから、順番を変えるなら医官の判断が必要です」
兵士は治療室の方を見たあと、何も言わず座り直した。
王都へ帰れば、魔力で何でも治る。
そういうものでもないらしい。
旅の途中でも治癒士には世話になった。だが、骨や身体の奥まで傷を広げずに魔力を通せる人間となると、王都にだって大勢はいない。
詳しく説明されなくても、廊下を見れば分かった。
使える術があることと、いつでも使えることは別だ。
それも前世では、よくあった話だった。
―――
セラが治療室から出てきたのは、窓から差し込む光が傾き始めた頃だった。
待っている間、俺はネネから預かった第四伝信塔の写しを膝の上で整理していた。
「終わったぞ」
顔を上げる。
治療前とは明らかに違った。
歩き方が自然になっている。帰路で時々見せていた右脚の違和感もほとんどない。
左肩も、入る前よりずっと動いていた。
ただし。
セラが上着を手に取り、左腕を袖へ通した時。
肩が一瞬だけ止まった。
「大丈夫ですか?」
「何がだ」
「左肩です」
セラは何事もなかったように腕を通し切った。
「問題ない」
「今、止まりましたよね」
「止まっていない」
「じゃあ一度脱いで、もう一回着てください」
「なぜそんなことをする必要がある」
「確認です」
「断る」
「じゃあ痛いんじゃないですか」
セラは心底面倒そうに俺を見た。
「かすり傷だ」
「……じゃあ、あなたの大怪我ってどういう状態なんですか?」
半分は嫌味だった。
ところが、セラは本気で考え込んだ。
少しして答える。
「剣を握れなくなった時だ」
「それ、大怪我を通り越してません?」
「握れるなら戦える」
「戦えるかどうかを聞いてるんじゃないんですよ」
「なら、何を聞いている」
「治ってるかどうかです」
「戦える」
「話が戻ってます」
治療室の奥から、小さな笑い声が聞こえた。
セラを担当したらしい年配の高位治癒士が、次の患者へ向かう途中でこちらを見た。
「今日は肩を酷使しない方がいいですよ」
「ほら」
俺が言うと、セラは不満そうに眉を寄せた。
「剣は振れる」
「振らないでくださいと言われてるんです」
「振れるかどうかを言っただけだ」
「そういう屁理屈、どこで覚えたんですか」
高位治癒士はそれ以上口を挟まず、そのまま次の治療室へ入っていった。
忙しいのだろう。
それでもセラの状態がかなり良くなったのは間違いなかった。
治療途中に一度だけ扉が開いた時、俺は中を見ている。治癒士が魔力を左肩へ移すよりわずかに早く、セラ自身の呼吸が変わり、肩周りの力が抜けていた。
《完全適合》。
戦う時だけじゃない。
治療される側としても、身体が勝手に最も受けやすい状態へ合わせている。
だから回復も普通より早いのだろう。
それでも。
治りかけと、治ったは違う。
一番理解してほしい本人だけが、その違いを気にしていない。
「トーマさん」
今度は奥からカイの声がした。
治療を終え、治癒士に付き添われて歩いてくる。顔色はかなり戻っていたが、首の木札は外されていない。
「どうでした?」
「非常に良好です」
「戦闘不可は?」
「残りました」
「良好じゃないでしょう」
「そこだけ医官と意見が合わなくて」
「医療に患者側の採決権はありません」
カイがセラへ助けを求めるように目を向けた。
「セラ殿なら分かってくれますよね」
「今、戦えるのか?」
「それは無理だそうです」
「なら重傷だな」
「なんで二人だけ通じ合ってるんですか」
どうやら俺だけ、怪我の基準が違うらしい。
―――
王宮宿舎へ戻り、荷物を置こうとした時だった。
机の上に一通の手紙があった。
封筒に書かれた少し丸い文字を見た瞬間、誰からか分かる。
「姉からか?」
後ろからセラが覗いた。
「はい。姉です」
「王都にいるのではないのか?」
「いませんよ」
セラが少し意外そうな顔をした。
「そうなのか」
「今は他の国にいます。身体が丈夫じゃないので、しばらく向こうで療養してるんです」
「それで手紙なのか」
「だいたいは」
封筒を裏返す。
王都を出る前にも一通届いていた。返事を書くつもりが、アークの件からラグナまで続いて、そのままになっている。
セラが手紙を見ながら、少しだけ黙った。
「以前、会ってみたいと言ったが」
「すぐには難しいですね」
「そうか」
残念そうな声ではなかった。
ただ少し考えてから、
「なら、元気になった時でいい」
と言った。
「姉に書いておきます」
「何をだ」
「王国最強の騎士が会わせろとうるさいって」
「一言も言っていない」
「手紙なんて少しくらい盛った方が――」
「真実を書け」
「……次の任務にぴったりの台詞ですね」
「次?」
「宰相に呼ばれてますから。嫌な予感しかしません」
手紙を机の上へ戻した。
まずは帰ったことを報告しないと、次の手紙で説教されるだろう。
―――
「勝ったことになっていますね」
王宮記録局へ入るなり、リゼット・クロウはそう言った。
挨拶より先だった。
机の上には、俺たちより先にラグナから届いていた報告書が広げられている。
「どの部分ですか?」
マレクが尋ねると、リゼットは筆先で二か所を示した。
『城護盾事案収束』
『灰角王ヴァルガルド撃退』
「市街から退いたこと自体は事実だ」
「市街から退いた、と書くなら問題ありません」
リゼットは眠そうな目のまま、報告書へ視線を落とした。
「ですが、ヴァルガルドは現在どこにいますか?」
「地下水路へ流失。その後は所在不明だ」
「では、『撃退』ではありません」
言い切り方は淡々としている。
怒っているわけでも、誰かを責めたいわけでもなさそうだった。
ただ、違うものを違うと言っているだけだ。
「ラグナでの直接戦闘は終わりました。バスティオンも停止しています。ですが、『撃退』と記録すれば、これを読んだ人間はアルヴェリア側がヴァルガルドを退けたと受け取る可能性があります」
「報告書には簡潔さも必要だ」
「簡潔にするために意味を変える必要はありません」
新しい紙を引き寄せ、すぐに筆を走らせる。
『城護盾バスティオンによる広域障壁運用を停止。ラグナ市街における直接戦闘は終了。灰角王ヴァルガルドの再構築体は地下水路へ流失し、現在所在不明』
書き終えて、元の紙の上へ置いた。
「報告書に格好良さは必要ありません。確認できたことだけで十分です」
いかにもリゼットらしかった。
俺はその文章を見ながら、ラグナでの戦いを思い出した。
俺たちはヴァルガルドを倒していない。
城外の魔物から送られていた供給が弱まり、バスティオンから切り離せるまで、セラたちが耐えた。
あの時は勝ったんじゃない。
時間が来ただけだ。
それを「撃退」と残せば、次にあいつが出てきた時、誰かが「一度勝った相手だ」と考えるかもしれない。
言葉一つで、次の判断が変わる。
「リゼットさん、これもお願いします」
ネネから預かった第四伝信塔の偽信号の写しを出す。
リゼットはすぐには取らなかった。
「原本はどこですか?」
「ラグナです。ネネが保管しています」
「写しだけを王都へ?」
「はい。同じ記録を一か所に置かない方がいいって」
そこで初めて受け取った。
「第四塔の調査を続けるために残ったんです。兄さんの疑いを晴らしたい気持ちもあると思いますけど、それだけじゃありません」
「でしたら、分けて記録します」
リゼットは二枚の用紙を用意した。
一枚には、伝信士として調査を継続する理由。
もう一枚には、兄アルトの容疑再確認を本人が望んでいること。
「同じ理由にまとめないんですか?」
「同じではありませんから」
顔も上げずに答える。
「本人の希望と、業務上確認できる必要性は別です。混ぜれば後から確認できなくなります」
ほんの数行。
でも、俺なら一つにまとめてしまったかもしれない。
書いてあることが嘘でなくても、何と何を一緒にするかで意味が変わる。
その事実が、妙に胸へ残った。
―――
グレイヴ宰相への報告は、ヴァルガルドの所在から始まった。
「地下水路の崩落は人為的か」
「自然劣化だけでは説明しにくい古い損傷がありました。誰かが、崩れる条件を作っていた可能性は高いです」
「空座か?」
「分かりません」
「目的は?」
「分かりません」
「魔核の行き先も?」
「それも分かりません」
三度続けて言うと、やっぱり気分はよくない。
前世でもそうだった。
事故が起これば、誰でも原因を急ぐ。
けれど、分からない空白をもっともらしい答えで埋めた時点で、調査は壊れる。
グレイヴは少し考えてから、リゼットへ顔を向けた。
「所在不明。討伐済みにはするな」
「承知しました」
「下流集落と砦への警戒も継続する。発見しても接触させるな」
マレクが頷いた。
続いてバスティオンの暫定運用。
正式な規則が決まるまでは都市全体を覆う障壁を使わない。備蓄魔石を優先し、それでも不足した場合だけ、人間が徴収対象を決める。
誰から。
何を。
どれだけ。
何のために。
全部記録へ残す。
「完全防護ではなくなるな」
グレイヴが言う。
「はい」
「判断を誤れば、守れない命も出る」
「それでも、誰が何を犠牲にするのか分からないまま、盾に全部任せるよりはいいと思います」
「人間が選ぶ以上、人間が責任も負う」
「そうです」
簡単ではない。
盾へ任せる方が楽だったはずだ。
だから、長い間そうしてきたのだろう。
「次だ」
グレイヴの視線がセラへ移る。
「バスティオンがお前に示した反応について」
俺は、ラグナですでに本人へ伝えた範囲を報告した。
「セラが接続した直後、通常の使用者には見えない管理系統らしい反応が出ました。古い非常時経路も一部開いています。それと、ヴァルガルドはセラを『カギ』と呼びました」
「意味は」
「まだ分かりません」
「《完全適合》の作用ではないのか」
「それだけでは説明しにくいです」
嘘は言っていない。
でも。
全部でもない。
頭の中には、ラグナを発つ時にも見えた文字が残っている。
《分類――神造兵器・第九号》
《機能――統制鍵》
《管理状態――封印不完全》
俺はそれを口にはしなかった。
セラが隣にいる。
それだけが理由ではない。
この場は全員へ共有される通常報告だ。
王命調査官の生の鑑定記録とは扱いが違う。
そう自分へ言い聞かせるように、俺は口を閉じた。
グレイヴは何も言わず、一度だけ頷いた。
―――
「次の任務だ」
ラグナについての報告が終わると、グレイヴは別の書類束を机へ載せた。
アルヴェリア王国の紋章だけではない。
見慣れない国章がいくつも封に押されている。
リゼットが受け取り、数枚めくった。
「国家間条約の更新ですか」
「ああ。通商、国境通行、徴税、押収、過去の越境案件。複数国の記録に食い違いがある」
「随分ありますね」
「全部確認する」
リゼットの手が一瞬だけ止まった。
「……全部ですか」
「全部だ」
「そうですか」
嫌そうなのに、口調は変わらない。
そこが余計に面白かった。
俺は横から予定表を覗く。
朝から証言者の名前が続き、司法官の交代時刻まで細かく書かれていた。
その下に、一つの名称がある。
第三号神造兵器。
真実鎖アレーテイア。
「三つ目……」
俺の声に、グレイヴが頷いた。
「勘違いするな。アルヴェリアの神器ではない」
資料の地図上、王国外の一点を指す。
「複数国が古い条約で中立裁定地として扱っている宗教司法都市がある。アレーテイアはそこに置かれている」
それだけ言って、次の資料へ移った。
王都を発つ前に聞いた話とも矛盾しない。
この国にあると確認されているのは、アークとバスティオンだけ。
今回は、国外へ行く。
「国家間の重大な事実確認にも使われる。今回、リゼットはアルヴェリア側の立会記録官として参加する」
「私ですか」
「他に誰がいる」
「何人かいます」
「今回はお前だ」
「承知しました」
淡々と返しながら、リゼットは資料の厚さを見ていた。
たぶん、本心では嫌なのだろう。
「トーマ」
「はい」
「お前は神造兵器を見る」
グレイヴが予定表を指した。
「裁定日は通常より長時間使われる。現地側は『いつもの範囲』と言っているが、アークとバスティオンで学んだ」
その先は、言われなくても分かった。
動いているから正常。
今まで事故がなかったから正常。
そうとは限らない。
「壊れてから原因を調べるな、ですね」
「ああ」
予定表を受け取る。
証言回数。
使用時間。
休止時間。
普段との差。
見るべきところはいくらでもありそうだった。
「使われている時に調べます」
「セラは護衛。マレクは王都に残って、ヴァルガルド捜索とラグナとの連絡を続けろ」
「承知した」
「カイは――」
「行けます」
カイが即答した。
グレイヴが木札を見る。
「戦闘不可と読めるが」
「出発までには」
「医官の許可が出れば考える」
「出してもらえるよう努力します」
「治る努力だけしてください」
リゼットにまで言われ、カイが黙った。
「以上だ」
グレイヴの言葉で、全員が立ち上がる。
俺も資料を持って席を離れようとした。
「トーマ。お前は残れ」
足が止まった。
セラも振り返った。
「まだ何かあるのか?」
「王命調査官の原記録を確認する」
グレイヴが俺を見る。
「神造兵器へ《不具合鑑定》を使った場合、通常報告とは別に生の観測記録を残すことになっている」
俺の指先が、わずかに強張った。
セラは何も言わなかった。
ただ俺を見る。
「先に戻っている」
それだけ言って、部屋を出た。
扉が閉まった。
リゼットも、カイも、マレクもいなくなる。
グレイヴと二人だけになった。
「出せ」
前置きはなかった。
俺は鞄へ手を入れた。
ラグナへ向かう前から、誰にも見せていない紙。
折り目が増えている。
差し出すまで、少し時間がかかった。
「これが、セラへ出ている表示です」
グレイヴが紙を開く。
《対象名称――セラ・ヴァルク》
《個体識別名称――未登録》
《分類――神造兵器・第九号》
《機能――統制鍵》
《管理状態――封印不完全》
そこから先も、目を通していく。
部屋が静かだった。
「いつから知っていた」
「最初の事故の時からです」
「王国へは報告していないな」
「はい」
「なぜだ」
答えはいくつもあった。
確証がなかった。
セラが拘束されると思った。
本人を怖がらせたくなかった。
全部、嘘ではない。
「俺が、まだ言うべきじゃないと思ったからです」
結局、それしかなかった。
グレイヴの目が上がる。
「お前が決めたのか」
「……はい」
「王命調査官としては失格だな」
胸に刺さった。
でも反論できない。
「ただし」
グレイヴは紙へ視線を戻した。
「この表示だけでセラを神造兵器扱いするほど、こちらも愚かではない」
「え?」
「分からないんだろう。《統制鍵》が何か」
「はい」
「第九号という分類が、身体そのものを指すのか、内部の何かを指すのかも」
「分かりません」
「なら分からないと記録する」
リゼットと同じだった。
グレイヴは机の端にある小さな鐘を鳴らし、機密用の封筒を持ってこさせた。
「この内容は国王へ上げる。他への共有は一旦止める」
「セラにも?」
「ああ」
反射的に顔を上げた。
「本人のことです」
「分かっている」
「だったら――」
「本人が知ることで何かが起きないと、証明できるか?」
言葉が止まる。
「できません」
「なら調べる。意味を確認してから伝える」
「それは……」
胸の奥がざらついた。
どこかで聞いた理屈だった。
俺自身が使った理屈だ。
「トーマ」
グレイヴが俺を見た。
「お前が最初に黙ったことと、今から国が秘匿することを同じにするな」
俺は黙った。
「お前は一人で決めた」
紙を封筒へ入れる。
「こちらは国王へ報告し、誰が判断したかを記録に残す。期限も置く。調べた結果、秘匿する必要がないと判断すれば本人へ開示する」
「……いつまでですか」
「アレーテイアの調査報告までを一つの区切りにする」
蝋が落とされる。
アルヴェリア王国の印が押された。
「異論があるなら記録へ残せ」
俺は少し迷ったあと、
「本人へ伝えるべきだと思っています」
と言った。
「分かった。それも残す」
紙が俺の手から離れる。
肩の荷が下りたような感覚は、なかった。
むしろ逆だった。
俺が隠していた秘密が、今度は国家の秘密になった。
それだけだ。
―――
部屋を出ると、廊下の先にセラがいた。
「先に戻ったんじゃなかったんですか?」
「カイが治療院へ戻された」
「何したんです?」
「階段を二段飛ばしで下りた」
「馬鹿なんですか?」
「本人は足が動くか確認したと言っていた」
ため息しか出ない。
セラが歩き出し、俺も隣へ並んだ。
「報告は終わったのか」
「はい」
「そうか」
それ以上、聞いてこなかった。
俺も話せなかった。
宿舎の机には、姉さんから届いた手紙がある。
何が書いてあるかは、まだ知らない。
俺の鞄には、次に調べる神造兵器の資料がある。
真実鎖アレーテイア。
そして今、セラのことが書かれた紙は、王国の封印の向こうへ行った。
今日だけで何度見ただろう。
書いてあること。
書いていないこと。
嘘ではないこと。
でも、全部ではないこと。
リゼットは『撃退』という言葉を消した。
一つの言葉が、読む人間を間違った結論へ連れていくから。
俺はセラへ嘘をついていない。
それでも、彼女が知らない真実を持っている。
その違いが、前よりずっと重かった。
手にした資料の表紙を見る。
真実鎖アレーテイア。
何でも断つ剣には、傷を引き受ける誰かがいた。
すべてを守る盾には、守られない外側があった。
なら――。
絶対に正しいとされる真実は、いったい何を見落としている。




